第17話
王妃ということは、国王陛下の妻だ。この国で2番目の権力者と言っても過言ではない。そんな地位のある人に対する貴族の挨拶の仕方など、知らない。
どうすればいいのだろうか。
無礼なことをしてしまったら、それこそ処罰される。こんな奴がどうして生きているのかしらと、思われてしまう。自分が死ぬことよりも、辺境の地へ送られることよりも、なによりも、無能を無能と知らしめる事態を避けたい。──避け方を知らないのだけれど。
ボリスはとにかくベッドから跳ね起きて、頭を下げた。
「も、申し訳ありません」
視界は床だけになる。
「も、申し訳ありませんって、ど、どどどどどどういうこと!? はっ! もしかしてもう懐妊を……!?」
聞き慣れない単語が耳に入ってきて、顔をぱっと上げる。王妃は冷や汗をこめかみに光らせ、震えていた。
「えっ……か、かい……?」
「そういうことなの!?」
また頭を下げる。なんの話をしているのかはわからないけれど、謝る以外に出来なかった。
「す、す、すみません!!」
「やだ、本当に!?」
「お母様、落ち着いてください。そのような行為はしていません。本日は、いったいどうされたのです? 魔法学校に顔を出すだなんて、卒業式以外にないではありませんか」
ラキムがガウンを羽織りながら問う。
王妃を前にして、なかなかのんびりな対応だが、親子ならばそうなのだろうかと思いつつ、ボリスは顔を上げた。
王妃をラキムがソファに座らせているところだった。
寝室に王妃以外に誰もいないのを認めて、ラキムは呆れがちに言った。
「従者はいないのですか」
「廊下に待たせてあるわ。ラキムのあられもない姿を見せるわけにもいかないから、ジャバルを見張り役にしてね」
「なるほど。ジャバルなら安心です。それで、今日はどのようなご用件で?」
王妃が膝を叩いた。ぺちん、と小さな音がする。
「用件もなにも! いきなりラキムの隣室使用許可申請が出されたっていうから、驚いたのですよ! 今まで誰にも興味を示さなかったのに、隣で生活させるなんてどんな人なのかしらと思って……。だって、あなたジャバルと打ち解けるのも半年は掛かったじゃないの! あれは、ほら、6年前だったかしら、自分を守るなら自分より強くなくちゃいけないとか言って毎日毎日鍛えて決闘してジャバルも意固地になって魔法の訓練まで始めちゃって、ふたりったらいつも怪我だらけで──」
「お母様、その話は」
「え、あ、そうね、そうよね! とにかく今はその子よ、その子! いったい、誰!? どこの子!? 何者!?」
また指を差される。
自己紹介をしなければならないのに、あ、とか、う、とか短音しか発せられないのはどうしたことか。
代わりにラキムが引き継いでくれた。
「彼女はボリス。私が特待生として推しました。素晴らしい才能の持ち主です。まだ魔法の使い方が未熟なので、学ばせる必要があります」
「あ、そ、そうなの? ああ、そう。魔法に関しては私はさっぱりだから、ラキムの目を信じるわ。ええ、それはそうね。けど! なんでこの部屋にいるの!? まさかこの子が隣室を使ってる子!? え、では、だから、どういうことなの!?」
「落ち着いてください。私が心配でボリスを近くに置いておきたかったのです。お母様が心配なさっている行為はしておりませんので、ご安心ください」
「ちょっと待ってよ、つまり、あなたの片思いってこと!?」
ぽかん、としたのはラキムだった。笑おうとしているのに、頬が引き攣っている。
「か、片思い……?」
「だって、そういうことでしょう? ちょっとふざけないでよ! 私の息子がこれだけ好意を示してるのに、靡かないなんてどういうつもり? ちょっとこっちに来なさい! ここ! 座って!」
王妃にビシッと指を差されて、ボリスはすぐさま言われたとおりに王妃の前に膝をついた。女神像に祈る羊のように、ボリスは王妃を見上げる。
「あなたねえ! 私の愛息子、この美男子ラキムくんが思いを寄せてるんだから釣れないこと言ってないで──あらやだ、あなたも可愛い顔してるじゃないの。好きよ、あなたの顔。どれどれ」
んー?
と顔を寄せて、じっくりと観察される。目と鼻の先ほどの距離でようやくわかる王妃の年齢の痕。そうでなければ、ボリスはきっと自分とそれほど年齢に大差はないと思っていたに違いない。目がぱっちりとしていて、化粧も薄く、厚めの唇。いい香りのする、愛嬌のある女性だ。
王妃はひとしきりボリスの顔を眺めたあと、ぱあっと顔を輝かせた。
「可愛い! いいわね、好みの顔よ! さすがラキム、私と好みが似てるわ! 可愛い、美人、美少女! これならツーショットの絵姿でも売りばら撒いて金を巻き上げて、郊外に第二の国立病院を作れるわね。産婦人科を拡大するのが売りよ。子どもは天使。宝物。現状では、危険なお産があとを絶たないから、早くしないと。さあて、私の夢もあと一歩、というところね。えーと、ボリスちゃん? あなた、次の日曜日はご用事がありませんこと?」
「あ、は、はい、特には」
「じゃあ、ラキムと一緒に登城しなさいな。ダーリンにご挨拶したら、そのまま発表ね」
「お母様、勝手に話を進めないでください」
ラキムが頭痛を抑え込むようにして目頭を揉む。しかし、王妃は構いなしといった感じで腕を組んだ。
「なに言ってんの! いい歳なんだから!」
「ボリスの気持ちがあるでしょう」
「たわけたこと言ってんじゃないの! どこの世界にイケメン王子ラキムくんに求愛されて断る女がいるっていうのよ。いずれはボリスちゃんだって、このきゃわいいラキムくんを大好きになるんだから、ちょっとフライングスタートしたってなんの問題もないわよ。さ、そうとわかればダーリンに報告してこよーっと」
「お母様!」
そんな爆風のようなやり取りを眺め、王妃が部屋を出て行くのを見送る。いったい、なんの話をしていたのかボリスには早すぎて付いて行けなかった。
とりあえず、王妃を見送ったラキムが戻ってくると困惑した顔で頭を掻いている。
「あの通り、お母様は天真爛漫、自由奔放な性格をしている。なのに言い出したら聞かない猪突猛進型なのだ。それに、我が子を溺愛している傾向にある。申し訳ない」
「い、いえ……私はてっきり処刑でもされるのかもと思っていたので……安心しました」
もしかすればマナーのひとつも自分は守れていなかったのかもしれないけれど、怒られずに済んで助かった。挨拶の仕方を教わっておかなければならない。ワレリーに聞いてみよう。生徒同士の礼儀作法があるかもしれないし。
そんな様子を見て訝しげに表情を崩したラキムが顔を覗き込んでくる。
「……わかっているか? おそらく、日曜日には婚約発表をさせるつもりだぞ」
「ああ、そうなんですか」
……。
「え、誰と?」
「私と」
「誰の?」
「ボリス」
……。
思考が停止していると、ラキムは嘆息つきながらソファに座った。
「そうなる展開は周囲が騒ぎ始めてから、つまり、もう少し遅いと思ったのだが、まさか身内からこんなに早く指摘されるとは……。母を侮っていた。無類の子ども好きで、早く産院を増やしたくて堪らないのだ。夢は城の中に保育園を作り、その園長を務めること。……すまない」
本当に日曜日には婚約発表という運びになるのだろうか。
このラキムと、こんな自分が?
絶句してしまった。




