第七話 猿真似剣道
僕の魔法の実態を知るために校庭で色々実験してみることになったのだが・・・
下に履いているのがユルッユルで裾を踏んづけてしまうジーパン。上はダブダブな長袖シャツの上に指が隠れてしまうほど大きいパーカーを着ていたため・・・
「運動できる格好じゃねえだろ。更衣室に予備の体育着とジャージがあるはずだから着替えてこい。」
と戸黒さんに言われ着替え中である。男子更衣室に入るか女子更衣室に入るか少しだけ迷ったが、どうせ冬休みで誰もいないので、女子更衣室を使わせてもらう。
「この体にもなれたもんだな・・・」
初めは戸惑ったが、案外どうにかなるもんである。もともと性への欲が薄かったのもあって着替えにもう躊躇しなくなってきた。自分の体に欲情するのもおかしな話だしね・・・本庄さんにも悪いし。
むしろ、体格・・・身長や腕の長さが変わってしまったことに違和感を感じる。以前の体ならば取れていただろう位置にあるモノに手が届かない。歩幅が小さくなったためか、いつもと同じ速度を保つために早歩きしなければならない。
ただ、他人の体なのに、動かしにくさは全く感じなかった。骨格も筋肉量も変わり、重心の位置が以前と少しズレているはずなのだが、意外なことにスムーズに歩けていた。細かい作業も、指の長さと太さが変わったというのに簡単にこなせた・・・むしろ以前の体より簡単に感じる。鈴城さんに頼まれた書類に人猿の絵を描いた時も、「こんなに上手く書けるもんなのだなあ」と我ながら感心したモノだ。
「さて、行くか・・・」
ジャージの色は赤、青、緑があり、順番に「対策課志望」、「研究課志望」、「教育課志望」と書いてあった。どうやら三つの課にそれぞれイメージカラーがあるらしい・・・僕の所属している処理班は対策課らしいので一応赤を着た。そういえば入り口の広場の床にも三色で模様が描いてあったっけ?
サイズが色々あったため、ピッタリのサイズが見つけられた。服を買える時までこのジャージセット借りようかな・・・校長先生に聞いてみるか。自分が通った訳でもない学校のジャージを着るのは変な感じがするが・・・
現金なことを考えながら、つま先を地面に押し当てたり腕を交差したりと、身体をほぐしながら更衣室を出た。
扉を閉めた瞬間、木刀が首に押し当てられた。
「・・・・・・え?」
「お前だな?人猿の被害者の生き残りは。」
両手を挙げ、ゆっくりと後ろを振り返る。獣のようにこちらを睨む、緑髪で、紫の眼を持つ女性がいた。服装は・・・・・・学校の制服のようだった。白と黒を基調にした制服で、左胸にローマ数字の三の形をした、赤い色のバッジを着けていた。おそらくここの生徒なのだろう。
「私はこの学園の高校三年生・・・名前は風緑鶯。貴様にどうしても言いたいことがあってな。待ち伏せさせてもらった。」
待ち伏せ?さっき廊下の奥に見えた人影はこの人だったのか?
「何故こんなカツアゲみたいなことを?」
「カツアゲではない・・・その体、権堂さんの心臓が使われているそうだな。」
「・・・・・・権堂さんと親しかった方ですか?」
だとしたらキツいな・・・何を言われるか分からない。彼が死んだのは僕の所為では無い。僕が謝ったところでなんの解決にもならない。けれど、だからといって何もしないのは間違っているのだろう。
彼らの死から眼を背けてはいけない。向き合わなければならない・・・白神さんに言われたことを思い出す。
「そうだ。卒業後に権堂さんの班に配属される予定だった・・・憧れだった人だ。」
「・・・だからって、僕にどうしろと言うんです?」
死んだものはもう戻らない。帰ってこない・・・自然の摂理だ。
「分かっている。権堂さんが死んだのは貴様の所為では無い・・・・・・ただ、」
彼女がさらに眼光を強める。
「貴様が他人の体になっても戦いに身を投じていることが許せないだけだ!」
彼女の大声で辺りの空気が震える。彼女が海よりも深く怒っているのが嫌でも察せられた。
「剣道場に行くぞ・・・言うことを聞いてもらう。」
どうやら逃がしてはくれないようだった・・・
「遅い・・・」
「遅いですねえ・・・」
「もう二十分は経っているんだが・・・」
「まあ女子は着替えに時間が掛りますから。気長に待つことにしましょう。」
「・・・あいつ中身は男ですよ?」
「・・・え?そうなの?」
剣道場に問答無用で連れてこられ、緑風さんの尋問が始まった。
「その体・・・悪いところは全く無いのか?吐き気や頭痛は?」
「・・・・・・?」
何故そんなことを聞く?
「はい。いたって健康です。むしろ以前の体より調子がいい気さえします。」
「そうか・・・」
おもむろに頷くと、彼女が木刀を僕の眼前に突き出した。
「だったらなおさら・・・貴様は戦いから離れるべきだ。」
「・・・どういう意味です?」
「脳以外は他人の体なんだろう?どうしてその体を大事にしない?お前のモノでは無いはずだ。」
「・・・・・・そうですね。」
痛いところを突いてくる人だ・・・容赦無い。
「権堂さんは一般人を庇ったために人猿に殺されたそうだ。あの人は最後まで誰かを守るために生きていた・・・そして、死後も心臓となって貴様を生かしている。」
「・・・・・・」
「その外見も・・・何も知らない一般人のモノだ。貴様の自分勝手な都合に付き合わせていい物じゃない!」
「・・・・・・」
「その体を戦いで傷つけることは絶対に許さない・・・そうでないと、死んだ権堂さん達が浮かばれない・・・頼む。処理班から抜けて普通の生活に戻り、幸せな人生を全うしてくれ・・・あの人の死を無駄にしないでくれ!お前にはその義務があるはずだ!」
「・・・・・・」
無理をしていたのだろう。途中から涙がその両目からぽろぽろとこぼれ落ちていた。憧れの先輩の死を経験しただけでショックであろうに、その先輩の心臓を受け継いだ一般人がわざわざ危険な戦場へ足を踏み入れようとしているのを聞いて、いてもたってもいられなくなったのだろう。
「なにが『人猿を止めるため』だ!そんなの協会に任しておけばいい!・・・貴様が戦わなければ新たな被害が出る?人猿が周りにいる人達に危害を加えるかもしれない?そんなのただの言い訳だ!協会の護衛をつけてもらえばいいだけの話だろ!貴様が戦う意味は無いはずだ!」
「・・・・・・」
「頼むから・・・あんたの体の中で生きているその心臓を殺さないでくれ・・・大事な先輩なんだよ・・・」
彼女の言うとおりなのだろう。権堂さんが告げた「俺たちの人生を背負う義務は無い」という言葉は被害者本人の意思しか含まれていない。権堂さんの家族や、彼女のような知人はそんなこと認めない。
「権堂さんの分まで生きろ・・・その義務がお前にはある。」
彼女の言葉だけれど、彼女だけの言葉には聞こえなかった。権堂さんだけじゃない。本庄さんにもこの体の安全を願う人々はいるだろう。そして・・・僕にも、無事であってほしいと願ってくれる家族と友達はいる・・・
「そうですね。あなたの言っていることは正しい。」
「・・・・・・分かってくれたか。」
彼女がほっとしたような表情をする。
「でも、嫌です。」
「・・・は?」
風緑さんの表情が途端に驚愕へと変わる。
「僕、嫌いなんですよ。死んだ人の分まで生きろっていうのは・・・分かるんですよ?それが人間として正しいってのは・・・それを理解している上で・・・いや、風緑さんの話を聞いてやっとその気持ちが理解出来たけれど・・・それでも僕は人猿を止めます。戦いに行きます。」
「・・・どうして?」
悲しみに満ちていた彼女の声が、再び怒りで震え始めた。
「・・・チープな刑事ドラマで、復讐を遂げた殺人犯と、それを追い詰めた刑事がどういう会話をするか知っていますか?」
「・・・は?」
「『殺された自分の恋人も、私が犯した罪を分かってくれるはずだ・・・』『そんなこと、亡くなったお前の母親は望んでいないはずだ!』ってやつですよ。」
「・・・・・・」
この体になってから・・・・・・少しだけ、感情の起伏が激しくなった気がする。僕はこんな人間らしいことで激情するような、人間らしい人間では無かったはずなのに・・・・・・いつのまにか、ちょっとは人間らしくなったということだろうか?
どうでもいいことだ。僕は別にこの「人間らしくない人格」を消そうとも残そうとも思っていない。
僕が僕であるためにこの人格が必要なわけじゃない。ただの付属品だこんなもの。
だから、人間らしくない部分ではない・・・この人間らしい怒りを目の前の彼女にぶつけたってそれはおかしいことでは断じてないはずだ。
「僕は彼らの言い訳が気に入らない・・・なんで復讐の動機を死んだ恋人の所為にしているんですか?・・・そんなの傲慢だ。ただ逃げているだけだ・・・復讐しなければ気が済まない弱い心をもっていたから殺人を犯したんだろう?何故自分の弱さを隠すために死んだ恋人を使う!」
「・・・!!?」
目の前の木刀を、右手で力強く掴んだ。
「刑事だってそうだ!『母親が悲しんでいるにきまっている』だって?他人を自分の言い分に利用しているだけだ!」
風緑さんが困惑の表情を浮かべる・・・・・・意味が分からないのだろう。僕の言っていることの意味が。
木刀を強く握ったまま、大きく一歩彼女に詰め寄る。
「僕は他人の死を理由に生きたくない。」
「・・・・・・」
「権堂さんと本庄さんのために」猿に復讐するのも、「権堂さんと本庄さんのために」平穏に生きるのもゴメンだ。
それはただの逃げだ。言い訳だ。
ちゃんと彼らに向き合うこととはほど遠いことだ。
それもまた、一つの正しい道であることは否定できないけれど。
「だったら・・・貴様は一体何をしたいんだ?」
「まだ分かりません・・・けれど、人猿の被害を食い止め、誰かを救おうとすることはきっと何かに繋がる・・・そう信じて僕は戦うつもりです。」
「・・・・・・そうか。」
風緑さんがゆっくりと息を吐き、肩をすくめ、うつむく・・・・・・しばらくすると顔をあげ・・・
「手足の二、三本へし折って戦えなくしてやるしかないな。」
「・・・・・・っ!?」
もの凄い力で木刀を掴んでいた右手が振り払われ、胴を思いっきり蹴飛ばされた。激痛とともに身体が後方に吹っ飛ばされ、剣道場の滑らかな木製の床を滑って壁際に積まれていた木箱に突っ込む。
「ゲホッ・・・イッテェ・・・」
なんとか痛みを堪えて起き上がる・・・手元に武器になるものがないか周りを探ると、僕が衝突したことで倒れ、蓋が半分開いた木箱の中に棒状のなにかが入っているのが見えた。
「くそっ!」
そうはさせまいと、風緑さんが僕に体勢を整える隙を作らせないために突進してきた。横に転がってかろうじて避ける。
バキャッ!!!
乾いた破砕音を聞きつつ、転がった勢いを殺さないよう、身体をねじって方向転換し、風緑さんに正面から向かい合う形で立ち上がる・・・・・・破砕音のした場所を確認してみると、さっきまで僕の下敷きになっていた木箱が彼女の振り下ろした木刀で半分ほど砕けて粉々になっていた。
「殺す気かよ・・・」
もし、今の攻撃を避けることが出来ていなかったら・・・・・・彼女の足下でバラバラになっていたのは木箱ではなく、僕の骨だったということか。
ゾッとする話だ。
彼女の体格は大きいとは言えない。さっき僕を吹っ飛ばしたときもそうだが、力が異常に強い。常人の比ではない・・・そういう魔法を使っているのか?
逃げる際、なんとか箱の中から武器らしいものを取り出せた。しかし、なんなのか確認すると授業用に柔らかいゴムで作られた偽の刀だった。これでは堅い木箱を叩き割った彼女の攻撃に耐えられる気がしない。そもそもの話、僕には喧嘩の技術なんてさらさら無いからどんな武器があったところで彼女に敵う気もしない。
「大人しくしていればすぐに気絶させてやる。起きたときにはベッドの上だ・・・・・・」
その時には、下半身不随になってるかもだけど・・・と言って、彼女は木刀を両手で構え直す。
「この体を傷つけたくないって言ってませんでした?矛盾してますよ?そんな矛盾だらけじゃあ、僕みたいになってしまいますよ?」
「確かに傷つけたくは無いけど・・・戦いに行って死ぬよりはマシ・・・そう思わない?」
「僕が死ぬの前提ですね・・・そんなに僕が弱っちく見えます?」
僕の軽口も効果無し・・・・・・どうしよう。勝てる気がしない。
じりじりと彼女が迫ってくる・・・僕のスピードじゃ出口まで逃げる前に緑風さんに捕まるだろう・・・かといって応戦しようとすれば普通に負けるだろう。
「どうしようもねえ・・・」
防御のためにゴムの刀を構える・・・せめて魔法の使い方とその能力さえ分かっていれば・・・「フューチャー」め・・・何が魔法使い最高の幸運だ。「一致しませんでした」が悪い方向に進んでいるじゃないか!おかげでお先真っ暗だよ。『未来』が見えないよ・・・・・・
こうなったら、一か八か彼女に一発、攻撃を当てて逃げる隙を作るしかない。
ゴムの刀を強く握りしめて集中する。落ち着け・・・一発当てるだけでいい。彼女に一撃を食らわせて逃げるだけ・・・そう、一撃を・・・
ギュカッ!!!
「・・・・・・は?」
緑風鶯は理解の追いつかない事態に目を丸くした。
今まで聞いたことも無い不愉快な異音が聞こえ、木刀を握っていた彼女の手首に一瞬、大きな衝撃が走った。
風緑鶯は目の前で起きた現象が・・・・・・自分の握っている木刀の変化を見れば一目瞭然であるはずの事実が到底信じられず、数秒ほど上手く状況を飲み込めななかった。
・・・・・・カンッ・・・カラカラカラカラ・・・・・・
彼女の木刀が・・・・・・空中で風を切る音を発しながら勢いよく回転していた彼女の木刀の『切れ端』が、剣道場の艶のある、滑らかな板床に落下して大きな音を発し・・・・・・壁に当たって勢いが殺されるまで、カラカラと回りながら床を滑る・・・・・・
「木刀が・・・・・・切断された!?」
風緑が気付いた時には、握っていた木刀が元の刀身より半分以上短くなっていた。『折れた』のでも『爆発』したのでもない・・・『切断された』。
命の危機に瀕して自分の能力に目覚める事例があることにはある・・・風緑もその可能性を考慮していなかったわけではない。目の前の綺麗な茶髪の少女が突然、炎や雷を手の平から出そうと瞬間移動しようと、光線を目から発射したとしても、彼女は自分の能力で反応、対応するつもりであった。出来るつもりであった。自信があった。余裕があった。目の前の小柄な体躯の少女への勝利を・・・・・・確信していた。
しかし・・・実際に茶髪の少女が、おそらく目覚めた能力を無意識に使用した結果、風緑鶯は自分が力に自惚れていたことを思い知ることになった。
「見えなかった?そんな馬鹿な・・・」
この少女が行ったのはゴムの刀を振り下ろしただけだ・・・本当にただ、振り下ろしただけ。軽いゴムの刀を持ち上げるだけの筋力を持っていれば、どんな人間にだって可能な簡単な動き・・・・・・この少女が行ったその動作の何が異常なのかと言うと、『手練れである筈の風緑が目視出来ないほど速く刀を振り下ろした点』だった。
木刀をゴムで切断出来るほどの速度
彼女はまだ若く、戸黒睡蓮や間隠宏隆、鬼打千華が持っていた『長年の経験により培われた勘』を持ち合わせていなかった・・・・・・すなわち、
彼ほど普通という概念から逸脱した個性を持つ人間の持つ魔法が、どれだけ強力で予測不可能な危険たり得るかを理解していなかった。
本来一ヶ月は病院で入院させていてもおかしくない彼を、無理矢理退院させて学園までわざわざ能力を調べに来たのも、彼の能力が暴走する可能性を考慮してのことであったのだと、風緑は知るよしも無かった。
驚くほど平らで滑らかな木刀の切断面を見て、風緑は戦慄する・・・・・・一昨日魔法に目覚めたばかりの一般人が「柔らかいゴムの刀」で「かなりの強度を誇る木刀」をスッパリと綺麗に切断してしまった。
「どういうこと!?貴様はまだ『魔力強化』も知らないはずじゃ・・・」
木刀の切断面から目の前の相手に視線を移す・・・しかし、そこにいた人間にはさっきまで会話していた少女の面影などどこにも無かった。
「・・・・・・」
彼女が振り下ろしたゴム刀が道場の床を突き破っていた。摩擦の所為だろうか?焦げたゴムの匂いが辺りに漂う・・・・・しかし、茶髪の少女は床にめり込んだゴム刀を素早く引き抜いて構えようとはせず、不自然な体勢で静止していた。ゆっくりと、うつむいたまま静止していた彼女が顔を上げる・・・
「あなた・・・・・・誰?」
生気の無い、底なし沼を思わせる闇を秘めた瞳が風緑をぼんやりと捉えた。
さっきまで自分と熱く言い争っていた少女の目はあんな生気の無い眼をしていなかったはずだ。風緑には到底理解出来なかったけれど、一人の人間として確固たる力強い意思が感じられたはずだ・・・・・・
しかし、今の彼女は虚空を見つめて眼の焦点が合わず、表情からは感情が欠片も感じられなかった。
奇しくも、本人や鈴城が揶揄したように、今の彼女はまさしく、心の無い人形のようだった。
「一撃・・・入れる・・・それだけ。」
ロボットみたいにそうつぶやくと、彼女が左足を後ろに引いて、再び攻撃態勢に入る。次、同様の攻撃をされたら木刀ではなく風緑の身体が真っ二つにされてしまうだろう。
くっ!!!能力を使うしか・・・
風緑が能力を使用することを決意し、目の前の少女が彼女に飛びかかろうとしたまさにその瞬間・・・・・・黒ずくめの男が降って来て、茶髪の少女の頭を床に叩き付けた。
ドゴッ!!!・・・・・・と頭蓋骨が割れたんじゃないかと思うほどの轟音が響く。
「はあ・・・・・・暴走しやがって。それを予防するためにわざわざここまで足を運んだって言うのに・・・喧嘩ふっかけたのはテメエの方か?危なっかしいことしやがって・・・」
全身黒ずくめの男・・・もとい、戸黒睡蓮は大きくため息をついてから、未だ呆然としている風緑を恨みがましくねめつけた。
「えっと・・・・・・まずその子生きてます?」
さっきまで足をへし折ろうとしていた相手だが、死んで欲しいとまでは思っていない。茶髪の少女の頭蓋骨が割れているか否かが気になってしまった。
「ん?・・・・・・あれ?これどういう状況?」
茶髪の少女が額を床に擦り付けたまま意識を取り戻した。
「意識が戻ったか・・・お前、危険だから無断で魔法使うの禁止な。」
「え?え?え?なに?僕は今なんで戸黒さんに頭を押さえつけられているの?セクハラ?これがセクハラってやつですか?」
「本当で頭を潰してやろうかお前・・・どうみたらこの状況をそう解釈出来るんだ?」
「痛っ!ちょっ痛い!痛いですやめてください!強靱な握力で頭を圧迫しながら床に押しつけないでください!」
風緑は二人の緊張感の無いやり取りにしばらく困惑していたが、新たに剣道場へと足を踏み入れた人物の存在に気付いて姿勢を正した。
「風緑君・・・一体君は何をしていたんだい?」
「校長先生・・・」
ギシギシと床板を踏みしめてこちらに近づいてくる間隠校長が、普段の優しい物腰とは違う、厳しい目つきで風緑を睨む。
「利己的な暴力を他人に振りかざすことが何故駄目なのかなんて、赤ん坊でも理解しているよ?君のような賢い生徒がそんなことを知らないわけが無いだろう?」
間隠の説教は決して激しい口調では無かったが、風緑を猛省させるのに足る、冷ややかな厳格さが感じられた。説教されているわけではない二人も、間隠の静かな怒りに感化されて取っ組み合いをやめ、大人しくなった。
「・・・・・・どうしても、権堂さんの心臓を守りたかったんです。」
しばらく目を伏せて黙っていた風緑は苦しそうに一言、それが他人に暴力を振るって良い理由にはならないことを自覚した上で、そんな言い訳をした。
「そうかい・・・校長室で待っていなさい。事情を詳しく聞きます。」
「・・・・・・はい。」
退学になってもおかしいことをした。それ相応の罰は受けよう。全て覚悟の上でやったことだ・・・・・・風緑はそう心の中で呟きつつ、静かに間隠の横を通り抜けて出口へと向かった。
風緑鶯は礼儀正しく、三人と神棚にそれぞれ一度ずつお辞儀をした後、素直に剣道場を後にした。
「全く・・・会わなきゃいけなくなるとは分かっていたけどまさか今日とは・・・」
鈴城美涼はまたもや、もはやいつも通りと言って良いほどイライラしながら会議室に向かって歩いていた。
例の彼の魔法が新種の魔法だろうとは、あの写真みたいな絵からすぐに推測出来た。絵が上手く描ける魔法を持つ人は確かにいる。
しかし、そのような芸術魔法を持つ人は、全員が例外なく芸術に興味があったとかいう研究結果がある。魔法の内容と性格はどこかしら繋がりがあるらしい。
「あんな変人が芸術に興味あるわけないしね・・・」
新たに発見される「一人目」に変人が多いことは確かなことだし、芸術魔法以外で絵を上手く掛ける能力がオマケでついてくる魔法なんて聞いたことが無かった。彼が「一人目」だと診断されれば、その能力の詳細を関東支部長である私に直接報告する機会があるだろう。そう予測することは出来た。しかし、自分に会いに来るのは数日後だろうと高をくくっていたのだが・・・
「重要な報告がある。午後八時に第一会議室に集合。鬼打千華より」
というメールが午後四時のうちに届き、彼女は絶望した・・・彼に出来れば会いたくないという願いは叶いそうに無かった。鬼打班長のことだ・・・部下の能力を自慢するために呼んだのだろう。
誰が昨日の今日で再会することになるなんて誰が予測出来ようか。
気まずい相手と対面しなければいけない上、鬼打さんの自慢話を聞かなきゃならんのか・・・憂鬱な気分で第一会議室の扉を開ける。
「・・・・・・ん?」
どうせあの赤い子供が椅子にふんぞり返ってニヤニヤしながら待っているのだろうと思っていたが、どうも様子が違った。彼女からいつものオレンジ色とは違う、黒っぽい青のオーラが発せられていた。あの青は・・・退屈を感じている?・・・真面目な仕事に取り組んでいる時以外、どんな時でも自分勝手に動いて楽しそうに笑っている彼女が?
楽しそうにしていない鬼打班長は重大な任務の時以外では見たことが無かった。
彼女の隣に座っている例の彼は鬼打さんよりも強く黒色の感情を纏っているのが鈴城には分かった。黒は不安や恐怖と言った悪感情だ・・・・・・あの変人が?昨日私ともめた時でさえ何も感じていなかったのに?
話しかけられる雰囲気でも無かったので、円形に並べられたテーブルに沿ってグルリと歩き、自分の席に座って会議が始まるのを待つ・・・・・・しばらくすると佐竹課長とその連れの研究課の子達に・・・・・・対策課課長補佐の相模さんが私の後に会議室に入ってきた。
「守塚課長は不在なんですか?」
守塚課長がいないことを疑問に感じて相模さんに聞いてみる。
「課長は・・・・・・食あたりで入院しました。」
「え?・・・本当?」
「本当です・・・プリンにあたったそうです。」
「プリン?・・・プリンって食あたりするもんだっけ?まあいいや。」
うーん?あの守塚課長が食中毒?・・・・・・よく分からないがまあいいや。明日にでも見舞いに行こう。補佐の子もこれ以上聞いて欲しくないみたいだ。苦笑いしてる・・・なんか焦りの色が見えるし。
少し待っていると、冷子も会議室に入ってきた。冷子が呼ばれるってことはやっぱり彼のことについてだろうけど・・・
「・・・・・・守塚以外全員集まったようだな。いつもの会議みてえに形式的な流れはしねえでいいよな?・・・議題はうちの新入りの能力についてだ。」
鬼打班長が会議を始めた・・・やはり彼の能力のことか。
「こいつの魔法を『フューチャー』で調べたが検索で一致するもんがなかった・・・そんでうちの戸黒にその解明をしてもらったんだが・・・こいつの魔法は『道具の能力を極限まで引き出せる』っつー優れものだった。」
「・・・・・・そりゃ凄い。」
佐竹課長がつぶやく。
確かに、見るからに強力な魔法だ。災害級危険事物処理班の戦闘員として申し分なく機能するだろう。パソコン等の情報機器を使えば戦闘以外のサポートも任せられる。道具さえあれば何でも出来るオールラウンダーだ。
鈴城と平原が見た、写真のような絵はおそらく、道具であるシャーペンに能力を使ったことで描き上げた物・・・・・・
だが・・・何故、鬼打班長は浮かない顔をしているんだ?
「これでただ自慢するだけの会議だったらよかったのになぁ・・・・・・あーつまんね。面白くねえ・・・おい、あとはお前が説明しろ。」
「え?えぇ?・・・分かりました。」
鬼打さんが説明を放棄してあさっての方向を向いてしまった・・・・・・件の少女に視線が集まる。
「どこから話しましょうか・・・まず、僕の能力の実験例を話しましょうか。まず野球のバットでボールを打ってみたのですが・・・建物に穴が開いて先輩に怒られました・・・」
「・・・・・・」
「サッカーボールを蹴ったらゴールに穴が開いて先輩に怒られました・・・」
「・・・・・・」
「ゴムの刀で木刀を切断したそうです。床まで切ってしまったので先輩に怒られました・・・」
「おい、待て・・・違う。そうじゃない・・・小学生並みの語彙力でお前が怒られた話を辛辣に語んなくていいんだよ。お前の能力の優秀さは字面だけでここにいる奴らは全員なんとなく理解してるから、その体験談はいらねえ。早く人猿の話に移れ。」
・・・・・・よかった。鬼打さんがいなかったら誰が彼に突っ込みを入れられただろう?おそらくこの会議室にいる全員がそう思った。
・・・ん?人猿に関係のある話なのか?
「分かりました・・・えっと、佐竹さん、平原さん。この体は本庄さんの体に権堂さんの心臓と僕の脳を移植して作られています・・・人猿はどうやってその行為をしたと考えられますか?」
「え?・・・うーん。それが出来る魔法があるかどうかなんて知らないけれど、現代医療でそこまでやるのはかなり厳しい。ていうか不可能。後遺症も拒絶反応も無しに、しかも二日で傷がほとんど繋がるなんて無理よ。」
冷子が医者として彼の意図が分からない質問に答える。
「『モノとモノを合体させる』魔法はあるにはあるんだけどねえ・・・その能力であの猿がここまでの被害を出す脅威になるはずが無いというのが今のところの研究課の見解だよ。しかも・・・」
佐竹課長がなにか言い淀む。
「しかも?」
「・・・平原さんも言っていたけど、傷があるのよ・・・『治った傷』が。回復してほとんど跡なんて残っていないんだけれど、まるで『外科手術をした』みたいな手術痕があなたにはあるのよねえ・・・本当に謎。」
佐竹課長が大きく肩をすくめる。研究課からの人猿の報告書が連日、鈴城のもとに届くが、その全てにおいて、魔法の内容を書き込む欄だけが「不明」と書かれていた。どんな仮説を立てても矛盾してしまうらしいのだ。おかげで新年も近いのに研究課は奴の能力解明のために働き詰めらしい・・・・・・私もだけど。
「では・・・人猿は出来るはずはないけれど、外科手術でこの体を作った・・・そう考えるのが妥当だとお考えになっているんですね?」
「そうなるねえ・・・」
「うーん・・・まあ、そうなるね。」
私は気づいた。佐竹課長と冷子の意見を聞いて、少女の黒い感情がさらに大きくなっていることに・・・
私にも聞こえるぐらい強く歯ぎしりをし、血が出るんじゃないかってほど強く拳を握りしめている・・・・・・そして、とんでもないことを口にした。
「では・・・『僕と同じ能力』をあの化け物が持っているとしたらその疑問は払拭されますか?」
「・・・・・・は?」
佐竹課長だけじゃない・・・彼の話を聞いていた誰もがギョッとして目を大きく開いた。
「もし人猿が『道具の能力を極限まで引き出せる』能力を現代の医療道具に使った場合・・・この不可能な移植手術は成功しますか?」
「・・・・・・」
「僕が発見された手術室には、メスも鉗子もペアンも・・・僕が知らない医療器具が満載でした。手術に使う薬品も、探せば何処かにあったはずです。」
「・・・・・・」
「それらを完璧に・・・極限まで能力を引き上げて使うことが出来れば・・・・・・僕達の想像を超える、人体改造を行うことは可能ですか?」
冷子も佐竹課長も・・・会議の出席者は全員、その胸くそ悪い仮定に絶句した。
「それが可能であるならば・・・・・・機械と人間との合体も、三人の人間の臓器を入れ替えることも、可能だと言えてしまうのではないですか?」
「いやいやいや、ちょっと待って!その証拠はどこにあるの?辻褄は合っているかもしれないけれど、そう考えた根拠はどこにあるの?」
私は椅子から思わず立ち上がり、叫ぶようにして反論する。監房内での話もそうだった。彼の話はどこにも確実性が無い。ただ理に敵っているだけ。それ以上に正しい案が出ていないだけ。こんな気味の悪い仮定に私は納得出来ない。
「これなら説明がつくんですよ・・・残りの三分の一・・・あの猿がなぜ僕の脳みそを使ったのか。」
自分の頭を右の人差し指で示して彼は続ける。
「あの猿は、僕を見つけて喜んでいました。飛び跳ね、笑い、ガッツポーズをして・・・・・・」
彼がその時の光景を思い出したのか、苦々しげに言葉に詰まる。
「・・・・・・『共鳴』という現象が、魔法使いには起こるそうですね・・・自分と同じ魔法を持っている、または魔法の才能さえ目覚めれば同じ魔法を使える生物に巡り会うと、軽く耳鳴りがしたり脳が揺れるような感覚に襲われたりする・・・・・・鬼打さんに聞きました。」
「・・・・・・」
「あの猿がもし、ただ『人間の強さを観察したい』だけではなく、『人間の強さと自分の能力が組み合わさった姿を見てみたい』と考えていたならば・・・・・・説明がつくと思いませんか?」
監房の時と同じだ。誰も彼の残酷な思考に反論を返せない。
「僕は奴と同じ能力を持ち得る個性が備わった人間だった・・・僕と奴は似ていた・・・だからこの体の頭に使われた・・・この身体の主体として選ばれた。」
私には彼が黒い感情に包まれて見えなくなってしまった。
「僕は『一人目』じゃ無かったんです・・・『二人目』だったんですよ・・・・・・皮肉な話でしょう?」
彼が最後に、何かを諦めたような笑顔を見せた気がした。
第七話終
やっと主人公の能力が書けたので題名とあらすじを少し変えました。七話目でやっと能力が判明するってなんなんだ・・・