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第27話


 ダイニングまで向かう廊下。

 もしかすれば罪人が上る処刑台への階段は、こんな気持ちなのかもしれないとボリスは思った。


 ラキムは会わなくていいと言ってくれた。


 ラキムはボリスの親がどんな人物なのかを王と王妃に説明し、対面を取り止めるよう進言した。初めこそふたりは驚いていたし、婚約というのは両家を交えるのが礼儀だからと迷っていたふうだったけれど、しかしラキムの判断だからと、王妃は最終的には了承してくれた。

 だが、ボリス自身がよしとしなかった。



 そろそろ、強くなるべきだ。



 自分はあの家を出て、違う道を行くのだと、きちんと伝えるべきだと思ったのだ。

 そうでなければ、ボリスの悪夢はいつまでも終わらない。


 記憶は薄れるかもしれない。


 ラキム達に囲まれて、孤独だったことなど忘れて、あの日々を思い出すのにひどく時間が掛かるようになるのかもしれなかった。


 けれど、きっと()くなりはしないのだろう。


 心のどこか、奥のほう。

 頭のどこか、隅のほうに追いやられた恐怖が、ふとした瞬間に目を覚ます。目を覚ました恐怖は蛇の舌のようにチロチロと執拗に体を舐め回すだろう。不愉快なほどに。いつまでも。


 終わらせたい。

 いや、糸を断ち切りたい。

 深呼吸したボリスの頭を隣に立つラキムが撫でた。


「無理しなくていい。会うにしても、いきなりの今日ではなくてまた後日でも構わない。ボリスのめなら、いくらでも公務を調節する」


 いや、今でないと逃げてしまうのは自分のほうだ。背を向けてしまったら、二度と彼らの顔を見ることが出来なくなってしまう。


「だ、大丈夫です。ちゃんと、言わないと」


 これ以上、立ち向かわずに逃げるのは終わりにしなければならない。


 そう望んで開いた扉。



 父と母。



 逆光に照らされたふたりは影に呑まれて黒く染まっている。その姿が、悪魔に見えた。色彩豊かな城の中で一際目立つふたつの影。それが人の形を成すと、足が竦む。影から光る双眸がボリスを貫いて、ふと目を逸らしてしまった。


「あら、本当にボリスだわ。まさかコレが王子様との婚約だなんて信じられない。人違いかと思ってたのに」

「少しはマシになっているかと思ったら、雑巾のままじゃないか」


 溜息混じりの両親の会話にボリスの胸は抉られる。

 あんなに普通だと思っていた言葉の数々がナイフのように痛い。登城だからと整えた髪も、顔も、ラキムが選んでくれたシンプルなワンピースも、すべてを否定された気持ちになる。


 私が着てるから、駄目なのかしら。


 柔らかな素材のワンピースは風のように軽く、包み込むようにボリスの体に馴染んでいる。髪も控えめに飾られているはずなのに、そのどれもが雑巾に見えてしまうのは、ボリスだから。私だから。自分だから?


 違う違う。

 落ち込むために来たわけじゃない。


 ボリスは自分だけにわかるほど小さく首を振って、ラキムから教えられた王族の挨拶を執った。


「お父様、お母様、お久しぶりです」


 スカートの裾を閃かせての挨拶は両親にどう映ったのだか。面白くなさそうな顔をしつつ、ふ、と嗤った。


「おままごとのつもりかしらね」


 と吐き捨てた。

 それよりも、まずラキムに挨拶をするべきではないのだろうか。自分を蔑むよりも、王族に頭を下げねばならないはずだ。

 しかし、彼らは終始ボリスを馬鹿にして、王と王妃が来て、ようやく挨拶をして席に着いた。

 隣に座るラキムは怒りに耐えているようだったけれど、なぜ耐えているのかわからない。真面目なラキムならば、この行いは不敬罪であると一刀両断してしまいそうなものなのだが。

 食事が運ばれてくる。コースが進む途中で会話があった。


「この度は婚約をさせていただけるということで本当に感謝しております」


 と、父。


「本当に。魔法学校への入学も驚きましたけれど、よもや王子様との婚約だなんて。コレは学校では皆さんに迷惑を掛けているでしょうに」


 と、母。

 そのとき、かちん、とフォークが皿に当たった音がした。ラキムもボリスも驚いてその音の根源を見る。

 王妃だ。

 テーブルマナーを叩き込まれた王妃がそんな音を立てるはずがなかった。王妃は貼り付けた笑顔で無礼を侘びた。失礼、とだけ。

 母はまだ続けた。


「本当に、申し訳ないくらいですわ。コレはなにも取り柄がなくて。まともに人と話すことすら出来ないんですの。病気や、心や頭に障害があるのかしらと心配していたんですのよ」

「そんなモノと婚約だなんて、いやはや……殿下の心の寛大さに恐縮するあまりです」


 言って、両親は頭を下げてみせた。


 今こそ、今こそ言わなければ。そうでなければ次はいつ会えるのかわからないし、次は会う勇気が湧かないかもしれない。そうなったら、自分はいつまでもあのときに囚われたままだ。そう思うのに、ボリスの口は動かなかった。


「……ボリス。私はそろそろ我慢の限界だ」


 隣に座るラキムがテーブルのうえで拳を作っていた。その拳が白く、血管も浮いてぷるぷると怒りに震えているのを見てボリスは慌てた。自分の不甲斐なさにラキムは怒っているのだと思ったのだ。


 だからボリスはようやく一声発した。



「あ、あの!!」



 私はあなた達といると辛くなる。だから婚約をしたら、二度とあなた達とは会わない。私はラキムと生きていく。

 そう伝えたいのに、言葉がうまく出てこない。

 王も王妃もラキムも、視線をボリスに向けてくる。その視線が声援であるとは、気付く余裕がなかった。視線が痛むだけだ。


「あ、あ、あの! わ、わ、私……!」


 言うの。言うのよ。一言目が出ればあとは大丈夫なはず──

 しかし、笑ったのはやはり父と母だった。


「あああああ、わわわわわ! ソレ治らないわねぇ!」

「本当に! 壊れた玩具じゃないんだから! コレはいつでもこんな感じなんですよ! あああ、あの! わわわわ私! これでラキム殿下と意思疎通を図れているのか甚だ疑問です!」


 開いた大きな口を隠しもせず笑うふたり。その大声に負けて、しゅるしゅるとボリスの勇気は小さくなってしまった。


 ああ、やっぱり私なんかじゃ──



「もう我慢ならない」



 ばん、とテーブルを叩いて立ち上がったのはラキムだった。座っているボリスからすれば、立ったラキムはさらに迫力があった。


「人をコレだのモノだの、無機物扱いする物言いを心から軽蔑する」


 父母の顔が引き攣った。よもや王子に非難されるとは思わなかったのだろう。ボリスの不出来をきっと一緒になって笑ってくれると考えていたのだ。それしか人を笑わせる手段を知らないから。ボリスを馬鹿にすることでしか、自分達を優位に保つ方法しか知らないから。

 そしてまたボリスへの攻撃が始まった。


「ほ、ほら、あんたがなにも出来ないから殿下を怒らせてしまったじゃないの」

「謝りなさい!」

「謝るのはあなた達では?」



 割って入ったのは、王妃だった。かちゃん、とカトラリーをテーブルに投げ捨てる。王妃らしからぬマナー違反だ。腕を組んで、両親に向ける眼差しは冷ややかなものだった。



「わたくし、子どもが大好きですの。それこそ保育園を開いて、たくさんの子ども達を自分の子のように育てて小学校へ入学させたいと考えているくらいに。だから、あなた達の子に対するその言動。



 ──反吐が出ますわ」



 ぐ、と押し黙ったふたりは、それでもボリスに矛先を向けた。


「いえいえ、我々も有能な息子や娘には普通に接しますよ。しかしコレに関しては無能もいいところで──」

「黙れ無礼者!」


 今度は王の喝だった。

 さすがに国一番の地位に叱責されてはふたりも黙る以外になかったのか、ふたりは頭を垂れてテーブルを見つめている。

 ボリスもその声に肩を震わせた。てっきり無口な人だとばかり思っていたのだ。

 続きはラキムが引き継いだ。


「ボリスは私と婚約しました。つまり、ボリスはまもなく王族の一員となります。その王族に対するその発言。人としてだけではなく、国民として立派な犯罪となりえる。──ボリス」


 最後の呼び掛けは、とても優しい声色だった。眼差しも。

 ボリスはラキムを見上げ、その意図を汲み取って並ぶように立ち上がった。



「あ、あの、わ、私、ラキム殿下と婚約を、します。だから、その、今までとても辛くて、自分なんて、自分なんかと、ずっと、辛くて……。


 ラキム殿下といると、幸せです。


 ラキム殿下と、生きていきたいのです。


 ふたりと会うと、また辛い気持ちになるので、だから、あの、そ、その……。



 も、もう二度と会いたくありません……!」



 言った!

 言ったぞ!

 言えた!


 おそるおそるふたりを見ると、ふたりは愕然としていた。ぽかんと口を開けて、手に持っていたグラスを落としてパリンと割ったほどだ。

 ラキムは言い放った。


「下がりたまえ。そして二度と城に顔を見せるな。次は不敬罪で囚えるぞ」


 ふたりはまだ顔を見合わせていて、重い腰を動かそうとしない。



「下がれ!」



 ラキムが強く言うと、ようやくふたりは脱兎のごとく逃げ出した。部屋にふたりがいなくなるや、ボリスは脱力してしまう。魔法を使ったときよりも、ずっと疲れていた。


「あんな人達に囲まれていたのに、こんないい子に育ってくれて奇跡に感謝するわ。行きましょ、ダーリン。ボリスちゃんにはゆっくりした時間が必要だわ」


 ラキムが頭を下げると王達はその場を辞去した。

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