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第22話


 瞼の中に大量の水でも注入されてしまったみたいだ。泣き腫らした瞼は赤みを帯びて、ぷっくらと膨らみ、瞳を隠そうとする。瞼がとても重く、いつもより大きく目を見開いているはずなのに、いつも以上に狭い視界だ。


 余計に不細工。


 ボリスは鏡を見ながら、掌に発動させた氷を瞼に当てた。痛いくらいに冷たい。

 今日もまた学校だ。なんだか行きたくない。原因は火を見るより明らかなのだけれど、行かなくてはいけないという責任感がなぜか足取りを重くする。さらにこの顔ときた。今から登校するまでの僅かな時間の間だけ冷やしたところで効果はほぼないとわかっているのに、冷やさずにはいられない。


「おーい準備出来たか──っておい、なんだそのツラ。瞼だけ蜂に刺されたのか?」


 と、ノックもせず風呂場に入ってくるのはジャバルだ。朝方までボリスを慰めてくれたラキムは朝食も摂らずに学校へと向かってしまった。今日は3年生の職場実習の会議があるらしい。3年生をいくつかの職場に派遣させ、実際に仕事の手伝いをさせてみせ、自分の将来の仕事場を決める材料にしようという授業で、一ヶ月は派遣になるらしい。その派遣先の職場に王家直属の軍もあるから、一族であるラキムと軍の担当者が関係者として会議に出席するとのことだった。王子であるラキムは就職をしないから、学生側には秘匿である実習内容を知っても構わない、という判断らしかった。

 だから、ジャバルがボリスの身支度を待っている。国軍がくるなら、護衛は一時休憩、とラキムが言っていた。

 ボリスは目を覆って隠そうとした。泣いた事実も恥ずかしいし、この顔を見られるのも恥ずかしい。


「こ、これは、その」

「うるせー、うるせー。わかってる、わかってる。治してやるから、こっち向け」


 こっちを向けと言うわりには待つことをせず、ボリスはジャバルに頭を鷲掴みにされ、ぐいっと強引に首を回された。


「これも治癒魔法な。あったかくなるけど、ビビんじゃねえぞ」

「は、はい」


 ジャバルの右手がボリスの両目をすっぽりと隠す。暗くなった視界の中で、太陽のように滲む光がぼんやりと浮かび上がる。じわじわと瞼が温かくなってくるけれど、これがジャバルの体温によるものなのか、魔力の流れによるものなのか、いまいちわからない。


 自分が、もっと優秀だったなら。


 そうしたら、封印魔法とやらを感じ取れていたのだろうか。

 そうしたら──。


 そこまで考えて、無意味だと悟った。

 たとえ自分がフリオに封印魔法を掛けられて授業の邪魔をされているとわかったところで、自分は誰にも相談出来なかっただろうし、素知らぬ顔でやりすごすのだろうし、やはり教室での日常的な孤独よりも、いっときのまやかしであってもペアになれることを選んだだろう。

 そしてフリオの笑顔に問い掛けるしか出来なかっただろう。


 どうして、笑いながら嘘を吐くのだと。笑うくらいなら、嘘を吐くくらいなら、素直に罵倒してくれたほうがボリスにとっては慣れたものだった。


 ふ、と温もりが離れていく。

 視界が開けた気がした。得意気なジャバルの顔を見てから鏡に視線を移すと、すっかり腫れが引いている。


「行けるな?」

「あ、は、はい」

「つまんねえ顔してんじゃねえ。他の奴らにナメられるぞ」


 ジャバルはボリスを待たない。その逞しい背中で、いつも先を行く。部屋を出て、廊下に出て、学校に向かって大股で歩く。だからボリスはいつもジャバルを追って駆けた。今日もそれだった。


「俯くんじゃねえぞ」

「は、はい」

「堂々としてりゃァいいんだ。そうしたらワレリーがなにかしら助けてくれっから」

「はい」

「わかんねえなら、わかんねえって言えばいいし、できねえなら、できねえって言やァいいんだ。変なプライド持って自分はエリートですって顔するより、絶対に覚えてやりますって顔のほうがボリスには似合ってる」

「はい」

「できねえことは恥ずかしいことじゃねえ。うじうじすんなよ。わかったか?」

「はい」

「声が小せえんだオメーは!! 返事が小せえのは無礼だぞ!! わかったのかって聞いてんだ!!」

「は、はい!!」


 反射的に同じだけの声を張ると、ジャバルはおかしそうに口許を歪めた。


「どうだ。デケェ声出すと、意外とすっきりするだろ」


 言われて、そうかもしれないと思った。なぜだろう。自分にも、こんなふうに声が出せるとわかったからなのだろうか。不思議だった。


「行ってこい。俺は過保護のラキムじゃねえから、教室の中までは行ってやらねえ。テメェでドアを開けて、テメェの足で行くんだ。わかったか?」

「は──」


 そこで、じとりと睨まれる。ボリスは察して、息を吸った。


「はい!」


 またジャバルが笑う。けれどそれは茶化すような笑みではなくて、よく出来ましたと褒めてくれるような笑顔だった。

 ボリスは自ら教室のドアを開けた。



◆◆◆



 席に着いてからしばらくして、ワレリーがやってきた。すぐに視線がかち合う。目顔で、『大丈夫か?』『大丈夫です』『昨日は聞かせてしまってごめん』『気にしないでください』のやり取りをする。そして教壇について、今日の授業の導入を始めた。


 フリオはいなかった。


 首を巡らせて教室を見るだなんて、昨日までのボリスならできなかった。なに見てんだよ、と責められる目が怖かったからだ。けれど、フリオの姿を探すためにはそうする以外にない。だから教室中を見たのに、フリオはいない。


 もう、会えないのだろうか。

 それとも、これもなんらかの魔法で本当はいるのに見えないようにしているとか?

 魔法を感じるのが鈍いって不便だな。


「──ということで、午前中は座学にします。午後からはまたペアでの授業にしようかと思いますが……」


 ペアの言葉に反応して、ワレリーとボリスはまた目が合った。


「今日は、ボリスさんは僕とペアに──」


 そう言い掛けたところで、教室のドアが開いた。そこにはフリオが立っている。へらへらと笑う、あの表情だった。


「すみません、寝坊しちゃいましたぁ」


 その軽い口調は昨日の出来事が夢のようにさえ思えた。まったく変わらない調子にボリスは本気で夢を疑う。けれどワレリーの表情が夢ではないと教えてくれる。


 すごいな、と思った。


 フリオは寮でひとりだ。自分はラキムとジャバルのふたりに助けられて、ようやくここにいるのに、フリオはたったひとりでここまで来た。いや、フリオにとってみれば、昨日の出来事はそこまで大したことではなかったかもしれない。


 私だけが浮かれていた。


 そう思っていると、フリオがつかつかと歩いてきてボリスの隣にどかっと音を立てて座った。ボリスもワレリーも目を丸くして視線を合わせた。

 沈黙に耐え兼ねたのか、フリオが笑い声をたてた。


「なに? 午後はペアでって話してたっしょー? 俺達、ペアだから。それでいいでしょ、ワレリー先生?」

「……え、ええ。まあ」


 ワレリーはなんだか信じられないといった表情をしつつも授業に戻った。

 ボリスは授業を聞こう、聞こうとする。聞こう、聞こうと努力する。


 でも、込み上げてくる笑みを抑えきれなかった。


 口許をぎゅっと力を入れて抑えるのに、口角が上がってしまう。うきうきとして、背筋が伸びてしまう。


 よかった。

 またペアになってくれた。

 よかった。

 よかった。


 今すぐ拍手したい気持ちだった。胸の前でパチパチパチパチ! と。その衝動を抑えるために、腿の上でぎゅっと拳を作って、体を前後に揺さぶる。


 やった。

 やった。

 またペアになってくれた。

 また一緒にいてくれる。

 やった。よかった。


 嬉しい。


 ちらり、とフリオを見ると、目が合った。そして呆れた声音で囁かれる。


「あのね、勘違いしないでくれる? 今さら出来上がってる他のペアをごちゃごちゃに引っ掻き回して新しい人を見付けるのが面倒だからボリスを選んだだけだから。別にボリスがいいわけじゃないから。わかった?」


 それでも構わないのだ。


「はい!」


 ジャバルに教えられたとおり、ボリスは教室に響くほどの大きさで返事をした。フリオが慌てて口を塞いできて、しー、しーっと諌めてくる。


「ボリスさん、お静かに」


 ワレリーにも注意されてしまうけれど、どこかワレリーも事情を察して優し気な顔だ。


「大声出さないでよ」


 フリオにも小声で言われてしまう。

 けれど、嬉しさは底を知らないようだった。

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