引退勧告
安直だけど、誾たちが苦戦したその熊を『火熊』と呼ぶことにした。
強いらしいけど、こうやって話をしている段階で倒す算段を付けるあたり、火熊は誾の感じた“嫌な存在”ではないのだろう。
もっとも、だからと言って洞窟に付いて行くわけではないけど。
危険の正体が判別するまではお預けである。
なんとなく、僕も嫌なものを感じつつあるけど、それでも僕は先に行くことを望んでいる。
足を止めてもいいんじゃないか。
危険を冒さずとも今のままでも生きていけるじゃないか。
そうは思うんだけど、目の前のフロンティアに挑みたいと思うのも人情なんだ。
好奇心が猫を殺す、とは言うけど、心が折れて足を止めるにはまだ早すぎるからね。
みんなには悪いけど、まだ付き合ってもらおうと思う。
そんな事を考えていたのがフラグだったというのか。
僕は人生でも指折りの、冷や汗をかく展開に巻き込まれていた。
「――と、いう訳だが――」
僕の目の前にいる、一人の男。
お国のお偉いさんから秘密裏に会いたいと言われて行ってみた先で待っていた、SPを連れているこの人は、この国の首相ご本人。
僕でも顔を知っている有名人、「百瀬 大地」内閣総理大臣である。
その肩書だけでプレッシャーを感じ、顔が引きつりそうになるよ。
ちなみに今いるのは、名古屋から少し北に行ったところ、稲沢のそこそこ高級な料亭だ。
あまり大っぴらにはされていないが、お忍びで使うのにちょうどいい店らしい。
ご飯の方は話が終わってからという事でお預け状態である。お話で冷めたご飯を食べる趣味はない。
「――協力をお願いしたい。
まだ早いとは思う。が、その無理を通して引退を、してもらえないだろうか?」
今回のお話のお題は、僕の進退についてだ。
細かく言ってしまうと、「ゴブリン全員をこちらに連れてくる気は無いか」「その管理人をしないか」という話でもある。
全体的に供給が間に合いそうもない「1か月後に1000人のゴブリン」というノルマをクリアするための方策ではないが、それとは別の話として、個別に引退を勧められているのだ。
オーヴァーランダーのプレイヤーは、例外無く寿命を削っている。
僕も通常の7倍速で歳を重ねているし、こちらで見ればあと5年、前線で戦うプレイヤーとしてやっていくのは難しいだろう。
5年後だと実質57歳ぐらいだし。40歳になったら引退しないとまずいかな、ホームで指示をするだけじゃダメかなとは思っているけど。
……その場合は順調に言っても10年ぐらいで僕は死ぬな。寿命で。
首相にしてみればそんな風に長期間プレイヤーでいられるよりも、早めに引退してこちらで働いて欲しいようなのだ。
非公式だからかテレビで見た時とは違って、冗長で回りくどい言い方をせずストレートに話してもらった内容をさらにざっくりとまとめてしまえば、人間とゴブリンが共存するときにその橋渡しをしてくれる人材が一人でも多く欲しいという。
そしてそれに最適なのが僕とか、ごく一部のサーヴァントを使うプレイヤーなのだと。
ゴブリン全員移住はそのための、僕を説得するために出された条件である。
「すぐに結論は出ないと思う。
だが、限られた時間の中で本当に大切なものを掴もうとするなら、大事な人と歩んでいくなら、私たちに協力してほしい」
この場での回答は求められなかったけど、直接顔を合わせると目力が凄いというか、首相から「協力しろよ!」という強い意志が感じられて辛い。
意思、じゃなくて「意志」って、こんな時に使うんだなって思ったよ、本当に。
そしてその日のうちにアメリカが他国に先駆け「ゴブリンに人権を認める」と宣言し、世界は大きく動くことになる。




