第1話 呪われた魔道書
「炎の精霊よ邪なる者どもを討ち滅ぼせ、グレンブラスト!」
Sランク冒険者パーティー【サンブライト】の魔法使いである俺ルカが呪文を詠唱し魔力を解き放つと耳を劈くような爆音とともに前方から飛びかかってきたゴブリンの群れが一瞬にして消し飛んだ。
後に残ったのは爆風によって抉れた地面と瓦礫の山のみ。
「うん、これで全部片付いたみたいだね」
パーティーの紅一点、シーフ職の少女イーシャが討ち漏らしがないことを確認して仲間たちに報告する。
古代魔族の遺跡に巣食うゴブリンの討伐。
それが今回俺たち【サンブライト】が受けた依頼の内容だ。
幼少より魔法という存在が大好きだった俺は勉強や家の手伝いもそっちのけで魔法の練習にのめり込んでいた。
その甲斐もあって家を出て冒険者として独り立ちした頃には俺の魔力は常人のそれを遥かに凌駕するまでになっていた。
本気を出せば小規模ながら地形すら変えられる程の魔法を使いこなすことから周りからは歩く天変地異などという二つ名で呼ばれることもある。
その微妙なダサさ加減から何度か訂正を試みたが俺が預かり知らぬところで世間に広まってしまっていたその二つ名を訂正することは最早不可能であった。
今ではすっかり諦めの窮地にいる。
「終わったならさっさと引き上げて報酬を貰いに行こうぜ。こんな陰気臭いところ一秒だっていたくねえ」
勝利の余韻に浸る暇もなくパーティーのリーダーである戦士ダスターがせわしなく撤収の催促をする。
「ダスターさん、今夜はどのお店で打ち上げをしますか?」
パーティーの僧侶職テラロッサの頭の中は既に今夜の酒のことでいっぱいだ。
誰よりも早く戦闘で使用した数々のアイテムを鞄に仕舞い帰り支度を整えるその手際の良さは見習いたいものだ。
そんなことを考えながら帰り支度をしていると、視界の先に何か光るものが見えた。
「うん? 皆ちょっと待ってくれ。あそこに何か埋まってる」
仲間たちを引き止めながら目を凝らし眺めると古ぼけた箱が地面から半分程顔を出しているのが見えた。
さっき俺が魔法で周囲を吹き飛ばした時に偶然地上に出てきたのだろう。
「なんだ、宝箱か? よしイーシャ、そいつを開けてみろ」
「はいよっ」
宝箱にはどんな罠が仕掛けられているか分からない。
ダスターの指示でイーシャが慎重に箱を開ける。
しかし罠は仕掛けられておらず労せずにその中身が俺たちの目に飛び込んできた。
「これは……魔道書かしら?」
中に入っていたのは古ぼけた書物だった。
忽ち仲間たちの目の色が変わる。
魔法とはその名の通り元々は魔族が生み出した法術である。
かつて魔族はあらゆる強大な魔法を操りこの世界の支配者として君臨していたが、やがて人間たちがその技術を盗み自分たちで魔法を使うようになると力関係は逆転した。
魔族は徐々に大陸の隅に追いやられ今では魔の森と呼ばれる辺境の一角に僅かな数が隠れ住んでいるのみだ。
しかしその争いの過程で人知れず失われていった魔法も数多く存在する。
そのような魔法は失われた魔法と呼ばれて重宝され、魔法の研究家や貴族の愛好家の間では法外な金額で取引をされていた。
その魔法の効果によっては国家規模で獲得に動くこともあるという。
「おいルカ、それは何の魔法だ? かなり古い魔導書のようだが」
「ヤバ、これが失われた魔法ならあたしら大金持ちじゃない?」
「今夜は祝賀会に変更ですね」
「今確認をするからちょっと待ってくれ」
鼻息を荒げながら催促する仲間たちを制しながら魔道書をパラパラと捲ってその内容を目に通す。
仮にもSランクの魔法使いである俺は現存するほぼ全ての魔法の術式を頭に叩き込んでいるつもりだが、そこには書かれていたのは見たこともない呪文や魔方陣だった。
間違いない、これは失われた魔法だ。
しかしどのような魔法なのかは皆目見当がつかない。
売りさばくにしても最低限これがどんな魔法なのかを鑑定しなければ足元を見られるだろう。
一般的な魔道書の鑑定方法はただひとつ、魔道書と契約を交わすことである。
俺は魔道書に手を翳して魔力を流し込むと忽ち魔道書が薄っすらと淡い光を放った。
これでこの魔道書との契約が終わり、どのような魔法なのかその詳細が知識として俺の頭の中に入ってくるはず──
「……やっと見つけてくれた」
「え?」
ふいに誰かの声が聞こえた気がした。
「今何か言ったか?」
「あ? 何言ってんだお前」
俺は後ろを振り向き仲間たちに訊ねるが皆怪訝そうな顔をする。
気のせいか。
俺は気を取り直してもう一度魔道書に魔力を流し込んだ。
「……もう離さない」
「は?」
今度ははっきりと聞こえた。
少女のような声。
もう一度振り向いて仲間たちに訊ねるが返ってきたのは先程と同じ反応だ。
皆には聞こえていないのか。
そう思った次の瞬間魔道書が眩い閃光を放ちそこに描かれた魔法の内容が俺の頭の中に流れ込んできた。
契約が完了したのだ。
「え? これって……」
「どうだ? どんな効果だ?」
「……」
「ルカ聞いてるのか?」
「あ、ああ……この魔法はな……」
俺はその続きを言うのを躊躇った。
それを伝えると仲間たちが失望するのが目に見えていたからだ。
これは彼らが期待するような高値で売れる魔法ではない。
「もったいぶるな、さっさと教えろよ」
ダスターの機嫌が見る見るうちに悪くなっていく。
時間稼ぎは無意味だ。
俺は意を決してこの魔道書に書かれた魔法の効果を伝える。
「……人化の魔法だよ」
「人化? マジかよ……」
仲間たちのテンションが一気に下がっていくのを感じる。
かつて高位の魔族は人に化けて人間社会に紛れ込み人心を惑わしたというが……。
「はぁ……人間が人化の魔法を覚えて何の意味があるって言うんだ?」
ダスターが大きく溜息をついてぼやいた。
ごもっともな意見である。
完全なハズレ枠だ。
いくら失われた魔法と言っても使い道が無ければ二束三文にしかならないだろう。
「ルカ、お前にはがっかりだよ。散々期待させやがってこのザマか」
「いや、俺に責任はないだろ」
「うるせえ、さっさと焼き捨てちまえそんなゴミ。目障りだ」
ダスターは手をひらひらさせながら魔道書の焼却を命ずる。
こうなるのは分かっていた。
このダスターという男は少しでも自分の思い通りにならないことが起きると目に見えて不機嫌になりまるで子供の様に理不尽に当たり散らす。
そんな彼がリーダーをやっているのはひとえに侯爵家の令息という出自によるものである。
そうでなければ誰もこの男にはついてこないだろう。
しかしここで彼に逆らっても面倒なことになるだけだ。
素直に従っておこう。
「言われなくてもそうするよ。ヘルファイア!」
俺は魔道書目掛けて杖をかざし炎の魔法を放った。
いや、放ったつもりだった。
「あ、あれ?」
「どうしたルカ?」
「炎が出て来ない。何でだ? ヘルファイア! ヘルファイア!」
俺は何度も魔法を放とうとするが一向に炎が出てこない。
「なあ、それってもしかして」
テラロッサがはっとした表情で言った。
「その魔道書呪われてないか? 状況から察するに他の魔法が使えなくなるタイプの」
僧侶という職業上テラロッサは呪いの知識も豊富だ。
その言葉には確かな説得力があった。
「ま、まさかそんな……冗談じゃない! ヘルファイア! ジェノサイドサンダー! ポイズンスタンピード!」
俺は思いつく限りの呪文を唱えるが、一向に魔法が発動する気配すらない。
「え、本当に呪われてる? そういえばさっき変な声が聞こえたんだがもしかして……」
「ああ多分それだ。残念ながらお前人化以外の魔法が使えなくなる呪いを掛けられたみたいだな」
「嘘だろ……」
人化魔法が役に立たない以上実質俺は魔法そのものが使えなくなったと言い換えてもいい。
魔法が使えない魔法使いなんて何の価値もない。
俺は血の気が引いていくのを感じた。
ダスターがそんな俺を見てめんどくさそうに言った。
「呪いなら後で解呪すればいいだろ。さっさと町に帰るぞ」
「そ、そうだな。教会の神父様ならきっと呪いを解いてくれるはず……」
俺は魔道書を鞄に仕舞い仲間たちと王都への帰路を急いだ。