11話「暫し別れ」
朝食を食べ。また蜘蛛話を聞かされ。そしていよいよ、屋敷から去る時間が来た。私は荷物をまとめ、屋敷の外へ向かう。
午後になってまもないため、まだ外は明るい。青空は果てしなく、壮大で、晴れやかだ。
「少しは楽しんでいただくたかな? お嬢さん」
見送りに来てくれたのはボク。狸に似た彼は、今日も変わらず、穏やかな笑みを浮かべている。その顔を眺めているだけで、何だかほのぼのしてくる。
「はい」
「なら良かった。もし良ければ、またパトリーと仲良くしてやってほしいのだけど、構わないかな?」
断る理由はない。
「はい。機会があれば、また」
「ありがとう。感謝するよ」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
ボクと向かい合い、お辞儀を繰り返す。そのうちに帰る準備ができたらしく、迎えの者がやって来た。そして「お待たせしました」と声をかけてくる。
少し寂しいが、別れの時間だ。
私は、最後に一度ボクに向かって頭を下げ、それから迎えの者とともに歩き出す。
——その時。
「リリエラ!」
誰かが私の名を呼んだ。
驚き、振り返る。
視界に入ったのは、玄関から走って出てきているパトリー。
「パトリー!?」
「待て! もう行くのか!」
私は足を止める。
大人げなく駆け寄ってくるパトリー。
「少しだけ、待て」
「あの……何でしょうか」
帰る準備はもう済んでいる。家まで送ってくれる人たちを、あまり待たせるわけにはいかない。彼らとて善意だけで働いてくれているわけではないのだから、待たされたりしたら嫌だろう。そんなことは、迷惑でしかないはずだ。
「次はいつここへ来るんだ」
「へっ……? つ、次ですか?」
いきなりの問いに戸惑う。
「そうだ。それだけ答えろ」
そんなことを言われても。
次なんて、ちっとも考えていなかった。いや、まず、考えるという発想がなかったのだ。もちろん、もう二度と来たくないと思っているわけではないけれど。
だから、即座には答えられなくて。
「えっと、その……まだ考えていません」
咄嗟の思いつきで答えられるような内容ではないため、本当のことを言う外なかった。
直後、パトリーはその大きな両手で私の両肩を強く掴んだ。
「もう来る気はないということか」
私たちは今、二人きりではない。ここには、ボクや他の人たちもいる。そんな中であっても、パトリーは一切躊躇うことなく私に触れる。彼には恥じらいなんてものはないのだろう。それはある意味強みかもしれない。
ただ、私は恥ずかしい。
異性慣れしていない私にとっては、肩を掴まれるということだけでも動揺せずにはいられないのだ。
「え……あ……」
「どうなんだ。はっきり答えろ」
「わ、分かりません!」
言われた通り、はっきり答えた。
……もっとも、はっきりしているのは声だけだが。
「それはどういう意味だ」
「どういう意味も何も、まだ考えていなかったんです」
私が発してから数秒は、パトリーはそのままの体勢だった。しかし、十秒経ったかどうかという頃になって、彼はようやく肩から手を離してくれた。
「そうか」
パトリーは急に静かな声になる。
「もう二度と来たくないというわけではないのだな」
「はい。それはもちろん」
私は今度こそ、本当に、はっきりと答えることができた。
二度と来たくない、とは、微塵も思っていないから。
「また遊びに来ます」
「約束だ。次は二人で、蜘蛛の餌やりを楽しもう」
蜘蛛の餌やりはあまりやりたくない。
「それでは失礼します」
「あぁ、またな」
こうして私たちは別れた。
パトリーは独特の雰囲気の持ち主だ。それゆえ、彼のすべてを理解するというのは、容易いことではないだろう。だが、だからといって絶対に分かり合えないということはないはずだ。
少しずつでも親しくなれればいいな。
そんな風に思いつつ、私はヘリオドール家の屋敷を後にするのだった。




