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第6話


 ボリスの目眩はよりいっそう強くなった。魔力酔いは治まったものの、案内された部屋の大きさたるや。ラキムに仕えているらしい女性ふたりが不思議そうに振り返ったほど、ボリスは入口で立ち尽くしてしまった。

 ボリスの考える部屋とは、寝返りにも苦労するほどの小さなベッドが隅にあって、そのベッドにくっつくくらいの位置に簡易的なデスクがあって、椅子があって、ほんの少しの服をしまっておける籠がある。それだけだったし、それだけで充分だった。手洗いや風呂は共同で当然のはずなのだ。


 なのに──


「こ、これは、ど、どういう……?」


 思わず、独り言のように問うてしまう。

 まとめた髪を白のレースのついたカチューシャで留めた女性は、そばかすがよく似合う色白の人で、思っていることが顔に出るタイプのようだった。『この人はなにを言っているのかしら、早くして欲しいのだけど』という不満の表情になっている。だが、そんな顔をされても、さすがのボリスも聞かずにはいられない。


「ど、どうして、4つも部屋を貸していただけるのです?……」


 問うと、やはり女性は見合って、小首を傾げて答えた。


「いえ、こちらひとつですが」

「ひとつ……? あ、なるほど! このリビングのような広い部屋ひとつということですか?」

「いえ、寝室と書斎とお風呂場も付いてます」

「な、なぜ4つも?」

「いえ、ですからひとつです」


 なにを言っているのかしら、という顔がより濃くなる。ボリスにしてみれば、どれかひとつで構わないし、むしろどれかひとつの部屋の半分でも貸してくれるのであれば平伏すほどの感謝をする。

 なのに、これ、全部?


「驚くよなあ。俺も雇われて部屋を貰ったときはマジでビビった」


 と、背後から声を掛けてくれたのはジャバルだった。寮から教科書を持ってきてくれたらしく、ぱんぱんに膨らんだ鞄が担がれている。


「あ、す、すみません、私の荷物なのに」

「ラキムの決定だ。別に気にするこたぁねえ。書斎に置いておくぞ」


 構造は既に把握しているのか、ジャバルは迷わず書斎に向かった。自分の荷物を運ばせるのは気が引けて、ボリスもその背を追う。

 ふたりの女性は恭しく頭を垂れているあたり、ジャバルも高い地位にいるらしい。


「俺も貧困層出身だから、ボリスの気持ちはよくわかる。けど、じきに慣れる」

「は、はあ……」


 曖昧に頷くしかない。

 どかっと音を立てて床に放られた鞄は、簡単に担がれていたがかなり重そうだった。


「ラキムが一緒に飯食おうだとよ! その制服のまま行くか?」


 他にまともな服もないが、この短いキュロットでいるのも嫌だし、どうしようかなあ、と考えていると気の短いジャバルに睨まれた。


「考え過ぎなんだよ、テメェは! もうその服でいいから行くぞ! あんたら、ラキムが帰っていいとさ!」


 ふたりの女性に言うと、そそくさと部屋を出て行く。


「す、すすすすみませ──」

「あーーー、もう本当にイラつくなぁッ! テメェ見てると腹立つんだよ!」

「ご、ごめんなさ──」

「謝ってる暇があるなら付いて来いって!」

「は、はい!」


 そうして、ボリスはずんずかと進むジャバルを追って部屋を後にした。




 ボリスにあてがわれた部屋があるのは学校の敷地内ながらも特別な地位にあるものしか立ち入りが出来ない施設で、生徒の誰の往来もない。きっと使用人はたくさんいるのだろうけれど、今は会わなかった。


 ジャバルは歩くのが異様に早かった。足の長さもその理由のひとつだろうけれど、大きいのはボリスを気にしていないからだ。

 逆にボリスは気が楽だった。


 気にされると、落ち着かない。


 いないものとして扱ってくれたほうが、ただ付いていくだけだから何も考えずに済む。無心で足を動かして、追えばいいだけ。


 ジャバルが階段を降り始めたのを追い掛ける──と、2段ほど降りたところで急に振り返ってきた。ボリスは急ブレーキを掛けるも、つんのめって前のめりになる。なんとかその場に留まると、ジャバルは呆れ顔で腕を組んだ。


 そして、いきなり──


「俺はテメェが嫌いだ」


 と、宣言される。

 ボリスは特に驚きもせず「はい」と返事をしたのだけれど、ジャバルはそれがまた気に入らないらしかった。眉根を寄せてボリスを睨む。ジャバルが2段ほど下がっているからか、視線の高さが一緒なのでボリスは新鮮だった。とはいえ、視線を真っ向から受け止めるのは難しく、俯いてしまう。


「あのなぁ! 今のは怒るところだろ!?」


 今度は一際大きな声で諌められた。

 ボリスはびっくりした。大声を挙げられたことではなく、言われた内容が理解しがたかったのだ。


「え、え? 怒る? な、なにを──」

「俺が速く歩いたり、いきなり嫌いだなんて言ったら、普通は怒るんだよ!」

「す、すみませ……」

「だから謝んなって!!」

「あの、あの、でも、」


 特に怒りの感情が湧いたわけでもないから、どうして怒らなければならないのかがわからない。気にされなくて楽。嫌われて当然だから宣言されても『そうですよね』くらいの気持ちしかなかった。

 怒らなくてはならない。

 それもまた、ボリスにとっては難しい。


 あたふたと頭を掻いてみたり、手を握り締めて指をもじもじさせたり、この気持ちをどんな言葉で伝えればいいのかわからない()()()()()が体に現れると、ジャバルは舌打ちしてボリスの握られた手を叩き落とした。

 自然と手は離れ、ぶらん、と体の横に手が戻ってくる。


 あ、苛つかせてしまった。


 ボリスはすぐに勘付いて、頭を下げた。


「ごめんなさい」


 しかし、言い終えるが早いか、ジャバルは下げられたボリスの胸倉を掴みあげて、壁に背中を叩き付けてくる。

 至近距離で、真っ直ぐ睨まれた。


「俺はラキムみてぇに優しくねえ。俺は貧困層から這い上がってきた。吐くほど努力してきた。だからテメェみてぇにウジウジぐだぐだしてる奴が一番気に食わねえ。


 いいか。

 ラキムが魔法を学ばせるなら、俺はテメェに生き方を教えてやる。わかったか。ちゃんと付いて来いよ」

「は、はい」


 それは決して、厳しい言葉には感じなかった。

 どう足掻いても、優しさだった。


 強くさせてやる。強く生きられるようにしてやる。


 そんな優しさにしか、ボリスは聞こえなかった。



 誰も、見向きもしてくれなかった。夢の中でも、現実でも。



「あ、ありがとうございます」



 だから先を歩き始めたジャバルの背に言った。ジャバルは驚いた顔で振り返ってくる。そして礼を言われたのだとわかると、首を傾げた。


「はあ? 礼、言うところか?」


 そう指摘されてしまうとボリスも自信がなくなって「多分」だのと曖昧に返すと、ジャバルがふっと笑った。


「わかったから、早く来い。ラキムはああ見えて短気だぞ」

「は、はい!」


 ボリスは走った。

 なんだか嬉しくて、胸が熱かった。

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