第十二章 「閉ざされた運命」
「・・・そんなわけで、診てもらいたいんです」
「そう言う事なら、まあ良いだろう。着いて来い」
自分の身体の不調を訴えたファビオの願いはSSに受け入れられ、ファビオはアウシュヴィッツ唯一の医療室「カー・ベー」に向かった。先頭を歩くSSの後ろに続くのはあまり良い気分じゃなかった。SSの先導によって施設の奥へと進んで行くが、途中すれ違う囚人たちがファビオに哀れな視線をぶつけてくる。おそらく彼らはファビオが殺されると思っているのだろう。SSの先導で連行される場所は、仕事場以外では処刑のときだけである。囚人たちが勘違いしても無理は無かった。
身体の異変を感じ始めたのは昨日の仕事中だった。最も、毎日過酷な労働を強いられているため、肉体的な疲労はかなりのものだったが、それまで一度も感じなかった熱についてはやはり肉体の内面を損なっている証拠だろう。突然身体に灼熱のような熱が宿っては、数時間すると消える。そしてまた熱を帯びたかと思うと、消えてく。この奇妙な現象の繰り返しが今も続いている。通常、風邪などで熱を持った場合、それが良くなるまで熱は継続されるものだが、今のファビオの状態はそうではなく、かなり突発的な熱だ。しかもそれが断片的に続いている。そんな症状は今まで体験した事がなかった。
それに仕事中に怪我をした足の容態も芳しくない。怪我をした日の夜、バラックで囚人服の裾を破り手当てを施したが、良くなるどころか日に日に悪化の一途を辿っているように見える。その証拠として傷の表面が酷く化膿している。色は黄色く変化しており、それほど痛みは感じないが、傷の具合は明らかに良くないと言えた。
それに気のせいだろうか?昨日から身体が鉛のように重たくなっているような気がする。脱力感にも似た力の抜け具合を感じる。それが原因となって身体が重たく感じるのだろうが、それが時間と共にやはり悪化しているように思えてならない。あまり酷くなると仕事に支障が出てしまう。そうなると鞭打ちの刑罰が与えられ、身体の不調に拍車を掛けてしまう。熱と言い傷の化膿と言い、今のファビオは満身創痍だった。
そこでファビオは収容所内にある唯一の医療室「カー・ベー」を訪れてみる事を決めた。それにはSSの許可がいるため、最初は認めてくれるかどうか半信半疑だったが、話を聞いてくれたSSは理解ある人間だった。ファビオの要望をすんなりと受け入れ、今こうして先導されていた。
「カー・ベー」では主に伝染病や怪我をした囚人たちを診察してくれる施設だ。診察といっても薬や注射を打ってくれるわけではない。怪我の場合は多少の手当てをしてくれるが、単に囚人の身体の様子を診察し、感染病に掛かっている場合のみカー・ベーで寝起きをする事が許されると言う、粗末なシステムだった。
「ここだ。中へ入って診てもらえ。終わったらバラックへ戻れ」
「分りました」
SSはそう告げるとその場を後にした。
ドアの上には何か文字のようなものが刻まれているがそれを読むことは出来なかった。察するにおそらく「カー・ベー」と書かれているのだろう。ファビオはゆっくりとドアノブに手を掛け、中に入った。
部屋の中にはかなり年配の老人が椅子に座っていた。白い髭を生やし、メガネを掛けている。SSたちとは違って武器は持っておらず、どこにでもいるような医者と言う感じだった。
「どうしたのかね?」
「はい、実は・・・・」
初老の医者がそう言うと、ファビオは身体の様子を説明した。
体調不良を訴えたファビオの思惑は、この後思いも寄らぬ形で自らに襲い掛かる事になる。
そしてそれがヴォルガやガルバドまでも巻き込む、深い悲しみの始まりである事を、ファビオはまだ知らない・・・。