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「あなたの謝罪にそんな価値があるとでも?」~婚約破棄された令嬢はやり直さない

作者: 葵 すみれ

「フォセット、お前との婚約を破棄する!」


 得意げに言い放つ婚約者ジェイドを見て、フォセットはそっとため息をついた。

 フォセットの銀色の髪と翡翠色の瞳が、シャンデリアの光を受けてきらきらと輝く。


 金髪碧眼のジェイドの隣には、栗毛色の髪に茶色い瞳の小柄な少女が寄り添っている。

 夜会の場に二人で現れたときから、予想はしていた。


「僕は真実の愛に目覚めたのだ! 彼女、メレーヌと共に生きていく!」


 ジェイドは隣の少女を抱き寄せる。メレーヌと呼ばれた少女は恥じらうように頬を赤らめ、ジェイドの胸にすり寄る。


「そうですか。私たちの婚約は、我がバラデュール伯爵家とそちらのボナール侯爵家の事業提携のためのものでしょう。それについてはどうお考えですか?」


 静かな声で、フォセットは淡々と問いかける。


「家同士の事業提携? そんなのどうでもいい。僕は僕の愛する人を妻に迎えるんだ」


 ごく当たり前のようにジェイドは答える。

 フォセットはジェイドに抱き寄せられた少女をちらりと見た。


「……彼女は確か、フゥファニィ商会のメレーヌ嬢でしたかしら。ですが、平民の商家のお嬢さんが侯爵家令息であるあなたの妻となるのは、なかなか困難が伴うのでは?」


「はっ、この僕が真実の愛を見出したんだぞ。皆が祝福してくれるさ」


「真実の愛、ですか……」


 フォセットはジェイドの言葉を繰り返す。ジェイドは自分の言葉に酔っているようで、その目がうっとりと細められていた。

 これは手の付けようがない。お花畑の住人となっている。

 しかし、むしろこれは好機かもしれない。


「承知しました。では、この婚約は破棄いたしましょう」


 フォセットがあっさり了承の意を示すと、ジェイドは少し驚いた顔をする。だがすぐに調子を取り戻す。


「そうか。やはりお前ですら、この真実の愛の前にはひれ伏すしかないのだな。わかればいいのだ」


 ジェイドの高笑いが夜会の場に響く。

 フォセットは感情を表に出さないよう努めながら、心の中でため息をつく。

 だが、このジェイドの愚かさのおかげで婚約を破棄できたと思えば安いものか。


「ですが、その前に私に何かおっしゃることはないのですか?」


 フォセットの言葉にジェイドはきょとんとした。

 そしてすぐに自信に満ちた笑みを浮かべる。


「僕が愛しているのはメレーヌただ一人だ。お前の存在などどうでもいい」


 フォセットは頭の中で何かが切れる音を聞いた。

 それはこれまでわずかに残っていた彼への信頼だったのかもしれない。


 思えば、ジェイドはこれまで一度も謝ったことがなかった。

 約束を破った時も、嘘をついた時も、かつてフォセットの従者だった少年を気に入らないと力ずくで追い出した時も。

 謝罪も、言い訳も、フォセットに対して一言もなかった。


「そうですか、わかりました。では私はこれで失礼します」


 フォセットは静かな声で答え、踵を返す。後ろでジェイドが何か叫んでいたが、知ったことではない。

 そのまま振り返ることなく、フォセットは夜会から立ち去ったのだった。



*



 夜会から帰ったフォセットは、父親であるバラデュール伯爵に事情を説明した。

 父親はその話に呆れるばかりだ。


「……実のところ、彼の素行を見て婚約を解消すべきかと考えていた。婚約という契約を簡単に破棄しようとする愚か者だ。お前の相手にはふさわしくないだろう」


 盛大なため息を吐き出しながら、父親はそうこぼす。

 フォセットも同意見である。


「後は私に任せておけ。ボナール侯爵家にはたっぷりと賠償を請求してやる」


「はい。よろしくお願いします」


 フォセットは父親に深く頭を下げた。これでやっと肩の荷が下りた気分だ。

 もともと、ジェイドにはとっくに愛想が尽きていた。こうして相手の有責で婚約を破棄できたのだから、良い結果と言えるだろう。

 しかし、どうせならもっと早く、彼がフォセットの従者を追い出す前に婚約を解消したかった。

 そうすれば、もしかしたら──


「ところで、クラルティ男爵を知っているか?」


 突然の父親の質問で、物思いに沈んでいたフォセットは現実に引き戻される。


「……クラルティ男爵? 確か、高齢で跡継ぎがいない家ですよね」


「ああ、そうだ。だが、その情報は少し古いな。今は、息子が跡を継いだそうだ」


「息子、ですか?」


 フォセットは首を傾げる。

 息子がいたのなら、跡継ぎがいないとはどういうことだったのだろうか。


「息子といっても養子だ。やり手らしくてな。あっという間に事業を拡大し、今や社交界で一番勢いのある男爵家だそうだ」


「はあ」


 父親の説明にフォセットは生返事をする。正直、そんな人物のことなどどうでもよいのだ。フォセットには関係ない話なのだから。

 だが父親は違うようだ。どこか浮かれたような様子だ。


「まあ、とにかくそのクラルティ男爵が事業提携の話をしたいということで、我が家を訪問してくるのだ。お前も同席するんだぞ」


「わかりました」


 フォセットは素直に頷く。

 だが、それだけではないのだろう。父親は何やらうきうきしている。


「クラルティ男爵は、お前と年齢が近いそうだ。きっと話が合うんじゃないか? そう考えると、婚約破棄はとても良いタイミングだったな」


 フォセットはその言葉で父親の魂胆に気づく。

 きっと婚約破棄となったフォセットの新たな相手候補に、そのクラルティ男爵を考えているに違いない。

 フォセットは眉間にしわを寄せながら、ため息をついた。


「婚約破棄された娘に、こうも早く新たな婚約者を見繕うなんて……」


 父親に聞こえないよう、フォセットは小声で呟く。

 ジェイドに対しては、もはや情も残っていない。しかし、婚約破棄したその日に新たな縁談を匂わされるのは、良い気分ではなかった。


「何か言ったか?」


「いいえ、何でもありません」


 父親は怪訝そうな顔をしていたが、すぐに話題を変える。


「それでだ。クラルティ男爵との話し合いは数日後に予定しているから、そのつもりでな」


「……わかりました」


 苦い思いをのみ込みながら、フォセットは答えた。

 貴族の娘である以上、政略結婚など当たり前だ。

 それは理解しているが、自分の娘に対してこうも簡単に新しい相手をあてがおうとするのはいかがなものだろうか。

 フォセットは心の中で父親への不満を燻らせながら、その場を後にしたのだった。



*



 それから数日後、フォセットは応接室で待機していた。

 まもなく件のクラルティ男爵が到着するらしい。

 父親は後から来るそうなので、フォセットは一人きりだ。

 それも見合いの意図が含まれているのだろう。


「はあ、気が重い……」


 フォセットは何度目かわからないため息をつく。

 すると、部屋の外から騒がしい足音と共に何やら言い合う声が聞こえてきた。


「お待ちください!」


「うるさい! いいから通せ!」


 そんな声が聞こえてきたと思ったら、ドアが乱暴に開けられた。

 そこには元婚約者であるジェイドが、顔を真っ赤にしながら立っていた。


「ジェイド……なぜここに……?」


 フォセットが驚きに目を見張ると、ジェイドは怒りを顔に滲ませながら、ずかずかと部屋の中に入ってくる。

 そしてフォセットの目の前で立ち止まると、ぎろりと睨みつけてきた。


「全部、お前のせいだ!」


 そう叫んだジェイドはやつれていて、目の下には濃い隈ができていた。


「僕を廃嫡するだと!? 冗談じゃない! 僕は由緒あるボナール侯爵家の跡取りだ!」


 ジェイドは息継ぎもせずにそう叫んだ。よほど興奮しているらしい。

 だがフォセットには何を言っているのか理解できない。


「待ってください、いったい何を言っているのですか?」


 フォセットが困惑しながら尋ねると、ジェイドは更に目を吊り上げる。


「お前が僕を陥れたんだろう!」


「陥れる? あなたが勝手に婚約を破棄したのでしょう? 私が何をしたと?」


「とぼけるな! 父上が僕を廃嫡した! それでも気を取り直し、メレーヌの家に婿入りすればよいと思ったんだ。身分は失うが、真実の愛のためならそれも仕方がない。だが、フゥファニィ商会は取りつく島もなかった!」


「はあ」


 フォセットは気のない返事をする。


「伯爵家と侯爵家に睨まれては商売にならない、の一点張りだ。なぜ僕がそんな目で見られるんだ! 僕は何もしていないのに!」


「それはそうでしょう。あなたのやったことは、貴族にあるまじき行いでしたからね」


 突き放すような冷たい声で、フォセットは答える。


「僕は真実の愛を貫いただけだ。それのどこがいけないんだ! きっとお前が何か手を回したに違いない!」


 頭痛を覚え、フォセットはそっと額を押さえる。この問答はいつまで続くのだろうか。


「メレーヌもメレーヌだ! 全てを捨てて二人で生きていこうと言い出した! 僕のために親を説得することもできないのかと、失望した!」


 ジェイドは悔しそうに地団太を踏む。

 うんざりとしながら、フォセットはため息をつく。


「……周囲が全てあなたの都合の良いように振舞うと本気で思っていたのですか?」


 フォセットが低い声で尋ねると、ジェイドは一瞬言葉に詰まる。


「そ、それは……」


 さすがに頭がお花畑の彼でも、少しは世間というものを知ったらしい。

 だがすぐに気を取り直して叫ぶ。


「うるさい! だから僕はお前とやり直してやると言ってるんだ。ありがたく思うんだな!」


「お断りします」


 フォセットは即答する。

 信じられないといったように、ジェイドが目を見開く。


「なんだと!? お前は僕を愛しているんだろう!?」


「そんな世迷言を口にしたのは、どこの誰ですか? そんな妄想を垂れ流すのはあなたの頭の中だけにしてください」


 フォセットの蔑みをあらわにした冷たい眼差しに、ジェイドは鼻白む。


「なっ……」


「家同士が決めた婚約です。私は婚約者として当然の義務を果たしていたに過ぎません。ですが、あなたは義務を怠った。そのような方を愛せるはずもありません」


 フォセットははっきりと言いきる。

 ジェイドは顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。


「せっかくあなたのことを愛してくれたメレーヌ嬢のことも、あなたは裏切ったのでしょう? 二人だけで生きていこうと言ってくれたメレーヌ嬢をあっさり切り捨て、こうして私とやり直そうなどと……真実の愛とはいったいなんなのでしょうね?」


 淡々と話すと、ジェイドはわなわなと肩を震わせる。


「く……っ……だったら、僕にどうしろと!? お前はなにが気に入らないんだ!」


「全てです。何もかも。この期に及んで謝罪の一言も出てこないところとか、自分の非を一切認めないところとか、私はあなたを愛してなどいなかったのにその勘違いが甚だしいところですとか……」


 フォセットは指を折りながら数え上げる。

 それを聞き、ジェイドは呆然としたまま動かない。


「私はあなたの顔も見たくありません。早くここから出て行ってください」


 冷たく言い放ち、フォセットは手で追い払う仕草をする。

 ジェイドは怒りと屈辱に顔を真っ赤にしながらも、ぐっとこらえて唇を噛みしめた。


「わ……悪かった……」


 絞り出すような声でジェイドは謝罪を口にした。

 その顔は何かをやりきったかのような清々しさに満ち、得意げだ。

 しかし、フォセットは眉一つ動かさず、冷たい眼差しを向ける。


「なんだ、その態度は! 謝っているんだから、お前は許すべきだろう! 僕は侯爵家の跡取りなんだぞ!」


 ジェイドがヒステリックに叫ぶ。それをフォセットは無言で見つめるだけだ。

 彼は負けじと叫び続ける。


「この僕が謝ってやったんだぞ! 少しくらい喜ぶなり何なりしたらどうなんだ!」


 フォセットは冷たい眼差しのまま、淡々と答える。


「あなたの謝罪にそんな価値があるとでも? どこまでもおめでたい方ですね」


「なっ……!」


 ジェイドが絶句する。

 だがすぐに気を取り直したように叫ぶ。


「と、とにかく! お前は僕と結婚するんだ!」


「嫌です」


 フォセットはきっぱりと拒否する。

 するとジェイドが怒りに顔を歪ませる。


「嫌とはなんだ! この僕が謝ってやったんだから、許すのが当然だろう! 今すぐ許すと言え!」


「お断りします」


 拒絶の言葉を繰り返すと、ジェイドはフォセットを睨みつけてきた。


「ふざけるな! 僕の言うことが聞けないのなら、力ずくで言う事をきかせてやる!」


 激高したジェイドは、拳を振り上げる。

 殴られると思ったフォセットは、思わずぎゅっと目を閉じる。

 だが、ジェイドの拳が振り下ろされる前に、横から伸びてきた手が彼の腕を掴んだ。


「な……!」


 ジェイドは驚きに目を見開く。フォセットも目を見張る。

 そこにはジェイドの腕を掴んだ青年の姿があった。

 黒髪に鳶色の瞳をした、凛々しい顔立ちの青年だ。

 青年はフォセットに向かって微笑みかけた。


「お怪我はありませんか?」


「え、ええ」


 フォセットは戸惑いながらも頷く。

 すると青年は掴んだ腕を捻り上げる。


「いたたた……!」


 ジェイドは苦痛の声を上げる。腕を掴んだままの青年が口を開く。


「あなたの言い分は支離滅裂です。これ以上の横暴は、許しません」


 青年は静かな声で告げる。そこには有無を言わせない迫力があった。


「なっ……何者だ!? 邪魔をするな!」


 ジェイドは何とか逃れようともがくが、青年の力が強いのか抜け出すことができない。

 そんなジェイドの腕を離すことなく、青年は言葉を続ける。


「私の名はリシャール。クラルティ男爵となった者です」


「えっ……!?」


 フォセットは信じられない思いで、目の前の青年を見つめた。

 その名には覚えがある。よく見てみれば、顔立ちにも面影がある。


 フォセットの目の前に現れたのは、かつて従者を務めていたリシャールだったのだ。

 あの頃はフォセットが十歳、リシャールが十三歳だった。七年の歳月で、彼はすっかり大人の男に成長していた。

 許されない想いだと、心の奥底に閉じ込めたはずの恋情が、じわじわと溢れてくる。


「お久しぶりです、お嬢さま」


 リシャールは驚きに固まるフォセットに向かって笑いかける。


「……あなた、リシャール……? 本当に……?」


「はい、お嬢さま」


 リシャールは頷く。その微笑みも口調も記憶の中の彼と寸分違わない。

 胸に熱いものがこみあげてきて、フォセットの目に涙が溢れる。

 そんなフォセットの様子を見たジェイドは歯ぎしりをする。


「くそっ、離せ!」


 リシャールの手から逃れようと暴れるが、リシャールはびくともしない。


「無駄な抵抗はおやめください」


 落ち着いた声で告げられた言葉に、ジェイドは憎々しげに顔を歪める。


「うるさい! クラルティ男爵だと!? たかが男爵ごときが、侯爵家の跡継ぎである僕に逆らうな!」


 ジェイドはリシャールを怒鳴りつける。

 するとリシャールは冷たい目でジェイドを見下ろす。


「あなたが侯爵家の跡継ぎ? もう廃嫡されて、ただの平民ではないですか」


「な……なんだと!?」


 ジェイドは言葉を失う。

 その様子に構うこともなく、リシャールは淡々と話す。


「あなたは私のことなど覚えていないでしょうね。あなたは私のことを、蹴飛ばすための置物としか思っていなかったようですから」


「な……だ、誰だ……? 貴様は……!?」


 ジェイドの顔に怯えが浮かぶ。

 静かにそれを見つめながら、リシャールは目を細める。


「私が誰かなどどうでもよいのですよ。ただ、今度はあなたが蹴飛ばされる置物に過ぎない立場になるというだけの話です」


「なっ……」


 リシャールの厳しい視線に、ジェイドは言葉を失う。

 彼は笑みを消し、冷ややかな声で告げる。


「これ以上暴れたり喚いたりするようでしたら、力ずくで黙らせますがよろしいですか?」


 フォセットはごくりと喉を鳴らす。リシャールは本気だ。そして容赦なく実行するだろう。

 そんなリシャールの様子に恐れをなしたのか、ジェイドの顔が真っ青になる。


「わ……わかった! もう何も騒がないし、暴れない!」


 ジェイドは泣きそうな顔で叫ぶ。


「そうですか。ではさっさと出て行ってください」


 リシャールは掴んでいたジェイドの腕を離した。

 ジェイドは床にへたり込んだ後、ほうほうの体で部屋から逃げ出した。


「お嬢様」


 静かになった部屋で、リシャールはフォセットに向き直る。そして片膝をついて頭をたれる。


「長らくお待たせいたしました。このリシャール、ただ今戻りましてございます」


「リシャール……!」


 フォセットは感極まった声で叫ぶと、リシャールのもとへ駆け寄り、ぎゅっと抱き着いた。


「ああ……本当にあなたなの? 信じられない……」


 つい声が震えてしまう。

 そんなフォセットを優しく受け止めながら、リシャールは答えた。


「はい、お嬢さま。私です」


「夢を見ているみたい……」


 フォセットはリシャールの胸に顔を埋めながら呟く。

 するとリシャールはくすりと笑った。


「夢ではありませんよ」


 そう言って彼はそっとフォセットの髪を撫でる。

 その優しい手つきに、フォセットはさらに涙をこぼしてしまった。




「そういえば、どうしてあなたがクラルティ男爵に? あれから一体どうなったの?」


 ややあって落ち着いたフォセットはリシャールに尋ねる。

 彼はかつてフォセットの従者だったが、ジェイドから目の敵にされていた。

 そしてあるとき、とうとうジェイドは侯爵家の跡継ぎという立場を使って、リシャールを力ずくで追い出したのだ。


「私は追い出された後、力をつけるのだと下町で様々な仕事をこなしてきました。そうしたあるとき、クラルティ男爵に声をかけられたのです」


 リシャールは淡々と語る。


「クラルティ男爵は私に、暇つぶしだと言って様々な仕事を教えてくれました。その中で私は事業家としての才覚を現し、徐々に成功を収めていきました。その結果を認められ、クラルティ男爵の養子として迎えられたのです」


「そうだったのね……大変だったでしょうに……」


 悲しくなりながら、フォセットは目を伏せる。

 そんなフォセットに、リシャールは微笑む。


「確かに苦労したこともありましたが、お嬢さまのためを思えばつらくはありませんでした」


「リシャール……」


 一度は収まった涙が、再び溢れてしまいそうになる。

 リシャールは真剣な眼差しで告げる。


「私はお嬢さまに初めてお会いしたときからお慕いしておりました。しかし、身分差があるとずっと諦めていました」


 リシャールはフォセットの手を取り、その手の甲に口づけをする。


「ですが今は違います。あなたの隣に立つために、私はこうして爵位を得たのです」


 そう言って彼は微笑む。その微笑みは幼い頃の面影を残したまま、精悍さと逞しさが増していた。


「改めて申し上げます、お嬢さま。私はあなたを愛しています。どうか私の妻になっていただけませんか?」


 リシャールは真剣な表情で問いかける。

 フォセットは感極まってぽろぽろと涙を流す。もう、こらえきれなかった。


「私……ずっとあなたに謝りたかったの……」


「謝る……?」


 リシャールは不思議そうに首を傾げる。

 涙を流しながら、フォセットは頷く。


「あなたが追い出されたとき、守り切れなかったこと……どうしてもあなたに謝りたかった」


「お嬢さま……」


 リシャールはつらそうに顔を歪め、そっとフォセットを抱きしめる。そして優しく髪を撫でた。


「……どうか謝らないでください、お嬢さま」


「でも……」


「あの時、追い出されたからこそ、私はこうしてお嬢さまの隣に立つことができるのです。そして、あなたを守るだけの力を手に入れました」


 リシャールは愛おしげにフォセットを見つめる。

 その眼差しに、フォセットは思わず頬を赤らめる。


「ありがとう、リシャール」


 フォセットはリシャールの胸に顔をうずめ、背中に手を回す。

 彼はフォセットの身体を包み込むように抱きしめた。


「さあ、お嬢さま。答えをお聞かせください」


「……喜んで」


 フォセットは顔を上げ、涙ぐみながらも笑顔で答える。

 その答えを聞いた途端、リシャールの顔にも笑みが浮かんだ。


「お嬢さま……いえ、フォセット。愛しています」


 リシャールはそう囁き、そっとフォセットに口づけをする。

 一瞬驚いたものの、フォセットはすぐに目を閉じてリシャールの唇を受け入れた。


「私もよ、リシャール……」


 唇が離れた後、フォセットは幸せを噛みしめるように囁いた。



*



 その後、フォセットはリシャールと結婚式を挙げた。

 二人はクラルティ男爵夫妻として、穏やかな日々を過ごしている。


「ねえ、リシャール。ちょっと気になったことがあるの」


 ある日の午後、お茶を楽しんでいたフォセットは、向かいのソファに座るリシャールに問いかける。


「なんでしょう?」


 リシャールは穏やかな微笑みを向ける。


「お父さまは、従者だったあなたとの結婚を反対すると思ったわ。でも、あっさり認めてくれたでしょう? どうしてなのかしら?」


 フォセットは首を傾げ、不思議そうに問いかける。

 そんなフォセットに、リシャールは微笑んだまま答える。


「もちろん、根回しはしましたよ」


「まあ、そうなの?」


「はい。ちょうど旦那さまの事業に少々トラブルが起こりそうだったので、私が対処いたしました。それをきっかけに旦那さまの信頼を得て、結婚の許可をいただいたのです」


「そうだったの……」


 フォセットは感心しながら頷く。リシャールはさらに続けた。


「最初は複雑な気持ちもあったようですが、私があなたのためなら何でもするという覚悟をくみ取ってくださったようです。今ではすっかり打ち解けていますよ」


「それはよかったわ」


 フォセットはほっとしながら笑う。

 ただ、少し気になることもあった。


「……フゥファニィ商会は娘のやらかしで、お父さまに頭が上がらなくなったそうね。メレーヌ嬢はどこか老商人の後妻になったとか……」


「そうですね」


「ボナール侯爵家も婚約破棄の件で、お父さまに大きな借りを作ることになったわ。……あのろくでなしは私を脅したことで、家から完全に見放されて鉱山送りになったそうね」


「そうですね」


 リシャールはにこにこと、嬉しそうな笑顔のままだ。

 そんなリシャールを、フォセットはじっと見つめる。


「……ねえ、リシャール」


 フォセットはおそるおそる問いかける。


「ひょっとして……最初から全部あなたの仕業?」


「さあ、何のことやら」


 リシャールはとぼけるように笑った。

 その反応にフォセットは苦笑する。


 もしかしたら、ジェイドがメレーヌと出会ったことすら、リシャールが仕組んだことだったのかもしれない。

 思えば、リシャールと再会した日にジェイドが現れたことも、本当に偶然だったのだろうか。

 応接室で一人待つフォセットのもとに、騒ぐジェイドを止めきれず通してしまった使用人も怪しい。


 考え出したらきりがなかった。

 しかしフォセットは、それ以上追及することはしなかった。

 リシャールが何をしようとも、彼への想いが変わることはないのだから。


「まあ、いいわ。あなたがいるだけで私は幸せだもの」


 フォセットは微笑んで、リシャールの手を握った。


「そう言っていただけると嬉しいですね」


 リシャールも微笑んで握り返す。


「愛しているわ、リシャール」


「私もですよ。フォセット」


 二人は微笑みあい、どちらからともなく口づけを交わした。

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