地獄の幕開け(下)
さて。
ヨーロッパ各国の国民は、そのほとんどがゴブリンに人権を認めるべきだと主張し、王国の樹立を肯定的に考えている。
国としては主権の侵害、国土管理、難民問題の面でツッコミを防ぐべく何も言わないが、「人道主義」を掲げる以上、その本心としては国民と同じとみるべきだろう。それを強く主張できるのは野党ぐらいなのだが。
ただしこれらの考えは、別に、本当の意味での人道主義から来るものではなく、大国となりつつある中国を警戒しているわけでもなく、全く別の「保険」という考え方から来るモノであったと、僕は事後に、そう理解している。
それはつまり、ゴブリンがそれだけ「脅威」であったからなのだ。
人権を認める事で人の枠組みに入れたかったのである。
僕がアタックから戻ってくると、中国陸軍の攻撃がゴブリン王国を蹂躙していたのを知った。
戦車の砲弾が防衛を行っていたゴブリンを吹き飛ばし、近付く事に成功したゴブリンを機関銃の掃射で肉片に買えていく。
魔法で遠距離攻撃を行うゴブリンもいたが、その数秒後にはアンチマテリアルライフルなのだろうか、超長距離からの狙撃によりすぐに殺されている。
ゴブリンは善戦しているのだろう、損害に対する戦果で言えば今は同じぐらいだけど、同数程度しか屠れないようでは数で勝る人民軍の方が強い。攻め手である人民軍は全員が兵士なのに対し、ゴブリン王国は前線にいる者だけが戦士なのだから、彼らが全滅した段階で守るすべがなくなる。
つまり、ゴブリン王国に勝ち筋がない。
人民軍の数で押し切る戦術が成立している以上、それは当然の流れだった。
時間が経つにつれパワーバランスが崩れていき、ゴブリン王国の敗戦が濃厚になっていく。
それがライブ映像で流れている。
映像を流しているのは人権派の有志諸君だ。彼らは死ぬと分かっていても、殺されると知っていても、それでも映像を配信している。どうやって妨害電波などを防いでいるかは知らないが、それは今、僕が考える事じゃない。
ゴブリン王国の趨勢をしばらく見守っていた僕だけど、戦闘が蹂躙となり、一方的にゴブリンが虐殺されていく姿を見て気分が悪くなったので、僕は視聴を止めて日課、物資の調達や恋人への連絡などを行う事にした。
そして翌朝。
僕が目をそらしていた間に、事態が大きく動いたのを知った。
TVで朝のニュースを見ると、“北京陥落!!”という言葉が飛び込んできた。
思わず「は?」と声を上げ、思考を停止させてしまう。
いや待て、昨日何があった?
僕が視聴を止めてから1時間。
そこでゴブリンの女王による、一つの宣誓がなされたのだ。
「我らゴブリンが『生きる権利』を認めないというのであれば、我々は人の法に従う義務を放棄する。
私たちは人の法に従い、正当な権利を行使すべく活動してきたが、それは対等とはいかずとも最低限の権利である『生きる権利』を認めてもらう為である。
言葉を使い、話し合いのテーブルでの交渉を求めてきた私たちは、今まさに暴力によって蹂躙されつつある。
ならば私たちは、人と対等の立場に立とう。
理不尽に対し、抗う意思を示すべく、弱者の戦いをしてみせよう。
間違えるな。
私たちは、一方的に狩られるだけの獣ではない。
侮られざる、恐るべき戦士達である。
言葉を持たぬ者どもよ、我らに刃を向けた報いを受けるがいい」
と。
その宣誓からしばらくして、北京の各地で火の手が上がり、そのままゴブリン達による逆撃が開始された。
魔法が使えるゴブリンが市街地で暴れるという事がどれほどのものか。
その意味を僕らは知る事になる。
≪土魔法≫によるインフラ破壊。道路や水道管、地下施設の大半が使えなくなった。
≪火魔法≫は単純に、放火に使われる。走る車に対し無差別に火が放たれ、その車が周囲の車や建物を巻き込み、大きく火を上げる。
≪風魔法≫は火を煽るように使われた、らしい。そのままであればすぐに消火できるはずの火が全く消えなかったという話も出ていた。
≪水魔法≫で消火の邪魔をされたという話もある。迫る炎を前に放水車が機能しなくなっていった。
最悪なのはゴブリン達の重要破壊目標として発電施設、変電施設を狙われた事だ。
大規模テロに対し中国が対応しつつあったその後、守りが薄くなったタイミングで北京とその周辺にある電気関係施設その全てが破壊された。
こうして北京の機能は完全に麻痺し、復旧には数年どころか10年以上はかかる被害を受ける事になる。
なお、他のテロ対象として、中国全土の空港や鉄道網が多く破壊されている。
これは復旧に数日程度のダメージらしいが、その数日で助からなくなる命がどれだけ出るか。
物資や人の運搬が困難な状態では救助活動もままならない。軍施設は完全に無事だが、その全てを民間に開放する事は出来ないし、警戒を密にしなければならないから北京での活動に全力を出せない。
軍による北京で起きた被害への事後対応は難しい。つまりはそういう事だ。
被害甚大な中国に対し、日本を始め、いくつかの国は人道的支援を申し出る。
さすがにこれは人道的に見すごせないし、ここで救助をする事により中国に借りを作って色々と譲歩させる手札に出来るので、手助けをしないという選択肢は無い。
中国側も、諸外国のこの申し出を受け入れざるを得なかった。
この一件は、“ゴブリン”という生き物への固定観念を完全に覆した。
何をどうやって同時多発テロを行ったのか?
それはどうやれば防げるのか?
このあと、人類はゴブリンとどう付き合っていくのか?
壊された常識の先で、世界は選択を迫られるようになる。
補足になりますが、女王がすぐに反撃をしなかった理由は、対話の可能性を少しでも残す為です。
先に攻撃を仕掛けた場合、それが軍を差し向けられた後であったとしても、ゴブリン根絶論の原因になりかねなかったのです。
残念ながらゴブリンは信用できないと、根絶論は完全には消えないでしょうし、その声が少しでも抑えられるようにと耐えたのです。
「自分たちは絶滅寸前まで耐えたし最後まで対話を求めたけど、それを中国ははね除けたからあんな事をやったんだ。出来ればやりたくなかったよ」というのがゴブリン側の主張になります。
警察が『悪い事をしそうなやつを事前に分かっていても捕まえず、犯行後にしか捕まえない』のと同じと考えていただければ、と思います。




