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第14話


 ソファに座ると、ずぶずぶと沈んでしまいそうなほど体が重かった。

 女性の職人による体の寸法は終わったのだけれど、ラキムによる色と型選びは終わっていない。ボリスはなんでもいいのだし、むしろ不要だとも思っているのでシンプルで安価なものを推すのにラキムが納得してくれない。

 今もラキムは仕立て屋と生地及び型選びで唸っている。

 ぎしり、とソファが傾く。隣にジャバルが座ったのだ。


「楽しそうな顔してんなぁ」


 背凭れに肘を引っ掛けて、後方にいるラキムを見やって呟く。ボリスも釣られて首を回した。

 ラキムは顎を摘みながら、仕立て屋の提案を吟味していた。この布地ならば飾りをなくしたほうが美しいスカートに仕上がるだとか、この色ならば丈はこのくらいのほうが重くならないだとか、この型ならば肩をもっと詰めたほうがいいだとか。ボリスにしてみれば、ラキム自身が着るでもないのにどうしてあんなに真剣に考えられるのかが不思議でならない。


「もともと服飾やデザインにご興味があったのでしょうか」

「あいつが? ないない。社交場での話のネタになる程度の知識しかねえよ」


 急に関心を持ったのだろうか。

 うーむ、と悩んでいるとジャバルが嘆息ついた。


「素直に楽しいんじゃねえの? ラキムには自由なんてねえから」

「……え?」

「王子だから。王子らしい服。王子らしい色。王子らしい振る舞い。王子らしい組み合わせ。国民が考える王子っていう虚像を常に体現しておかないといけない。だから、あんなふうに似合うものなんて考える自由はねえんだ。もう、王子の服は決まってるから」


 ボリスは、そうなのか、と納得した。

 それは確かに自分も王子はなんたるかというイメージを持っていたからだ。王子はいつでも綺麗な服を着て、嫌味な色はなく、洗練されていて、常に最先端。指先の仕草ひとつ配慮に満ちた完璧な人なのだろうと。むしろ神格化していたかもしれない。自分とは違う世界に生きる人。神に近い人。

 それが王子を縛っているのだとは、今の今まで自覚がなかった。


「だから楽しくて仕方ねえんだよ、多分。ボリスならこの色だろうか、この飾りだろうか。どれが一番似合うか。どれが一番、喜んでくれるか。喜んでくれたときの顔を想像すると、選び尽くせねえんだろ。もっと喜ぶものがあるんじゃねえかってな」

「そ、そんな……私、なんでもありがたいですのに……」

「ありがたいじゃねえんだ。『嬉しい』なんだよ、あいつが欲しいのは」


 恐縮する思いだった。もう、たくさんの嬉しいを貰っているから、これ以上の嬉しいを欲しがったら欲張りに過ぎて地獄に落ちてしまう。


「笑って欲しいんだよ、きっと。……それに、あいつは本来、こんなふうに人に入れ込む奴じゃない。よっぽどボリスが気に入ったんだろ」

「……私なんかの……一体どこに……」


 同情や責任感以外に、自分のために行動してくれる理由が思い付かない。嫌われる理由はいくつも探せるのに、好かれる理由はひとつも見付けられなかった。

 ジャバルは背凭れに引っ掛けた肘に顎を乗せたまま、小首を傾げる。首筋に浮かんだ喉仏が震えているのが見えて、笑っているのだとわかった。声を出さない笑いだった。


 瞳を上げると、視線がかち合う。


 いつの間にラキムから自分へと視線を移していたのか。合わないものとばかり思っていたのにジャバルの金色の眼差しに射抜かれて驚く。



「人を好きになるのってさ、その人のどこかじゃねえんだ。()()()、なんだよ」



 いつもの強気な口調ではなく、まるで言葉を空気に滲ませて、あわよくば蜂蜜が温かい紅茶にじんわり溶けてしまうのと同じような、囁きに似た口調だった。ジャバルの声のゆらめきが残る。


「そ、そういうもの、ですか……」


 それが真実だとすると、人は人知れず人を好きになっていることになる。ボリスは今までそんな経験がなかったから、実感が湧かなかった。

 もちろん、ラキムが教室に来てくれると安心する。ジャバルも、ワレリーだって。しかし、果たしてその安心感が好意なのかどうかはわからない。


「ボリス! 大量購入は不要だと言っていたから、厳選して一週間毎日違うものを着られるように7着注文した。桃色、黄色、緑、紺、水色、橙色、そしてラベンダー色。これならどうだ」


 と、ラキムが示したのは色だけでなく、すべての型が違う華やかなワンピース達だった。合わせた靴まで。

 ジャバルが顎でラキムのもとへ行くように促す。ボリスは従って、ラキムの隣に並んだ。


 机の上に広がった虹だった。


 華やかで美しくて、優しさが透けて見えるラキムの心の虹だった。


「こ、これを、私の、ために……?」

「そうだ。このくらいの数なら購入してもいいだろう? 本音を言わせてもらえば365着は買いたいのだが、吟味に吟味を重ねた」


 この服の一枚一枚に、ラキムの思いやりがどれほど織り込まれているのだろう。

 ボリスが肌を見せるのは苦手だと言ったからすべて膝丈だし、胸元も開いていない。窮屈なのは苦手だと言ったから、お腹周りにゆとりがあって、ひらひらするのは苦手だと言ったからシンプルに落ち着いたデザインになっていて、ラキムがボリスに着せたい服でなく、ボリスが喜んで着られる服にデザインされている。

 ありがたい。


 私のために。

 ボリスのために。


 いつも人から受ける行為といえば邪険にされるか、怒られるか、急かされるか、犠牲を求められるかのどれかだった。しかもそれは、誰かのためのものだ。ボリスのために動いた行為など、どこにもありはしなかった。


 ラキムはこの時間、ボリスのためだけに考えて悩んで、唸って、迷って、やっと出してくれた答えがこの虹なのだ。


 喜ばなくちゃならないと、ジャバルの話を聞いたときに思っていた。どんな服になろうとも、喜んだふりをしよう。ラキムが喜んでくれるために、喜んだ素振りをしようと思っていた。


 でも、そんな嘘は要らなかった。

 湧き上がるこの感情は、偽りなく言葉に乗せられる。



「う、嬉しいです……!」



 正直に伝えると、ラキムの唇がぴくりと震えた。笑おうとして、我慢したように見えた。どうして我慢するのだろう。なにか、おかしなことを言ったかしらと心配になるより先に、ラキムの目が細くなった。口元を隠して、笑ったのだ。


「ふっ!」


 笑うのを我慢しようとしたけれど抑えきれなくて、咄嗟に手の甲で口元を隠して、でもやっぱり耐えきれずに噴き出して笑った。そんな感じだった。


「不思議だ。嬉しいのはボリスなのに、私まで同じく嬉しいとは、どういう仕組みなのだろう」


 そう言いながら、破顔するラキム。

 いつも険しい表情をしていることが多いだけに、ラキムのその表情はボリスにとっては衝撃的だった。


 いつかまた、この笑顔が見られるだろうか──と、ボリスは無意識に思った。

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