世界情勢1
オーヴァーランダーは国を動かすほどの力は無い。
回復薬と言う、一瞬で傷を治すアイテムは確かに素晴らしいが、購入から売却までにかかるEPが1050と安いため数が出回るものでもあり、自国での入手に拘る必要が無い。
よって、日本政府は基本的にオーヴァーランダーを制限する方向で動いている。
一番の制限は、スマホ・携帯の年齢制限である。
現在の日本では16歳までこれらを持つことが許されず、例えば子供に買い与えた場合は100万円以下の罰金と3年以下の懲役刑が科せられる。
もし、買い与えたスマホなどで死亡までの結果を出してしまえば、殺人罪が適用される。
この年齢制限には業界をはじめ多くの団体から非難が殺到したが、「ではオーヴァーランダーで15歳以下の子供が死亡した場合、責任を取ってくれるのか?」と言われれば頷けるものでも無く。彼らは「自分たちに責任は無い」、だから「オーヴァーランダーで子供が死んだとしても、それは本人の責任であり、スマホの所持を認めるように言う自分たちに責任を負わせようとするのは責任転嫁である」という論法を用いて反論を続けた。
当たり前だが、この論法は通用しない。
それを認めるのであれば、車の年齢制限をはじめ、多くの「子供に与えるべきでないモノ」の制限を解除すべきだからだ。
車の運転だって「子供に許可を出すと人死の可能性が高い」から年齢制限があるのだ。オーヴァーランダーという特異な存在が根拠であったとしても、実際に何万人もの死者を出したアプリがある以上は制限するのが日本の法制上、正しい判断である。
政府への反論は大きかったが、結局は「前例」という法的根拠として最も強いカードを持ちだされてはどの団体も抵抗しえなかったのである。
ただし、これについてはいくつもの例外措置が存在する。
それはすでにオーヴァーランダーをプレイしている子供たちである。
彼らにはスマホなどを持たせなければ、逆に人命を軽視しているのと同じ扱いになってしまう。スマホによるアプリ操作ができないと、本人が意図しないアタックが行われる最悪の事態が想定され、無理をした結果死なせてしまうのは政府の主張に反するという理由からである。
そういったプレイヤーはすでに実績を出しているという事でもあり、本人らには家族からアプリを自分の意志で消去するようにと言う指示が出ているが、あまり結果は出ていないようである。
政府がそういった子供たちにやった事といえば、プレイ状況を報告させるという、情報管理ぐらいであった。
余談ではあるが、彼ら“元子供プレイヤー”は、「ダンジョン内での活動でも成長が疎外されない」という貴重なサンプルとなっている。
ダンジョン内で活動するという事は通常の8倍の時間で生きるという事であり、成長期前後の子供たちであればその影響はかなり大きい。2年のプレイがそのまま16年分のプレイになるとは限らないが、日本での15歳になるまでに成人相当の身体つきをしている者も少なくなく、そういった生徒は部活動への参加を拒否されるという流れも出来ている。
当たり前である。身体能力の差は歴然であるのだから。
この件についても抗議の声があったが、さすがに全体で見れば「それも致し方ない」というのが多数派の意見であった。
では、海外の状況はどうか?
日本同様、年齢制限は多くの国で行われている。さすがに全年齢に対して禁止する国は無いが、制限のかかる年齢は最低12歳以下と、国ごとにばらつきがある。
そして中国や北朝鮮など一部の国ではそれが行われておらず、やるかやらないかは個人の判断であり、国が制限するものではないという事になっている。
制限をしないこれらの国には非難が殺到しているが、通信機器メーカーとしては市場としての旨味や、国籍に囚われず合法的にオーヴァーランダーを開始できる場所をあえて作るメリットなどから、非難が形骸化しているのが現状だ。
要は、「自分の国の事はちゃんとやっています。他国の方針に口を強く挟むのは内政干渉なので出来ません。何かあっても我々の責任はありません」と言う事だ。
政府としてはオーヴァーランダーのプレイヤーを増やしたいのだが、それを納得させる環境作りは表だってできないので、他国を上手く利用するわけだ。
他国でプレイヤーになってしまったから子供でもスマホを持たせるのはしょうがないよね? そう言っている。
オーヴァーランダーで家族を失った被害者の会も、「政府としてはそれらの国に行かないように呼びかけるとともに、現地でオーヴァーランダーを始めないように注意はしますが、具体的な罰則は設定できません」という声明に歯ぎしりするほかないのであった。
日本政府は表向きではあるがオーヴァーランダーを重視していない政策を取っている。
だが、本音ではもっとプレイヤーを増やしたいし、“自分たちの為に”レアなアイテムを持ち帰って欲しいと、心から願っている。
人間の欲は深い。
いつだって、どこだって、世の中とはそういうものである。




