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第四章 「女から奴隷へ」

「着いたぞ、全員速やかに降りろ」

 軍用車両でアウシュヴィッツ強制収容所の入り口まで辿り着いたカロンとマレイは、言われるがままに車を降りた。途端に凍えるような冷気が身体に突き刺さった。

 駅で息子のヴォルガ、そして夫のヒューゴと別れたカロンは、自分と一緒のグループになった娘のマレイと、他四名ほどの女性ユダヤ人と共にこの場所に辿り着いた。車の中の適温が嘘のように、冷たい現実が目の前に広がっていた。

 これが噂に名高いアウシュヴィッツ強制収容所。カロンは入り口に掲げられたARBEIT MACHT EFREIのアーチを見ながら思った。時間的な問題を視野に入れると、既にヴォルガとヒューゴは施設内に居るはずである。その事実がこの辛い現実を多少なりとも緩和してくれたが、集められたグループの人間が全員非力な女性たちである事を思うと、そんな緩和も見事に崩れ去る思いだった。

「施設内へと移動する、列を乱さず歩け」

 SSの言葉が合図になり、一同は施設内へと向かって歩き始めた。

 他の女性たちは皆一様に虚ろな表情を浮かべ、下を見ながら歩いている。その顔には恐怖と不安が一面に広がっていた。まるで世界中の不幸を一人で背負っているような憔悴感さえ感じられる。最も、それはカロンもマレイも同じであるが、この先どうなるのだろうと言う不安が、女をここまで老けさせるものなのかと、カロンは改めて実感した。やはり物理的な幸福ではなく、精神的なゆとりが真の幸福を運んで来るものなのだ。女に取って不安の二文字は老化と同じを持っている。今鏡を見たら酷い顔をしているに違いない。カロンは自分の顔を擦りながらそう思った。

 アーチを潜り施設内に入ると、その情景は一気に変化した。赤レンガで造られた建物が連なり、人を寄せ付けない異様な雰囲気を醸し出している。そして何より嫌気が刺したのが囚人たちの視線だった。

 施設の外で仕事をしている囚人たちや、一時の休息を楽しんでいる囚人たちの視線が女であるカロンたちに注がれたのだ。まるで変わった生き物を見るような眼差し。いや、そうではない。長い時間女の身体に飢えた獣のような卑猥の如き視線がカロンたちに纏わり着いた。こんな連中と同じ場所に夫と息子がいると思うと、それだけで吐き気が込み上げてきた。彼らは女としてカロンたちを見ているわけではない。性欲の捌け口として見ているであろう事は火を見るより明らかだった。通り過ぎて行くカロンたちを、今にも襲いかかろうとせんばかりの眼差しで囚人たちが見ている。カロンはせめて娘のマレイだけでもそんな眼差しから守ろうと、マレイの身体が囚人たちの視界から隠れるように歩く位置を変えながら歩いた。

 しばらく歩くと、今までのような赤レンガの施設は無くなり、割としっかりした造りの建物が視界に映り始めた。建物の設備から察するに、おそらく収容所を管理している人間が生活する施設だろう。赤レンガの施設とは違い、明らかに造りが丈夫で、ささやかな高級感さえ感じられた。

 だがそんな建物が目に映ると、カロンの中で一つの疑問が浮かんだ。ヒトラー率いるナチスドイツはユダヤ人迫害を目的としている。それは性別に関係なく、全てのユダヤ人に対し言える事だ。それが男だろうと女だろうと関係ない。そうならば何故自分たちはユダヤ人が収容されている赤レンガの施設ではなく、収容所の管理役たちが生活する場所へ移動させられるのだろうか。他にもユダヤ系の女たちは山のようにいるはずである。男女別の場所に収容されるにしても、カロンたちが連れて来られたこの施設に、女のユダヤ人が全員収容出来るとは思えない。そう思うほどこの建物は小さな造りで出来ていた。

「ここだ、中に入れ」

 SSが建物の前で身体を反転させ、入り口のドアを開いた。建物の表面には二十九ブロックと書かれている。

カロンたちは恐る恐る中へと入って行く。

「ああ・・・あああ・・うう・・ああ・・」

「ヘヘヘ、最高の気分だろう」

 中へ入った瞬間、女の喘ぎ声が響いた。喘ぎ声は別の場所からも聞こえ、どうやら複数の部屋に人間が居るようだった。

 カロンは部屋に入り、女の喘ぎ声を聞いた瞬間、自分たちを待ち構える運命を悟った。その運命はある意味では死よりも残酷で酷い運命だ。女だからこその卑劣な運命であるのと同時に、女だからこそ耐えられない運命である。

「お母さん・・・・」

 マレイが不安げな表情で言った。

「大丈夫。貴方は私が守って見せるわ」

 母親の言葉にいくらか安心したのか、マレイはカロンに近づき、その手を握った。

「やあやあ、ようこそ」

 部屋の奥から丸々太ったドイツ軍の幹部が数名現れた。

 幹部たちが現れると、それまで行動を共にしていたSSが敬礼をし、部屋を後にした。

「二十九ブロックへようこそ。君たちは選ばれた優秀な肉体を持つ精鋭たちだ。その事を誇りに思って良いぞ」

「ククククク・・・・」

「フフフ・・・」

 太った幹部がそう言うと、他の幹部たちがカロンたちの身体を舐めるように見ながら、嫌な含み笑いをこぼした。

「ちなみにここは二十九ブロックと呼ばれているが、別名奴隷棟とも言う。おっと、性奴隷棟の間違いだったかな」

 醜いだけの太った幹部がわざと間違えるように言う。

「ですが予定外に人数が多いですね。さすがに六人も必要ないんですよ。そうですね、それじゃあ貴方と貴方、それにそっちの貴方たち」

 デブ幹部の指名にカロンとマレイが含まれ、その他に二名ほどが選ばれた。

「私の後に着いて来てください。貴方たちの寝床へ案内します」

 従うしかなかった。何故なら他の幹部たちは全員銃を持っており、終始その銃口をカロンたちに向けていたのだ。

 カロンとマレイは寄添うようにデブ幹部の後に続いた。

「私たちはどうなるのよ」

「用が無いなら家に帰して」

 デブ幹部は二階へと続く階段へ足を踏み出している。カロンたちの後ろでは残った二名の女たちが必死で帰る事を案願している。

 そしてカロンたちが階段に足を掛けたとき、自分たちの真後ろでけたたましい音を響かせながらマシンガンが火を噴いた。

「ぎゃあああっ!」

「いやああっ!」

 予想外の出来事にカロンとマレイは体制を低くし、頭を押さえた。だが銃声は自分たちに向けられたものではない事はすぐに分った。

「きゃああああっ!」

「あああ・・・な、なんて事を・・・」

 そこは地獄絵図だった。

 選別から除外された二名の女たちが、幹部たちの手によって射殺されたのである。床は瞬く間に赤く染まり、銃弾によって空けられた穴から夥しいほどの鮮血が噴出す。頭を射抜かれた女の後頭部は後ろへと吹き飛び、脳味噌が壁に飛び散っていた。

「あああ・・・あああああ・・・」

「お母さん・・・お母さん・・・」

 カロンたちの口から言葉にならない嗚咽が漏れた。マレイは目の前の地獄から目を背けるために、カロンにしがみ付いている。

「惨い・・・惨すぎる・・・」

「惨い?そうですかね?全然惨いとは思いませんけど」

 前を歩いていたデブ幹部がカロンに言った。

「人を殺しておいて良くそんな事が言えるわね!こんな酷いやり方・・・・人間じゃないわ!」

 カロンが叫んだ。

 するとデブ幹部はカロンの顎をクイッと上に上げ

「そもそも貴方がユダヤ人だからいけないんです。いずれ貴方もああいう姿になるんです。速いか遅いかの違いですよ」

 と言い放った。カロンは汚らわしい手を払い除けるように頭を振った。そして鋭い眼光で睨み付ける。

「気の強い女ですね。まあ嫌いじゃないですよ。そういう性格の方が楽しみが増えると言うものです。さあ、死にたくなかったら着いて来てください」

 そう言うとデブ幹部は再び二階へ向かって歩き始めた。

 二階は仕切りの無い大広間になっていた。部屋は綺麗に整頓され、生活が出来るだけの物が揃っている。だが部屋の右側には、まるで動物園の折を思わせる鉄格子の部屋があり、そこには数枚のマットレスが置かれている。拘置所のような場所が部屋の一角に存在した。

「ここが貴方たちの新しい住居です。食事は一日三食ちゃんと出ます。部屋の温度も常に一定に保たれてます。最高の設備でしょう?貴方たちは選ばれた優秀な囚人たちです。本来ならこれだけの贅沢は許されないのです」

 デブ幹部はいかにも何か言いたげな表情を浮かべている。

「ここまで言えばもうお分かりですね?これだけの贅沢をするその見返りは、貴方たちの身体で払っていただきます」

 カロンたちは拘置所のような折の中に閉じ込められ、そしてガチャンという音と共に厳重な鍵が締められた。

「この人でなし!悪魔!」

 カロンが鉄格子を握りながら鬼の形相でそう言った。

「アハハハ、好きなだけ吠えてください。夜になるとこの部屋にはSSたちが押し寄せます。一人一回では済まないので、今のうちに身体を休めて置いてくださいね。それじゃ、夜が楽しみですよ」

 デブ幹部は不敵な笑みを浮かべ部屋を出て行った。

「お母さん、私嫌だよ」

「母さんもよ。冗談じゃないわ」

「どうするの?私たちどうなっちゃうの?」

「・・・・・」

 カロンの顔から余裕が消えた。

 刻一刻と夜は迫っている・・・・・。


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