プラトンの2000年を超える、なろう様批判? (ヒント付)
プラトンの著作によく見られる対話編(ダイアローグ)は、プラトンにゆかりのある人物や歴史上の人物を自身の作品に登場させ、対話形式で話を進めるものです。
つまり、登場人物の発言は『プラトンが、彼らの口を借りて表現している』ことにご留意下さい。
これは、プラトンの著作『国家』に関するまとめ記事に記述されたものです。
早速、引用します(引用行:>)。
>古来より「正義」を賛美し、「不正」を非難してきた人々 (詩人など) は、(「正義」「不正」自体が何であるかを説明せずに) それがもたらす「評判・報酬」や「罰」といった「付随的なもの」を挙げる形での賛美/非難ばかりをしてきた。
>他方で、「正義は美しいが骨が折れる、不正は快いし容易い」「不正が醜いとされるのは、世間の思惑・法習の上でだけのこと」「不正の方が得になる」「神々は、正しい人々に不運/不幸を与えたり、不正な人々に幸運/幸福を与えたりすることもある」「呪術者に報酬を払えば、罪を消し去ることができる」「供物などによって、神々を言いなりにできる」といった、「人々を惑わす言説」も唱えられてきた。
>こうした「付随的な言説」や「惑わす言説」にばかり晒されていたら、若者たちは、当然の成り行きとして、「正義と思われること」「見せかけの正義」を、志向するようになってしまう。
上記3つの引用文は、今の時代ですとTV等のメディアで流されているものに、該当すると思います。
これらを踏まえた上で、以下の創作に関する引用文をご覧下さい。
>また、「詩作 (創作/ポイエーシス)」は、人間の「強制的/自発的な行為」や、その結果としての「幸/不幸」「苦痛/歓喜」などを「模倣/真似」し、「感情 (パトス)」(としての「気概」「欲望」) に、(「視覚」における「錯覚」に相当する)「分裂抗争」を引き起こす。
>他方で、実際に人が (「詩作 (創作/ポイエーシス)」で描かれているような)「息子を失う」などの苦難に遭遇した場合には、「立派な人物」であれば、(「魂」の「最善な部分」である)「理知」と結び付いた、「理/法」によって、短絡的な「感情 (パトス)」に引きずられていくことに抗い、平静/節度を保ち、「最善の途」についての熟慮を妨げないように努める。
>しかし、そうした「立派な人物」の (「感情」の起伏が少ない)「平静な態度」は、「模倣/真似」しづらく、(大衆/観客にも)「理解/共感」されづらいので、「詩作 (創作/ポイエーシス)」で描きづらい。
>したがって、(「模倣/真似」し易く、大勢の人々が「理解/共感」しやすいもの (としての過剰/多様/短絡的な「感情表現」) を指向する)「詩作 (創作/ポイエーシス)」は、自ずと (「絵画の術」と同様に)「理知」から遠く離れた「魂」の「劣悪な部分」(「非理知的」で「感情的/直情的」な部分) と結び付き、「思慮 (知)」から遠く離れた「劣悪な認識/考え」で、「魂」を満たそうとする。
>「作家 (詩人/ポイエーテース)」は、「詩作 (創作/ポイエーシス)」を用いて、「真実」から遠く離れた (「洞窟の比喩」における「影絵」のような) 見かけだけの「影像」を作り出して、人々の「魂」の「劣悪な部分」を呼び覚まして育て、強力にし、「理知」を滅ぼし、(「民主制」「僭主制」のような、分別の無い)「悪い国制」を、人々の「魂」の内部に作り上げるのであり、このことが、(個人であれ、国家であれ)「善く治められるべき国制」において、彼を受け入れるべきでない「正当な理由」となる。
>と主張する。グラウコンも同意する。更にソクラテスは、
>(大衆だけでなく)「優れた人物」たちであったとしても、言論や習慣によって十分に教育されておらず、自分の「魂」に対する「監視」がゆるい段階で、こうした「詩作 (創作/ポイエーシス)」に触れてしまうと、悲劇の英雄の悲嘆に同情共感したり、喜劇の滑稽な振る舞いを真似てみたりしながら、「魂」の「劣悪な部分」が養われ、その影響を受けてしまうことになるのであり、(冒頭でも述べたように) 理想国家における「国の守護者」の幼少教育から、悲劇・喜劇のような物真似 (ミーメーシス) 的な叙述形式や、それが混じった叙事詩の叙述形式、あるいは抒情詩などの「詩作 (創作/ポイエーシス)」の要素を排除したのは、正当であったこと。
>「詩 (創作/ポイエーシス)」が、「「善く治められた国制」の中に存在しなくてはならない」という論拠が、提出されない内は、たとえどんなにそれが魅力的/魅惑的なものであったとしても、(辛くても、互いの身の為にならない「恋」から身を退くのと、同じように) 自分の「内なる国制」を配慮しつつ、それを排除し続けなければならないのであり、「名誉/金銭/権力」といったものの誘惑に加えて、「詩 (創作/ポイエーシス)」の誘惑によっても、「正義」その他の「徳性」が、なおざりにされるようなことが、あってはならないこと。
”「詩 (創作/ポイエーシス)」が、「「善く治められた国制」の中に存在しなくてはならない」という論拠”
この論拠となるような反論(ソクラテスの発言を絡めた形の)を、私は期待しています。
※これは、現代の詩人として反論して下さい
そして、この論拠の提出は当時の詩人に向けて言われたものと思いますが、何を狙って論拠を提出しろと言ったのか、また、そもそも、どういうものを「善く治められた国制」とプラトンが言っているのか、それらを良く考えた上で、当時の詩人になったつもりでプラトンを(真に)見返して下さい。
※ヒントは、プラトンは詩人を完全に見下しており、認める気など万の一つも無いと云う事です
――― 総括 ―――
>最後の「第10巻」では、追加的/補足的な話題が述べられることになり、まず、先の「悪い国制」の説明で出てきた、「名誉/金銭/権力」といった誘惑に加えて、「詩 (創作/ポイエーシス)」の誘惑によっても堕落させられることが無いように、「詩 (創作/ポイエーシス)」の「虚偽性」と「有害性」が強調的に説明される。(すなわち、叙事詩/悲劇/喜劇の詩人 (作家) 達が、画家が描く絵画と同じように、「無知な観客の多数/大衆の、感覚/感情に訴えかけて、彼らを惹きつける/騙す」ために、(描写対象人物が持っている「知識/技術」を、自分が持ち合わせない (無知な) まま)「直情的/誇張的に模倣/描写」しただけの、(「洞窟の比喩」における「影絵」のごとき)「虚偽的/劣悪な人物 (英雄/神/変人) 像」を、見聞き共感したり模倣/真似する習慣を身に付けてしまうことは、自分の「魂」の中の「理知」「分別」や「内なる国制」を崩壊させてしまうことにつながると。)
[参考・引用サイト] ウィキペディア フリー百科事典『国家 (対話篇)』参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6_(%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E7%AF%87)
[参考文献]該当のウィキペディアに記載されている訳書になります
訳書
『プラトンII 国家・エピノミス・書簡集』田中美知太郎編・藤沢令夫他訳、筑摩書房〈世界古典文学全集15〉、1970年。ISBN 978-448-0203151。
『クレイトポン・国家』田中美知太郎・藤沢令夫編・訳、岩波書店〈プラトン全集11〉、1976年。ISBN 978-400-0904216。
『国家 (上・下)』藤沢令夫訳、岩波書店〈岩波文庫〉、初版1979年、改版2009年。ISBN 978-400-3360170。ISBN 978-400-3360187。ワイド版2002年
抄訳版
『プラトン II 世界の名著7』(田中美知太郎責任編集、中央公論社、初版1969年)- 訳文は一部抄訳。解説は『田中美知太郎全集 19』(筑摩書房)にも収録。