第20話
途中まで行ったところで、ボリスは、そういえばラキム達は補習があると思って迎えに来てくれるはずだと思い直した。ならば教室で待っていたほうが、自分を探させる手間を省ける。ラキム達がどこにいるかわからないし、逆に自分が出向いたことで彼らの予定を狂わせてもいけない。教室で座って待っていよう。
そうして踵を返して教室まで戻ってきた。
ドアノブに手を掛けたとき、ワレリーの声がして手を止めた。しかも声音はなかなか尖っている。
「ボリスさんに対し、封印魔法を発動して邪魔をしたのはなぜです?」
封印魔法?
聞き慣れない。この学校では初めてのことばかりだ。
ボリスはどことなく開けてはいけない雰囲気を感じ取った。立ち聞きはよくないと思いつつ、けれど自分の話題となると気になってしまって動けない。どうせ聞かないほうがいい話のはずなのに。
「なんのことですかねー」
それはフリオの声だった。明るくて調子のいい、軽い口調だ。
そこへ、さらに鋭いワレリーの声が返ってくる。
「この魔法学校で教師をしている僕ほどの人間が気付かないとでもお思いですか。いえ、確かに発見が遅れたのは認めましょう。見事な微量の魔法でした。
初めはボリスさんの気持ちの不安定さから発動が出来ないでいるのかと思っていましたが、先程のテストを間近で見て確信しました。
あなた、ボリスさんの魔力がうまく働かないよう、軽い封印魔法を掛けていましたね?」
邪魔を──?
ボリスは胸を抑えた。息をするたびに強烈に胸が痛んだ。こんなところが痛むのは、久しぶりだった。
ワレリーの推察はまだ続いている。
「途中でボリスさんが発動できた歪んだシールドがその証拠です。抑え込まれていたのに、ボリスさんの魔力が増幅して無理やり封印の隙間から捻り出てきたから、あのような形になったのです。
なぜ?
なぜ首席合格のあなたがそんなことをしたのです?」
えっ。
ボリスは耳を疑った。
フリオは今年の最下位ではなかったのか。
相手の足を引っ張るのではと憂いがあるから、ビリであるフリオよりも唯一下の自分とペアになってくれたのではなかったか。相手を気遣ってしまうから、それではうまくいかないから、ふたりで乗り越えようと言ってくれたのではなかったか。
フリオが嘲笑した雰囲気があった。
「首席だからじゃないですかー。本当なら、首席合格の俺が入学式では最前列のはずだったし、1番目立つのも俺のはずだったし、そのために俺はこれまで朝から夜中までずっと訓練してきたんすよー?」
一拍置いて、そこからのフリオの声は聞いたこともないほど鋭く、低くなっていた。
「ずっと、父に殴られながら、母に金切り声で怒鳴られながら、朝も昼も夜もわからなくなるくらい、首席で入学して首席で卒業するためだけに、幼い頃からずっとずっと、あの地獄で頑張ってきたんです。
なのに蓋を開けてみたら、特待生のボリス?
はあ?
なんで?
俺はあいつの何十倍も努力して、何百倍も何千倍も何万倍もあの地獄に耐えてきたのに、たまたま当たりくじ引いたあの女が王子に手を引かれて1番目立つってどういうこと?
ふざけんなって話ですよ。納得いかない。ぜんっぜん! 納得いかない!!
だから邪魔してやったんですよ。才能がないことを自覚すれば辞めていくかもしれない。そしたら俺がまた1番目立つ。試験に不合格になれば退学させられるしね。
それに、あの馬鹿とペアになっていれば、あいつが引き立て役になって俺は実力通りちゃんと優秀に見えるし、利用させてもらってたんですよ。なにが悪いんです? 自分で封印魔法を掛けられてるともわからないゴミクズみたいな出来損ないに! 封印魔法を掛けることの! なにが悪いんですか!?」
フリオの言葉は教室を反響して、余韻のようにボリスの耳の中で反芻する。
ごみくず。
出来損ない。
そう、それは確かに自分のこと。
しかしワレリーがすかさず反論した。
「しかし、ボリスさんはあなたの封印魔法を跳ね除けて魔法を発動しました」
「だから?」
「ボリスさんの魔力量を見くびっていたのでしょう?」
「それが? 量だけ多くたって──」
「それに、フリオさんの魔法発動とほぼ同時にシールドも発動させていました。あれは、空間に放たれんとするフリオさんの魔力の流れを感じないと出来ない芸当です。視覚よりも早く魔力を感じることが、どんな手練であってもいかに難しいかはフリオさんも存じているはずです。わかりますか?
ボリスさんには、才能があるんですよ」
「だから? なにが言いたいんです?」
「邪魔しないでいただきたい。僕の教え子の成長を阻もうとするなら、次はありません。今回は首席ということで国に対する将来の貢献度を考慮して大目に見ましょう。次に同じことをすれば即退学。よろしいですね」
それから会話は聞こえなかった。
やや沈黙が続いてから、ばっと開かれたドア。ボリスが驚いて体をびくつかせると、そこにはフリオが立っていた。
もう、笑っていなかった。
にこにこと笑うフリオは、もういなかった。
フリオも、まさかそこにボリスがいるとは思っていなかったのだろう。わずかに、たじろいだ。
ワレリーが目を見開いている。聞かせるべき話ではなかったと、わかっているのだ。
フリオの表情が変わった。忌々しげに見下してくる。
「……文句でも言いにきたの?」
フリオが問うてくる。ワレリーがフリオを押しのけて駆け寄ってくれようとするけれど、フリオは退こうとはしなかった。さらに揶揄してくる。
「騙されるほうが悪いんじゃない? 自分の力が封じられてるの気付かないなんて、無能もいいところなんだけど。バーカ。ドージ。アーホ。まぬけー。出来損ないのクーズ」
「フリオさん、いい加減に──」
「な、なんだ、よかったぁ……」
ボリスは無意識に吐露しながら、体から力が抜けるのを感じた。ふにゃりと笑ってしまったのは、心底、安堵したからだった。ほっと胸を抑えてフリオを見上げると、フリオが怪訝そうに眉根を寄せたところだった。
「わ、私、昨日も今日も、その前もフリオさんの足を引っ張ってしまっているのだと……。ど、どうしようと、そればかり考えてしまって……申し訳なくて……なんとかしないと、って……。で、でも、な、なんだ……フリオさんが邪魔してただけなんですね……。よかった……てっきり、私がフリオさんの足手まといになっているのかと思って、心配で……」
「……は?」
「そ、そっか、そ、そうですよね。用もないのに、私と話してくれる人なんていないですよね。実は、わ、私、あの、フリオさんと、お、お、お友達に、なれたのかと浮かれてしまって……。こんな私と、お友達になってくれる人なんて、いるはず、ないのに……か、勘違いしてしまって、は、恥ずかしい……。だから、その、フリオさんはきっと、物凄く優しい人なのだろうと思って、傷付けたらいけないと思って、昨日も、放課後の練習を断ってしまったから、不愉快にさせたのではと思って、今日もうまくできなかったから、それで怒ってしまったのではないかと思って……。でも、そっか、それをフリオさんは予期していたなら、安心しました……。そう、ですよね……初めから……」
初めから、心配する必要なんてなかった。
自分を排除しようとしていただけ。自分を利用しようとしていただけ。
初めから、友情の糸は誰とも繋がっていなかった。
初めから、ふわふわと虚空を舞っていただけだ。
ボリスは自然と笑っていた。とんだ勘違いへの羞恥と、やはり現実はこうだよな、という妙な説得力に笑うしかなかった。
私はなにを、期待していたのかしら。
ふふ、と笑ってしまう。
そのとき、ぽん、と頭に手が乗せられた。驚いて見ると、その手はジャバルのものだった。
「生き方を教えてやると言ったな。だから教えてやる。──今は、笑うときじゃねえ」
笑うなと、続けて囁くジャバル。
笑わないとすれば、どうすればいいのか。しかしそこまでは教えてくれなかった。そして、ジャバルの隣に立っていたラキムは、襟を正してフリオを見据えている。
「魔法学校を卒業したものは軍にも入隊出来るし、各国で魔法を使った商売も出来る。年収は相応にあるだろう。さらに首席で卒業ともなれば王族警衛部隊に配属され、相当の報酬を手にするうえに貴族よりも権力を手にする。しかし、そこには人柄も絡むことを忘れるな。誰かを蹴落として1位になろうとする奴は、誰かに断罪される。少なくとも私は、貴様に背中を守ってもらいたいとは思わない。行こう、ボリス。迎えに来た。遅くなってすまなかった」
ボリスは入学式のようにラキムとジャバルに支えられて廊下を歩き進めた。
首だけで振り返るとフリオが悔しそうに顔を歪めている。
ボリスは自然と声を掛けていた。
「あ、あの、ま、また、ペアになってくれますか」
言うと、フリオが目を丸くした。
返事はなかった。




