第19話
「シールド魔法か。夕食を終えたら訓練しよう」
3人でデザートを食べているうちに明日のテストの話題となった。ボリスとしても不安で眠れそうにないので、ラキムの申し出は実にありがたかった。ただ、好意を鵜呑みにしていいのかいまいち自信がない。
「い、いいのですか? ラキム殿下はとてもお忙しいと聞きましたが……」
「問題ない──」
「問題あるだろ。日曜の婚約発表の前に終わらせなくちゃならねえ書類が山積みだ。俺がボリスを見てやるから、ラキムは仕事しろ」
やはり。
確認してみてよかったと安堵した。自分なんかのために誰かに無理をさせる必要はない。
しかし、ラキムは納得がいかないようだった。
「しかし、私にはボリスを推薦した責任がある」
「国の責任を放棄するつもりかよ?」
「だから、両立する」
「俺が教えてやれる内容だ。……じゃあ、わかった。今夜は俺が教える。もし追試になったらラキムが教える。それでどうだ?」
「……わかった。それでいこう。ボリス、すまないがジャバルと訓練してくれ」
「は、はい! じ、ジャバルさんは大丈夫なんでしょうか。ラキム殿下のサポートは……」
「書類だけだから大丈夫だ。なら、さっさと始めようぜ。寝不足だと発動がうまくいかなくなることもある。本末転倒になりかねねえからな」
ならば安心だ。ラキムはきっと優秀なのだろうし、集中すれば仕事をすぐに終わらせられる。そういう信頼があるから、ジャバルの発言に違いない。
「……ボリス、私の部屋で訓練したまえ」
「……えっ、お、お仕事は」
「問題ない。私は書斎にいるから応接間にでも──」
「うるせえ王子だなぁ!! 心配しなくてもお前の婚約者に手ェ出したりしねえよ!」
「そこは信じている。そうではなくてふたりきりなられると集中が出来ない」
「独占欲の塊か!! ならとっとと仕事終わらせて合流すりゃァいい話だろ!」
言われて、それもその通りだと思ったのか、ラキムは俄然瞳を輝かせた。
それから夜中に至るまでボリスはジャバルにスパルタ訓練を受けた。それこそ、ラキムが合流する頃には投げ縄のイメージをせずとも反射的にシールドが作れるまでに至った。
「ボリスは才能があるな」
眠ってしまったボリスを私室まで抱き、運ぶのはラキムが請け負った。隣を歩くジャバルに言うと、否定せずに頷いた。
「イメージさえ湧けば発動出来そうだ。人ってのは、考えることは出来ても実現することは難しい。イメージは所詮、イメージに過ぎねえからな」
「ボリスはそれが出来る。このまま成長すれば、2年後には首席になるかもしれない。……変な輩に絡まれなければいいのだが」
「ああ。あいつなぁ……」
ふたりは共通の知人を思い浮かべつつ、柔らかなベッドにボリスを寝かせた。
「明日はきっとうまくいく」
言葉による呪いを受け続けたのだとしたら、せめて言葉による激励を。ラキムはボリスの手の甲に口付けを落として部屋をあとにした。
◇◇◇◆◆◆
「では成績順にテストをしていきます。まずは──」
翌日の午後、テストが始まった。どんどん教壇の前にペアが出て行って、攻撃魔法とシールド魔法を交互に発動させ、次のペアへ交代していく。
あまりにスムーズ過ぎる。
誰も躓く人はおらず、そのたびにボリスはプレッシャーが大きくなるのを感じていた。そして、誰かひとりでも小さなミスくらいしてくれたらいいのに、なんて性格の悪い考えに至る自分が醜くて恥ずかしくなった。そんなこと、思ってはいけない。彼らはそもそも優秀なのだから、こんなテストなど欠伸をするくらい無意識に出来るのだ。自分のレベルが低いだけ。
でも、大丈夫。
ジャバルに教えてもらったし、ラキムも加わってあの精鋭ふたりに付きっきりで訓練してもらった。
大丈夫。乗り越えられるはず。
「ボリス。そんな顔しないで。きっと思い通りになるから。ね?」
そんなボリスの肩を抱いてくれたのは、隣に座るフリオだ。とんとん、と肩を叩き、微笑んでくれる。
失敗出来ない。フリオのためにも。
そう考えた途端、ぶるりと指が震えた。
失敗したらどうしよう。
フリオの足を引っ張ったら?
追試になって再追試になって、そのあとは?
受かるはずがない。
だって役立たずのボリスだもの。
役立たずのボリス。弱虫ボリス。無能ボリス。底辺ボリス。
赤いアイラインで縁取られたフリオの瞳に魅入られて、ボリスは視線を外せなかった。フリオの目に迷い込んでしまいそうだった。
「では最後にボリスさんとフリオさんのペア、お願いします」
ワレリーに促され、ボリスは半ばフリオに引っ張られる形で教壇の前に立った。
「じゃあ、俺が先にシールド魔法やるね。ボリスは適当なところに魔法を発動させてくれる?」
「は、はい」
幸いにも、炎や氷魔法ならば苦労せずに発動出来るようになっていた。掌を使わず、意識で魔力を飛ばして発動させる。左上、左下、右上、また左下、などランダムに魔法を発動させていくと、余裕そうな笑顔でフリオがシールドで魔法を都度囲っていく。
完璧だった。
シールドの大きさも、ボリスが発動させた魔法にちょうどよく、発動させてからすぐにシールドで囲むスピードもあった。
「では、ボリスさんがシールド魔法を」
ワレリーは、おそらく意識してゆっくりと言ってくれた。ボリスの気持ちを整えるためだったのだろうけれど、ボリスの心はざわめきを増していた。
大丈夫。(無理よ)
きっと大丈夫。(私なんかができるはずない)
ぼっ、と目の前に炎が現れる。フリオの発動が始まったのだ。まだ心の準備が出来ていなかっただけに、ボリスは焦る。
出来ない。
目と鼻の先にある炎に、シールドを作れなかった。死んでいくように炎が消える。
ぐっと拳を握って、力を込める。なのに、うまく力が入らない。
どうしてかしら?
焦っちゃだめ。焦ったら、うまくいかない。そうとわかっているのに、ボリスの動悸は激しさを増すばかりだった。ちらりとワレリーを見ると、頑張れ、と瞳で訴えかけてくる。
早く、早くシールドを作るの。そうよ頑張らないと。頑張らないと。
どうやって?
私、どうやって頑張るのかしら。
自分の視界の中の至るところに炎が散りばめられていく。そのどれもにシールドを貼らなくてはいけないのに、力の込め方を忘れてしまった。
ワレリーに教えてもらったとおりに。
ジャバルに教えてもらったとおりに。
ラキムに教えてもらったとおりに。
そのとおりにやっているはずなのに、なにひとつうまくいかない。
退学──。
その言葉が背中の方から忍び寄ってくるのを感じる。ここ以外に居場所なんてない。
ここを去ることになったら──
死ぬのと同じ。
途端、火花が散った。
頭上で燃えていた小さな炎に、ぐにゃりと形の歪んだシールドがまとわりつく。それはさながら、蛇が獲物に巻き付いたようだった。
できた!
このまま、このまま力を込めていけば!
フリオの目がすっと細まる。
だが、ボリスには気に留めている余裕はなかった。力の糸口を手繰り寄せ続けなくてはならない。
柔らかな掌に爪が食い込むほど力を入れて拳を作る。
発動、シールド。発動、シールド。発動、シールド。
繰り返すたびにシールドの形が徐々に整って、とうとう完璧な円形になる。そして次第にフリオの魔法発動とシールド発動が、ほぼ同時になり始めた。
それは、魔力の動きの段階で発動を予測しなければ出来ない芸当に違いなかったが、当のボリスは並外れた集中力で気付いていない。目を見開き、瞬きも忘れ、呼吸も止め、肩を怒らせ、シールドを作り続ける。
ボリスの髪や服が浮き上がり始めたのは、魔力が溢れ始めたからだった。
抑えきれない魔力が熱風のようにボリスの体に纏う。教室中がざわめき出したことに、ボリスは気が付かなかった。
「ストップ。そこまでです」
ワレリーの掌がボリスの視界を覆うと、ボリスはほっと息を吐いた。力を抜いたはずなのに、肩は重く、手指の震えが止まらない。
「全員、合格です。おめでとうございます。今日の授業はここまでとします。では、皆さんご機嫌よう」
ワレリーが言うと生徒達がぞろぞろと教室を出て行く。
とにかく、合格できてよかった。
まだ、ここにいられる。
よかった。本当によかった。
「ボリスさんも、よく頑張りました。無理をしてもいけないので、今日の補習はお休みとしましょう。また明日」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
助かった。正直なところ、補習が出来るほどの体力はなかった。
「あ、あの、ふ、フリオさん、最初のほうシールドが出来ずに、その、す、すみませんでした。次は初めから出来るようにしますので、あの、その……」
けれどフリオはボリスを見ようとしてくれなかった。もしかしたら不機嫌なのかもしれない。こういうとき、ボリスはいつも逃げた。母も父も近寄らなければ怒られないからいつもひとりで仕事をした。それが1番の平和だったから。だからボリスは動かないフリオとワレリーを残して、教室を出た。扉を閉める直前にフリオを見たけれど、やはり目も合わなかった。




