第20話 最強の部隊は最強の苦悩と対峙する 2
王立地下迷宮の巨大縦穴にある壁沿いの螺旋階段は、地上からの弓矢だけでなく、あらゆる落下物に無防備だった。
迷宮から侵入する魔物を想定し、上からの死角が少ない構造で、人間なら壁に身を寄せて盾も使えるとはいえ、騎士団がその気になれば、階段を使用不能にもできる。
「まあ、こちらも迷宮の扉を開放して魔物を流出させ、混乱に乗じる手はあるわけだが……いや、実行する気はない」
「当たり前です! 帝都を滅ぼす気ですか!?」
勇士団の方針はワラレアとローシーが中心になって検討していた。
「わかっている。国と対立を深めても利益などない。だから市街地を下の階層から火災であぶったり、最下層にある『王家の神殿』を破壊するなどと脅迫する気もないから安心して……」
「そのような手口をすいすい思いつける人格が不安なのです! 仮に利益があってもやらないでください! というか実行しかねない人だらけですから、口にするのも避けてください!」
多少のもつれはあったが、大筋の見解は一致していた。
逮捕状の出ていたギブファット、騎士団長へ刃を向けたウェイストリーム、騎士団長を殴り飛ばしたウィンシー、以上の三名は引き渡す。
地下の勇士団も段階的に解散させる。
ただしそれらの前に、可能な限りの減刑を約束させる。
つまり全面的に従って、許しを乞うだけの交渉方針だった。
「しかしこの騒ぎが正式に反逆として広まっていた場合、騎士団も譲歩はしにくいだろうな」
「面目の手前、いくらか強硬になるかもしれませんが、変な意地は張らないでくださいね?」
「わかっている。辺境への逃亡に切り換えて……」
「おとなしく投降してください!」
「問題は引き渡す三人だが……」
ワラレアが視線を向けると、ウェイストリームは難しい顔で腕を組んでいた。
「僕とて余計な騒ぎを広げる気はない。しかしこれはもう、単なる不当逮捕への抗議ではないのだ」
「単なる公務執行妨害だ。そして誤解とすれ違いによる事故だ。そうしなくてどうする」
「すでに勇士団の、さらには聖神帝国の尊厳に関わる問題になっている」
「なっていない。するな。それこそが余計すぎる騒ぎだ」
「まあ、水希さんと法見の説明もいちおうはわかるから、ひとまずは言うとおりにするが……」
「いちおうではなく、しっかり牢獄に入ってから、余計な頭の使いかたを勝手にやってくれ……いや、それでも貴様が一番マシなのだが」
ワラレアはおそるおそる、自部隊の隊長と最終兵器の様子を盗み見る。
「すでに気がついていると思うが……うちには少し前から、調子のおかしい奴がいる。しかし以前のような悪知恵と邪悪な勘は働かないことが、今に限っては助かる」
ローシーもうなずくが、ギブファットに対して害虫を見るような表情は変わらない。
「今に限らず永久放棄してくださいそんなもの。しかし……たしかに最近は、不気味なほどおとなしいのも確かです。縛っておけば済むのですね?」
「問題は……」
人型魔獣ことウィンシーも静かだった。
ここまでの会話を聞きながら何度かコクコクうなずいているが、それは内容を理解しているだけであって、同意しているかは限りなく怪しい。
ローシーは言いにくそうに顔をそらす。
「倉庫に予備の馬具があるのですが……」
意図を察したワラレアも、さすがに心苦しい表情を見せる。
「その強度なら勝海でもちぎれないと思うが……つけてもらってもいいか?」
ウィンシーは答えない。じっと見つめてくる。
リルベルがぎこちなく挙手した。
「ちょっといいかのう? 勝海どの……例の『宿題』の件じゃが」
コクコクうなずかれる。
「ここでよいのか? まあ、実はそれが一番なんじゃが……鳩亜どの、騎士団長どのの奥方、つまり道流どのの母親は……」
「私の叔母上だけど?」
ウェイストリームは国王の実子たちが父方の従姉妹にあたり、ダブデミが母方の従姉妹にあたる。
「そうそう。大貴族のお嬢様……それで、ウェイブライト将軍は結婚の前後に、今のアームワイド国王とは壮絶な王位の押しつけ合いをして……」
「実力を隠し続けて、辺境へ出張しまくった波照将軍が逃げきった形ね。でも婚約者の叔母上はそのとばっちりで、武広様が正松様どころか椿様まで仕込んだあたりで、ようやく将軍を結婚式場へ引きずりこめたって聞いたけど?」
国王アームワイドに第一王子フェアパインが生まれただけでなく、第二子のカメリア王女も生まれる直前になって、ようやくウェイブライト将軍も妻を迎えていた。
ローシーは顔を真っ赤にしてツインテールの片方を引っぱる。
「もう少し言い方を考えてください……というか、いったいなんの話題ですか?」
ワラレアも眉をひそめていたが、ウィンシーを前にしたウェイブライト将軍の挙動不審も思い出していた。
「交渉材料になるかもしれん、気になることがあってのう? もう少し騎士団長どのについて知っておきたいのじゃ」
「あれほど誠実で勤勉なかたなどおりません。そして道流様が見習うべき柔軟さと政治経験もあります。そのようなかたの判断に逆らうなど……」
「まあまあ。それで法見どの。波照将軍が出張中の護衛隊長はたしか……」
ローシーが眉をきつくしかめる。
「私の叔母上です。横領事件を起こして失踪したことであれば、隠す気などありません」
ローシーが実力のみを重視される勇士団を選んだ要因でもあった。
なおダブデミは周囲から一斉に勧められて入団したが、その本当の理由を本人だけは気づいていない。
「いやいや、当時のウィットベリー隊長といえば、若手ながら『槍術最強』と呼ばれ、堅物ぞろいの名門に恥じぬ気概と功績だったとか。横領額の少なさもあって、不祥事を信じない者も多いと聞く」
ローシーはリルベルの意図を読みかね、神経質にメガネを整える。
「騎士団の武器である『弩砲』が勝海さんを誤射した直後、恵太さんに逮捕状が出た動きはたしかに、不自然な点も多いです。なんらかの不祥事を隠している可能性もありますが、将軍に限っては……」
「もちろん、波照閣下の忠義は疑いないじゃろう。失踪したウィットベリー隊長の罪も『証拠不十分』とされていながら、自ら補填を肩代わりしておるし……ということで勝海どの。今のわしに可能な『宿題』の答はここまでじゃ」
「なぜその話題に勝海さんが関わるのです? それのどこが交渉材料に……」
「馬具」
ウィンシーが不機嫌顔でつぶやいたため、ローシーは気が変わらない内に拘束の準備を急がせる。
第二階層の補給所から『咆獣迷宮』へ続く大トンネルは、自転車でも数分の長さになる。
その中間地点では、騎士団と勇士団が距離をおいて対峙していた。
勇士団の見張りは上級・中級・下級が各一部隊ずつの十数人だけ。
それでも並の衛兵百人以上に匹敵する戦力である。
相手は騎馬隊が四部隊で、数十人だけ。
ワラレアにとっては意外な少なさだった。
騎馬隊の一部隊は上級勇士の一部隊に匹敵するとはいえ、最低限、要人を護衛しながら撤退できる程度の戦力だった。
ワラレアがひとりで近づくと、ウェイブライト将軍もひとりで歩いて来る。
「交渉の前に、まずは差し入れを受け取っていただければありがたい」
リヤカーに積まれた木箱には生鮮食品などが入っていた。
「全員の帰還までには、どうしても時間がかかる。ただでさえ緊張しておるだろうに、まともな食事もとらんでは、気が立ってろくなことにならん。厨房などの交代職員も用意したが、こちらは不安ならば別に……」
「いえ、ありがたく受け入れさせていただきます」
ワラレアは調理人や医師たちの姿へ目もやらずに即答し、そのあとでローシーのうなずきを確認する。
どんな食材や人材がまぎれていようとかまわなかった。
こわごわとやってきた交代職員たちは体つきや身のこなしからすると、本業の者だけに思える。
それでもなんらかの連絡方法くらいは仕込んでいるはずだった。
「我ら勇士の中には教養にとぼしく、娯楽を知らずに育った者も多く、流行の『幻想奇書』ごときに感化され、秩序の順も忘れているようですが、少し頭を冷やせば、損得のわからぬ者たちでもないはずです」
ワラレアは自分が『対立相手』の代表者ではなく、混乱鎮圧の『協力者』と思ってもらうことが最優先だった。
「我が家の世間知らずが騒ぎを助長しておるのは心苦しいかぎりだ。しかし私も、勇士団の者たちが同胞を思いやる気持ちを軽んじていたようだ。もっと打算的で、せちがらい者たちなどと思いこんでいた無礼は詫びたい」
「恐れ入ります……それとこちらにも、引き渡したい脱出希望者がおります」
ワラレアの背後に騎士団衛兵や補給所職員、それにデューリーフを除く『燎原勇士隊』の年少者たち、合わせて数十人ほどが集まってくる。
「いちいち拘束するのもめんどうな数だな。そのままでかまわん。まとめて騎馬牧場の通用口から帰すから、みんないっしょに来るといい」
品良くなごやかにやりとりが進み、その終わりかけにはワラレアの不安も高まっていた。
ウェイストリームが終始、渋そうに無言であるくらいはかまわない。
ローシーがついている限り、無茶は抑えてくれそうだった。
ギブファットは「職員室の呼び出しならしかたねえよな」とぼやきながらも素直に従っていたので、口と手の拘束も余計な心配だったように思える。
しかしウィンシーが、やはりウェイブライト将軍を前にすると不機嫌顔でにらみ続けていた。
しかもそのウェイブライト将軍が目を向けたりそらしたりをくりかえし、挙動不審がはなはだしい。
いくらなんでもおかしい。
ウィンシーが不機嫌な理由であれば「ヒゲの形が気に入らない」程度でも、ワラレアはそれほど驚かない。
しかしウェイブライト将軍は十年以上も帝都全体の守護を背負ってきた熟練の司令官であり、王族として政争にもまれ続けた身の上でもある。
その貫禄と余裕が、ウィンシーを前にした時に限って、やたらとゆらいでしまい、部下の騎馬隊にまで動揺を広げている。
身分と人気からすれば、ひとりやふたり愛人がいても、ワラレアは別に驚かない。
しかし妻が大貴族の娘なら、その程度の不実も政治情勢を考えて気兼ねする可能性にも気がつく。
いずれにせよ、そのような話題に『人型魔獣』を挟んで考えることに現実味が感じられない。
ウィンシーも容姿だけは豊満な長身だったが、性格は純粋とか神秘的とか、それらしいだまし文句をいくら並べても、魔獣あつかいが妥当には変わりない。
ウェイブライト将軍は仮に身分や名声がなくとも、相手には困らないであろう伊達男である。そして帝都でも唯一と言っていい、ウィンシーに個人で対抗しうる戦闘力だが、まさかそんな鍛錬相手のごとき基準で劣情を抱く特殊性癖があるとは思えないが極度の自己開発マニアであることも考えると……
「それ、では、本題に入りたいのだが?」
ウェイブライト将軍がぎこちなくつぶやき、ワラレアも深入りしかけた思考の迷路から引きもどされる。
「あ。はい。こちらは、この三人を引き渡しますが……」
「うむ。ほかの者は、罪に問わないように、その三人も、なるべく温情ある裁定となるよう、働きかけよう」
代表のふたりは迅速な同意と裏腹に、笑顔が不自然だった。
「口先だけ」
いつの間にかウィンシーが、拘束もなしに接近していた。
後方にいるリルベルたちも、あわてて騒いでいる。
「勝海が学級会で手を挙げるなんて珍しいのに、こんなのかわいそうだろ!」
いつの間にかギブファットが自分の縄を斬りほどき、馬具を手にしていた。
「ま、待て勝海。貴様も引き渡しには同意したはず……」
ワラレアは言ってみたものの、人型魔獣の意志確認など不可能であることはさんざん思い知っている。
帝都最強部隊の副官は反射的に戦況の分析をはじめていた。
現状で頼れるリルベルとローシーは、杖術が対人捕縛には向かない。
ギブファットとウェイストリームの邪魔は抑えてくれるはずだが、そちらも本気になられたら止めきれるか怪しい。
ウィンシーに対しては将軍をどこまで頼れるかも不安で、騎馬隊の補佐だけでなく、自分の甲術と、槍術最強のバカも加わってようやく、入院を半数にできるかどうか。
ウェイブライト将軍も同じ戦況分析を察してか、重厚な落ち着きをとりもどしていた。
「帝都の守護を担う私が発言を軽んじたことなど……」
「仕事が重すぎて、人の命が軽くなってる」
ウィンシーが両腕の矢傷を見せ、騎士団長はまたも言葉につまってしまい、苦そうに顔をひきしめる。
「勇士団の諸君。そして騎士団の皆も。私とウィンシーどのの『話し合い』に関しては、ごく私的なものと思っていただきたい」
騎士部隊の多くは、一騎討ちの雪辱を期待して拳を握る。
ワラレアは逆に、加勢へ入りづらくなったことをひそかに舌打ちする。
「ワラレアどのも、さがられよ。手助けはいっさい無用……う!?」
かまえるウェイブライト将軍の前で、ウィンシーは白い体操シャツをまくり上げていた。
「え……? そのような間柄だったのですか!?」
ウェイストリームが思わず声をあげ、騎士部隊からも同じようにちらほらと「ここでは自重してください!」「どうかほかの場所で!」「ご勇姿を最後まで見届ける所存です!」などの声があがる。
しかしリルベルはワラレアが退避してくると、妙なことを口走った。
「横領事件のウィットベリー隊長じゃがな。将軍の出張中、いっしょにいた時間が最も長いんじゃ」
ウィンシーは胸のふくらみの途中でシャツを止めていたが、ウェイブライト将軍はその下半分を凝視していた。
「その位置に並んだホクロ……やはり母親はウィットベリーか!? 突然に失踪し……だが私は立場上、追うわけにもいかなかったのだ!」
ワラレアはようやく、リルベルに出された『宿題』の意味、将軍とウィンシーの共通点、帝都無双とされる強さの源流に思い当たる。
「唯一うたがわしい女性関係じゃな」
ワラレアは斧を抜かない将軍を不用心すぎると思ったが、ウィンシーが両腕を広げた全力疾走で頭突きをかます姿を見ると、ささいな疑問に思えてくる。
「ぶばぱっ!? ウィットベリーとの約束は果たせなかったが、守りたいと言った気持ちに偽りはなぐぶふぉっ!?」
ウィンシーはどんよりと退屈そうに顔面へ殴りつけていた。
「立場が重すぎて、知実ちゃんが軽くなっただけ?」
ワラレアはウィンシーがあの強さで無名だった理由は、人格的な問題だけだと思っていた。
しかし野蛮なようであなどれない鋭さとしたたかさ、二年前までは帝都に近づかなかった理由も含め、出自を明かせない逃亡生活によるものと気がつく。
「せ、責任をとらせてくべぽっ!?」
「んー」
「なんでも、言いたいことがあるならば……ぐべぅ!?」
「うざい」
騎士部隊もウェイブライト将軍が打たれるままになっている理由を理解しはじめる。
しかし『帝都の守護神』がまともな防御すらできなくなってくると、司令官惨殺の阻止に動くしかない。
騎士団長はあざだらけの腕でも、部下たちを制止する。
「いずれこの身は君の好きにさせよう。だが当時も今も、騎士団長という肩書きがある身では、背負うべきものを背負わねば、国の未来まで失いかねんのだ! 今ここは辛抱し、時間をくれぬか……この国のために!」
「国……ってなに? 王様? えらい人たち? 新聞のほめ言葉? そんな国、誰がほしいの?」
ウィンシーは手を止めたが、体にみなぎる魔力の光は衰えない。
「国のために、ここにいるみんなは捨てるの? 国のために、知実ちゃんを捨てたみたいに? それならわたしも、わたしのために、国なんかポイ捨てする」
むしろ『闘術』の輝きはさらに増し続けていた。
「そんな国いらない。わたしの命や家族や友だちをぶんどるような国なら、どれだけごはんをくれたって……ぶっとばす」
鎧の巨体が殴り飛ばされ、トンネルの天井へ激突し、騎馬台車のひとつへ墜落する。
褐色肌の長身少女は独りで四騎の怪物馬へ迫り、騎馬隊の隊長たちは一斉に叫びだす。
「撤退! 撤退!」
台車に横たわるウェイブライト将軍と共に、騎馬隊はトンネルのかなたへ走り去った。
「え……身柄の引渡しは?」
ワラレアは顔をこわばらせ、リルベルは頭を抱える。
「最高司令官との直接交渉を、半殺しではねのけた形になってしまったのう? 私的な『話し合い』はせめて、日どりをあらためてほしかったものじゃが……勝海どのは、そこまで将軍どのを憎んでおったのか?」
「別に」
ワラレアは思わず抗議の鉄球をかまえる。
しかし『人型魔獣』は不機嫌顔でトンネルのかなたをにらんだままだった。
「貴様が殴る理由をまともに説明するのも、殴ると予告してから殴るのも、はじめてのような……」
思わず気がゆるんだ苦笑へ、不意の裏拳が飛び、一年以上も部隊仲間だった勘のおかげでぎりぎりに避けられた。




