第5話
夢だと気付くのが遅すぎる。
ボリスはいつも同じ夢を見て、いつも同じように怖がって、いつも飛び起きてから夢だと知る。いつもと変わらぬ夢なのだから、夢を見ているときに夢だと気付けてしまえばこんなふうに汗をぐっしょりにしてしまわなくて済むのに。
夢の中でボリスはひとりだった。
周りにはたくさんの人がいるのに、孤独だった。母が忙しそうだからと家事を済ませても見向きもされず、皿の位置が違うと叱られる。父が忙しそうだからと宅配便を受け取ろうとするとお前の出る幕ではないと押し退けられる。兄弟達には素通りされ、アパートの住民達も皆、ボリスを空気みたいに目もくれない。
──役立たず
──お前はなにもできない
──なにも
聞こえてくるのは自分の無価値さを教えてくれる言葉だけ。
夢の中でも、ボリスはひとりだった。
うまくやろう。
褒めてもらおう。
認めてもらおう。
そういう気持ちであくせくと働けど働けど独りになるばかりで、夢の中でもボリスは蹲って団子虫みたいに丸まって、夢から醒める。
目を覚ますと、夢の中で自分がしたようにベッドの上で丸まっているのが常だった。
だから、今、ボリスは目が覚めて混乱した。
いつもと同じ夢。いつもと同じ丸まった体。いつもと同じ恐怖、動悸、汗。
いつもと違う孤独。
目を開けたその先に、ラキムがいたのだ。
困惑したような眼差しでボリスを覗き込んでいる。
なぜ、人がここにいるのか。
私はなぜ、ひとりではないのか。
なぜ、の先にはいつも悪い自分がいると知っている。ボリスは起き上がって、ベッドの上で正座した。
なにをしたのか。
なにか間違ったことをしてラキムがここにいるに違いない。なにをしたのだったか。
そうだ、魔力の流れに気分が悪くなって、医務室に運んでもらって、いつの間にか寝てしまったのだ。けれど、どうしてラキムがまだここにいるのだろう。
なんで、どうして。
私がまたなにかをしたのだ。
なにを──。
「違う。私が傍にいたかっただけだ」
思わず、えっ、と声を漏らした。
それは自分の疑問に答えてくれたラキムの観察力の高さにもそうだし、私がと言ってくれたことにも驚いたからだ。
「眠ってくれて安心したのだが、魘され始めた。名前を呼んでも起きないから、医者でもあるワレリーを呼んだところだ」
言い終えたところで、足下にあった入口を開けてジャバルとワレリーが駆け足で飛び込んできた。
ワレリーは今度こそ無遠慮にいきなりボリスの顔を両手で挟んで目をじっくり見てくる。あかんべーをさせられたり、リンパを撫でられたりする。
こんなふうに、見られるのは始めてだった。
いつも皆、汚いものを見るような目で見てくるのに。ワレリーの瞳はなにかを探し出してやろうという真剣さだけが伝わってくる。
「特に問題はなさそうです。魔法には睡眠に引き込むものもあるのです。重いものであれば永遠に目を覚まさないことも。殿下はそれを心配されたのです。そのレベルの魔法を解くには最低でも4人は必要ですし」
「そんな魔法もあるのですね……」
知らなかった。要らぬ心配を掛けてしまったようだ。
「悪夢を見たようですね」
と、ワレリーが言う。
悪夢だったか?
ボリスは自問自答して、わからなかった。
あれはただの日常だった。
だから、悪夢とは少し違う。
「とにかく、無事ならよかった。しかし、また悪夢を見るのは心配だな……。そうだ、部屋を私の隣にしよう」
ぴん、と人差し指を立てて発案したのはラキムだ。ぎょっとした顔でジャバルが問う。
「はあ!? いやいや、あそこは王族しか入れない場所だぞ!?」
「現にジャバルは生活している」
「それは俺がサポート役兼護衛だからで──とにかく! 女を連れ込んだとなれば婚約だのなんだの騒がれるぞ!?」
「騒がれたら、してしまえばいい」
「なにをだよ!?」
「婚約」
「本気か!?」
「本気だ。それでボリスを護れるのなら。ボリスが嫌だと思ったら、そのときに解消すれば済むのだし。さて、ジャバル、ワレリー、人を呼んでくれ。ボリスの荷物を移す」
ジャバルは嘆息つきながら頭を掻きむしった。
「こりゃ言い出したら聞かねえな」
「ボリスさんも厄介な人に好かれましたねえ」
ワレリーがくすくすと笑いながら言うも、人を呼びに部屋を出て行ってしまう。
「寝室を隣にしよう。そうすれば悪夢に魘される声で私が駆け付けられる」
真剣な顔でラキムに言われて「はあ」とだけ答えた。
あまりにも素早く事が運ぶから頭が付いていかない。
つまり、王家だけが使える部屋で生活する、ということ?
「……え?」
こんな私が?
ボリスは卒倒してしまいそうだった。