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第9話


 ボリスが顔を上げると、そこには5人の男子生徒が立っていた。どの人も制服を着崩しているうえに、どうも眼差しに異様な雰囲気がある。

 関わってはいけない。本能がそう言う。

 ボリスは圧倒されて無意識に後退っていたが、それより早く5人に囲まれた。いろんな角度から顔を覗き込まれる。


「ねえ、特待生ちゃん。名前は?」


 名乗るべきか迷って、結局言った。怒らせるほうが怖かった。


「ぼ、ボリスといいます……」

「ボリスちゃん? へー。綺麗な肌してるねー」


 頬をぴんっと指で弾かれる。驚いて首を竦めると、ぎゃははは、と笑われた。


「かーわいいー!」


 逃げ出したいのに、逃げ道を塞がれてしまっている。

 今度は違う方向から伸びてきた手が髪に触れ、はたまた足に触れたりする。そのたびにボリスは小さな範囲で右往左往して、逃げ惑って、男達の下品な笑い声を浴びせられる羽目になった。


「こんなところでなにしてんの? ここ、2年生の校舎だよ」

「す、すみません、ま、迷ってしまって……」

「迷ったの? かーわいいー。俺達が道案内してあげるよ。どこに行きたいの?」

「で、出口を……家に、帰りたくて……」

「えー、逃亡? 不良じゃん。見かけによらず大胆だねー」

「じゃあさ、帰る前にさ、俺達ともっと大胆なことしようよ。空き教室の場所、知ってるから。そのあとで出口まで送っていってあげるよ」

「あ、あ、あの、で、でも」


 言いながら、男達の作る輪が狭まってくる。男達の体温や吐息を感じるほどの近距離で、べたべたと触られ、弄られ、ボリスは声も出せないほど恐怖を覚えた。


 また、丸くなってしまおうかと思った。

 夢の中にいるみたいに、団子虫よろしく丸くなって耳も目も塞いですべてが終わるのを待とうかと思った。


 けれど、急に男達が弾き飛ばされた。


 なんだと思って見ると、胸に着けた胸章が眩く光っていた。尻餅をついた男子生徒が、はっと息を呑む。


「守護魔法だ……」


 ひとりがそう呟いた。守護魔法?

 なんだろう、それは。聞き慣れない単語に戸惑いつつも、圧迫された空気から逃れられてほっと息をついた。

 生徒が問うてくる。


「な、なあ、それ、誰から貰ったんだ? まさか、お、王子じゃねえよな?」


 胸章を示す指は、あからさまに震えていた。


「これは、ら、ラキム殿下から頂いたものですが……」

「直々に? 直接?」

「は、はい」

「やべぇ! ガチだ! ガチの王子のお気に入りだ!」

「なんだよ、マジかよ! ただの遊びじゃねえのかよ!」

「おい、早く逃げるぞ! 守護魔法が発動したら場所も察知されちまう!」

「早く早く!」


 そんなやり取りをして、5人の生徒は脱兎のごとく逃げ出してしまった。

 あんなに粘着質な雰囲気はどこへやら。逃げてしまう彼らの素早さは人が変わったようにも見えた。


 ぽつんと取り残されたボリスは呆然とする。


「どういうことだろう……」


 なにを言っているのか、よくわからなかった。魔法とは、本当に未知の世界なのだなとつくづく思う。そんなもの、私に出来るはずがない。


 まあ、いいか。今はとにかく出口を探さなければ。


 そして一歩を踏み出した瞬間──



 がしっ! と肩を掴まれた。



 びっくりして肩を震わせるも、その手が離れることはない。手指の力から、なんだか憤怒を感じなくもない。おそるおそる振り返ると、そこにはジャバルがいた。額に光る汗。肩で息をしている。心配そうな顔だが──。


 その表情がみるみる般若になっていく。



「テメェ……。この馬鹿ッ!!」



 怒鳴られ、ボリスは反射的に逃げ出していた。

 ジャバルも努力してきた人だ。自分ごときが、助けてもらっていい人ではない。


 というより、努力を目の当たりにするのが怖かった。


 どれだけ自分が怠惰なのかを思い知らされるからだ。無能であるだけでなく、努力もしない怠け者。そんなゴミ以下であるとわかれば、ボリスはもう生きていけない。せめて、ゴミくらいの存在でいたい。そこにあっても、邪魔だな、まあいいかと思われるくらいのゴミ。紙屑。糸くず。そこにあっても、気にされないくらいの存在。


 なんでこんなところにあるんだと、憎まれる存在にはなりたくなかった。


「あ、おい逃げるな!」


 ボリスは走った。

 なにからも、自分以外のすべてから逃げるように。


 走って、走って。


 けれど、いつまでもなにかが追ってくる。ジャバルではない、自分を追い続ける、なにか。




「ボリス!」


 降り注いだ声は、校舎の上階からだった。

 思わず立ち止まって見上げると、窓からラキムが飛び降りたところだった。


「えっ!?」


 そんな高いところから!?

 2階、3階といった高さではない。そんなところから落ちたら死んでしまう。躊躇のないラキムの行動に、ボリスはただあわあわとした。


「ボリス、てめぇ!」


 背後からはジャバルが追い付いて肩を掴まれるし、目の前にはラキムが降り立つし、ボリスはジャバルとラキムを交互に見やる以外にできることがなかった。


 しかし、ラキムは思った以上に静かに着地した。すとん、という音は、あたかも靴だけが落ちてきたくらいの大きさだった。


 怒られる、と思って目をぎゅっと閉じるも、けれどラキムはなにも言わなかった。

 そろりと瞼を薄く開けて窺い見ると、ラキムは眉を下げていた。


 悲しんでいる。

 ラキムは哀しい。


 そうとわかると、ボリスは殴られたような衝撃を受けた。


 どうしてそんな顔をするのだろう。私が彼を傷付けてしまったのだろうか。ならば、謝らなくては。



「ボリス──」

「ご、ごめんなさい! わ、わ、私、こんな、皆が頑張って、やっと入学出来たこんな場所にいられるような人間じゃないんです! なにも出来ないし、なにもやってきてないし、そ、それに、皆も私なんかと一緒にいるのは不愉快だって──」


 言い訳だと、ようやく気付いた。

 また、努力しようとしないで逃げている。努力し続けないで生きようとしている。


 だから劣等感がいつまでも追ってくる。背中に張り付いて、体に絡み付いて、離れてくれない。


 けれどラキムがそっと触れたのは、ボリスの制服のボタンだった。ちょうど胸のところにある、制服のボタン。そのひとつが外れていた。


 さっきの──


 いつの間に外されていたのだろうか。ボリスは慌ててボタンを留めた。

 これで大丈夫でしょうとラキムを見上げると、ラキムはみるみる眦を釣り上げた。溜め込んで溜め込んで、とうとう爆発したように言う。



「警戒心を持てと言っただろう!」



 その声は誰よりも迫力があった。母よりも父よりも、知らない通りがかりの他人よりも。


 ラキムはボリスの両肩を掴んで、さらに怒った。



「いいか、ボリス、よく聞いてくれ。この世は、優しい人間ばかりじゃない。故意に傷付けるような言動をする者もいるし、君を──性の道具にしようとする者もいる。そんな奴らから、自分を守るために強くならないといけない」

「で、でも……私がいると皆が嫌な思いを……」

「それはただの嫉妬だ。ボリスの才能を妬む下世話な感情だ」

「い、いえ、そうではなく、努力もしてないのに入学出来るなんておかしいと……。コネだけの娼婦と同じだと……」


 ラキムの眉がぴくりと反応した。


「……なに?」


 もっと詳しく言えと求められているのかと思って、ボリスはさらに語った。


「皆が努力してきたのに、私だけなにもしてないから、だから、皆さん不愉快みたいで……私自身もそう思います、あの場にいるのが恥ずかしくて惨めで申し訳なくて……」

「違う。そのあとだ。なにと、同じだって?」

「えっと、その、ですから……コネだけの、娼婦──?」


 言い終える前にジャバルの手が後ろから伸びてきて口を塞がれた。

 けれど、少し遅かったらしい。


 ラキムは深呼吸するように姿勢を正した。鼻から深く息を吸って、鼻から長く息を吐く。それから、音を立ててジャケットの襟を正す。


「どうやら我が校に不届き者が紛れているらしい」


 と、ラキム。

 え、ふ、不届き者?

 ボリスは疑問に思うも、よくわからない。


「あ、よかった! ボリスさん見つかったんですね! いやぁ、驚きました。教室に行ったらボリスさんはいないし、他の生徒に聞いても要領を得ないし、心配したんですよ──ん?」


 遅れてやってきたワレリーが、ふう、と息を整える。


 しかし、どうやらラキムの様子がおかしいということに気が付いたらしかった。ラキムの顔を窺い見て、ジャバルに視線を向ける。なんだ、どうした、と視線で訴えかけてくるがジャバルは溜息混じりに首を振るだけだ。


「ワレリー。授業再開の前に5分、時間を貰うぞ」


 ラキムはワレリーの了承を得るより先に歩き始めていた。

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