学生から見た学生問題
先日、私に非常によくしてくださっているむらさききのこさんが、大学生のいじめや自殺の問題について知りたいとおっしゃっていた。私は高校生だが、感想などしてくださったお礼になればと、今回の執筆に至った。
その上でまず語っておきたいのが、さとり世代、というワードである。私個人としては、何々世代と言って人をまとまりで捉えるのは嫌いである。だが、さとり世代はこの話題を説明しやすくしてくれるので、使わせていただいた。
詰め込み教育からの脱却を目指したゆとり教育の後の世代が、我々さとり世代である。新聞の説明によれば、それなりに高度な教育を受けたことで、やる前から結果が分かってしまい、何に対してもやる気が出ないそうだ。結局は分かった気になっているだけなのだが、なるほど確かに、やる前からあきらめているという話はよく聞く。事実、私は一時とある大学を目指していたが、まだ受験をしてもいないのにあきらめようとしている。
そうした経緯があって、自殺の理由が一つ増えたのだろう。これまで自殺の理由と言えば、学生特有の死への憧れや好奇心であったり、いじめであったりした。そこに加わったのが、達観しすぎた人生観と厭世。何をしてもうまくいかないような気になって、生きることが嫌になるのだ。あくまで想像でしかないが、十分にあり得ることだ。
いじめ問題にしてみても、同じ事情だろう。結果が分かってしまうことで、毎日がひどく気詰まりになり、なんの目的もなくいじめてみた。するとこれが案外楽しくて、鬱憤晴らしに続けてしまう。そんなことをずっと続けるか、あるいは今度は自分が標的になるか。今は、SNSで匿名で様々なことが簡単にできる。それが、いじめを加速させる一因にもなっていると思う。
こうしてみると、大したことは書けなかったが、現在の社会問題の原因の一つの可能性として、頭の片隅にでもとどめてくださると嬉しい。