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第18話


「ボリス? 大丈夫?」


 目の前で掌をひらひらとされ、ボリスははっと我に返った。手の持ち主はフリオだ。白髪が輝いていて、目尻に差し入れられた赤のアイラインが彼の眼差しをより魅惑的にさせている。

 そうだ、今は授業中だ。

 ペアになって、ひとりが魔法を発動、もうひとりがシールド魔法で発動された魔法の周囲に円形のシールドを張るという訓練だ。反射的に魔法を発動させる訓練らしいが、ボリスにはまだレベルが合わない。だから、ほぼ発動するのはボリスばかりで、高度なシールドは専らフリオが作っている。


 いつの間にかボリスはラキムとの婚約へと思考を傾けていたらしい。どうしよう、という漠然とした解決策のない悩みだ。


「ちょっと疲れちゃった?」

「い、いえ! あ、せ、せっかくペアになってくださっているのに、失礼しました……ご、ごめんなさい……」

「いいんだよ」


 まともに魔法も発動出来ないうえに考え事とは。ボリスは恐縮して背を丸めた。


「ボリスもシールド魔法の練習してみる?」

「あ、あの、でも……」


 どうせ、できやしない。

 だとすれば、今、挑戦してみてフリオに迷惑を掛けてしまうよりも、最初からワレリーに教えてもらうほうがいい。ちらり、と教壇に立って生徒を眺めているワレリーを見るとそれだけで目が合った。

 なにも言わないのに、ワレリーは躊躇いなく歩み寄ってくる。


「どうかしましたか?」

「あ、あの、シールド魔法──」

「大丈夫ですよー! 俺とボリスはふたりでひとり! ふたりで頑張りまーす!」


 シールド魔法を教えてくれと言い終える前に、フリオが遮る。しかしワレリーはまだボリスを見ていた。フリオからの言葉でなく、ボリスの、返事を待っているらしかった。


 なんでも頼ってくれていいんですよ。


 ワレリーの瞳はそう語っているように見える。しかし、フリオを見ると、屈託のない笑顔で魔法の発動を待っている。


 ああ、どうしたらいいのだろう。


 ワレリーに聞くべきか。

 フリオと共に頑張ってみるか。


 ワレリーに聞くのが礼儀である気もするし、フリオと挑戦してみるのも筋が通っている気がする。


「ね、ボリス。俺達、友達でしょ? まずは、ふたりだけでやってみようよ」


 フリオが首を傾げて言う。

 そうか。友達か。そうよね、友達だもの。小説に出てくる主人公は皆、熱い友情で繋がっていて、友人達と苦難を乗り越えてきた。


 私なんかが友達でいいのかしら。


 頭によぎる邪念を首を振って払い飛ばす。


「は、はい。頑張ってみます!」


 言うと、僅かにワレリーの瞳が揺れた気がした。その目を見て、まだ迷う。本当はワレリーに頼るべきだったのではないかしら。

 けれど目の前にいるフリオが嬉しそうに笑うから、ボリスはなにも言えなくなってしまった。


 そして何度試してみても、シールド魔法は発動出来なかった。


「では明日はペアでそのテストをします。確実に出来るようにしておいてください」



 て。

 す。

 と。


 テスト!?

 テストって、テスト!?


 目顔でワレリーに訴えると、ワレリーが笑いを堪えるのがわかった。笑い事ではない! 不合格になったら、フリオどころかここに推薦してくれたラキムに多大な迷惑を掛ける。

 それに加えて婚約。

 明日はテスト。

 日曜には婚約。


 ボリスは思わず頭を抱えてしまって、授業が終わるやワレリーのもとへ駆け寄ってしまった。──というか、詰め寄った。


「わわわわわわ、ワレリーさんッ!?!?」


 当の本人は、ふふっ、と吹き出すのを隠しもせずに笑っている。両の掌を上げながら、まあまあ、と言う表情は明らかに楽しんでいる。


「てててててて、テストって、どどどどどどどうして……!?」

「ここは学校ですから、これからほとんど毎週テストがありますよ」

「まままままま毎週……!? わ、わわ、私、そそそそ、そんなレベルでは……!」

「ええ。理解しています。だからちゃんと補習しますから、ふたりで頑張りましょう」

「ふ、不合格だったら!? どどどどどどどうなるんです!?」

「追試します」

「そ、それでも駄目だったら!?」

「再追試」

「そ、その次は……」

「退学です」


 愕然とした。

 たとえ奇跡が起きて明日を乗り越えられても、毎週奇跡を起こせるはずもない。


 去らねばならない。


 去ったあとは?

 どうやって生きていくの?

 家にも居場所がないのに、仕事もないのに、どうやって?


「ボリスさん、僕が責任を持って補習しますから安心してください。自慢ですが、僕が受け持った生徒のうち、成績不良で退学した人はいないんですよ」


 その言葉は多少の気休めにもならなかった。なにせ試験を突破して入学してきた歴代の生徒達とはボリスはスタート地点があまりにも違いすぎる。


 間に合わない。


 授業であれだけ試しても一度も成功しなかったのだ。明日の合格はおろか、その次だって。


「とにかく、やってみましょう。僕が相手であれば成功するかもしれませんし──」

「ボリス!」


 そこへ割って入ってきたのはフリオだ。後ろ手に組んで、顔を覗き込んでくる。


「一緒に練習しよ!」


 今度こそボリスは断らねばならなかった。退学がちらつく今、教示のプロであるワレリーに教わる以上の最善策がない。


「ご、ごめんなさい、わ、私、ワレリーさんに──」

「大丈夫だよ。俺も一緒に頑張るから!」


 嬉しい申し出だった。今まで放置されすぎたボリスは、共に行動してくれるフリオに感謝している。教室でも孤立せずに済むのは、フリオがなにかと声を掛けてくれるからだ。ペアを組むときに、わざわざ教室中で誰を犠牲にするか論議させなくて済んでいるのは、フリオが自ら手を取ってくれるからだ。

 ひとりに戻るのが怖い。

 また、あの針の筵にいるような感覚に戻るのが堪らなく怖い。


 けれど、居場所をなくすくらいなら筵のほうがマシだった。


 教室で孤独でも、辛くても、悲しくても寂しくても、ラキムとジャバルとワレリーがいる。


 ボリスは、勇気を奮った。


「ご、ごめんなさい、嬉しいのですが、あの、その、やっぱり──」

「友達でしょ?」


 その言葉を出されると、きつい。

 友達という唯一の繋がり。生まれて初めて紡がれたこの糸を、渇望していた張本人である自分が断ち切ってもいいものか。


 もう二度と、誰とも繋がらないかもしれない。


 自分の体に巻き付いた糸の先は地面に萎れ、風が吹けばふわりふわりと当てもなく彷徨い続けるのかもしれなかった。


 ああ、どうしよう。


 その糸を、握っていて欲しいのに。


 フリオは代わりにボリスの手を取った。力が強く、気を抜けばそのまま引っ張られてしまいそうだ。ああ、また自分は流されるのだろうか。


 しかし、ワレリーが繋がっているふたりの手を掴むことで制止をかけた。


「残念ながらフリオさん、僕の補習は実施しなければならない決まりなのです。試験のなかった特待生ですから、必ず実施をと学校長から通達されています。逆らうことは出来ません」


 学校長とはつまり、国王陛下だ。その方が相手では当然に履行せねばならないだろう。

 しばらくワレリーとフリオが無言の笑顔で見合った。

 ややあってから、フリオは表情を一切崩さないまま、そっと手を離す。


「じゃあ、また明日ね」

「あ、は、はい! また明日からも、ぺ、ぺ、ペアに──」



 なってくれますか。



 しかし、言い終えるより先にフリオは教室を出て行ってしまった。ばたん、と閉じた扉が未練を呼び起こす。


 間違っていただろうか。


 そんな気持ちをワレリーは察したのだろう。握った手をもう片方の手で、ぽん、と打たれた。


「さあ、やってみましょう。魔法が上達すれば、フリオさんとふたりでの訓練でも事足りるようになるかもしれませんし」

「そ、そうですね……」


 自分さえ成長すれば、教室の皆みたいに互いにアドバイスをし合えるかもしれない。それこそ、ボリスの思い描く学園生活だった。


 ボリスは小さく顎を引いてワレリーを見据えた。ワレリーも頷き返してくれる。


「では、魔力の流れをイメージしてください。そして今度は掌ではなく、空中に投げ縄を打つ想像をするのです」

「投げ縄……?」

「乗馬した衛兵が悪党を捕らえるときの投げ縄です。狙いを付けて、投げる」


 ワレリーが実践してみせると、ボリスの目の前にシャボン玉のように透明なシールドが現れた。


「これを相手の魔法発動に合わせていくつも投げます」


 ぽん、ぽん、ぽん。

 大小様々な円形シールドが浮いている様子は、さながらクリスマスツリーの飾りのようだった。硝子のようにきらめいて、けれど触れると指が擦り抜ける。実態のない膜だ。


「では、次はボリスさんが」


 従った。

 体の奥の方。あるいは頭の奥の方に湖がある。大きくて深くて色の濃い湖だ。その湖を堰き止めている小さな栓を抜くと、小川が出来て、それを体中に流す。さらさら、ゆらゆら、ぐるぐる。ある程度のスピードに乗ってから、ぽいっと宙に投げるイメージをした。


 もわん。


 シールドが出来た。

 なかなかのんびりとした出現の仕方だったけれど、それは確かにシールドの膜だった。緩やかに生まれたシールドだからか、シャボン玉にしてはやや大きい。

 ワレリーが触れて確認すると、僅かに眉をぴくりと動かした。


「……濃度が高いですね」

「……よ、よくないことですか」

「いえ。完璧です。ボリスさんは、こうしてきちんと出来るのですから、明日もリラックスしてください。気負うと、混乱してしまいますから」

「わ、わかりました……」


 そこで「そういえば」とワレリーが話題を変えた。


「やはり殿下と婚約する運びになるそうですね」

「えぁ!? は、はい……」

「それは残念」


 ワレリーは言いながら教卓に広げていた教科書を片付けている。ボリスはぎくりとして、また自分を卑下する。


「そ、そうですよね……わ、私も、ど、どうしてだか……ラキム殿下には、も、もっと、もっと素晴らしい方が──」

「そうではなくて」

「えっ」



「僕もボリスさんと一緒になりたいな、なんて思っていたもので」



「……へっ……?」

「さっきのフリオさんも明らかな僕の嫉妬です。補習なんて言い付けられてませんし、可愛いボリスさんを連れて行かれたら気分が悪くなるので。なんちゃって、嘘です」

「え、う、嘘……?」

「なんてね」


 そこへ開けられた扉。ラキムとジャバルの迎えだった。入れ違いにワレリーは出て行ってしまう。

 どこから嘘なのか、どこまで嘘なのか、ボリスはすっきりしなかった。


「ワレリーになにかされたのか」

「い、いえ……!」


 ボリスは否定して、ラキムに駆け寄った。

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