第8話 最悪の人生には最悪の信仰だけが救いだった 2
「なにふざけてんだよ兄貴……いや、なんだってこんな浅い階に?」
デューリーフは状況を理解できないまま、とにかく怪物馬から距離をとる。
盾に立つギブファットからも目は離さない。
以前は鞭のような『剣術』に捕らえられ、魔物へ投げつけられた経験もあるためだが、今はそうされたい期待すら感じた。
しかしギブファットは輝く刃を石柱へからませて飛びまわり、自らをおとりに『騎馬』の攻撃を引きつけ、デューリーフから遠ざかっている。
「ていうかこれ、先生のマイカーじゃねえか! 傷つけるなよ勝海!」
闇を駆けて来た褐色の長身は「んー」とぞんざいな返事をしながら輝きはじめ、一瞬に数十歩の距離を詰める。
怪物馬の鼻先につながった『手綱』と呼ばれる鋼線の一本をつかむと、凶悪なサイズの胸をふりまわしながら急停止した。
即座に巨大な蹄が襲ってくるが、殴り返して防ぐ。
その爆音だけでデューリーフは身をすくませ、石柱にすがった。
「騎士団の飼い馬を殺してはめんどうごとになりそうじゃ。わしではどうにもできぬから、水希どのが頼りじゃのう」
ローブ姿の小柄な少女も、大きくまわりこんで走りこんでいた。
杖から微細な光弾をたくさん広げ、着弾の閃光と爆音で怪物馬の気をそらす。
騎馬の胴馬具からは鋼鉄製のつっかい棒が四本のび、それぞれが鋼鉄の台車につながっていた。
この『鐙』とも呼ばれる搭乗席にしがみついてさえいれば、蹴りとかみつきの範囲外にいられる。
しかし引きずりまわされて次々と石柱へぶつけられ、多くの脱落者と負傷者が出ていた。
脚一本の制御にふたりずつ、前の台車には首を制御する隊長と副官も加わった合計十人で本来の一部隊だが、すでに後脚の四人しかいない。
ウィンシーとは反対側の前脚台車へ、灰色髪の神官少女が飛び乗った。
「くっ、私がこんな曲芸をやるはめになるとは!」
『狂風勇士隊』の副官ワラレアが得意とする『甲術』は防御用の魔法である。
しかし勇士団でも屈指の魔力と技量は、腕につけた小さな盾をも多用途の兵器に変えていた。
光の大盾を広げて地面へ打ちつけると、台車がつんのめって、一瞬ながら怪物馬を引き止める。
ワラレアは『甲術』を転用した連続殴打で、そして反対側ではウィンシーが地面を削りながら手綱を引き、怪物馬は急減速する。
デューリーフは離れた石柱に身を隠していたが、目の前の光景を理解できなかった。
「なにやってんだよ……あんたら『狂風勇士隊』だろ?」
ようやく動ける余裕のできた騎馬隊の兵士たちはフックつきの鎖を近くの柱へ巻きに向かうが、逃げる方向とタイミングもちらちらと探していた。
おびえた目は怪物馬と『狂風勇士隊』の両方へ向けられている。
「帰る家を無くしてまで逃げたいなら遠慮はいらんよ」
金髪童顔の参謀リルベルは優しい笑顔で脅し、捕縛作業へ集中させる。
ウィンシーは何度も蹄を殴り返して土にまみれ、眉をしかめた。
「馬糞くさい」
帝都一と言われる『凶暴野蛮』のひとことは兵士たちを戦慄させる。
「お、俺たち、どっちに殺されるんだ!? いやもう、せめて殉職手当てが多くなるように……」
「いいから急げ! 疲れる!」
ワラレアは防御用の魔法で地面をえぐり続け、息が上がりはじめていた。
突如、怪物馬が棒立ちになる。
ワラレアの前に、もう一本の手綱を片手で抑える大柄な鎧姿が立っていた。
「補助の従士だけで止まっているとは妙だと思ったが、よもや諸君らが来ていたとは」
もう片方の腕には気絶した部隊長と副官らしきふたりを抱えている。
「そしてまさか、我が騎士団の不始末を諸君に助けられてしまうとは」
ワラレアは騎士の鎧についている王族の紋章を見て目を丸くする。
「まさか騎士団長……ウェイブライト将軍?」
補助の鎖による『騎馬』の拘束が進むと、鎧の大男は部下を下ろし、兜のひさしを上げる。
威厳ある中年男は眉や口ひげまで金毛で、目元や爽やかな笑顔は『蒼天勇士隊』のウェイストリームとよく似ていた。
「愚息は別の意味で世話になっておるようだが」
あちこちから『騎馬』を連れた怪物使いたちの部隊が集まりつつあった。
『騎馬隊』は一隊ずつが上級勇士の一部隊に相当する猛者ぞろいである。
ワラレアは顔をこわばらせつつ、不適な笑みを浮かべる。
「良い競争相手としてのありがたみはお互い様でして」
「おっと、そう警戒せんでいい。甘さが抜けない坊主の鼻をへしおってくれたことには感謝しておる。まあ、多少やりすぎのようではあるが……」
デューリーフはこっそり引き返し、ギブファットのマントを握って石柱の陰へ引き寄せていた。
「兄貴! いくらなんでも、あれはやばいよ! なんか変だと思ったら、まさか帝都の最高司令官とやり合う気か!?」
「なに言ってんだよ露葉ちゃん。教頭先生を怒らせちゃまずいだろ?」
「きょおとお? いや、手を出す気がないならいいんだけど……そうだよな。いくら兄貴でも、王様の弟までは……あ。もしかして、なにかコネでもあるのか? いや、なにかコネを作れそうなネタでもあんのか? 手伝わせてくれよ!」
「ばーか。露葉ちゃんに生徒会なんてまだ早いよ。でも露葉ちゃんくらいのしっかり者ならクラス委員長にもなれるだろうから、今は期末試験と部活をがんばりな」
優しい笑顔で肩をたたかれ、デューリーフは照れて頭をかく。
「ごめん兄貴。『せーとかい』とか『いーんちょー』とか……オレ、頭わりいから、政治の話はよくわかんねえや……というかツユハって、どういう意味のあだ名だよ……」
しかし不意に眉をひそめる。
「いや、それより、なんで兄貴が、ゆすりたかりのあとでもないのに笑顔ではげましてんだよ? やっぱ変だ……顔はもっとやせていたし、目のくまも……」
デューリーフは背へ不意に杖をつきつけられ、額に汗がどっと噴き出す。
「ギブファットどのは最近、少しばかり生活習慣を変えて、健康になっておる。なんでもよく食べ、睡眠もよくとり、風変わりな愛称で仲良しを増やしておるんじゃ」
「で、でも兄貴は、缶詰以外の食い物をやたら疑っていただろ? 誰になにを盛られるかわからないって……すきを見せないための三時間睡眠も自慢にしていたし、家族や友人を増やそうとすれば甘っちょろいクズになるって……」
杖がぽくぽくと背をたたく。
「下準備のようなものかのう? どうかのう?」
「え……なにかでかい仕事でもやらかすのか? わ、わかった。とにかく、なにも聞かなかったことにするから……」
「そうそう」
いっぽうウィンシーは到着した騎馬隊から集中的に囲まれていた。
「やめんか貴様ら! 今日に限っては、この者らは騎士団の恩人だ!」
ウェイブライト将軍が一喝すると、怪物馬を率いた鎧姿の群れは包囲を解いて遠ざかる。
「いい女が泥まみれではないか。これはせめてもの洗濯代に……」
財布袋から金貨を流し出しながら、ウェイブライト将軍の視線はウィンシーの顔へ釘付けになり、言葉をとぎらせた。
ウィンシーは怪物馬に囲まれていた時からずっと、ウェイブライト将軍の顔だけを見つめている。
ワラレアは将軍の手からこぼれ続ける金貨を受け止めながら、小声でささやく。
「将軍閣下。ご存知とは思いますが、あの者は顔だち体つきこそ見ばえしますが、愛人とするには騎馬より不向きです」
「う、うむ。あれが帝都最強の勇士……相当な変わり者とは聞いていたが……うむ。ぞんがいにいい女だ。昔の知り合いにもよく似て……」
うなずいてふりかえった笑顔はぎこちなく、ワラレアとは視線を合わせないまま、空になった財布まで預けて立ち去る。
デューリーフは口を全開に驚愕していた。
「すげえ……さすが兄貴……『帝都の守護神』からむしりつくせるネタっていったい……あ」
あわてて自分の口をふさぐ。
そっと背後を見ると、リルベルも首をかしげ、自分の頭をぽくぽくと杖でたたいていた。
ワラレアは重い財布袋を手に、深刻な顔で近づいてくる。
「ウェイブライト将軍と言えば、第五位の継承権を持ちながら王位には興味も示さない謹厳実直な堅物のはず……リルベル貴様、なにをした?」
「わしだって知らぬよ」
「貴様くらいしかやらかせない犯行だ。だがいくら首位部隊とはいえ、騎士団や王族まで敵にまわしては……」
ワラレアは過度な慰謝料に困惑していたが、ギブファットは笑顔を向ける。
「学級裁判はやめようぜ委員長。波照先生だって機嫌のいい日くらいあるんだろ? 気前のよさに感謝して、学食でぱっと飲み食いしようぜ!」
いっぽうウィンシーは不機嫌顔のまま、将軍から置き去りにされた事故車両の兵士たちの制止も無視して、ユイトエルブ大陸で最初に『騎馬』へまたがった人類となる。
とはいえ、それで騎士と称せる軍規や常識は聖神帝国にも存在しない。