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そして誰がいなくなった?  作者: 櫻樹麗華
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~五日間の悲劇~

第一章 死体はやってきた

 ここは、ザ・ホテル・ルイガンズの七階。一番高級なルームの一室。

 内装はインド洋式になって、全体がヒンドゥー風になっている。ゴシック様式だ。

 楠木隼人さんが私――赤坂明日香に囁く。「お元気ですか? 愛しのハニー」。 中背中肉の、黒ずくめの陰気くさい、葬式にでも行きそうな服装をしていた。何がハニーだ調子のいい。正直キモイ。

 楠木さんは四十代に見える。私はまだ十八歳。高校を卒業したばかりの、お肌ピチピチの年頃である。

 楠木さんの顔は、平気で買収などしているからか、愛想のいい顔をしていた。

 根は優しそうだ。問題は、買収をさせている楠木さんだ。北村健一さんは、楠木隼人衆議院議員の私設秘書なのだ。

 北村さんはまだ若く、爽やかな青年だ。イケメンと褒めるにはまだ何か足りない感じだけど、好感は持てる。

「今度、衆議院議員総選挙あるの、知ってるよね? 知ってるからここにいるんだろうけど。一人でノリツッコミしちゃっただろうが。それは置いといて、返事は?」

 笑顔で聞き返してくるけど目が笑っていない。明るい口調だけに、尚更、怖い。ブリザードが吹いている。

「知ってます~。一人でノリツッコミやるとか北村さん面白いですね。秘書って、みんなそうなんですか? 凄いお仕事ですね」

「議員さんてもっとお堅い方かと思っていました。秘書さんもですけど」ちなみに、私は歌手をしている。

「北村さんは、おいくつぐらいで? 秘書にしては中堅とお見受けしますが」

「私は楠木先生について二十年くらいだから……もう四十になるかなぁ」

 北村さんは宙を見ていた。

「北村、後は頼んだ。お前ならしっかり者だからな」

 北村さんが甘えるような声で訊く。

「票を入れてくれそうな人、何人か知らない?」

「知ってますよ~。私も特殊な世界にいますから。何人くらいがいいですか?」

 本当は、自分以外には、不正に関わって欲しくない。だが、ここで断ると、バラされたときが困る。ここは首肯しておこう。

「じゃあ、頼むよ、明日香ちゃん。明日香ちゃんは顔が広いからね~。頼りにしてるよ~。そうだな、できれば千人くらいがいいかな~」

「千人はちょっと無理かもです」

「でも予算がかさむと困るから、やっぱり百人くらいがいいな~。よろしく頼むよ~」

 北村さんは手で「お願い」の仕草をした。

「私からも頼む」

「わかりました~。百人くらいですね。頑張って集めますね。私、歌手になれるくらい努力家ですから、百人集めるくらい簡単ですよ。私に任せてください」

 暗がりの中、私と北村さんと楠木さんの声が響く。「頼もしいね、赤坂くんは」

 私は、心臓がバクバクしていた。初めての選挙で、初めての買収に関わる。もう後には戻れない。

 買収で手に入れた資金は、歌手としての活動に使おう。汚い金で歌手活動するのには気が引けるが、なにをしても、のし上がってやる。

 私を狂わせた人々が憎い。憎くて、どうにも我慢がならない。お金の使い方は自由だ。それを、どう使おうと文句を言われる筋合いはない。「歌姫」とよばれるまで、頂点へ立つため、私は、お金を、使う。

 半年後の今日は、北村さんに呼び出されて、選挙の買収資金を手渡される手筈になっている。

 ホテルの一室に、北村さんを入れて五人が集まった。私たちは同じ海の中道Pホテルの博多湾エリアに泊まっているので、一番にカモ池が真正面に見える。その手前には光と風の広場駐車場がある。

 私たちはザ・ルイガンズホテルに泊まっている。海に臨んで建っている。スパも楽しめて、女性に嬉しいホテルだ。

 遊園地もどきみたいなところもあるから、観覧車ジェット・コースターも見える。緑に溢れた、空気の綺麗なところだ。

 十人呼んでくる約束だったが、なかなか声を掛けた人の都合がつかなかった。別に北村さんは怒ってなかったから、実質的にはOKだったんだろう。

 カーテンは閉められてある。部屋に入って左に曲がった場所で取引は行われていた。

 森末翼は陸上選手(短距離走者)、伊藤一郎は建築家、堀内太一は考古学者だ。

 私は……今日、集められた四人の中で、唯一の女だった。

 森末さんの、服に包まれた、がっしりした体は、男らしい。姿勢もピンと伸びて、きっちりしている。身長も手足も長く、スーツより運動着のほうが似合っていた。

 ただ、「きみは歌手のくせに、腹筋と背筋が、ついていないのか、情けないな」という発言には閉口した。

 嫌味ばかり言う男だ。だから、目つきの悪い顔になる。そのわりには、坊ちゃん刈り。似合っていない。

 堀内さんなら、なぜ買収に手を染めるのか、わかる。考古学は、お金が掛かるし。よく知らないけど。

 茶色の燻んだ色のスーツを着ていて、頭には白髪が混じっている。痩せぎすで疲れきった感じ。五十代だろうか。 

 伊藤さんは……、

「このホテルは新しくていいね。天井が高いから、部屋が広く見えてとてもいい。窓から見える景色もよくて、言葉もない。まさか福岡にこんな場所があったとは!」

 けれど、頭がいい感じがした。顔も、知的な感じだ。さわやかに髪を七・三に分け、少し前髪をおでこに垂らしている。

 実際、きっちり、一級建築士を二十四歳で合格している。グレーのスーツに身を包んだ少し小柄な男の人だった。

 ただ、ちょっと……疑り深いところがある。北村さんが渡したお金を貰ってから、重みを確かめていた。

 年齢を訊いたら「君は、会ったばかりの人間に、いきなり年齢を訊くのか」と意地が悪そうな答が返ってくるだろう。

 北村さんが「これ、宜しくお願いします」とへこへこしていた。ジェラルミン・ケースから分厚い封筒を四つ出して配った。

 入口からは、取引場所は見えない。視界は薄暗い。これを各自バレないように自室まで持って帰らないといけない。

 監視カメラがホテルの各階の廊下に着いている。私はハンドバッグ利用した。

 森末さんはスポーツバッグに、伊藤さんは建物の模型が載っているケースに、堀さんは発掘品を入れる砂袋の中に。

「わかりました」全員が偶然にも揃えて答える。

 伊藤さん以外は、バッグにそっと詰め込んでいた。封筒を開けはしなかった。だが、お金の厚さは確かめていた。

「選挙に勝つのも大変ですね。あまり人を集められなくて申し訳ありません」と私は北村さんに話し掛ける。

 北村さんは「いえいえ。よくやってくれましたよ。助かりました」笑顔を作って答える。

 爽やかな表情で秘書さんが部屋を回る。証拠が残らないように慎重になっていた。

 やがて、私たちみんな、それぞれの部屋に帰っていった。

 私は自室に戻っても、胸の鼓動は早かった。

 カーテンをそっと開けると、大きな瞳に繊細(せんさい)鼻梁(びりょう)、桜色の唇が、ちょうどいい位置に、完成された美貌と、出るところは出た細身の体が映し出された。

 見た目は、この姿に生まれてよかったと思う。

 コンサートも近いし、歌詞のチェックもしないといけない。

 私は、早々に寝ることにした。

 同時に、お金の行方を考えた。自分が百万。

 ファンクラブ会員だけの限定ツアーのときに金はバラ撒こう。チケット応募者の年齢を見て、有権者ならば頼む。

 ライヴのとき、有権者に秘密裏にバラ撒こう。少ししかいないが、ないよりまし。熱狂的ファンだから、なんでもしてくれるはずだ。それまで、アンプや照明道具の裏に隠しておこう。

 翌日。

 ライブの開演は午後五時から。

 私は上田真澄マネージャー決めた二時間前に入り、リハーサルを始めた。

 上田さんはナチュラル・メイクに動きやすいジーパンにTシャツを着ていた。

 顔は弓なりの眉に気の強そうな狐目、筋の通った鼻、派手そうだけど控えめの口紅を付けていた。かなりの美人。

 上田さんは女性で、三十代。気さくで社交的なので、スケジュールは納得がいく場合が多い。人間的にも頼りになるし、相談にも乗ってくれる。

 アンプ、キーボード、いろんな機材が置いてある。奥には遠くにいる人に見えるように大きなスクリーンが設置されている。

「ドラムは、もうちょっと後ろがいいですね」

 私の主張を上田さんが察してスタッフに進言してくれる。

 上田さんは大きな声で厳しい表情をしていた。ライブの成功させるために、真剣なのだ。

 上田さん、ディレクターさんと、私が話し合う。

「そうね。モニターはどう?」

 上田さんがあちこち動き回って指示ずる。私も一緒について回る。

 ドラムが真ん中の一番奥、ベースなどは両脇に、中央にマイク台。

「おっしゃ、サイコー!」

 上田さんが片手を突き出してOKサインを出した。

「照明は、もうちょっと、遠くにできませんか? この子、汗だくになるので」

「ちょっと、マネージャーさん。明日香ちゃんが苦笑してるよ。言い過ぎじゃないの?」

 ここで照明のスタッフが笑う。

 失礼だなぁ。でも、当たってる。思わず苦笑する。

「音を出してー! 明日香に聞こえるように! みんな、もっと明日香のこと考えてください!」

 ディレクターがADに向かって叫ぶ。

 すぐに音響スタッフの人の声が舞台裏から帰ってきた。

「どう? 明日香。いい感じ? 明日香の初めてのライブなんだからね、絶対に成功させるんだからね」

「上田さん、私のために、ありがとうございます。うまくいきそうです」

 マイクの音量もいいし、ドラムや他の音量もいい。

 私の歌声を消さない、けれどしっかり聞こえるベストな状態。

「明日香ちゃん元気? 上田さんがはりきってるね」

 舞台袖から、ちょっと怖そうな恰幅(かっぷく)の監督さんが出てくる。

「いつもお世話になってます」私は挨拶する。

「いやいや、そんなことはないよ。それで、今日は赤坂明日香の初ライブってことで、取材陣が来てるから。しかも、わざわざ東京からね」

 監督は破顔(はがん)して呵呵大笑した。

 私は怖いことをいわれるのかと思ってビクビクしていた。肩透かしを食らった気分だった。

「ええっ。緊張してしまいますよ」

「大丈夫。明日香は強いから。それは、俺が一番わかってる」

「ありがとうございます。ご期待に添えるかどうか……」

「心配ない。いつもどおりにやればいいんだから」

「絶対に最高のライブにしてみせます!」

 衣装やメイクなどは、後回しでいい。

 リハが終わると、楽屋に戻って、化粧と衣装を着替える予定。

 で、リハが終わって、私と上田さんは楽屋に戻った。

 楽屋はいくつかあって、私の部屋は一番奥の楽屋に指定されていた。

 全体的に白で統一されていて、六畳はある部屋だった。

 下足でいい楽屋で、大きな鏡にゆったりとした椅子。

「こんにちはー! いよいよ本番ですね! 明日香ちゃん緊張しまくってるんじゃなーい?」

 メイクさんが来た。メイクはカズキさんだ。同じ福岡出身で、メイクアップ・アーティストとしては全国的に有名だ。新人なのに、こんな大物さんにお化粧してもらって、いいのかな。

「あらそうね。明日香ちゃん、は・じ・め・ま・し・て。私もオネエよーん」

 衣装は高松という有名なスタイリストらしいが、あまり知らない。

 お客さんが入ったらどんな感じかなぁ。本番が近づくにつれて、緊張が増してきた。

 ライブは初だった。出身地、福岡から始まるツアーは楽しみだ。

 台本の読み合わせは前に終わったし、あとは、ライブが成功するかどうかだけ。

 もうすぐ出番だ。不安と興奮が波のように寄せては返し、私は落ち着かなくなる。

 ああ、事務所の先輩からなにかアドバイスでも貰っとくんだった。

 そこへ、扉を叩く音。スタッフが来た。

「おっしゃー人生初ライヴ! 乗り切ってみせちゃる!」

 私は微かに震える手と足を押さえながら、ステージへ歩いて行った。

 中背中肉の中年の司会者が私の名を呼ぶ。

「新たな平成の歌姫、赤坂明日香さんの登場です―――――――!!!」

 ステージを地響きさせる声援。拍手。百八十度、人、ひと、ひと。二万人が収容できると聞いたけど、本当のようだ。

 会場は端から端まで、人で埋まっていて、とにかく歓声が凄く、エネルギーに満ち溢れていた。

 男と女の人が半々で、すごく嬉しい。男のファンが多いと人気は長く続かない。女性ファンがいると、生き残れる率が高い。

 自分で作ったであろう団扇(うちわ)や、垂れ幕。

「明日香大好き」とか「初ライブおめでとう」なんて書いてあって、思わず涙が出そうになった。

 歌っている間も、手をリズムに合わせて叩いたり、手を振ったり。圧倒された。

 野外ライブだけに、日差しが眩しい。周りには見えないよう仕切り版があって、音は外に流れてしまうが、ファンが増えるといい。

 私が下にいて、ファンは段々に上に上がっていく。けして上からファンを見下ろす形ではない建物だった。

 最初の言葉。

「皆さん、今日は、私のライブに来てくださって、どうもありがとうございます!

 実は……とても緊張していて、汗でマイクがベタベタなんですが、無事、ライブが成功するといいなと思っています。

 皆さんの、パワーに負けないくらい、私も魂を込めて、歌いたいと思います!

 皆、ありがとう!」

 ワーッと盛り上がる。口笛を吹く音、歓声。垂れ幕を振ったり、団扇を仰いだり。ウェーブができたり。

 緊張が次第にほぐれていく。

 最初は、もちろん、デビュー曲。三ヶ月も掛けて書いた曲。

 これが月九のオープニング曲で、新人ながらもCD売り上げが初登場で十位以内入りした思い出の詰まった曲。

 これで私の名声は広まった。が、新人は新人。

 私のライブのチケットは安い。それでもいい。会場を埋め尽くすファン。

 歌いながら涙が出てくると「がんばれー」と声が聞こえてくる。

 一曲目から涙を流してどうする。自嘲しながら、私は涙を拭って二曲目を歌い出した。

 この曲は、一枚目のシングルのB面の曲。

 私はA面だろうがB面だろうが、どちらも良い曲に仕上げたいから、全部の曲がA面みたいになっている。それが人気の一つでもあった。

 皆、総立ちだった。歌に合わせて拍手をしてくれる。

「はぁ……。これで、ようやくライブも残り一時間となりましたが、皆さん、疲れてませんかー?」

「大、丈、夫~!!!」

 声が返ってくる。

 嬉しくて堪らない。やっぱり、ライブは最高だ!

「倒れないようにね、次の曲は……」 

 照明と熱狂で汗が出た二時間のライブ。

 私は人生で初めてのライブに成功した。

 サイン会はなしだった。ツアーグッズが出口近くに売られている。明日香グッズを身に着けた若いADさんが立って宣伝している。右と左、両方の端に出口があるので、そこで売られている。

 私がライブをなんとか成功させたあと、スタッフの人たちと打ち上げをした。

 夜九時くらいに上田さんとホテルに帰ると、ホテルの近くにパトカー、救急車が停まっていた。人もたくさん集まっていて、よく見えない。

 なんだろう。

 ほろ酔い気分でいたのが、いっきに正気に返る。

 なんで、警察が――。

 とりあえず、部屋に帰って休みたかったので、私がホテルを入ろうとすると、刑事と思われる人に声を掛けられた。

 夜で暗くて見えにくいが、全身が黒のスーツで、眼鏡を掛けた若い人と、くたびれた茶色のスーツを着た中堅の歳の人がいた。

「福岡県警察 警部補 山北修吾」と書いた、顔写真の入った、下に警察のマークが入った警察手帳を見せた。

 若い人の手帳には「福岡県警察 巡査長 玉本哲也」と書いてある。

「あなたは……このホテルに泊まっている、赤坂明日香さん――で、間違いないですね?」

「当たり前じゃないですか。超有名な赤坂明日香は、確かにこの子ですが」私の代わりに上田さんが答える。

 わけがわからない。

「実は、このホテルに泊まっていた客の死体が発見されましてね」

「そうだったんですか」

「とりあえず、このホテルにいた人たち全員から事情聴取しているんですよ」

「はぁ。大変なことで……」

 ライブの成功を祝して、ホテルで宴会が開かれた。ホテル最上階を借り切りで。

 マネージャーの上田さんが幹事だった。

「皆さん、今日は赤坂明日香のために、ありがとうございました! お疲れ様でした! 打ち上げ、ゆっくりしてくださいね! 楽しんでいきましょう! それでは、赤坂明日香から感謝の言葉です!」

 上田さんからマイクを渡された。

「皆様、今日はありがとうございましたです~! 皆様のおかげで、無事にライブを成功させることができましたです~! これからも、わたくし、赤坂明日香は、頑張りますので、応援宜しく、お願いいたしますです」

 ワーっと、盛り上がる。

「明日香ちゃん、お疲れー!」「歌、ばっちりだったよー!」

 あちこちから声が飛んでくる。

 私は上田さんにマイクを渡した。

「それでは、赤坂明日香からの挨拶も終わったことですし、皆様、乾杯!」

 皆で乾杯をして、それぞれ食事に入る。

 盛り上がっているときに、誰かが口にした。

「このホテルに入るときにさー、警察を見たんやけど、なんかあったんかね? ばってん、こっちは、ずっとライブしてたから、よくわからんけど」

「そりゃ私もですたい。いったい何なんっち思いますき」

「宴会にそんな話せんといてくださいよ」

「いやあ、こりゃ、すみません。ちょいと、物騒な話でしたけん、気になったとですばい」

「ま、俺たちには関係のない話ですたい」

「ですな」

 それで、ホテルで起きた事件の話は終わった。

 宴会の雰囲気を乱したのは、貸切のはずのレストランに来た警察だった。

「盛り上がっているようですな」

 全員が入口を向く。山北警部補と十数人の刑事が来ていた。

「ここの皆様のアリバイを訊かせていただこうと思いまして、失礼しました」

「何か事件が起きたのですか?」

 上田マネージャーが疲れた顔で、山北警部補に訊く。

 私は内心ドキドキだ。北村さんとの不正を暴かれたら一巻の終わりだ。なんとか、バレないうちに、警察とはおさらばしたい。

「実はですな、このホテルに宿泊していた森末翼さんという男性が亡くなりまして」

 死んだのは、誰だと言っていた?

 楠木から賄賂を受け取った、あの、森末翼か。

「そうですか。残念なことで」

 ハイテンションな空気が、一気に下がる。

「警察も空気を読め、って感じですたい」

 誰かが呟いたのが聞こえた。

「とても残念です。仏さんは、未来ある陸上選手だったのでね」

「それで事情聴取に来る理由は、他殺だったのですか?」

 上田マネージャーが冷静に訊く。マネージャーがいてよかった。私一人だったら、ボロを出しかねなかったから。

「捜査情報を話すことはできません。一人ずつ事情聴取をするので、ご了承を」

「今から、一人ずつ順番に、ですか?」

「なわけないでしょうが。それだと時間がかかりすぎます。全員、一斉に、です。では、皆さん、我々に従いてきてください」

 山北の硬い表情と、有無を言わさない態度に、辟易(へきえき)した。

 同時に、森末に後ろめたい気持ちと、森末を知らないと嘘をつく態度に不安を感じた。

   5

 ホテルの部屋に呼ばれて、事情聴取をされた。

 シャンデリアの照明に、大きなベッドが一台。机が動かされていた。事情聴取に合わせてだろう。

 家具は、ほかには特にない。壁に襖があって、クローゼットになっている。

 刑事は地味な色のスーツをバシッとキメた格好で、顔はニヒルで頭をぼりぼり掻いていた。小説に登場しそうな刑事さんだ。

 もう一人はスーツなんだけど、ホストみたいな感じになっている。イケメンだからか。

 警察手帳を見せられた。一人は「福岡県警 巡査部長 川上剛」イケメンは「福岡県警 巡査長 永沢渉」とある。

「あなたの住所氏名職業を教えてください」

 川上という刑事が無表情で訊いてきた。

「えーと、赤坂明日香。本名も同じ。福岡県北九州市小倉北区○丁目○番○です。職業は歌手です」

 緊張して噛みそうだ。

「死亡推定時刻は、何時なんですか?」

 刑事と話すのは人生で初めてなので、不安で、そんなことを口走ってしまった。

「言えませんねぇ」

 眉ひとつ動かさず川上が答える。イケメンなのにニコリとも笑わないから、なんだか怖い。

「どんな死に方をしたのですか?」

「それも、言えませんねぇ」

「言えません、ばっかり。質問に答えてもらえないのに、事情聴取ですか? アリバイを訊きに来たそうですが、私たちはずっとライブにかまけてたので、殺人なんて、してる暇ありませんよ」

「でしょうな。ですがアリバイ工作かもしれません。すべての可能性を否定できません」

 川上は表情を変えないで答える。

 刑事という職業の人は皆、仏頂面で、感情を殺して生きるものなんだろうか。

「昨日、何をしていましたか? 朝から晩まで、何をしていたのか、しっかり、全部、みっちりと教えてください」

 疑われている。いや、全員が疑われているから、昨日、何をしていたかなど訊かれても当然か。昨日は買収に関わった。ここでバレたら、すべてが終わりだ。堂々と答えていればいい。

 私は昨日していた行動思い出しながら、詳しく訥々(とつとつ)と話した。

「昨日は、ずっと自分の部屋に引きこもって、歌詞のチェック、声出しを少ししていました。ステージのチェックで外へ出たのが一度だけです。お尋ねになられた人は見たことも聞いたこともありません」

「オリンピック代表にも選ばれるようなすごい選手ですよ。本当に知らないのですか?」

「いい加減にしてください! とにかく、私がステージに向かったことは、監視カメラとステージにいた上田マネージャーがご存知です!」

「では、昨日、歌詞のチェックと声出しをしている時は、何か周りに変化がありませんでしたか?」

「歌詞のチェックと声出しは一人でやるものですから、周りに気を配っている余裕なんてありません」

「何か変わったことはなかったかと聞いているんです」

「知りません!」

 とにかく、ありもしないことを川上があれこれ訊いてきて、八時間は、みっちり根ほり葉ほり訊かれて、くたくたになった。

 ライブから帰ってきて、打ち上げをやって、事情聴取。休まる暇がない。明日の公演に支障を(きた)すんじゃないか、心配だ。

 ホテルの宴会場に戻ると、テーブルの上は綺麗に片づけられた後だった。なんだか白けた気がして残念だった。

「あら、明日香ちゃん、ちょっと顔色悪いんじゃない?」

 上田マネージャーが、私の後ろから来た。肩に手を載せて、顔を覗き込んでくる。手で包み込むようにそっと肩を抱いてくれた。

「上田さんも、いろいろ聞かれて、疲れなかったですか? 私もうありえないくらいっくたくたで。こんなに体力奪われるとか思いもしませんでした」

「聞かれたわよ、みっちり。もう、ねちっこくて、気味が悪いったら。このホテルで人が死んだってだけでも不気味なのに、疑われるなんて、もっと最悪だわ」

 頭を抱えながら、上田マネージャーは苦笑いで話す。

「上田さん、私より疲れたんじゃないですか? 私より、頑張ってたみたいですから」

「よっ、明日香ちゃん。大丈夫だった?」

 音響のスタッフさんが宴会場に戻ってくると、声を掛けてくれた。四十半ばなのに、三十代にしか見えない、中背中肉の人。Tシャツにジーパンといったラフな格好。

 気軽に話し掛けてくれるライブのスタッフさんたちは優しい。私の体調を気遣ってくれてる。

 期待を裏切らないように、なんとしても、ライブ乗り切る!

「おっしゃ! あと二日、あと二日だけなんだから頑張る!」

 しかし、ここで奇妙な考えが浮かぶ。

 まさか、殺したのは、楠木? それはないか。だって、森末を殺したら、楠木は自分に票を入れてくれる人がいなくなる。

 お金まで渡して殺すなんて、あり得ない。だったら、犯人は誰だろう。

 同じホテルで何か事件が起きたのかと思うと、怖い。

「明日香ちゃん、今日はホテルで事件があって気持ち悪いでしょう。殺人鬼が潜んでいるんだからね。でも、明日のライブには影響が出ないように、気分を落ちつかせてちょうだいね」

 上田さんが心配そうに言った。

「私なら平気ですよ、気を付けます」

 個人的には殺人鬼より、今ここで賄賂がバレるほうが怖い。

 森末のヤツ、殺されるのはいいけど、飛ばっちり食らわせないでよ。

 ホテルの部屋に戻ってみたものの、事件が気になって、どうにも落ち着かなかった。

 なぜ、森末は殺されたのか。どうやって殺されたのか。誰に殺されたのか。

 犯人がわからないとは、こんなにも不安になるものなのか。

 何せ、人生で初めての経験なので、興奮した。

 物語に出てくる探偵ではないが、ちょっと、野次馬根性が出てきた。

 現場をうろちょろしていたら犯人に間違われないか、心配だ。でも、少しでも何か知りたいという要求が、頭を擡げてきた。

 ――ちょっとくらい、いいよね。

 傍観に徹したら別に問題はないと勝手に判断して、私は一階に行った。

「うわぁ……」

 目の前に広がる光景に、私の好奇心は止めが掛けられた。

 なぜか。「Keep Out」の黄色い現場保存テープで、中に入れない状況だった。

 ホテルには噴水がついていて、本館と別館の真ん中辺りにある。どうやら、ここで死体が見つかったらしい。

 遠くに白い線で枠がしてある。

 今はまだ七月で、日が長いので、アニメとかドラマで見る、被害者がいた場所に引かれる白い線が、はっきり見えた。

 面白い事実に気付いた。警察なら知ってるだろうけど、私から見れば、白い囲いがもう一つ。

 血痕からして、体のどこかが切断された形跡がある。

「ちょっと、赤坂さん。何を詮索(せんさく)してるんですか」

 山北警部補が目を吊り上げて来た。

「いや、ちょっと、気になって……」

「困りますよ。探偵気取りですか? 今時、流行ってないですよ。素人は引っ込んでてください。それとも何? 赤坂さんが犯人で、現場が気になる、とか?」

「失礼ですね。ただの野次……心配になって。犯人がうろちょろしてると思ったら、警察の方といたほうが安全かな、と……」

「我々警察を舐めてるんですか?」

 山北警部補が強面(こわもて)の表情に、さらに怖い表情になって、上から威圧するように言ってきた。

「まーさーか! そんなことは……」

「だったら、部屋でおとなしくしてて下さい」

「わかってます」

 しっし、と犬でも追い払うように手を振って、私は強制退場させられた。

 私は部屋に帰ってホテルに置いてあるメモとペンで頭の中を整理することにした。

 我ながらいいアイディアだと思ったが、いざ書いてみると、

〝森末翼、死亡。噴水にて、どこかを切断された。推定死亡時刻は不明〟

 くらいしか書くことがなかった。

「私、探偵に向いてない」

 ペンを置いて、ベッドに身を投げ出した。

「犯人が問題よね~。ここのホテルの宿泊者じゃなくて、通りすがりの人だったら、警察がここの宿泊者を捜しても、何の意味もなくなるのよね」

 しばらく天井を見詰める。

 何も浮かんでこない。浮かんでくるのは、ここで行われる三日間限定ライブの出来不出来だ。

 一日目は、クリアした。あと二日。もつか、もたないか。

 声を出しすぎてライブ中止になんてなったら、ファンに失礼か。

 悶々と考えていたら、部屋のインターホンが鳴った。

 ルームサービスは、してないぞ。まさか。殺人鬼……

「明日香ちゃーん」

 上田マネージャーの声!

「聞こえてますよー!」

 ベッドから飛び上がって入口に行って鍵を開ける。

 ぴと。

 首に刃物が押し当てられる。

「残念。私は上田マネージャーの振りをした殺人鬼でしたー。いやー、見事に掛かってくれた」

「嘘……でしょ?」

「うっそでーす!」

 上田マネージャーがおどけてみせる。

「今、笑えないですよ、マネージャー!」

 私が頬を膨らせて怒ると、

「ごめんごめん。やりすぎた? 一緒に料理食べない? 喉に効果のある生姜湯(しょうがとう)もあるよ」

 刃物はルームサービスについていたナイフだった。

「いやいや、明日香ちゃんたら、いつにもなく具合が悪そうだったから、盛り上げようって提案で、スタッフのみんなが二次会だ! って騒ぎ出してね。今は警察がいるから外に出るの大変だから、私の部屋で、って予定になったの」

「そうなんですか。でも私、気分よくないから、休むことにします」

「大丈夫? お医者さんに診てもらう?」

 上田マネージャーが覗き込んでくる。心配そうに、目を潤ませた。

 心から私を思ってくれてるんだ……。という気持ちが湧き上がって、本当に申し訳ない気がしてくる。

「お気遣い、ありがとうございます。ちょっと疲れてるだけなので、明日、またモーニング・コール、よろしくお願いします」

 笑顔で頼むと、上田マネージャーも笑顔で、

「わかった。しっかり寝て体力つけなさい! じゃね!」

 去って行った。

 上田マネージャーは良い人だ。これまで一度もケンカした記憶がない。優しいし、面白いし、頼りになるし。

 その日は、もう明かりを消して寝てしまった。

   6

 翌朝、上田マネージャーからの電話で起きた。

 スタッフの皆で一緒に朝食を食べようとの誘いで、一階に降りた。

 朝は皆が一緒でも問題は起きない。

「朝からフォアグラ丼!? 豪華な朝ごはんね」

 寝ぼけ眼の私に、きりっとした顔の上田マネージャーが感想を漏らした。

「まあ、宿泊代が高いですからね」

 私が苦笑いで言うと上田マネージャーも苦笑しながら

「警察がいるから狭っこいね。宿泊代が高くても釣り合わないよ。むしろ、まけてくれと言いたいね」

「まあまあ」

 だんだん口調が強くなってきた上田マネージャーを抑えて抑えてと、いなす。

 食堂に着くと、

「皆さんの席はフカヒレ・スープの手前です! 八時半までになってますから、それまでに食べてください!」

 上田マネージャーが説明した。

 私たちがどうしても他人目を集めてしまうのは、しかたない。

「あれ、赤坂明日香じゃない?」

 私を見た一般人のホテル宿泊者の声が聞こえてくる。テンション上がっている。仮に名前をつけるのはA子さんとするならば、

「うわ、でたんかわいー」

 と言ったのはB子さんで、

「顔ちっちゃ! 細いし、足長いし羨ましー」

 と言ったのはC子さん。

 ABC子さんたちはОLの三十代と見た。

「でも、実物のほうが可愛くなくない?」

 ……A子さん、余計なことは言わんでよろしいです。

 テレビに出る人間として、称賛を受けることはあるが、もちろん誹謗中傷を受ける事態も覚悟しておかなければならない。

 それができないなら、芸能界にいられないと心しておいたほうがいい。

「また警察になんか言われるのかな」

 私が不安げに呟くと、

「もう言われないでしょ」

 上田さんがポンポンと手を頭の上に置いて励ましてくれた。

 スタッフさんたちにも迷惑が掛かって、なんだか申し訳ない気分になる。

 早く犯人を見つけて欲しい。

「今日もライブですか。事件で人減ったりしませんかね?」

 山北警部補が心配しているかのような発言をした。

 一瞬どこから登場するのかと思ったら、左頬にご飯粒をつけた警部補が私たちの席まで姿を現した。

 警部補だけでなかった。刑事さんたちも朝食を摂りに来たらしい。時間帯がちょうど入れ替わりのようで、助かった。(ここ、刑事はホテルの食事を取らないのでは?)

 また殺人事件が起きるかもしれない。

「おやおや赤坂さん。あからさまに嫌そうな顔は、やめてくださいよ」

 山北警部補はご飯粒に気付いたらしく(おそらく私の視線で気付いたと思う)、左頬を指で拭って、真面目な顔で言った。

「……すみません」

 警察特有の上から目線が気に食わない。優しい刑事さんや警官はいるんだろうけど、私は、あいにくそんな親切な警察の人に出会った経験がない。

 確かに昨日の騒ぎで殺人鬼がまだ捕まってないようであれば、今日のライブのために宿泊された遠くのかたがたに申し訳ない。

「では、今日もライブが成功することを祈っていますよ」

「ありがとうございます」

 月並みな言葉で返して、スタッフとぞろぞろライブ会場へ向かった。

   7

 翌朝七時。

 山北警部補は、東警察署に設置された「森末翼殺人事件捜査本部」の中にいた。あまり寝ていない。

 山北は、事件が起きてからあちこち回って、目が回りそうだ。

 寝る時間も削って捜査に当たっていたので、捜査本部の会議は眠たかった。

 まだ、事件が起きて二日目だと、自分自身に鞭を振るって、欠伸を押し殺した。自分の身分で欠伸なんざ、百万年も早い。

 茶色の長方形のテーブルにパイプ椅子が並べてある。そこに、福岡県警本部と所轄署の刑事たちが座っていた。

 スクリーンには森末の写真が映し出されている。

 捜査指揮をしているのは木村竜也管理官だ。雛壇に並んでいるのは一河一東福岡署長、木村竜也管理官、渡辺茂捜査第一課長だ。

 山北は一河署長を見た。鋭い目をしている。自分に似た性格だと直感した。

 犯人をなんとしても捕まえてやる、という使命感に駆られた目。悪者は許さない。断固とした気配が感じられる。

 他にも自分に似た刑事はいるだろうが、一河には特に肌で感じる。

 司会は所轄の課長の佐々木だ。

「今から三回目の捜査会議を始める。まず、鑑識から」

 鑑識課の清水晴男係長が手帳を見ながら喋る。

「指紋関係を過去のデータベースと照合しましたが、一致するものはありませんでした」

「次、地取り班」

 山北と玉本が立つ。

 基本的には所轄署員と捜査一課の人間がコンビになる。

 山北と組んだ玉本は、なかなか勘がいい。これから良い刑事になりそうだ。伸びるも伸びないも、玉本次第と思っている。

「一応、防犯カメラの画像ファイルから調べたが、怪しい人物は映っておりませんでした」

 百人の刑事が集まっても、答は簡単に出ない。

「まだ、そこまでしかわかってないのか!」

 厳しい声が木村から飛ぶ。

 叱責も愛情の裏返し。期待に沿えるよう捜査に力を注ぐ。地取りの成果をあげるもこれから挽回してやる。

「はい」

「次、鑑取り班!」

 川上と永沢が立つ。

「ガイシャの大学で聞き込みをしてきたところ、陸上競技では優秀な成績はおさめてはいたが、プライドが高く、よく他の学生と揉める事態が多かったようです」

 手帳を見ながら、大きな声ではっきり川上が言う。

「じゃ、怨恨の可能性が高いな」

 続けて木村管理官が、

「ナシ割り班!」

 加藤と小林が立つ。

「凶器は不明なので、まだわかりません。ですが、遺留品には遺書はありませんでした」

「最後、科捜研!」

 科捜研の森下研究員が立った。

「ホテルに来た目的が、はっきりしません。なので、何らかの事件に巻き込まれた可能性も考えられます」

「となると、ホシは遠隔操作を行ったのか?」

 司会の渡辺が森下に訊く。

「そこまでは、まだよくわかっておりません」

「ゲソ痕は出なかったのか?」

「はい。それも」

「となると、計画的な犯行と見て間違いないだろう。全く、手掛かりがないな。皆、どんな小さなことでも見逃さず捜査に当たってくれ」

 渡辺が柔道で鍛えられた大きな体を使って大きな声を出した。

 ただでさえよく通る声なのに、余計に耳が痛い。と山北は思った。いや、その場にいた他の刑事たちも同じように思っただろう。

「地取り班は、さらに事件現場周辺を聞き込みしてくれ。鑑取り班は森末に恨みを持っていそうな人物を割り出せ。ナシ割り班は、まだ動けないだろう。他の班を手伝ってくれ。以上、三回目の捜査会議を終わる」

 渡辺の台詞で会議は終わった。

 刑事たちが二人一組で散っていく。

   8

 今をときめく歌姫、赤坂明日香の二日目のライヴが終わり、今度は細身のスーツを着た刑事と、ぽっちゃりの正反対な二人組が寄ってきた。

「ちょっと、すみません。このホテルに宿泊している方々ですか?」

「そうです」と私の代わりに、上田マネージャーが答える。

 山北警部補に最初に会ったときみたいなデジャ・ビュを感じる。

「赤坂明日香さんでしょう? 私の娘が、ファンなんですよ。ちなみに私は警部補の中島といいます」

 中島警部補は警察手帳を見せた。「福岡県警 警部補 中島豊」と書いてある。

「いいですか。なかしま、でなくて、なかじま、ですよ」

「山北警部補は?」

「山北は最初の事件の担当だから、別のところで捜査をしているよ」

 お人好しな笑顔を浮かべながら答える。

「中島警部補は何を?」

「第二の殺人事件が起きてね。堀内太一という男の死体が発見されてね。新しい捜査本部ができたわけさ」

「忙しいですね」

 また上田マネージャーが答える。

「そうなんだよ。殺人事件がこう立て続けに起きてはね。これから打ち上げでもされるんですか?」

 中島は話題を変えてきた。余計な話はしないつもりだろう。

「はい。福岡は終わりですので」

「そうですか。では、明朝にでも、お伺いしますよ」

「どうぞどうぞ。うちのスタッフや明日香には、叩いても出てくる埃なんてないですからね。いつでもどこからでも事情聴取なさってくださいな。それでは」

 上田マネージャーが強い口調で言うと

「さ、皆さん行きましょう」

 皆を促して、その場を去った。

 明日香は焦っていた。上田マネージャーは、叩いても埃は出てこないかもしれない。でも、明日香には選挙違反という埃がある。

 それに、森末が死んだときは、選挙違反が絡んだ自殺かと思った。

 でも、堀内が死んで、もしかしたら、あのときあの場所にいた人々が殺されているのではないか、という不安が芽生えてきた。

 買収した楠木が、一旦は私たちを信じたものの、どこからか買収がバレるのを恐れて殺していっているのかもしれない、と思い始めた。

 このままだと、いつ殺されるかわからない。明日のチェックアウトまで福岡にいる。

 それまでに逃げ切れたら、私の勝ち。

 楠木がどんな殺し方をしたか知らないが、警察は気付いてはいないようだ。

 ホテルの上階だし、窓から入ることは不可能だし、ドアもオートロックで入れないようにしている。

 森末はランニングで外に出たから狙われたんじゃないかと思う。

 堀内だって、そうだ。外で見つかっている。外に出なければ狙われることはない。

 警察に話そうか。ふと思ったけど、買収がバレたら、芸能界で生きて行けない。

 競争の激しい世界だ。一度でも失敗すれば、次など、すぐに出てくる。

 歌姫と呼ばれるまでに成長した今、致命的だ。

 殺されるわけにはいかない……。上田マネージャーに話そうか。

 話して助かるか。いや、必ずしも、そうとは限らない。

 どうしよう。とりあえず、明日までだ。明日を逃げ切れば、楠木は手を出してこられない。

 打ち上げが夜中まであるから、きっと隙はない。

 明日香は自分に大丈夫と言って落ち着かせると、打ち上げ会場に向かった。

   9

 中島は捜査会議の最中だった。

 雛壇には博多警察署長の藤井守警視が座っている。新しい事件は阿部高明管理官が担当している。

 博多警察署の刑事課長は三国圭警部。

 菊池巡査の報告が始まった。横で中島警部補が厳しい眼差しで立って報告をしている菊池を見上げていた。

「マル害の殺害方法について。殺害方法は溺死。検死の結果から広い水が張ってあるところでの溺死ではないと判明しました。それから睡眠薬を飲まされていたことから、男でも女でも犯行が可能であるとも分かりました。ですが犯行時刻の夜中十二時、目撃者はおりません。海の中道海浜公園内ではセキュリティがあるところは一つしかないので、いつでも誰でも犯行が可能です。しかし、殺害場所が別の場所だった場合、堀内太一の長身痩躯を運ぶのに台車なりなんなり使わないと女性には犯行不可能になります」

 司会の阿部管理官がドスの聞いた声を出した。

「目撃者は本当に一人もいないのか?」

 これには捜査官たちも息を吞んだ。

「今のところ、いません」

 地取りがうまくいっておらず、菊池の声はしぼんだ。

「そういえば昨日起きた殺人事件でも、目撃者がいなかったとか。県警の山北が言ってたな」

 中島が呟いた。菊池は聞き逃さなかった。

「本当ですかそれ? 連続殺人なんでしょうかね、幽霊の。だって、目撃者が二件ともないんですよ?」

「お前はアホか。警察が幽霊なんて言うもんじゃないと。わかったらさっさと地取りの準備をしろっちゃ」

   10

 博多警察署では、会議が終わった午前一時。

「眠い。シャワーに行くばってん、おまえも準備しろ」

 中島は年下の菊池と会議室を出た。

「中島先輩。自分、先に寝て、早朝にシャワー浴びたいっす」

「そうか。わかった。先に柔道場に行って寝てるよ」

「ありがとうございます。朝の会議までには間に合わせますので」

 中島は同じ会議室から出てきた同い歳の小松警部補と喋った。

「おや、小松。さっそく疲れた顔してんな」

「おう、中島。会議で感じたんだけどさ、長期戦になりそうでな。気が重いんだ」

「そっちのコンビは、どうだ。ホシは見つかりそうか」

 小松が興味深そうに訊いた。

「まだまだだな。相棒もアマちゃんでな」

 中島は相棒の菊池の顔を思い出しながら、答えた。記憶の中の菊池の顔は、締まっていない。

「お互い、頑張ろうな。ホトケの願いだ」

 小松の疲れた笑顔に、中島は首肯する。

「今から寝るのか?」

 中島から切り出す。

「おお。相棒は先に寝て、朝シャンするんだとさ」

 小松がやれやれと言った感じで言う。

「若者は違うな。俺は早起きのほうがつらい」

 中島は、しみじみと愚痴った。

「俺もだ。俺たちも歳とったな」

「ああ。確かに」

「寝るとするか。睡眠で体力を充電しておかないと、()たないからな。この歳になったら、もう」

 小松が苦笑いしながら言う。

「俺もだ。寝ないと体が()たない。しかも朝起きがきつくなる」

「わかるわかる」

 どんな年寄りの会話だ、と中島は内心ツッコんでいた。小松も心の中でツッコんでいるに違いない。

 だが、やはり小松の相棒と、中島の相棒は若く、特に中島の相棒は「マル被を捕まえるために鍛錬しておかないと」と稽古をしていた。

 ちなみに捜査本部が立ったら道場で稽古はできなくて、外に向かったようだった。

 熱いのが刑事だし、気合の入りようは文句ないのだけれど……。

 柔剣道場に二人とも向かった。

   11

 夜中の三時。宿泊客が寝静まったころ。

 ズドオンという腹の底から揺さぶられる音がした。と同時に、ホテルの火災警報がジリリリリと鳴る。

「何? 何が起きたの?」

 上田マネージャーは慌てて身支度をして廊下に出た。

 はっと気づく。

「明日香! 明日香は?」

 上田は部屋に戻って、フロントに電話した。

「すみません、歌手の赤坂明日香を見かけませんでしたか!?」

「残念ですが、お見かけしておりません。お客様も早くお逃げください」

 上田は今度こそ、ドアから飛び出した。ホテルの端の階段を登る。

 スタッフたちとも、何度もすれ違った。皆、エレベーターが作動しないので、走って逃げている。

 上田が七階に上ったころには、防火シャッターが下りて進めなかった。

 なんども防火シャッターを叩いて呼び掛けるが、返答がない。

「もう下りたかも」

 火は回っていないようだった。火事ではない気がした。

 上田がエントランスまで下りて慌てて外に出ると、ホテルの通報で三時十分前後に消防車、救急車が来て、消火活動を始めた。

 消防車から三つのホースが出て、七階に向けて放射される。爆発下と思われる部屋の窓が全部なくなっている。窓の破片が爆発した部屋の下の叢の上でキラキラ光っている。

 上田がホテルから出ると、辺りは消防車のランプの色で赤く照らされ、人々の悲鳴や怒号で騒然となる。煙がもくもくと空に上がっている。

 そのすぐあとにパトカーが到着した。

 刑事の巡査と警官がロープを張って野次馬とホテルの宿泊客を安全なところまで追い出した。

 上田は諦めきれずに第一線で叫び続けていた。そしたら天の思し召しか、刑事さんの目に留まった。

「どうしましたか」

「あなたは……?」

「自分は捜査一課殺人犯捜査第四係の早川です」

 がたいのいい男は「早川学 警部補」と書いた警察手帳を見せた。

「同じく巡査の平野です」

 こっちはインテリみたな黒縁の眼鏡を掛けた、細っこいひょろりとした男だった。

 どんどんパトカーが増える。総勢五十人はいそうだ。

「ああ、あれは刑事とか鑑識とかが来てるんですよ。で、なにか気が付いたことでも?」

「あっ、あの部屋!」

 上田が指さした方向は、ちょうど明日香の泊まっている部屋の窓だった。

 七階の真ん中の、一番高いところ。カーテンだけが水を吸っていながらも風を受けて、めんどくさそうに揺れている。部屋の中も黒にしか見えない。

 焦げ臭い匂いがする。他の窓も飛び火を防ぐため水を掛けられる。

 明日香の泊まっていた部屋の周りにスタッフが泊まっていたため、ヘアメイクや音響の姿を目で追う。

「あの部屋ですか? 爆発が起きたようですね」

 早川の言葉に大きく頷くと、我に返った。

「あそこ、歌手の赤坂明日香の宿泊していた部屋です! それで、明日香が見つからないんです! 明日香はまだこの辺にいるかもしれませんが、逃げ遅れた可能性も……!」

 畳み掛けるように喋る。

「わかりました。消火が終わり次第、一番に捜してみますから、冷静を保っていて下さい」

 早川に言われ、上田は何度も頷く。

「消火が終わったら、我々が中に入ります」

「ありがとうございます、ありがとうございます……! どうか、明日香を……!」

 上田は溢れる涙を止めることができなかった。

 嘆く上田を、早川は慰めてくれた。暖かい言葉を、何度もくれた。

「大丈夫ですよ、一旦、全てが収まるまで、待ちましょう」

 上田は涙を流しながら頷く。

「明日香が生きていると信じて待ちます」

「それでは、自分はホテルの関係者に聞き込みをしないといけませんので、あなたはここにいて下さい。なあに、すぐ終わりますよ」

 笑顔で言い置いて、早川は去った。

   12

「ホテルの支配人は、どなたですか」

 早川が訊くと、ロープで入れないように仕切られたところ以外にいたホテルの関係者が出てきた。

 ホテルのスタッフだけでも五十人くらい。集まった刑事と同じくらいの比率だ。

「私がホテルの支配人の後藤です」

 爽やかに髪をオールバックにした中年のスーツ姿の男だった。

 身長は百八十センチくらいと高く、身体は鍛えてあるのか、がっしりしていた。

「赤坂明日香の部屋は、どんな部屋でしたか?」

 早川が訊く。

「赤坂明日香様のご宿泊なさっていた部屋はこんな部屋です」

 ホテルのフロントから持ち出したカタログを後藤が早川に見せる。

 早川は、カタログを見た。一人にはありあまるほどのツインのベッドがあるところで、ルイガンズ・スイートと呼ばれるところだった。一番料金の高い部屋で、ベッドに天蓋がついていた。

 六十七平方メートルもあって、とても広い。すべての家具をオーダーメイドで揃えた、豪華な部屋で、ベージュの壁にシャンデリアがあった。

「そこで何が起きましたか?」

「火災にしては大きな音がしましたし、爆発かと。それ以上は、我々もわかりません」

 後藤は淡々と答える。

「そうですか。では、誰かがなにか爆発物を赤坂さんの部屋に置いてきたとか、ありませんか」

「監視カメラがあるので、もし誰かが怪しいものを持ってきたなら映っているはずです」

「監視カメラはどこに設置されてあったのですか?」

「両端の階段、各階の部屋前の廊下が見渡せるように付けてあります。それから非常階段、エスカレーター、エレベーター、駐車場、ロビー、売店、レストランと洗面所前、玄関にフロントなど全てですね」

 嘘ではないようだった。

「では、監視カメラ全部の画像データを提出していただきたいのですが。必要ならば捜索令状を取ります」

「それには及びません。全部、構いませんよ」

 支配人が笑顔で返す。

 そんなとき、消防司令長の高根がやってきた。

「早川警部補。消火が終わりました。スプリンクラーが作動したおかげで、早く消火できました」

 消火は三十分で終わった。

「鑑識、消防が中に入ります」 

「了解」と応えた直後、早川の警察無線から声が聞こえた。

「早川警部補たちも現場検証に来てください」

 早川は非常階段を登って行った。平野は続いた。他の捜査員たちも続いた。

 上がるに連れて、焦げ臭くなった。

 明日香の泊まっていた部屋まで着いた。

「ひどい有様ですね。毎度毎度、悲惨な現場を見るたびに、胸くそが悪くなりますよ。もう、慣れましたがね」

 早川の言葉に消防司令長の高根が、雑談をしながら、本題に入った。

「そうでしょうね。刑事さんは酷い現場もたくさん見てきたでしょうからねぇ」

「明日香さんは見当たらないですね。ただ、寝ていたベッドに、足や腕とかがあるんです」

 高根が部屋の真ん中の焦げ目を指差して説明した。

「あとで監視カメラで、爆発前に出入りがなかったか調べますよ。DNA鑑定もします」

 早川は冷静に方針を述べた。

「爆発で燃えたからか、あまり物が残ってないですなぁ」

 続けて早川は嘆いた。

「指紋も、採れるところは取ってみました」

 鑑識課の松木が希望を込めた発言をした。

「ありがとうございます。わかっていることは、これだけですか」

 早川が残念に思いながら答えた。

「そうですね……。肉片も誰のかわかりませんし、出火原因も不明ですし」

 松木の自信のない答に、士気が下がった。

「上田さんには行方を調べていると言っておこう」

「早川警部補。監視カメラの録画データ持って来ました」

 額に汗を浮かべて平野が戻ってきた。ぜえぜえ肩で息をしている。

「科捜研にチェックさせよう。他に証拠品はないか?」

「ないですね。爆発しましたし」

 松木は残念がった。

「じゃあ、我々地取り班は戻って、鑑取り班の報告を待ってみよう」

13

 福岡東警察署、「森末翼殺人事件捜査本部」の会議中。

 午前八時半。

「今日の捜査方針を決める。地取り班はガイシャの部屋と、殺害場所を探れ! 鑑取り班はガイシャの身元調査で地元の折尾警察署と交渉、ナシ割り班は現場辺りの店を洗ってくれ」

 木村管理官の眉間の皺は、だんだん深く多く濃くなっていた。

「全く。もっと重要な手がかりを持って来いって感じですよね、山北警部補」

 玉本が、こそっと喋る。

「では、解散っ!」

「現場百回か。なんも見つからんと、警察が無能と言われるんちゃ」と山北が呟いて続けて「玉本、行くぞ」と息巻いた。

 頷いて玉本が従いてきた。

「眠そうだな、玉本」

「はい。警部補と違って体力ないんですよ」

「情けないヤツだなぁ。目覚ましにコーヒー淹れてやるよ」

「いやいや。申し訳ないですよ」

「遠慮するな」

 山北の頭に、はっと閃く物があった。

「玉本、鑑識に行くぞ。その前に管理官の許可を貰わないと」

 コーヒーを手に持ったまま、玉本は山北のあとを従いてきた。

「管理官、少しお話があります」

「なんだ、山北」

 木村管理官が硬い口調で返した。

 山北は平気だったが、玉本は少し気圧されていた。

「ガイシャの財布を鑑識に行って拝見させてもらっていいですか?」

 山北の発言に木村は片方の眉を上げて

「何か見つかったのか」

 山北は、してやったりと思い、嬉しさに口元が緩んだ。

「いえ。刑事の勘というやつですよ」

 木村管理官は顔を上げて山北の目をしかと見た。

「ほう。刑事の勘、か。お前の言う刑事の勘というヤツを信じてやろう。結果を出せ。いいな?」

 山北は笑顔で頷いた。

「はい、管理官。ホシは絶対に捕まえてやります」

   14

「清水課長」

 捜査会議にも出ていた鑑識課長の清水は、メガネを掛けて髭を生やした中肉中背のこれと言って特徴のない人物だった。

 顔も中の下くらいだ。五十代だ。

「おや、山北警部補、今日は何の御用かい?」

 清水はメガネを押し上げた。

「昨晩の捜査会議で報告済みの財布、ありますか?」

「あるよ」

 清水は保存していた袋を出して山北に見せた。

「でも、なぜ財布を?」

「ホテルの人から、事情聴取をしたときに、何か封筒を持ってどこかに行ったと聞きましてね。どこに持って行ったか財布に控えが入ってないかと思いましてね」

「今ごろ気づいたのか、馬鹿野郎! この間抜け! 何年、刑事をやってやがる! って言ってやりたいところだが、今回は勘弁してやろう」

「はっ、すみません。平身低頭です!」

 清水が袋から財布を出した。

 森末の財布には、日に焼けて真っ白になったレシートから、最近のものまで、パンパンに入っていた。たった一枚だけのレシートが見つかった。

「封筒なら宅急便か郵便局の控えがありますよね?」

 玉本が期待をこめて喋った。

「あったぞ! コンビニのレシート!」

 山北は嬉々とした。

「確かに、荷物を送っているようですね」

 山北の手を覗き込みながら、玉本が不思議がった。

「この重さ、何でしょうね? この料金だと軽いほうですね」

「どこに送ったか聞き込みだな」

「大いなる収穫ですね」

   15

 山北と玉本は森末が来たコンビニまで来た。

「すみません。警察の者ですが」と警察手帳を見せる。店員は面食らったように、山北と玉本を見た。

「監視カメラの映像を見せてもらいたいのですが。質問に答えていただけますか?」

「店長を呼んで来ますね。店長、警察の方がいらしてます」

 バトンタッチし、店の奥から店長がやってきた。山北は尋ねた。

「この男が三日前の午後二時八分に来店したはずなんですが、監視カメラの画像を見せていただけませんか?」

「いいですよ。ちょっとお待ちください」

 店主は奥に入って行った。数分、待たされて、店主が戻ってきた。

「福島くん、代わりにレジやってて。刑事さんたちは、どうぞ、こちらへ」

「USBに記録させていただきますよ」

 店主に案内されて、山北と玉本は店内のさらに奥へ入った。

「ここで見られます。刑事さんのお探しの映像は、これです」

 パソコンで見て、二時八分で止める。

 コンビニの中なので、人一人が通るのが精一杯の大変な狭さだ。

 皆、横一列になってパソコンを覗き込んだ。 

「みかん箱にガムテープが貼ってありますね。中身がなにか、わかりませんね」

 玉本が映像を見ながら話した。 

 箱には『温州蜜柑』と書いてある。ホテルから送る荷物がミカンとは考えられない。

 箱には宅配便の配送票が貼られている。

 お届け先は〒八〇八-八五八五 北九州市八幡西区自由ケ丘一の八 学生寮一〇四号、依頼主は森末翼、福岡市東区西戸崎一八-二五と書いてある。品名は衣類。

 配送票の筆跡は、男にしては綺麗な文字だった。角ばって、男が書いたと思わせる。筆跡鑑定に回すことになる。

 料金は一四〇四円。重さは一五キロ以内。

「発送控を持って帰っても、よろしいでしょうか?」

「もちろんです。どうぞ」

 コンビニの店長はコピーしてから発送控を山北に渡した。

 山北は手袋を装着して受け取った。

「すみません。協力者の採取をしておりまして。お願いできますか」

「え。どうしてもしないといけないですか」

「はい。犯人を捕まえるためです。お願いします」

 嫌そうに、店主が協力者指紋採取用紙に指紋を付ける。

「よし、次に行くぞ。捜査協力、感謝します。では」

 山北と玉本はコンビニを出て、森末が使った○○運輸を訪ねることにした。

   16

 山北と玉本は○○運輸の北九州サービスセンターに足を運ぶ前に捜査本部に戻った。

「佐々木課長、令状交付の申請書を書いていただきたいのですが」

「ほう。捜査に難攻しているようだね」

「まだ佐々木課長のように行きませんよ」

 山北は苦笑した。

「場数を踏んでない……か」

 佐々木は、なぜかしたり顔で書き物をした。山北は、自分たちの考えは読まれているような気がしてならなかった。自分たちの行動が、掌で動かされてるような。

 ありがたく受け取ると、捜索差押許可状を取りに裁判所に向かった。

「なにかいい証拠品を持って帰れるといいね」

 裁判官の口調は柔らかかったが、顔は真剣だった。

 令状には、いろいろ記述が必要で、裁判官も時間を取る。

 手を煩わせるのだから、それなりの結果を出さないと申し訳ない。

 宅配便を押収しに北九州へ車を走らせる。

 本来なら、配達に一日しか掛からず、ガイシャ自身も翌日に帰って荷物を受け取るはずだった。

 なのに、配達に出した次の日にガイシャが死んだから受け取る人はいなくなった。そのため、配達物は一週間お預かりの形になっている。

 はたして、北九州サービスセンターに荷物はあった。

 一緒に荷物を探してくれた責任者に、お礼を述べた。

 令状を提示して、山北は有無を言わせない口調で宣告した。

「この宅配物を持ち帰らせてもらいます」

 気圧されて、○○運輸の責任者は「はい、どうぞ」としか答えられなかった。

 協力者指紋の採取用紙に指紋を採取して、預かり状を山北が書いて、荷物は車のトランクに載せ、福岡市に戻った。

 車中、「署に帰って中を開けるのが楽しみですねぇ」という玉本の言葉にチッと舌打ちした山北は前を向いた。

 福岡市から北九州市までの往復は結構、車に乗っているだけでもダルかった。


  17

 二人は東警察署に戻った。

 早速、鑑識を呼んだ。鑑識が開けるとき、山北と玉本は立ち会った。義務だ。

 鑑識の清水は黙々と作業をする。

「なんだ、本当に衣類しかないな」

 山北は本日二回目の舌打ちをした。

「底に包まれた何かがありますね」

 清水が取り出して呟いた。

(きん)だな」

 山北は驚いていたものの、声には出さなかった。

「金ですね。どうやって手に入れたんでしょう? わざわざガイシャがお金を引き出して換金してきたのでしょうか? こんな大金。この金、百万円分くらいありそうですよ」

 玉本は驚いていた。

「僕の給料の何か月分だ」

 こっそり玉本が呟いたのを、山北は聞き逃さなかった。あえて聞かなかったことにした。高卒の玉本は、ぺーぺーだから給料が低い。

「これは貴重な捜査の参考品だな。さ、福岡へ戻るぞ」

   十七

 その日の夜の捜査会議。

「地取り班、山北!」

 司会の佐々木が指名した。

「はい!」ピシッと手を挙げて山北は返事した。

「ガイシャの財布から宅配便を使った証拠が出てきたので、ガイシャの行ったコンビニに行き、監視カメラに映った姿を確認しました。それから配達センターに行ってきました」

「では、鑑識、清水!」

「山北警部補から預かった荷物から、時価百万円の金が見つかりました」

 すると、木村の片方の眉がピクリと上がった。

「裏づけを取れ」

 山北と清水の報告が終わると、次は他の地取り班の刑事や鑑識、科捜研の報告で、だいぶんわかった。

 科捜研から報告された。

「凶器が判明しました。場所は、ホテルの噴水前の横の茂み。そこに落ちていたピアノ線に間違いありません。ガイシャの血痕とピアノ線に付着していた血液のDNAが一致しました」

 やはり、そうか。会議室がざわついた。

「他、報告がある者!」

 山北の斜め前にいた男性刑事が手を挙げた。

「ガイシャの部屋から日記が見つかりました。どうやらホテルに泊まったのは何かが目的であったことが読み取れます」

「何かとは、なんだ」

 佐々木が強い口調で質問する。

「まだ捜査中です」

「急いで探し出せ」

 その刑事は「はい」と厳かに返事をして座った。

「はい。森末を目撃した人が一日の終わりのトレーニングに行くと言ったところでガイシャを見た者は終わっています。深夜でしたので皆が寝てしまって、そこで誰もガイシャを見なかった可能性もありますが」

 以上のことから、明日の捜査は犯人がどこで凶器を手にしたか、何の目的でこのホテルに泊まっていたか、と決まった。

 夜の捜査会議が三時間に亘って続いた後、木村は「解散」と強い口調と鋭い眼差しで全員を見て去っていった。

「いやー、今度の殺人、手がかりが少なすぎますね。そのせいか、木村管理官もピリピリしてますよね」

 玉本が山北にぼやいた。

「暗礁に乗り上げたわけでもないのにな」

 無事に犯人を捕まえることができるだろうか。不安が頭を擡げてきた。

 いや、と考え直す。いつも事件が起きるたびに解決しないんじゃないかと思ってしまう。

 作家が作品を完成させることができるかと胸を痛めるのと同じような衝動なのかもしれない。クライマーズ・ハイに似たようなものだろうか。

「そういえば、他に気になることがあったんだ。明日また北九州市へ向かうぞ」

「またですか? 面倒ですね」

 玉本は自分のメモ帳を見直す。これまで調べたメモから再捜査する材料を見つけるためだ。自分でもなにか手がかりが見つけられないかと、玉本なりに考えた結果の行動だ。

「今までの捜査で、何か引っかかる要素がありましたっけ?」

「おまえは、まだまだ半人前だな」と山北は鼻で笑う。

「答は、換金するときに支払った(かね)だ。そこに、真犯人の指紋がついているかもしれない」

「そうですね! 証拠品を回収したら、科捜研に行きましょう! それと、ガイシャの寮にも行きますよね?」

「正解だ」と山北が答えると玉本がガッツポーズをする。やれやれ。

「今、元気を出して、どうする。今日は寝るぞ」

 まるで金魚の糞のように玉本は山北に従いて行った。

   十七

 朝の会議を終え、それぞれの捜査員が、それぞれの場所に散って行った。

 中には協力して捜査する班もある。

 山北はその中には入らず、家宅捜索令状を持って玉本を連れ、北九州市に向かった。

 北九州市のガイシャ、森末の自宅を調べることになった。

「ガイシャの家族に立会人になってもらわないといけませんね」

 玉本が車の中で山北に話し掛けた。

「ちょいと今から自分が電話しますけんね」

「ああ、よろしく」

 玉本が携帯電話で捜査資料を読みながら電話を架けた。

「あの、すみません、福岡県警の玉本と申します。森末翼さんのお母様でお間違いないでしょうか? 実は今から息子さんの寮へお訪ねしたく、立会人になっていただきたいのですが、お願いできませんか?」

 玉本はまだ若いので声に威厳がない。相手から軽んじられなければいいが。

「そうですか。はい。では、しょうがないですね、お手間を取らせてすみません。失礼致します」

 相手に見えないのに頭をペコペコ下げて玉本は電話を切った。

「ガイシャの家族は、立会人にはなれないそうです」

「なぜだ?」

 腑に落ちない。断る理由がわからない。

「用事があるそうです」

「そうか」の一言で終わらせたが、何か胸にもやっとしたものが残った。

「自分の息子が誰かに殺されたんですよ? 普通、犯人を捜し出してやろうとか思いますよね?」

 玉本の言葉に憤りが感じられた。

「子供を大切にしない親だっているさ。だから、ニュースでも虐待が問題になる」

 あくまでも淡々と山北が喋った。部下の前では堂々としていないと。

「警部補、よく冷静でいられますね」

「お前とは場数が違う。こういった経験は何度もある」

 胸のつっかえがあるのも半分、自分の言ったことも本当。

「そうなんですか。わかりました。よく覚えておきます」

 それきり、玉本は黙った。

   19

 車は北九州市に着いた。寮の外観は普通のアパートみたいな様子だった。二階建てで、横が長かった。壁は薄茶色。辺りには自動販売機があって、警察署も近くて安心だ。最近できた洋服店が隣にあって、寮は目立たない。どちらかというと裏道にある。

 寮母さんの部屋のネームプレートを確認した。中尾さんだ。

「昨日、来た、警察の者ですが」

 寮母が快く笑顔で対応した。山北は令状を見せた。

「何の用でしょう?」

 四十代半ばだろうか。ほうれい線が少々目立つ。目は二重で大きく、肝っ玉母さんを絵に描いたような人だった。オレンジ色の夏服の上に茶色のエプロンを着けていた。パンツはデニムの丈の短いもので、足首が見えていた。

「被害者の森末さんの部屋に用がありましてね。マスターキーで開けてもらいたいのですが」

 なぜ、わざわざ山北が北九州市まで来たか。財布に、換金したレシートしか出てこなかったからである。

「わかりました。すぐに取って来ますので待っていてください」

 一分もせずに寮母さんが出てきた。

「では、私が開けますね」

 口調は明るい。刑事を恐れる様子はなかった。

 鍵を受け取って森末の部屋に入った。中尾さんも一緒に入った。

「中尾さんとお呼びしていいでしょうか? 立会人になっていただけますね?」

「いいですよ。協力できることがあれば、なんでも仰ってくださいな」

「さて、何が見つかるかな、っと」

 玉本が腰を落として部屋全体を見る。フローリングに布団が畳んで置かれ、ドアの右端にキッチンがある。正面が窓ガラス。カーテンが閉ざされたままだった。

 森末の六畳一間の部屋は、綺麗に片付けられていた。

「きちんとした人だったんでしょうね」

 感心しながら机を探っている。

「はい、森末くんは几帳面な性格でしてねぇ。ゴミもきっちり分別してくれて、助かりましたよ」

 中尾さんがにこにこ笑顔で答えた。さすが男子寮の寮母。多少のことで動じない。

 山北は衣装ケースを探し始めた。

「だめだ。どこにも換金した形跡がないですね」

「諦めるな、玉本。証拠は歩いて行かない」

 クーラーは点けているが、スーツは、それでも暑い。

「鍵を掛けてないから、どこに大事なものをしまっているかが逆にわかりませんね」

 玉本が汗を袖で拭う。

「まさか、殺されるのを予想していたのでしょうか」

「それはないだろ。だが、寮にいたら警戒心も強くなろうよ」

 山北もポケットからハンカチを出して汗を拭う。

「それにしても暑いな。本当に冷房が点いているのか?」

「警部補。それは我々が働きすぎだからです」

 そういうことにしておこう。設定温度が高いからだとは薄々感づいている。

 山北はもう耐えられないとばかりにエアコンのリモコンで低めに設定する。

「あらあら、すみませんねぇ、気が利かなくて」

「いえいえ、中尾さんのせいではありませんよ」

 山北が社交辞令で答えた。

「おわびに美味しいお茶を淹れてきますね」

「お世話をお掛けします」

 ちょうど喉が乾いていたので、ありがたかった。

 立会人が不在になると、証拠品が証拠認定されないので、一旦、切り上げて中尾さんのいる寮母室へ入った。

 中尾さんの用意してくれたお茶を一杯飲んで、また捜査を再開した。

「机には、何もないな」

 山北は手袋を填めていろいろ漁っていた。遠慮なしだ。

 洋服箪笥の一枚の服から、何か小さい鍵が出てきた。

 玉本が「こればい!」と叫んだ。

「この鍵で開けるところがあるはずばい!」

 山北は玉本のほうを向いた。

「このキッチンの下に、なにかあるばい! さっき、キッチン・マットの下で見つけたんだ!」

 山北もじわじわ嬉しさが込み上げてきた。証拠発見への希望。

「この鍵を探してたんばい!」

 果たして、床下の鍵は開いた。

「あらあら。勝手に寮に隠し場所なんか作って、森末くんたら何を考えているのかしらね」

 中尾さんが口を挟んだ。さっきまで黙って見ていたのに。

「きちんとした性格だったんでしょうね。家計簿つけてるなんて」

 玉本は家計簿をつけている大学ノートのページを繰り始めた。

 山北は玉本が持っているノートを覗き込んだ。

 レシートには、「山田貴金属 小倉魚町店」と書いてある。

「わざわざ小倉まで行って換金したのか」

 玉本は山北が持っているレシートを覗き込んだ。

「山田貴金属ですね。ちょっと調べます」

 玉本は携帯電話でささっと調べた。

「換金できるところは福岡にはあと博多と久留米しかないようですね。ここから一番近いところとなると、小倉になりますよね。納得の行動ですよ」

「ふむ。そうか。では我々も……」

「小倉に行くんですか?」

 山北が言いかけたところに玉本が割り込む。

「当たり前だ」

 思わずお前はアホかと言いたくなった。

「ですよね~」

 そそくさと玉本はその場を山北とあとにした。

 目的物を手に入れ、ほくほく顔の玉本を横目に、山北は内心で自分の刑事としての教育は合っているのだろうか心配になった。

 寮のある折尾駅周辺から小倉までは車で三十分は掛かる。

 車中で話題になったのはピアノ線でどう殺したか、だった。

「ピアノ線って強いですよね。若い男性の首をピアノ線で強く締め付けるなんて、無理ですよね?」

「そうだ。指がちぎれる」と山北は簡潔に答えた。

「じゃあ、なにか犯人はトリックを使ったんですか?」

「そうなるだろうな。それは現場に残って考えよう。今は、指紋採取だ」

 山北は本当は、トリックの手口が頭から離れなかった。

 あとは、鑑取り班とナシ割り班の報告を待って、トリックを考えようと思った。

 捜査に焦りは禁物だ。

   20

 三十分後に小倉に着いた。近くのコイン・パーキングに車を駐めて、魚町に向かった。

 携帯電話のナビを使って店まで行った。山田貴金属店は魚町の商店街の中にある店なので駐車場から離れている。LEDの明るい電球と、白い清潔な壁が出迎えてくれた。自動ドアは透明で、掃除が行き届いていた。ガラスケースがコの字に並び、入口には、すぐ近くにA三サイズのガラスケースがあった。金だけでなく、時計、宝石、メガネなどもケースの中に入っていた。床は大理石の上に赤い絨毯が敷いてある。

 店内に入ると店員が「いらっしゃいませー」声を掛けてきた。無地の白いブラウスに黒のベスト、黒のスカートという制服を着ていた。黒いハイヒールにストッキングを履いていた。

 店内は明るいし、清潔で、さすが貴金属を扱っている店、という好印象だった。

「警察の者です」

 山北が名乗り、警察手帳を見せると、あからさまに嫌な顔をされた。

 さっきの印象が台無し。

「はい、何のご用でしょう?」

 でも二秒後には店員は笑顔を貼り付けていた。

 プロだ。社員教育ができている。

「ここに二日前、森末翼という大学生が換金しに来た様子を監視カメラで確認したいのですが、よろしいでしょうか?」

 山北は、いきなり確信を突いた。

 店員は一瞬、驚いた顔をして、すぐに何か思い出したような表情に変えた。

「すぐに監視カメラの映像を確認していただけますか? そういえばお客様はいきなり百万ほどの大金を持って来られたので、覚えております。ですが、換金した札束がどこにあるのかは、店長でないとわかりません。店長を呼んできますね」

 店員は、きびきびと動いた。

 店長は一分もせずに出てきた。恰幅のいい、人のよさそうな人だった。

 店長が名刺を出したので、山北と玉本も名刺交換をした。店長は丹沢さんだ。

「お待たせしてすみません。おとといの売り上げは銀行の夜間金庫に入れてあります」

「今から取りに行くことは可能ですか?」

 令状を取って来られなかったのが残念でなかった。

「いいですよ」

 快く協力してくれて、捜査も進んで、本当に助かった。

「その前に、監視カメラチェックさせていただきます」

「どうぞ」と言われ、監視カメラを見た。

 レシートから時間が特定できたので、確認はすぐに終わった。

「確かにガイシャが来てますばい。変装してるんですかね? この格好」

 玉本が疑問に思うのも納得だ。

 ガイシャ――森末はサングラスに黒いジャージ、サンダル。

 監視カメラが回っていないとでも思っていたのだろうか。しきりに周囲を見て、バレないようにしようとしている印象だった。

「よし、証拠品として持って帰るぞ」

 玉本は画像データをUSBに移した。

 それから丹沢さんと銀行に向かった。銀行は歩いて行ける距離にあった。小倉駅周辺には、銀行がたくさんある。

「ここの銀行です」

 丹沢さんが指を差して見上げたビルは、都市銀行だった。なるほど、山田貴金属店は全国に展開している店だ。取引している銀行も地方銀行ではなくて当たり前だ。

 まだ銀行が開いている時間だった。

 時計は二時半を指していた。

 丹沢さんが中に入ると、テラーの奥から人が出てきた。若いころモテていただろうという元イケメンだった。背は低いが、賢そう。

「これはこれは丹沢様。今日は何の用事で?」

 にこにこ笑顔でやって来た。この人はいつも上機嫌なのだろうか。

 山北と玉本は警察手帳を提示した。

「池波課長代理。いきなりの頼み事で恐縮なんですが、おととい夜間金庫に預けたお金、引き出していただけませんか? 捜査に協力していただけませんかね?」

 丹沢さんが事情を説明してくれた。

 池波課長代理は「ほう」と目を細めた。山北と玉本を見ているのだろうが、もっと遠くを見詰めているように感じた。見透かすような。なぜかと問われても困るのだが。

「別に丹沢様が見せても困らないならウチも構いませんが、見せるなら支店長と交渉しないといけませんね」

 漫画なら、ここで池波課長代理の目の端がキラリと光る。

「では、お願いします」

 丹沢さんが何回も腰を折って頭を下げてくれた。

「支店長から許可をもらってきます」

 池波課長代理が奥へ引っ込んだ。

 また待たされた。

「支店長からОKをもらいました。いいでしょう。捜査に協力をさせていただきます」

 池波課長代理は山北たちを奥の部屋に通した。丹沢さんも同席した。

「おととい夜間金庫に預けられていた紙幣は、もうウチの社員が数えて、どこかに片しましたので、あるかどうか……。ちょっと待っててくださいね」

 三十分、待たされた。

 その間に、銀行の中のシャッターが降りる音を聞いた。

 時計を見た。三時を過ぎている。

「お待たせしました。社員に聞いて多分この札束だろうと思われるものを用意しました」

 机に、三束が置かれた。

「この中のどれかです。おとといはたくさん紙幣が入れてありましたので、山田貴金属さんが儲けたな~と思ったと社員が言っておりました。内緒の話ですけどね」

「わかりました。では最初の協力者指紋採取用紙に指紋を押していただいてもいいですか?」

 山北がスーツの懐から協力者指紋採取用紙を出して丹沢店長、池波課長代理、夜間金庫担当の銀行員の指紋を集めた。

 札束は令状がないので持って帰れないので、どうしようかという話になった。

「令状なしに持って帰れませんからねぇ。仕方ありません、明日また来てもいいですか?」

 山北はここで捜査を打ち切るのが残念だと思いながら言った。まあ、捜査だけが仕事じゃない。犯人を推理するのも仕事のうち。

 玉本はそんな山北の心情を汲み取らなかった。

「警部補。令状取りに帰ってまたすぐ来ましょうよう」

「慌てるな玉本。他にもやるべき仕事はあるったい」

 山北は玉本の目を見据えていった。このヒヨっこは脳みそついとるんかっちゃ。甘えるのもいい加減にしとかんかっちゃ。

「そげんこつおっしゃられても、自分は警部補がいないと何をしたいいのかわからんですたい」

「自分に黙ってついてくればいいんたい。心配なんか要らんとよ」

「さすが先輩っ! 一生ついていきますたい」

 調子のいいこと。山北は内心で呆れながらも、自分の若かりし頃を思い出していた。

 駆け出しのころは、自分も、目の前にある仕事で手一杯で、周りが見えていなかった。

 かって自分を指導してくれた先輩のように、玉本に捜査とはなんなのかを教えてやりたい。絶対に、ホシを見つける。その警察の執念を犯人に見せつけてやる。

「じゃあ、この札束は保管しておきますね」

 池波課長代理が厚めの袋に三束入れ、田中貴金属専用の金庫へ持って行った。

「では、失礼します」

 山北と玉本は立って、丹沢店長とも別れて、魚町のコイン・パーキングに戻った。

   21

 福岡へ報告に帰る。

 山北は高卒の叩き上げだ。刑事の勘と経験を駆使して、事件を辿っていった。

 森末は、なぜあのホテルにいたのか。なぜ百万も持っていたのか。なぜ金に換える必要があったのか。なぜ寮に寄ってノートに書き込む必要があったのか。それらの行動は必然だったのか。なぜ、なぜ……。

 考えろ、考えるんだ……。

 考え込んで俯いていたら、玉本が「警部補」と呼んだ。

「なんだ」山北はぶっきらぼうに答えた。今は思考しているんだ、邪魔をするな。

「警部補。ガイシャは結婚したい人でもいたんですかね?」

「なぜ、そう思う? 根拠は?」

 山北は畳みかけた。

「だって、わざわざお金を換金してたんですよ? だから、殺されることがわかっていたんじゃないですかね?」

「ふん。それで?」山北は先を促した。推理がどうこういうのは置いといて。

「殺されるとわかっていたから、好きな人に残そうと思ったんじゃないですか? そのくらいする人なんて、結婚相手しかいませんよ」

 玉本はいきいきと顔を輝かせながら喋る。

 山北が止めないから自分の推理が正しいと思っているようだ。

「いいか、玉本。おまえの推理には穴がある」

 いよいよここで止めたら、玉本は愕然とした顔になった。この世の不幸の全部を背負いました、みたいな衝撃を受けた顔に。

 あげたり落としたり悪い聞きかたをしたな。あげてはいないけど。

「殺されるとわかっていたら、普通は逃げるものなんじゃないか? 黙って殺される人間がどこにいる? もし仮にだ。殺されるとわかっていたなら、どうして金を自分の部屋に置いておく? 好きな人がいたら、その人に渡すものなんじゃないか?」

「ぐっ……」

 玉本は、それきり黙った。いや、それくらい考え付くっちゃ。と言いたいのを我慢した。

 所詮、場数を踏んでいない若者の推理なんてそげなもんか。

 自分も若かりしころなら玉本みたいな穴だらけの推理をしたのかもしれない。

 何せ、推理する材料が少ない。

 今夜の捜査会議に出て、パズルのピースを集めなければ。

   22

 福岡東警察署では、夜の捜査会議が始まった。

 木村管理官がいつものように司会をした。

 鑑取り班から、「森末は大学の友人から選挙に初参加と告げていた」という情報が齎され、山北はピンと来た。

 あのお金の出どころ。多分、選挙に関係があった。でも、わかるのはそれだけ。

 玉本の「女がいた」という推理は完全に消えた。

 いや、待てよ? 今度の選挙の候補者は誰だった?

 今度の衆議院議員選挙は、立候補者が五人いた。男四人、女一人。もし候補者の女が森末と何か関係があったら?

 歳が離れすぎているが、あり得ないこともない。

 ダメだ。もっと頭を働かせないと。

 頭の中がこんがらがって、一本の線に繋がらない。

 玉本の変な推理を自信を持って否定したけど、あれこれ考えて結局は何もわからないという悪循環=振り出しに戻っている。

 まだだ。まだ、パズルのピースが足りない。

 そんな山北に、「ピアノ線の出どころを探している」という言葉が入って来た。

 ピアノ線? 選挙? ますます繋がらない。

 明日の朝、令状を持って何度行ったかわからない北九州市に行かないと。


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