28話「論外」
カイヤナイト家の御子息と顔を合わせる日が来た。
彼は昼頃にこちらへ来るらしく、私は午前から身支度を開始するはめになってしまった。結婚する気もない相手と顔を合わせるために、こんなにも長い時間をかけて用意しなくてはならないのだから、段々虚しくなってくる。
だが、仕方のないことだ。
強制的に結婚させられるのに比べれば、用意で時間を使う方がずっとまし。
そして昼頃。
カイヤナイト家の御子息は、予定通りやって来た。
「やぁ、君がリリエラかい?」
彼は会うなり私を呼び捨てにしてきた。それも、当たり前のように。なんて失礼な男だろう。
「はい。そうですが」
「僕のことはもう知っていると思うけど、一応名乗らせてもらうよ。僕はナル・カイヤナイト。これからよろしく」
高い鼻に落ち窪んだ目もと、そして、くっきりと見える濃いめの眉。彼はとにかく、はっきりした顔立ちだった。顔は全体的に男性的な雰囲気で、不細工ではない。けれど、美しいというほどでもない。そんな、中途半端な顔立ちである。
また、服装も高級感がある。
汚れの一つもない純白のシャツに、ビーズで飾られている漆黒のジャケット。黒と白のコントラストが華やかだ。
ただ、少々派手な気がしないでもない。
それも本人の個性の一部なのだから、悪いと批判する気はないが、私の好みとは一致しないのである。
「ナルさんと仰るのですね」
「そうだよ、リリエラ。さぁ、僕の妻となってくれるね?」
一体何を言っているのか、この人は。
「いえ。それはできません」
この時ばかりは、躊躇わずはっきり述べることができた。
出会うなり「妻となってくれるね?」などと言ってくるような人の妻になるのは、絶対に嫌。今の発言がなくても結婚へ向かう気はなかったけれど、今の発言によってなおさら結婚なんて嫌になった。
もはや、不快感しかない。
「……ん? 何だって?」
「妻になる気はない、と、そう言いました」
するとナルは、突然大きく目を開き、叫ぶ。
「何だとぉーっ!?」
大きく開かれているのは目だけではない。口も、口角が裂けそうなくらいに、大きく開けられている。さらに、鼻の穴さえ膨らんでいるほどだ。
いきなり「妻となってくれるね?」などと言って、私が思い通りになると、本気で思っていたのだろうか?
だとしたら、言葉は悪いが『馬鹿』だ。
初対面で結婚なんて、そんなこと、あり得るわけがない。
「この僕が結婚して差し上げようと言っているのに、それを断るのかーっ!?」
「はい。お断りします」
ナルはかなり動揺しているようで、体中を震わせている。
けれど、そんなことは関係ない。
「元より私は貴方と結婚する気はありません」
「ならなぜ顔を合わせたっ!?」
両手を鳥のようにぱたぱたと上下させながら、発するナル。
「父が勝手に約束してしまっていたそうで。今さら断れないと言われ、仕方なくお会いすることにしました」
相手として見る気がないのに顔を合わせることになってしまったことは、少し、申し訳なく思う。
本当は、会わないでいられたら、一番良かったのに。
「ですから、これで失礼します」
「なぁにーっ!?」
ナルは、大地が揺れるほどに叫ぶ。
「もう用はありませんよね」
「そ、それはそうかもしれないが……なぜ美男子のこの僕を拒む……」
「わざわざ来ていただいたのにこのような形になってしまい、失礼しました」
「美男子なのだぞ……余所では人気者なのだぞ……」
知ったことか。
私はナルには興味がない、ただそれだけだ。
「では、失礼します」
そう言って、私はすみやかに部屋を出る。
そして、自室へ帰った。
もっと気の利いた接し方をできれば良かったのだろう。だが、自分をかっこいいと思い込み求婚してくるような人に対しても親切にするほどの余裕は、私にはない。だから、接し方が素っ気なくなってしまったのは、必然。どう頑張っても、変えられなかった部分だ。
自室に戻ってから、私はアナに愚痴をこぼす。
「嫌な感じの人! かっこいいと思い込んで!」
らしくなく文句を発してしまい止まらない私を、アナは不安げに見つめてくる。
「大丈夫ですか? リリエラ様」
「……あ、はい。愚痴っぽくなってしまって、ごめんなさい」
「あっ。いえ! そこは気になさらないで下さい!」
アナの優しさと可愛らしさに癒やされる。それはいつものことだが、今は特に、そのありがたさを強く感じている。
それは多分、ナルの不快な言動を目にした後だからだろう。
不潔なものを見た後に清潔感のあるものを目にすれば、後者がなおさら綺麗に見える——それの良い例と言えるかもしれない。
「やはり、あまり良い感じではありませんでしたか?」
「はい。あれは論外です」
「そうですか……リリエラ様がそこまで仰るなんて、かなり酷そうですね」
本当に。あれは酷かった。
比較的短時間で別れることができたからまだ良かったけれど。
彼との交流が長時間続いたら、と想像すると、「恐ろしい」としか言い様がない。