表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

序章 踏み躙った正義

序章 踏み躙った正義


 近親相姦という言葉に対し、人間はどれだけの違和感と不快感を抱くのだろうと考えると、まるで自分の存在を否定されたような気分に陥る。言葉が良い意味を表現していない事は私にも分かっている。

 だが、その行為によってこの世に生を受けた私には、普通の人々が母親の子宮で生命を宿し、この世に生まれたのとまったく同じ意味を持っている。差があるとすれば、相手が血の繋がった家族の人間か、そうでないかだ。つまり「誕生」と言う意味では人間誰しも同じなのだ。人を殺す人間も、人から殺される人間も、皆同じ場所から生まれた事に違いは無い。何より同じ「人間」である。

 私は1889年4月20日、オーストリアとドイツの国境にある「ブラウナウ」と言う小さな町で、税関士の子として生まれた。今思うと私の少年時代は成績不良で二回の落第と転校を経験した劣等生だったと言って良い。実業学校の担任だった人物の所見では「非常な才能を持っているものの、直感に頼り過ぎ、努力が足りない」とまで言わしめたほどだ。詳しく説明せずとも、この所見が全てを物語っているから自分でも笑ってしまう。

 1903年に父アロイスを亡くしてからは、学業を本格的に放棄し、画業に専念するようになった。1907年には母親を亡くしたが、その頃住んでいたウィーンでの生活は比較的安定しており、この頃の私は独身者向けの合宿所に住んでいた。当時私を夢中にしたのはワーグナーで、時間と金さえあればオペラ座に通うほど、心身ともに酔いしれていた。

 同時に私は読書家でもあった。毎日のように図書館へ赴き、多くの本を借りて夜が明けるまで読みふけっていた記憶が今も鮮明に残っている。「当時の情景を絵に描け」と言われれば、すぐにでも描けてしまうだろう。歴史や哲学だけでなく、美術に関する豊富な知識を手に入れ、寝ても覚めても読書の日々を送っていた。

 そこで私はとある理論と出会った。それはゴビノーやチェンバレンらが提起した人種理論、そして反ユダヤ主義だった。

 数々の書物を読み漁る中で、私は一つの理論に魅せられ、その虜になった。それが優生学である。

 優生学とは1883年、イギリスのフランシス・ドルゴンによる造語で、社会的介入により、人間の遺伝子物質への改良を提唱する社会哲学だ。その目的は様々だが、知的に優秀な人間を創造する事をモットーに、社会的な人的資源を保護する事。そして、人間の苦しみや健康上の問題を軽減する事が主な目的とされている。これらの目的を改善させるために提示された手段は、産児制限、人種改善、そして遺伝子操作を含むものだった。

 優生学に対しては歴史的に疑似科学と批判され続けてきた。人間の持つ様々な特性を脱主体化する可能性を含むものであり、歴史的に強権的な国家主導の人種差別と人権侵害、究極的にはジェノサイドにまで至る社会的な思考手段であり続けた事を意味している。

 簡単に言ってしまえば、人間には優劣があり、優秀な人間とそうでない人間が居ると言う事。素晴らしい国家を創造するには、優秀な人間たちを積極的に取り入れ、有害な人間たちを除外せよと言う理論だ。

 ここで私は青年時代に過ごしたウィーンで、奇妙な言葉を話している民族の事を思い出した。彼らは髭を生やし、不可解な言葉で会話をしていた。その会話がどんな内容だったのか、私には知る由も無いが、はたから見てもそれは下品に映った。道端でグループになり、通りすがりの女の足元をジロジロ見ながら、煙草を吸い、その吸殻を投げ捨てたこの民族は、私には異様に思えた。何よりこんな下品な民族が存在する事に驚異を感じた。

 当時仲の良かった友人から、その民族がユダヤ民族である事を、この時私は初めて知ったのである。

 私は書物を探るほどに優生学に心を奪われて行った。我が国を、世界を素晴らしいものにするためにも、この優生学はもっと広く浸透するべき教えなのだと、信じて止まなかった。それと同時に、私はアーリア人の優秀さを追及するようになった。

 アーリア人と言うのは、ユーラシア中央部を出自とし、主にインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話す民族で、アーリア民族とも呼ばれた。

 そのアーリア人が説いたアーリアン学説には、ドイツ人は最も純粋なアーリア人と記されており、世界を支配する理由として用いられていたのだ。私のように純粋なドイツ人にとっては実に誇らしい学説だ。

 優生学とアーリアン学説を追求する私の心に、アーリア人の素晴らしさが日に日に大きく芽生え、同時にウィーンに居た頃、不可解で嫌悪感を抱いたユダヤ人に対し、絶大な憎しみが沸起って行ったのだ。

 1913年になると、オーストリア・ハンガリー帝国の兵役を逃れるため、当時認められていなかった国外逃亡を果たした。誰だって命は惜しいものだ。まったく関係の無い戦争で死にたくは無かった。

 苦難の果てにミュンヘンへと侵入するが、翌年の1914年に「不法侵入」が表沙汰になってしまい、私は当局に逮捕された。しかし検査で不適格と判定されたため、兵役を免除された。もし、検査が合格と出ていたら、後のナチスドイツは無かっただろう。今思い返しても心臓が縮む思いだ。

 だが同年に勃発した第一次世界大戦だけは免除と言うわけには行かなかった。私はオーストリア国籍のままドイツ帝国の志願兵となり、西部戦線のバイエルン後備第十六歩兵連隊にて、有能な伝令兵として負傷と叙勲を経験している。1918年8月には、一級鉄十字章を授与された。当時階級の低かった伝令兵としては異例の授与と称され、あちこちで栄誉の声が上がったほどだった。

 しかし、後にも先にも兵士として昇格を果たしたのはこれが最後だった。何故なら私の国籍はあくまでオーストリア国籍であり、昇格にはあまりにも不当と判断されたためだった。あれほど口惜しい現実は無かったが、当時の世界情勢を考慮すれば、しかるべき処置だった事は認めざるを得ない。

 終戦の知らせを聞いたとき、私は敵軍の毒ガス攻撃を無防備で受けてしまい、野戦病院にいた。毒ガスには眼光の網膜を刺激する物質と、喉の粘膜を圧迫する有毒な物質が含まれていた。視力はすぐに戻ったが、喉の負傷だけは元通りに治る事はなかった。それまでどちらかと言えば線の細い声だったのだが、この毒ガスの影響で独特の野太い声になってしまった。だが私はこの経験を恨んだことは一度も無い。何故ならこの野太い声は、後の私の演説に絶大な効果をもたらす結果になるからだ。

 そしてちょうどこの頃だったと思う。第一次世界大戦が幕を下ろし、私は本格的に政治家になる事を考えていた。優秀なアーリア人の血を引くドイツ国家こそが、全ての世界を制圧するに相応しい国なのだ。人間は神にもなれるし、また悪魔にもなれるものだと私は思っている。そんな数多の人種の中で、私は特に優秀なアーリア人の血を受け継いでいる。壊滅的な打撃を受けたドイツを、今一度素晴らしい国へと作り変えるべきは今なのだ。今こそアーリア人の優秀さを世界にアピールし、汚れた人種、特にユダヤ人を滅亡させるべきだ。優秀な人間は生き残り、有害な人間を抹殺する事のどこに悪を感じると言うのだろう。少し考えれば誰にでも当てはまる事なのだ。

 例えば家で醜い虫を発見したとき、人間はそれを大切にするだろうか?ムカデやゴキブリなどが徘徊しているのを見て、「こっちへおいで」と手招きをするだろうか?そんな事をする人間はまずいない。居るとすれば研究者や学者くらいだ。大抵の人間は家から追い出すか、あるいは殺すかだ。これも立派な除外の例で、自分に取って有害なものは出来るだけ遠くへ、あるいは始末する事で安堵感を覚える。その対象が虫か人間かの違いであって、そこに存在する「命」と言う文字に何ら変わりは無いのだ。

 つまり、人間ほど残酷な生き物は居ないと言う事だ。だが人間はそこに詭弁や綺麗事を悠々と述べ、さも自分が最良の人間である事を誇示したがる。「人間と虫は違う」と言い張る人も居るだろう。だが私からすれば、そんな事を言う人間ほど、命の意味を理解していないと言える。自分たちが平穏な生活を送るためには、常に犠牲と言う言葉が付き物なのだ。生きるために牛や豚を殺し、魚を捕らえ、それを生きるための食料としている。戦争も同じだ。戦争は人を殺すためにあるのではない。自分たちが生き延びるために存在する行為なのだ。

 我々アーリアの血を引く優秀なドイツ人が、優秀な国家を作るためには、その障害となる汚れた民族は滅亡させなければならない。そうでなければいずれ我々がその驚異に晒される事になるのだから。

 そんな事を毎日のように思いながら、私は合法路線で徐々に党勢を成長させた。当時のドイツは第一次世界大戦の賠償金負担と世界恐慌による苦しい経済状態が続き、大量の失業者で街は溢れかえり、社会情勢は悪化の一途を辿っていた。その中でヴェルサイユ体制の打破を訴え、アジテーターとしてその才能を開花させた私の名前は、ドイツ国民の間で圧倒的な支持を受けたのだ。

 そして、1940年7月31日、国防軍最高司令官に就任し、作戦面においても戦争の最高責任者として抜擢されたのである。

 それはナチスドイツの新たな門出であり、私の掲げた人種主義、つまりユダヤ人迫害の始まりでもあった。

 そして人々の間で私はこのように呼ばれるようになった。


「ハイル、ヒトラー」と・・・・。



 これより始まる惨劇は、歴史上では私の行い、私こそが諸悪の根源とされているが、勘違いしないで欲しい。確かに迫害を命じたのは私だ。だが私は狂っていたわけでもないし、精神異常だったわけでもない。私には妻があり、普通の人間だったのだ。無益な殺生は好むところじゃない。全て私の命令を受けた人間たちが行なった事なのだ。私の信じた正義を、私と同じように正義と信じ、正しいことだと判断した上で行なった惨劇である。そして忘れないで欲しい、歴史上類を見ないこの惨劇は、君たちと同じ人間の手によって行なわれたと言う事を・・・・・。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ