第一章 掻き消された人種
ガタン、ガタンと一定のリズムで車内が揺れる。自分たちの席の真上に作られた天袋には、本来の収容人数以上の荷物が無理矢理押し込められ、電車がカーブを曲がるたびに落ちそうになる。それを座る場所を失った人々が落ちないように更に無理矢理押し込める。一部分が押し込まれると、すし詰めになった荷台はギシギシと音を立て、道からあぶれた車のように一部分がまた落ちそうになる。
窓際に座ったヴォルガ・クルーパスの目には、流れるように過ぎ去る外の景色が飛び込む。そんな景色を見ながら「もう二度と戻れない」と言う悲しい運命を感じていた。
車内は異様なほど静まり返っていた。隣に座るヴォルガの父ヒューゴも、終始強張った表情で前方を見つめている。向かい側の席に座った母カロンと、その隣に座っている姉のマレイも、同じように強制的に連行された事実を受け入れられない様子だった。
この列車の最大収容人数は百八十人。最大数値に達するだけでも朝のラッシュ状態になるのだが、現在はその数字を遥かに超える二百五十人がこの列車に乗っていた。当然の事ながら席は満席。両側の席の中央にある通路には手すりに捕まった人々が窮屈そうに立っている。ドア付近はごった返し状態になっており、小さく丸くなって座っている人々の姿もあった。
人間と言うのは同じ体制で長時間過ごせる身体をしていない。寝ているときに寝返りを打つように、一定の時間と共に体制を変える必要がある。だが、その行為はこの車内では許されなかった。何故なら足を組み替える事さえ出来ないほど人で埋め尽くされているのだ。事実、クルーパス一家の足元にも二人の人間が蹲っており、ヴォルガたちは勿論、彼ら二人も身動きが取れないのだ。そんな状態がもう3日間も続いていた。
この列車に乗っているのはユダヤ人の血を引く人々。それ以外の人間は誰一人として乗っていない。ヴォルガたちはユダヤ系イタリア人だが、他にもポーランド経由の人々や、フランス、イギリスなど各国からユダヤの血を引く人々が集められ、列車に乗せられている。皆一様に黙っていたのは、列車の最前列で銃を持っているドイツ軍の存在があったからでもあるが、恐怖を感じている理由はもう一つあった。
それは自分たちがアウシュッヴィッツ強制収容所に向かっていると言う事実を知っているからだった。
1933年3月23日、時期首領と囁かれていたドイツのアドルフ・ヒトラーは、議会から立法権を取り上げ、独裁体制を確立させた。そして「人種法」と言うユダヤ人大量規制を目的とした国家が整って以来、各国でユダヤの血を引く人間たちが相次いでドイツ軍に連行され、強制収容所に連れて行かれるという歴史的惨劇が起こり始めた。その背景にはヒトラー率いるドイツの新国家ナチスドイツが存在しており、ほとんどヒトラー一人の独壇場とも呼べる独裁政治が幕を開けた。
ナチスドイツは別名、国民社会主義ドイツ労働者党とも呼ばれ、第一次世界大戦後の疲弊したドイツに生まれた政党だ。ヴァイマール共和国時代には領土の削減、莫大な賠償金、軍備の制限など、占領軍である駐留等のドイツ人の誇りを深く傷つけるヴェルサイユ条約に対し、大きな不満が国中に広がっていた。そんな中でナチ党は、条約の条件を激しく攻撃して、幅広い段階と年齢層から圧倒的な支持を受けた。
ドイツに莫大な賠償金やその他の条件が叩き付けられた事で、ドイツ国民は酷く狼狽し、また激怒した。そんな中でナチスドイツの中心人物だったヒトラーはその条約に真正面から「待った」を掛けたのだ。自分たちにとって不利な条件を叩きつけられ、それを破壊しようとするヒトラーの存在は、ドイツ国民から絶大な信頼と支持を受け、ヒトラーの支持率はドイツ国内で約49.8パーセントまでに登った。この数値はドイツ国民のおよそ8割を示す数字であり、ほとんどのドイツ人がヒトラーを支持していたという事になる。
その後ヒトラーは社会革命、ドイツ民族の優越性を演説と言う絶大な才能を発揮し、自信を無くしつつあった大衆に、反ユダヤ主義を提示した。ヒトラーはその独裁政治の根源となったアーリア人の優秀さを協調。人種、社会、文化的清浄を求めて、社会の全ての面に置いて政治的支配を行なった。他の国が独裁体制を拒絶し、確固たる意思の元でヒトラーを非難しても、彼の意思を揺るがすには至らなかった。また抽象美術、および前衛芸術は博物館から締め出されると言う退廃芸術の規約まで設立したのだ。退廃芸術とは、ナチスが近代美術を道徳的・人種的に堕落したもので、ドイツの社会や民族感情を著しく害し、党や国家の指導方針に反するものであると断言し、全て排除すると言う規約である。
そしてナチスはヒトラーの思想を全面的に正義と信じ、政敵のドイツ人やユダヤ人、更にはロマのような少数民族からエホバ証人、および同性愛者や障害者たちの価値観と思考を汚れたものと見なし、次々に迫害へと追い詰めたのである。
1933年に成立した「断種法」の下、ナチスは精神病やアルコール中毒者などを、遺伝子的な欠陥を持った人種と決め付け、四十万人以上の患者を強制的に処分した。
更に1940年に入ると、T4安楽死プログラムによって何千万人もの障害を持つ人間たちが殺害された。
T4安楽死プログラムとは、ナチスドイツにおいて優生学思想に基づいて行なわれた世界で初めての安楽死政策を示している。後の「安楽死」「尊厳死」と言う言葉は世界中で聴かれるようになるが、その先駆者がナチスドイツであり、ヒトラーでもあるのだ。その後に発表されたヒトラーの声明文では、このプログラムに対し、次のような発言が提示された。
「ドイツの支配者民族として、清浄を維持する」
この声明文は後のナチスドイツの宣伝文句としても使われるようになる。
このプログラムによって述べ二十万人以上の人間が犠牲となった。当然の事ながら犠牲者に了解をとったプログラムではなく、あくまで独裁政治に乗っ取った、いわば強制的な安楽死だった。有害と見なされた人間は全て抹殺する。その思考が後のホロコーストに結び付いたと言えよう。
その後もヒトラーの暗躍は続き、国家唯一の武装組織である国防軍の反乱、あるいは国内の騒動から自身の身を守るため、武装親衛隊と言う武装集団を設立。各地域から選りすぐりの精鋭部隊を集結させた。そこにいた全ての人間はヒトラーを神と崇拝し、命令には絶対服従というある種の洗脳された人間たちで構成されていた。この部隊は国防軍でもなく、警察でもない、ナチスの組織からなるヒトラー専用の部隊となった。
更にヒトラーはユダヤ人を収容する強制収容所の監視役として親衛隊と言う小部隊を結成した。彼らは一般的にSS、あるいは髑髏部隊とも呼ばれ、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ各地の占領地の治安維持、ユダヤ人迫害、そして戦争拡大の強力な道具となった。その部隊の全てにナチスドイツのシンボルマークであるハーケンクロイツの旗が掲げられ、ドイツ国内はナチスドイツ一色となった。
ハーケンクロイツはナチスとイタリアのファシズムのシンボルと称され、ナチ党は1920年に正式にハーケンクロイツを軍事シンボルと認定した。このシンボルマークには列記とした意味が存在しており、特にハーケンクロイツの色に重要な意味が込められている。デザインは黒・白・赤の三色で、赤は社会的理念。白は国家主義理念。そして黒に独裁政治の意味を込めた。ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を表しているとしたのだ。
そしてヒトラーは自らの支配力と統率力を強めるため、三名の直属の部下を指名し、それぞれの役割を言い渡した。ルドルフ・フェルディナント・ヘスには、アウシュヴィッツ強制収容所の所長を。アドルフ・アイヒマンにはホロコーストを着実に実行するドイツ国家の警察官僚を。そしてハインリヒ・ヒムラーには親衛隊全国指導者の立場をそれぞれに与えたのだ。アイヒマンとヒムラーに関しては、ユダヤ人大量虐殺の第一線で活躍する存在であり、実質的な「実行犯」であった。
国家を独裁政治という強制的な手段で手に入れ、国民のほとんどを手中に収めたヒトラーの暴走は、虐殺と言う悲惨な形で幕を開けたのである。
ヴォルガたちの乗っている列車は軍用列車と呼ばれるもので、通常の列車とは違い、造りが頑丈に出来ている。そのため、収容人数を遥かに超える人間が乗っていたとしても、列車はビクともしない。この列車を運転しているのは恐らくドイツ軍のSSたちだろう。乗っている人間の事をまったく考えていない乱暴な走行を繰り返しており、時折倒れそうになる人々の悲鳴が上がった。
軍用列車とは、何百万人と言う労働奴隷囚たちをドイツ占領地域から強制収容所へと送り込むための列車だ。人々からは「この列車に乗せられたものは決して戻れない」と言う恐ろしい肩書きを持っている。
ヴォルガたち乗客・・・いや、連行されたユダヤ人たちは、この三日間何一つ食料を与えられていない。おまけに列車内の窓は堅く閉じられ、人数分の熱気が篭っている。外は徐々に雪景色へと変わりつつあると言うのに、車内はまるで夏のように暑かった。その暑さが体力を徐々に奪っていく。それに加え、同じ体制を保っていなければならないと言う事が苦痛に拍車を掛けた。
「お願いだ・・・どうか水をくれ・・・」
ヴォルガたちの前方でかなり衰弱していると思われる一人の老人が、目の前に居たSSに声を掛けた。
SSは銃を向けたまま何も喋ろうとしない。
「頼むよ。もう三日間何も食べてないんだ。せめて水だけでも分けてくれんか」
老人は藁にもすがる思いで訴えた。
「死にたくなかったら黙ってろ」
目の前に居たSSがそう吐き捨てた。
「水くらいくれても良いだろう」
「そうよ。これじゃ死人が出るわ」
「窓だって開けてくれよ。臭くてかなわん」
老人の一言に続けと言わんばかりに、あちこちから非難の声が上がった。
ヴォルガは席から立ち上がり、前の様子を覗いた。周辺で上がる非難の声は聞こえたが、前方がどのような事になっているのかまでは分からなかったのだ。非難の声はやがて罵声に変わり、徐々にそのヴォルテージが上がっていく。不本意な場所に閉じ込められた人々の怒りが、飢えと言う危機的状態と重なり、その声は次第に怒号へと変わった。
ヴォルガは更に身を乗り出し、前の様子を伺った。
「ヴォルガ、席に座りなさい」
隣に座っていた父ヒューゴがヴォルガの上着を掴みながら言った。
「だけど父さん、このままじゃ・・・」
「分かっている。だけど落ち着くんだ。こう言う時は相手を刺激しない方が良い」
ヴォルガはヒューゴの言われたとおり、乗り出していた身体を元に戻し、席に腰を下ろした。わずかな時間だったとは言え、少しでも体制を変えられた事が、ヴォルガの身体を苦痛から解放した。
そしてヒューゴの助言は的確な現実となって現れる事になる。
「我々をどうしようってんだ!」
「アウシュヴィッツに連れて行くんだろ!そうなんだろ!」
「体の弱い人たちもいるのよ!水くらい出しなさいよ」
もはや歯止めは聞かない状態にまで怒りは膨れ上がっていた。一人では抵抗できない人間も、誰か一人が突破口を開くと、それに続けと言わんばかりに人々は本性を露にした。おそらくヒューゴは息子にそんな人間になって欲しくないという意味を込めたのだろう。事実、ヒューゴは父親として冷静さを保ち、黙って前を見据えていた。
もはや周囲の声を明確に聞き取れない状態になった。
「なあ、みんなもこう言っている事だし、水を分けてくれんかのう」
先ほどの老人がSSにそう言った。だが、SSは依然として黙ったままだった。
「何故黙っているのだ。この馬鹿者!水を分けてくれと言っているだ・・・」
老人がSSに怒鳴った瞬間、その老人の目の前にあった銃口が凄まじい轟音を響かせながら火を噴いた。
「きゃああああっ!」
突然の銃声と悲鳴。これにはさすがに驚いたのか、ヴォルガだけでなく、ヒューゴも立ち上がった。先ほどヒューゴがヴォルガに助言した通りになってしまったのだ。
「人殺し!」
SSの発砲した弾丸は、老人の頭に命中した。額から後頭部に掛けて開いた大きな穴からは脳味噌が吹っ飛び、老人の真後ろにいた人たちを真っ赤に染めた。夥しい鮮血は窓にも飛び散り、地獄絵図に相応しい現実が目の雨に表れた。
「なんてことを・・・・」
「惨い・・・あんまりだ・・・」
ヒューゴに続き、ヴォルガが呻いた。母親のカロンと姉のマレイはお互いに寄り添い合い、ガタガタと震えている。
車内は一時騒然となった。アウシュヴィッツに連行される事は分かっていたが、まさか殺されるとは思っていなかった。鼓膜を破りそうなほどの悲鳴が飛んだ。
「だから言っただろう。死にたくなかったら黙ってろと」
SSがそう言った瞬間、悲鳴はピタリと止んだ。そしてSSは更に続けた。
「良いか。お前たちはいずれ死ぬ運命だ。この列車内で撃殺されるか、収容所まで生き延びるか、そのどっちかしかない。我々ドイツ軍にとって、貴様らの存在は虫けら以下だ。アウシュヴィッツに行けるだけでも光栄に思え!」
無情にもSSはそう言い放った。しかし誰も文句を言う者はいなかった。ここで反論をしても、頭を吹き飛ばされた老人と同じ運命を辿る事を本能で察知していたのだ。
しばらくすると老人を撃殺したSSの元に、別のSSが数名やってきて何かを伝え始める。そして一分もしないうちに前の車両へと消えて行った。
「まもなくアウシュヴィッツ収容所に到着する。各自手荷物を整えろ」
SSはそう言った。乗客たちは自分たちの荷物を確認し合い、到着のときを静かに待った。頭の吹き飛ばされた老人の死体と共に。
「父さん」
ヴォルガがヒューゴに言った。
「どうした?」
「あの人は悪くなかったよね。ただ水をくれと頼んだだけだった。なのに殺された。それはあの人が・・・僕たちがユダヤの血を引いているからなの?」
「・・・・・」
「何故僕たちは収容所に連れて行かれるんだろう。昨日まではジェノヴァで過ごしていたのに」
「もう戻れないのね・・・」
姉のマレイが小さく囁いた。
「そうと決ったわけじゃない。収容所に連れて行かれるからといって、必ずしも殺されるわけじゃない。一時的に拘束されるだけだろう」
マレイに続き、ヒューゴが言った。
「帰りたいわ・・・ジェノヴァに」
カロンはマレイの頭を撫でながら言った。
ヴォルガは窓の外を眺めながら、昨日までの生活を思い浮かべた・・・。
ヴォルガ・クルーパス。ユダヤ系イタリア人で漁業を営む父と、その店を切り盛りする母親の間に生まれた、今年二十歳になったばかりの青年。出身地はイタリアの大都市の一つであるジェノヴァだ。
ジェノヴァはリーグリア州ジェノヴァ県に属する人口六十万人の大都市で、イタリアでは港町として古くから漁業が盛んに行なわれている地域だ。港には無数の船が停泊しており、漁師たちの間では「誰が大物を捕まえるか」と言う暗黙の競い合いがあった。漁業を営む人たちが多いだけに、そう言ったライバル意識は自然と芽生えるのだ。相手が大物を捕らえたときは共に喜び合い、失敗したら共に慰めあう。人間味溢れるあの港町がヴォルガは大好きだった。今はカロンと共に店の手伝いをしているが、その内父のように立派な漁師になりたいと思っていた。
それにヴォルガはジェノヴァの街並みがとても気に入っていた。古代から存在するジェノヴァ王宮を始め、数々の歴史を彩る建造物が立ち並んでいる。北には大きな時計台があり、そのてっぺんから見下ろすジェノヴァの街は、何物にも変えがたい風景だ。様々な国籍を持った人々で賑わい、海で捕ってきた新鮮な魚で人々の食を潤す。とても平和で、とても静かなあの街が瞼の裏に刻まれている。そっと目を閉じると、満ちていく海の様子や、打ち寄せる波の音が聞こえて来る様だった。
だがそんな回想も目を開くと地獄に変わった。相変わらず列車の中は静まり返り、すすり泣く声が聞こえる。皆自分たちがどうなってしまうのかと言う恐怖に怯えているのだ。
窓の外は一面雪景色に変わった。列車の走っている方角から察するに、恐らく既にポーランドに入っているのだろう。一年を通して気温の低いポーランドでは、冬の季節に入るのと同時に外は銀世界に変貌する。この地域で降る雪は、水気を多く含んでいて、積もると堅くなり、歩くのも一苦労になる。何よりポーランドの住民たちを悩ませているのがその気温である。
昼間から零下を下回るのは日常茶飯事。深夜ともなると、フィンランドの極寒に勝るとも劣らない寒さが静かに訪れる。今外に出たら間違いなく凍えるだろう。
アウシュヴィッツ強制収容所はそんなポーランドにある。ヴォルガはいずれ列車から出ると思うと、体が自由になって嬉しい反面、少々億劫な気持ちになった。
そもそも拉致されたユダヤ人がどこに連行されたのか、その事実はつい最近まで明らかになっていなかった。ヒトラーが政権を握って以来、ユダヤ社会には、「ある夜、突然家から人が消える事がしばしばある」と語られていた。この時期はまだユダヤ人迫害の色が気薄だっただけに、この謎は大きな波紋を呼んだ。だがとあるギリシャ系ユダヤ人が極秘で撮影したアウシュヴィッツ内部の写真フィルムが、ロンドンに亡命したポーランド人や、ユダヤ人の抵抗組織の人々へ渡った事から、その行き先がポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所である事が判明したのだ。強制収容所周辺の住民にはドイツ軍のSSたちから固く口止めされ、連行されたユダヤ人は一時ワルシャワ・ゲットーに強制的に住まわせる手段を企てたこともあった。このワルシャワ・ゲットーにはキリスト教徒の支配力が及ばないと言う、宗教的な意味を持っている地域であり、ある意味ではキリスト教と相反するユダヤ教の囲いの場と言える場所だった。恐らく宗教的な問題を避けるために、ドイツ軍はあえてそのような意味を持つ場所にユダヤ人を隔離したのだろう。
キリスト教と相反するユダヤ教と言う宗教は、実はキリスト、イスラム教よりも遥かに長い歴史を持っており、古代中近東の神だった「ヤハウェ」を神と崇め、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とする宗教。後に結成されるキリスト教やイスラム教の起源にもなった。また、ユダヤ教は、キリスト教とイスラム教の二つの宗教の根源であるともされている。その理由として実に顕著なのが、キリスト教で「旧約聖書」と呼ばれる書物は、ユダヤ教の聖書そのものである事が理由として上げられている。
一般的にキリスト教とユダヤ教の違いは、聖書に記された救世主がイエス・キリストであると考える人々をキリスト教と呼び、救世主は未だ存在せず、その出現を待ち望んでいる人々をユダヤ教と呼んだ。
しかし、ユダヤ教からの視点はキリスト教とはまったく異なっており、ユダヤ教はキリスト教やイスラム教と違い、信仰、教義よりも、その前提として、まず行為・行動の実績と学究を進める。それに対しキリスト教は、行為・行動よりも自己の心の中の信仰を重視するものが多く、イエスをメシアとする原罪、贖罪、再臨の信仰など三要素ほか、様々な点において、既に大きなユダヤ教との違いが指摘されている。
ユダヤ教では宗教に関係なくあらゆる地上の全ての民が聖なるものへ近づく事が出来る、救いを受ける事が出来ると考える。キリスト教徒のように「イエスを信じるものだけが救いを受ける事が出来る」などとは考えないのだ。まして、「信じるものは救われる」などとはとても考えられない、まったく異なった思想を持つ宗教なのだ。
このような宗教的思想の差が時に争いを招く事が何度かあった。こう言った事を配慮すると、キリストの力が届かないゲットーに一時的に隔離すると言うドイツ軍の考え方は納得できる考えでもあった。
列車の警笛が鳴り響くのと同時に、速度が徐々に減り、アウシュヴィッツ強制収容所があるオシフェンチムの貨車駅に到着した。
「到着だ。全員荷物を持って速やかに列車から降りろ」
数名のSSが銃を持ったままそう叫ぶと、我先と言わんばかりの群集がドアに詰め寄り、一刻も早く自由を求め、外に下りた。
「我々も行こう」
ヒューゴがそう言うと、ヴォルガたちは小さく頷き、ドアへと向かった。
案の定外はまさに極寒の世界だった。同じ冬でもジェノヴァの寒さとは似ても似つかぬ凍て付く冷気が漂っており、時折吹き荒れる風が一層の寒さを連れて身体に突き刺さる。
「降りた者は全員一列に並べ」
相変わらず銃を持ったSSたちが駅に降り立ったユダヤ人たちを一列に整列させ、その先頭に白衣を身に纏った医師が現れた。おそらくSS部隊の医師であろうその男は、目の前に並んだユダヤ人たちを眺め、やがて順番ずつ相手の健康面についていくつかの質問を浴びせた。
「何をしているんだろう」
ヴォルガが前を見ながら言った。
「老人、女、子供・・・どうやら何かを基準に人々を分けているようだ」
ヒューゴが様子を伺いながら言った。
「どうしてそんな事をするのかしら。同じ収容所に行くと言うのに」
ヒューゴに続き、カロンが不安げに言った。
「どうでも良いけど寒くて耐えられない」
両腕を擦りながらマレイが続く。
しばらくするとヴォルガたちの出番が近くなった。ヒューゴを先頭に、ヴォルガ、マレイ、カロンの順番に並んでいる。順番がヒューゴになったとき、ヴォルガたちは身を乗り出して何を聞かれるのか、そば耳を立てた。
「病を患っているか?」
「数年前から心臓を悪くしている。日常生活に支障はないが、極端な運動はするなと、医師から言われている」
「他に伝染病などを持っていないか?」
「持っていない」
「そうか、お前はこっちだ」
医師の指が、老人や子供、女が居る場所を示した。
ヒューゴは黙ってそちらの方角へと進んだ。
そして次はヴォルガの番となった。
「病は患っているか?」
「いえ、ありません」
「そうか、歳はいくつだ?」
「今年で二十歳になりました」
「伝染病は持っていないな?」
「持ってません」
「そうか、ではお前はあっちに行け」
医師の指差した方は、ヒューゴの居ない場所だった。そこにいる選別された人々は見るからに健康そうな人々ばかりで、若者が八割を占めていた。
「父さん!」
ヴォルガは父親と離れた事に不安を覚えた。
「大丈夫。行く場所は同じだ。だから落ち着くんだ」
ヒューゴは至って冷静に返事を返す。
だが、ヴォルガに続いたマレイとカロンも、やはりヒューゴと同じ場所へと選別された。これにはさすがのヴォルガも緊張感を覚えた。どう言う訳か自分だけが違うのだ。
「息子はどうなるんですか!何故息子だけあっちなんですか」
カロンは半ばパニック状態でSSに詰め寄った。同じような不穏な声はそこかしこで上がった。ヴォルガと同じように家族と引き裂かれた子供が泣きそうな声で呻いている。我が子の元へ駆け寄ろうとした母親を無理矢理引き離しているSSの姿も見える。駅内に悲痛な叫びと恐怖が広がって行く。
「いちいち説明する必要は無い」
SSは面倒臭そうに答えた。
「どうして僕だけ皆と違うんだ!嫌だ!僕もあっちに行く」
ヴォルガは人ごみを掻き分け、三人の下へ向かおうとした。
「勝手に動くな!殺されたいのか」
だがそんなヴォルガの目の前に、SSの銃が突き付けられる。
「ヴォルガ!」
ヒューゴたちが一斉に叫ぶ。
「死にたくなかったら列に戻れ」
SSの容赦ない態度がヴォルガに迫る。ヴォルガは仕方なく黙って列に戻った。その目から涙が流れる。
「よし、これで全員揃ったな。こっちだ、全員付いて来い。決して列を乱すなよ」
SSがヴォルガのグループに向かってそういうと、別の場所に向かって移動を始めた。ヴォルガもそれに続かなければならない。
「父さん!母さん!姉さん!」
「ヴォルガ!向こうで落ち合おう。決して希望を失うな!諦めるんじゃないぞ!」
「ヴォルガ!」
それはヴォルガたちだけではなく、他の家族の間でも同じような言葉が交わされた。連行されたヴォルガたちの持っていた荷物は、他のSSの手によって移動された。最も、その荷物が持ち主の下へ戻る事はないのだが。
そして、これが家族との永久の別れである事を、ヴォルガたちは知る由も無かった・・。