第九章 「全知全能の神へ」
ポーランドが常に寒い環境下に置かれている国とは言え、何も毎日のようにブリザードのような寒い日々と言うわけではない。一年を通して暖かい日々が続くブラジルのように、ポーランドでも暖かい日は存在する。
極寒の地で降り積もった純白の雪が煌々と輝く太陽の光を浴びると、視界を遮るほどの眩しい世界が広がる。人はそれに歓喜を覚え、加えて雪と言う限られた季節しか見ることの出来ないものに刺激され気分が向上する。何の変哲も無い場所でも、雪が降れば雰囲気がガラリと変わるものだ。やはり曇りや雨の日より、晴れの日の方が気分が良い。
その日はまさにそんな日だった。朝から青空が広がり、太陽の光が雪に反射し眩しいくらいの光がアウシュヴィッツを覆っていた。
施設内の最北端にある所長室で、所長のルドルフ・ヘスは窓際で葉巻を吸いながらそんな光景を眺めていた。もう幾度と無く目にした光景だが、この美しさだけは慣れる事がない。見るたびにいつも心は和み、自分が生きている事に感謝する。それも今日における我が君主ヒトラーのおかげだ。ヒトラーが政権を握る前はただの官僚に過ぎなかったルドルフによって、ヒトラーの存在はドイツ国民が言うように、まさに神の存在だった。彼がワイマール憲法に静止を掛けなければ、この国は間違いなく悪化の一途を辿っていただろう。そうなれば国の情勢は激変し、国民の生活は苦しめられたはずだ。経済的に悪い方へ進めば、近隣の国家とも疎遠になって行く。先進諸国からの経済流通は止まり、気付けば孤立した国家になっていたかも知れない。ヒトラーはそれを止めたのだ。ドイツ国民が彼を崇めるのは、もはや当然と思われた。
こんな清々しい朝はコーヒーが似合う。勿論、コーヒーと言っても囚人たちが飲んでいる分けの分らぬごった煮ではない。今では世界中で愛されているあのコーヒーだ。やはり朝はコーヒーと葉巻が良く似合う。ルドルフはデスクの脇に置いてあったサイフォンに粉砕したコーヒーを入れた。
巷では複数のコーヒーを融合させたブレンドコーヒーと言う種類が大きな人気を得ているようだが、根っからのコーヒー通であるルドルフにとって、ブレンドは邪道と言えた。やはりコーヒーはブルーマウンテンに限る。
ブルーマウンテンはジャマイカにある「ブルーマウンテン山脈」の標高八百から千二百メートルの特定エリアで栽培されるコーヒー豆のこと。香りが非常に高く、味は繊細。香りが高いため他の香りが弱い豆とブレンドする事が多いのだが、ルドルフは他とブレンドせずに飲むのが好きだった。限られた地域でしか栽培されないため、収穫量が極めて少なく、高価な豆としても知られている。一般の喫茶店でも一kg当たり五万円〜十万円もするため、かなり高価なコーヒーとなる。この為、一般向けに出すにも数が出ないため置くことが極めて困難な豆とも言われている。
入手そのものが困難とは言え、国家権力を味方に付けるルドルフにとってブルーマウンテンの入手くらい分けなかった。
サイフォンからブルーマウンテンの高貴な香りが漂う。この香りが堪らなく好きだった。ルドルフは加えていた葉巻を灰皿に乗せると淹れ立てのコーヒーをカップに注いだ。火傷に気をつけながら口に含むと、あの大好きな味が口一杯に広がる。ブレンドでは味わえない極めた一つの味がルドルフを至福の一時へと導いた。
しばらくするとコンコンと言うノックがドア越しに響いた。
「入りたまえ」
ルドルフがそう言うと、ドアの向こう側にいた一人のSSが「失礼します!」と言いながら所長室へ入って来た。そして再度ドアの前で敬礼をした。
「何か用かね?」
「はっ!昨夜から今朝方に掛けて、第八棟で囚人同士の共食いが起こりました」
「やれやれまたですか。それで、食われた方が死んだのですか?」
「はっ!どうやら複数の囚人たちによって集団で食われたようです。外傷が酷く、発見したときには既に死んでおりました」
「そうですか」
囚人同士の共食い・・・・。つまり人間が人間を食べるという事。この神をも恐れぬ背徳的な行為はアウシュヴィッツでは決して珍しい事ではなかった。全ての棟で起こっているわけではないが、極稀にこうした惨状の報告を受ける。
「分りました。いつものように始末しておいてください」
「はっ!失礼します!」
ルドルフがそう告げると、SSは敬礼をし、部屋を後にした。
まるで動物のような行為を人間は平気でする。それが極限中の極限状態であれば、人間が人間を食らう事などもはや容易だ。生き延びるためには食す事が必要なのだ。飢えの極限を迎えた囚人たちが動物のように同じ人間を食らう事は想定内の出来事である。今までにも何度かその報告を受けているためか、人間同士の共食いに対する抵抗感が薄れていた。ルドルフは淹れ立てのコーヒーカップを手に持ち、窓辺に立った。
共食いの起こった第八棟は、所長室のある施設の隣に面している。施設の三階にある所長室からは第八棟全体を見渡す事が出来た。ルドルフは何気なく第八棟に目を光らせた。
命令を受けた数名のSSが共食いの餌食となった囚人を外に運んでいる光景が飛び込んできた。食われた囚人の身体は至る場所が引き裂かれており、その傷跡から強引に引き千切った様子が伺える。夥しい血が外の芝生を赤く染め、両腕がだらしなく揺れている。肉付きの良い部分を食ったのだろう。引き裂かれた部分は二の腕、太もも、そして腹だった。腹部は相当深く抉られたのだろう、下腹部の辺りから大腸がはみ出ていた。まさに地獄に相応しい光景だったが、ルドルフは特に動じなかった。何度も見てきた光景だ。今更何を恐れ戦く必要があると言うのだ。
ルドルフは薄ら笑みさえ浮かべながらブルーマウンテンを口に含んだ。その味は目の前の光景とは似ても似付かぬほど美しいものだった。
ルドルフ・ヘス。正式名称ルドルフ・フェルディナント・ヘス。アウシュヴィッツ強制収容所の所長を務める親衛隊中佐。ルドルフは1900年、バーデン・バーデンの厳格なカトリックの家庭に生まれた。いずれ聖職者にと言う父親の期待に答える事無く、1915年父親の死後、十五歳でバーデン第二十一竜騎兵連隊に志願する。その後彼はトルコ軍と共にイラク戦線へ出向き、1917年に軍曹に昇格した。それと同時に一級および二級鉄十字軍章を受賞すると、1922年にはナチ党に入党を果たした。そしてそこでヒトラーと言う運命の相手と出会う。
ルドルフは持ち前の戦略能力と行動力を買われ、ハインリヒ・ヒムラーやルドルフ・アイヒマンと言ったヒトラーの片腕的存在を担っていたメンバーと肩を並べるほどの存在へと急成長した。それもヒトラーのドイツへの思い、そして何よりヒトラーの思考に魅了されたルドルフの忠誠心が大きな影響を及ぼしたと言える。1934年には正式に親衛隊に入団すると、ダッハウ強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所の所長を経て、今世紀最大の強制収容所、アウシュヴィッツ強制収容所の所長へと昇格を果たしたのである。
アイヒマンがユダヤ人を連行する役ならば、ヒムラーは死刑の実行犯。そしてルドルフは捕らえられた囚人たちを監視する役だと言って良い。この三巨頭は常にヒトラーのために、その命令を忠実に、且つ迅速に行なう言わば主犯格なのだ。それぞれがそれぞれの思考の元でヒトラーを崇拝し、神と信じて止まない。だからこそルドルフたちはヒトラーに大きな敬意を払っている。ヒトラーこそが救世主。ヒトラーこそがドイツなのだ。
ヒトラーがいなければルドルフはナチ党に入ることもなかっただろう。アウシュヴィッツの所長どころか、既に戦死していたかも知れない。ヒトラーがワイマールへ背を向け、ドイツ国民を先導したからこそ、今の自分がいるのだと、ルドルフはそう信じていた。長きに渡って続いた苦しみは、ヒトラーと言う一人の男によって変わろうとしている。その手始めとして、ユダヤ人迫害と言う革命を起こしたのだ。ヒトラーの決断はドイツの決断。ドイツの決断はヒトラーの決断だ。
第八棟から出された死体は、そのままSSの手によって別の場所へ運ばれた。そこには焼却炉がある。無論、紙くずや木材を燃やすものではない。死んだ人間を始末する焼却炉だ。SSたちはルドルフが見ている事も知らず、運んできた死体を無造作に投げ捨て、各自職場へと戻って行った。死体の捨てられた場所には百人を越える先客がいた。そのほとんどは腐敗しており、その周辺だけハエやウジムシなどが這っている。百人を超える死体はまるで山を作るように折り重なっており、その山が至る場所にいくつも出来ている。一つの山に約三十名。その山が六つもある。つまり百八十近くの人々が焼却されるのを今か今かと待っているのだ。
このアウシュヴィッツに美しい光景など無い。右を見ても左を見てもそこには常に死体がある。今でこそそんな光景を見ても何ともおもわないが、ルドルフが所長としてこのアウシュヴィッツに来た当時はそれなりに目を背けるような感覚を覚えていた。ダッハウやザクセンハウゼンの収容所よりも遥かに酷い有様だったために、その衝撃は大きかった。だが人間の慣れと言うシステムは強固なもので、地獄のような光景でも繰り返し見て行く内に徐々に残忍さが麻痺し、いつしか当然の光景として処理されていた。時折そんな自分の感覚を疑う事さえあるが、やはり慣れと言う言葉は地獄の光景よりも冷酷な効果を持っている。いくら感覚を疑ったところで、目の前の光景が当然の事のように思えて、疑う事が馬鹿らしく思えてくるのだった。
いくら目の前の光景が残忍極まりない背徳行為だったとしても、それが神の命令であるのだから背くわけには行かない。むしろ背く事が背徳に繋がる。ユダヤ人迫害と言う極論は、ヒトラーの政権によって「正義」となったのだ。そもそもナチスドイツと言う国家はヒトラーの登場によって作られた独裁国家だが、それを支持したのはドイツ国民。つまり我々人間だ。ユダヤ人迫害がドイツ国内で公になった今日でも、ヒトラーを支持する声は決して消えない。消えるどころかその声は日増しに大きくなっている感さえある。そう言った現状からもヒトラーの判断は間違っていないと言えるだろう。
最も、人種法を打ち立てたのはヒトラーだが、それを実行に移したのはヒトラーではない。実行犯はハインリヒでありアイヒマン、そしてルドルフの三名だった。ルドルフの見解ではハインリヒやアイヒマンがヒトラーの独裁体制に魅了され、ヒトラーと共に最強ドイツ軍を形成するべくユダヤ人迫害を企てたという持論を持っている。はたから見ればヒトラーの独壇場と言う事も出来るが、その裏ではヒトラー以上にナチスを崇拝する人物がいるのだ。そしてその成れの果てこそがこのアウシュヴィッツであると、ルドルフは独自の持論を元に現在の情勢を見ていた。
ルドルフはきびすを返し、自らのデスクがある椅子に座った。この椅子もナチスの権限を使って手に入れた高級の椅子である。その椅子に座りながら静かに目を閉じる。
そして誰に問い掛けるわけでもなく、自らの行く末に尋ねた。
首謀者はハインリヒ、アイヒマンだけではない。この私もその一人なのだ。ヒトラーの命令を受け、それを忠実に執行する、いわば生死の審判。ジャッジメントだ。私がこれまで下してきた決断の中には、ユダヤ人迫害の計画でさえ遥かに上回るほどの大量虐殺に繋がる決断を下した事もあった。多くのユダヤ人が惨たらしい死を遂げた。彼らの人生のピリオドを打ったのは私だ。
私は間違っているのだろうか?多くのユダヤ人を迫害する事は悪なのか?多くの人々を死に追いやり過ぎたせいで、人間としての善悪の区別が狂っているのだろうか?
ルドルフはしばし呼吸をする事さえ忘れ、考え込んだ。
そして一つの答えが出る。
その答えを探す事は無意味だ。何故ならこのアウシュヴィッツでは囚人同様、考えると言う行為は何の意味も持たない。むしろ考える事自体が悪なのだ。囚人たちが規則に従い、奴隷と化しているように、私は上司でありドイツの象徴であるヒトラーの命に従っているだけなのだ。
そう、全ては「正義」と信じたヒトラーのために・・・・。
「ハイル、ヒトラー!」
瞼を開いたルドルフの目に、悪魔が微笑んでいた・・・。