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第12話


「そうですか。なにも発動しませんでしたか」


 すべての授業が終わったあとで、ワレリーとボリスは教室に残って補修をしていた。指先ほどの魔法さえ発動出来なかったことを打ち明けると、ワレリーはゆっくりと頷いた。


「落ち込む必要はありません。なにせボリスさんが魔法を使えると知ったのは昨日です。一日で思うように使いこなせる人なんていないんですよ」

「……そう言っていただけると助かります」

「それに、練習すればいいだけの話ですから。さあ、もう一度やってみましょう。僕の手に手を重ねてください」


 差し出された右手に手を乗せて、授業と同じことをする。体内の魔力の流れをイメージして、掌に発動させたい魔法の大きさを想像する。

 初めは滞留していたけれど、ぐんっ、と力を込めると栓が抜けたみたいに流れ始めた。


 すると、じんわりと掌が熱くなった。

 もしかして上手くいたかしらと見てみると、湯気が立ち上っている。


「……ん?」


 手を引っくり返して見ると、掌に小さな炎が生まれていた。

 ボリスはぎょっとした。


「火、火! 火です! こ、怖い熱い怖い! け、消してください!」

「大丈夫、安心してください。これはボリスさんの魔法です。魔力の流れを止めれば炎は消えます。やってみてください」

「な、流れ!? 流れだなんて、流れ!?」

「ふふふ。可愛らしい慌てっぷりですね。落ち着いて。今、消してさしあげますから」


 言うと、ワレリーはボリスの手首を掴んで固定し、まだ手の上で燃えている炎に自分の手をかざした。すると、炎がワレリーの掌に吸収されるようにして消えてしまう。

 手の熱が消え、ようやくボリスはほっと一息ついた。


「び、びっくりしました……熱かったです……」

「もう大丈夫ですよ。火傷になってしまっても大変ですから、少し冷やしましょう」


 言って、ワレリーはボリスの掌にそっと唇を寄せた。ふう、と細く息を吹きかけると細やかな氷が掌に広がっていく。水の魔法なのだろう。ほのかに冷たくて心地がいい。

 そしてワレリーは掌を重ねて撫でるようにして氷を染み込ませていく。


「これで大丈夫です。それにしても、発動しましたね」


 指摘されて気が付いた。そうだ、あれは魔法だった。うまくいったのだ。


「ほ、本当だ……! 出来ました!」

「よかったです。授業のときはきっと相手が生徒でしたから、失敗してはいけないと緊張してしまったのでしょう。緊張すると、魔法も思うように発動しません。次からはリラックスして臨んでください」


 それはまた難しい注文だなと思いつつ、とにかく発動出来たことに変わりはないのでボリスは素直に嬉しかった。


 私にも魔法が使える!


 しかし、ワレリーは一転して微笑みを消してボリスを真っ直ぐ見つめてきた。



「朝、どうして逃げようとしたのです?」


 沈んだ声音に、ボリスははっとした。まだワレリーに謝罪していなかった。


「ご、ごめんなさい!」


 ワレリーはボリスの右手を両手で包んだまま、離さない。むしろどこか力を強めて、訴え掛けてくる。


「ラキム殿下の言葉から、どんなことを言われたのかは想像出来ます。……でも、なぜ? なぜ、逃げたのです? ラキム殿下だけでなくジャバルもいますし、教室には僕がいます。逃げる必要なんて……」


 その表情を見て、気付いてしまった。


 ラキムと同じく、ワレリーも悲しんでいるのだ。ワレリーがいるのに、ワレリーに頼る前に逃げてしまったから。


 ボリスは打ち明けた。

 努力して席を勝ち取ってきた人の中に、なんの努力もしていない無能な自分がいるのが耐えられなかったのだと。恥ずかしかった。申し訳なかった。そしてなにより──。


「失礼だと、思ったんです。皆は膨大な時間を掛けて努力してここにいるのに、私はなにもしていないから……ここに存在しているのが、あまりにも失礼だと思って……」

「それで、家に戻りたくなったのですか」

「……はい。家なら、まだ私の居場所があるので……」


 あの小さな部屋。閉ざされたあの部屋が自分の世界なのだ。


「ではボリスの帰りを待っている人も?」


 息を呑んだ。

 自分の帰りを待ってくれている人など、あの家にいるはずがなかった。自分は家の中でもゴミなのだ。あってもなくても気にならない、どちらかといえば掃いて捨ててしまいたい綿ぼこり。


 そうか。

 あるとばかり思っていたけれど、自分の居場所は家にもなかったのだ。


「ここには、いますよ。少なからず僕はボリスさんが魔法を使いこなせるようになるのを見届けたいですし、ジャバルもなんだかんだ面倒見のいい奴ですし、ラキム殿下はあのとおり恋は盲目状態。ここには、ボリスさんにいて欲しいと考えている人間がいます。


 だから、どうか、もう逃げないで。


 逃げ出したくなったら、僕らの誰かに教えて下さい。必ず助けますから」


 ここは、もしかして天使の集まる教会なのだろうか。ラキムにしても、ジャバルにしてもワレリーにしても、優しすぎる。天使の生まれ変わりでは?

 こんな埃に目を掛けてくれる心優しい人を裏切るだなんて、二度としてはいけない。

 ボリスは改めて頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 頭上でワレリーが微笑む気配があった。ぽんぽん、と頭を撫でられる。

 顔を上げると、やはりワレリーは笑ってくれていた。


「もうこの話は終わりにしましょう。とにかく魔法の発動が出来たのですから、ラキム殿下に教えてあげてください。きっと、とても喜んでくださると思いま──」


 言い終える前に、教室に入ってきたラキムとジャバル。ノックをしないあたり、既にワレリーとボリスしかいないと踏んでいるのだろう。



 そしてやはり手を握られたままで、頭に手を置かれたままのボリスを見て、ラキムは目を見開いて戦慄(わなな)いた。


「身体的接触は禁ずると言ったはずだ!」

「えー? そうでしたっけー?」


 さっと手を離してくれたが、ワレリーは去り際に小声で囁いた。


「教えて下さいね──出来れば、僕に」


 では、また明日。

 ワレリーは小さく手を振って、帰ってしまった。

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