第23話
「──では、以上で会議を終わります」
その一言で、円卓についていた全員がぞろぞろと部屋を後にした。昼休みに食い込んでしまった。ラキムは急いでボリスを迎えに行こうと足早に廊下を進む。途中でジャバルも合流した。きっとボリスはまたひとりだ。ひとりでの食事などさせたくない。
歩き進めながらジャバルに問う。
「朝の様子はどうだった」
「普通。目がぱんぱんだったから治してやった。あとは普通に教室行った」
「泣いてたか」
「いや」
ジャバルには、もはや名前を出さなくとも誰の話をしているのか、わかるようだった。非常に助かる。それにしても、会議さえなければ自分が瞼を治してやり、教室まで送り、フリオを睥睨することだってできたのに立場ばかり重んじなくてはならないから嫌になる。
「待てよ、ラキム殿。婚約者殿に会わせてくれてもいいではないか」
と、背後から追ってきたのは共に会議に出席していた軍隊長のユレンだ。色素の薄い茶髪を伸ばし、後ろでひとつにまとめている。同じ色の瞳はいつもなにを考えているのかわからない笑みで細められていて、色白で面長。年齢不詳。眼窩の窪みを見れば40代であるし、瞳の輝きを見れば20代ともいえる不思議な顔をしている。体の線はそれほどガッチリとしていないのに、これでいて国一番の実力者なのだから人は見た目で判断できない。
「よ、ジャバル」
「お久しぶりです」
一応、ジャバルの上司だ。軍人でありながらラキムの護衛専門であるというのがジャバルの立ち位置なのである。いわば軍の幽霊隊員といったところか。
ラキムはユレンが得意ではない。
朝、顔を合わせてから婚約者に会わせろとうるさいのだ。極秘のはずだが、既に城内では噂が出回っているとみた。当然といえば当然である。
ラキムはユレンをなんとかして帰したい。だから一言もなく会議室を出たのだ。人の意を汲めない男だ。あるいは故意に読まんとしているのか。
「会わせない。まだ公表していないのだ。校内で騒がれるのは困る」
「これから護衛の対象になるわけだし、挨拶させてくれよ。顔を知らねば守れぬ」
「校外で挨拶の機会を設ける」
「こう見えても忙しい隊長の身なので、今がいい」
「こう見えても学生でありながら王子の身なので、遠慮願いたい」
「またまたぁ。ジョークがうまいなあ」
この男をどうにかしてくれ。
そうこうしているうちにボリスはひとりで食堂に向かってしまうかもしれないし、もしかしたらラキム達が来るやもと教室で可愛らしく待っていてくれるかもしれない。ユレンかボリスか。もちろんボリスが優先だ。
「挨拶は軽く済ませてすぐに帰ってくれ」
「寂しいねえ」
否定しないのは了承だろう。
3人は徒党を組んで歩き出した。すると、不思議なほどに生徒達が左右へと避けて道を作る。ラキムからすれば自覚はないのだが、3人が揃うと盗賊団のような迫力があるらしい。そんな恐怖心ではなく、尊敬の念を抱いてもらえるよう努力しているつもりなのだが。
1年生の校舎へと向かうと、中庭にちらりとボリスが見えた気がした。歩を緩めて人影を追う。多数の生徒達の中に、やはりボリスを見付けた。
なんとフリオに髪を引っ張られているではないか。
「あの男も懲りない奴だ」
吐き捨てて、大股で歩み寄る。ボリスの髪を引くフリオの手首を勢いよく掴んだ。
フリオの独特な眼差しが向く。ラキムはその視線をじとりと受け止めた。
「なにをしてる」
「……出た出た、ボリスの保護者」
フリオは嘆息混じりに言って、ぶんっと風を切るようにラキムの手を振り払った。「おっ」と、声を漏らしたのはジャバルだ。護衛の役目を果たそうと一歩前に踏み出そうとしたが、手を上げて制する。
フリオの赤く縁取られた眼差しは、明らかな敵意を内包していた。
「あ、ラキム殿下」
のんびりとしたボリスの声が張り詰めた空気に唯一そぐわない。
「大丈夫だったか」
言うと、フリオが鼻で笑った。いわく「甘やかしすぎ」らしい。
「は、はい。大丈夫です」
「なにをされた?」
「い、いえ、なにも」
「あのねえ、初めから疑ってかかるのやめてくれない? 授業中、髪がばさばさウザったそうだから髪を結ってあげてただけなんだけど」
「……髪を、結う?」
フリオは腰に手を当てて、小首を傾げて睨みつけてきた。
「教科書見るときにバサ、顔を上げるときにバサ、振り返るときにバサ。見てるこっちも鬱陶しいから結べつったの。そしたら結ぶの下手くそすぎて見てられないから俺がやってあげてただけなんだけど。ほら」
そう言って、ボリスの肩を掴んでくるりと後ろを振り向かせると確かに髪が結ばれていた。
ラキムは混乱した。
あれ?
昨日のあのトラブルは?
ボリスをあんなに泣かせた悪事は?
「……これは夢か?」
「いや?」
ジャバルに問うと、笑いを抑えた声で否定された。
「ちょっと、整理させてもらおう。昨日の出来事は実際にあった。間違いないか」
「そうだけど」
「ならば、なんで一緒にいる?」
「ペアだから」
「またペアになってくれました!」
嬉々とするボリスまで言う。
「……昨日の出来事は事実、なのに?」
「ペアだけど」
「ペアになってくれました!」
なんなんだ。なにが起きてるんだ。自分を陥れようとした男とまたペアを組んで、ボリスはなぜこんなに嬉しそうなのだ。そもそもペアを組もうという男の性根もわからない。困惑以外のなにものでもない。
そこへ話の腰を折るようにユレンが割って入ってきた。
「はじめまして。ユレンという、しがない国軍隊長を務める男である。お美しいプリンセス、どうかお見知りおきを」
膝をついてボリスの手を取り、口付けをするユレンの姿はまるでプロポーズをする騎士だ。ボリスは目を瞬き、ぽかんとしている。
ラキムは本当に頭痛がしてきた。
フリオのこともそうだし、ボリスが触れられていることも気に食わないし、なによりジャバルと共通の知人であるこの男は、とにかく気障で女好きで自分が格好よくうつる行為ならなんでもするナルシストなのだ。
それでいて──。
さあっとボリスの顔が青褪めたのはそのすぐあとだった。ボリスらしからぬ乱暴さでユレンの手から逃れると、一歩、また一歩と後退する。
ラキムは呆れて物申した。
「またやったのか。初対面の相手には禁じたではないか。ましてや相手は女性だぞ」
「これは失礼」
結んだ髪を揺らめかせながら立ち上がるユレン。訳がわからないといった顔のフリオに支えられているボリスがなんだか胸をざわつかせて、ラキムはボリスの手を握って引き寄せた。フリオが嘲笑を浮かべてくる。
「大丈夫か、ボリス」
「は、はい。なんだか、すごく、体の中で指が這っていくような感覚が……」
「ユレンの得意とする魔法だ。察知魔法の一種で、相手の魔力などの戦闘力を探る。やや体内を弄られる不快さがあるので、禁じているはずだった」
じとりと睨みつけるも、ユレンは気に留めていない。もはやボリスに夢中だ。
「いい魔力の持ち主だ。軍に入るといい」
言うと思った。
ラキムとジャバルは口を揃えてから天を仰いだ。
ユレンはナルシストである以上に、異常なほどの実力主義者なのだ。気に入った人材はなんとしても自分の部下にしようとする。
ボリスが呆気にとられていた。
……かわいい。




