第七章 「鉄格子の背徳」
凍て付く寒さは時間と共に激しさを増した。外の気温は既に氷点下まで下がっている。防寒服でも纏っていない限り、この寒さは凌げない。まさか自分の息子がこの寒さの中、何の完備もされていないバラックに居るとは夢にも思っていないカロンは、娘のマレイと共に、外部の寒さとは遮断された場所で息を潜めていた。
鉄格子の向こう側にある柱時計は二十二時を示している。ジェノヴァにいた頃、この時間は家族でテレビを見たり、お茶を飲みながら談笑している時間だ。その日一日の出来事を話したり、仕事や学校の話などで盛り上がる家族の時間だった。
それが今では鉄格子の中である。自分たちは何一つ悪い事などしていないと言うのに。着ている服を剥ぎ取られなかった事、そして栄養のある食事を出された事が唯一の救いだった。
他の囚人たちと同じように扱われるものだとカロンは思っていたが、その見解は見事に外れた。配給された食事は栄養のバランスが考えられたもので、見栄えも悪くなかった。味もそれなりに手が加えられており、とても収容所で配給される食事とは思えなかった。
だが、出された食事を全て平らげる人間は誰一人いなかった。どうしてもこの二階へ来る前、1階で射殺された人々の映像が蘇ってしまうのだ。あれはテレビや映画ではなく、現実世界の出来事だ。自分たちの目の前で、人々が銃弾の嵐に倒れ、惨たらしい死を遂げた。どう言った理由でカロンたちが選ばれたのか分らないが、分らないだけに自分たちがあのような姿になっていた可能性もあるのだ。そう思うと生きた心地がしなかった。それと同時に床に流れた夥しい血が脳裏に蘇る。あんな光景を目の当たりにしておいて、食事など取れるはずも無かった。
「お母さん」
「なに?」
「これからどうなるの?お父さんは?ヴォルガは?」
「・・・・・」
マレイの質問にカロンは答えられなかった。ヴォルガもヒューゴも必ず生きている。カロンはそう信じて止まないが、実の所、二人が今何処にいるのか、見当さえつかなかった。そして自分たちがどうなるか・・・。それはカロンには分っている。分っているがそれをマレイに説明する事が出来なかった。何をどうしようと、もはや回避できる場所も無ければ時間も無い。カロン自身が「その」標的になることは構わないが、娘のマレイだけは何が何でも守りたい。だがしかし、この絶望的な状況で希望の活路を見出す事はどうあがいても不可能である。
しばらくすると、鉄格子の向かいにある扉が開き、数名のドイツ人たちがぞくぞくと部屋に入ってきた。身形恰好から察するに、このアウシュヴィッツの幹部。そしてSSの中でも特に上位に立っている、いわゆる「お偉方」たちだ。皆一様に不敵な笑みを浮かべ、口元が緩んでいる。部屋に入ってくるなり、鉄格子の中にいる女たちを、全身舐め回すように見定め、何かを言い合ったり笑ったりしている。その目には明らかに卑猥な色によって支配されている。女を女として見ているのではなく、弄ぶのに最適かどうかの陵辱的な眼差しだった。
カロンたちは全員部屋の隅に蹲り、出来るだけ幹部たちに見えないように身体を小さくした。
「どうですか?今回のオモチャはどれも上質ですよぉ」
自分たちを鉄格子の中に閉じ込めたデブ幹部がカロンたちを眺めながら他の幹部たちへ言った。
「へへ、なかなか上物が揃ってるな。ユダヤでも良い女がいるんだな」
「身体だけ良い女・・・が抜けてるぜ」
「おっと、そうだったな」
何とも屈辱的な言葉だった。男たちは大笑いをしながら相変わらず品定めをしている。
部屋にはぞくぞくと男たちが入ってきた。その数十五人。今日一日の仕事を終え、就寝前のお楽しみに手を付ける前の、荒くれた男たちの欲望が表情に浮かんでいる。中には既に股間に手を持て行っている男もいた。
「さて、そろそろ始めようか」
一人の男がそう言うと、鉄格子の鍵を開け、中に入って来た。
「お母さん・・・・」
「マレイ・・・」
もはやどうすることも出来ない。逃げ場などないのだ。例え狂ったように逃げ出したとしても、すぐに捕まり射殺されるだろう。どれだけの屈辱を受けたとしても、死んでしまっては元も子もない。生きていれば必ず希望はあるはずだ。ヒューゴとヴォルガに会うためにも、ここはどうにかして耐えなければならない。
カロンは自分にそう言い聞かせた。だがそれはあくまでカロンだけであってマレイはまた別である。自分の腹を痛めて産んだ愛娘が、何処の馬の骨とも分らぬ獣たちに好き勝手されるのだけは到底耐えられない。
カロンは出来るだけマレイを庇うように自らの身体を前へ差し出した。
だが、そんな些細な努力は、絶対的な絶望を前に脆くも崩れ去った。
「お前が良いな」
鉄格子の中に入って来た男は、マレイの腕を掴んだのである。
「いや・・・いやだ・・・やだよ・・・お母さん・・・」
「止めて!この子にだけは手を出さないで」
カロンは男に掴みかかった。
「ほう、お前この女の親か。そうかいそうかい、おい!聞いたかお前ら!親子だってよ」
「泣かせるねぇ。親子で入ってくるとは」
「こりゃ最高のショウになるぜ」
「ヘヘヘヘ」
ドイツ兵たちはまたもや不敵な笑みを浮かべながら言った。
「お願い、この子だけは止めて。やるなら私にして。何でもするから!」
「ヘヘヘ、何でもか?」
「ええ、何でもするわ。だからこの子にだけは手を出さないで」
「何でもするか・・・そうかい。じゃあお前はここで娘が犯されるのを見てるんだな!」
男はそう言うとマレイを強引に立たせた。
「いやあああっ!離して!やめてぇ!」
マレイは男によって引きずられ、鉄格子の入り口へと引っ張られていく。
「止めて!娘に手を出さないでって言ったでしょ!」
カロンが男に掴み掛かった。
「今さっき言ったじゃねぇか、何でもするって。だからお前は娘が犯されるのを見てろと言ったんだ!どけっ!」
「きゃああっ!マレイ!マレイ!」
「お母さん!・・・やだ!助けて!」
マレイは既に鉄格子を出され、男たちの手の中へと落とされている。獲物を見つけた男どもは上着を脱ぎ、上半身裸となりマレイに掴み掛かって行った。
「止めて!お願い!お願いよ!」
男が鉄格子を出ると、それを追いかけるようにカロンが駆け寄る。だが、寸でのところで扉は閉じられ、カロンは鉄格子を握りながら叫んだ。その間にもマレイの衣服は完全に剥ぎ取られ、全裸となっている。
「最高のショウだろ?お母さんよ。じっくり可愛がってやるからそこで見てろ」
「うう・・・この悪魔どもが!人でなし!殺しやる、殺してやるぅ!」
とうとうカロンは発狂した。もはや理性など無かった。ただただ憎かった。子を守ろうとする母親の母性が憎しみによってカロンを鬼に変えた。カロンは凄まじい力で鉄格子を揺さぶり、髪の毛を振り乱しながら叫んだ。鉄格子を歪ませ、外に出ようとするが、そこは所詮女。女一人の力ではどうにもならなかった。
この鉄格子の意味を示唆するものはまさにこの状況だった。向かい側が見える事によって、与える精神的ダメージを増加させているのだ。次は自分かも知れないと言う恐怖が増し、捕らわれている人間さえも狂わす。攻撃の無い拷問のような状況。その恐怖と痛みは、親子であれば尚更威力に拍車が掛かる。
「いやああああああっ!」
一際大きなマレイの断末魔が轟く。
「マレイ!マレイ!」
もはやカロンの目にマレイは確認できなかった。何故なら男たちが全裸となったマレイを取り囲み、四方八方から汚しているからだった。カロンの目に映ったのは開かれたマレイの両足の間で腰を振る男の姿と、ここからでは見えないマレイの身体に、無理矢理陰部を押し付けている男の姿だけだった。
「いやあああっ!ああああっ!止めてぇ!」
カロンは鉄格子の中で狂ったように髪の毛を掻き毟り、頭を振りながら叫んだ。
カロンがどれだけ叫ぼうと、返ってくるのは愛娘の呻き声だけだった・・・・。