第14話 最弱の少年は振り向くことすらできなかった 2
奈落へ飲まれる鉄檻の中は重苦しく、リルベルも遠慮気味に口を開く。
「さすがにまだ『香霊迷宮』は早くないかのう?」
「本当は『餓竜迷宮』にしたいところだ。幻想などにすがっていられない緊張感を与えれば、早く目がさめるかもしれん」
「それは一理ありそうじゃが……のう水希どの」
「ワラレアと呼べ小鈴! ……ではなかったリルベル!」
「そもそも治療の必要があるかのう? このままのほうが……」
ゆらりと鎖鉄球が向けられる。
「その点に異論があるならば、今回ばかりはケガで済まない決着も覚悟してくれ」
ワラレアの空虚な真顔で、リルベルは両手を高く上げる。
「わかったわかった。しかしあの階層は……」
「くさい」
ウィンシーは大判のピザを丸め、小脇に抱えたギブファットの口へ詰めこみながら、不満そうに眉をしかめた。
第四階層『香霊迷宮』は最深階層『餓竜迷宮』のひとつ前にあるが、同じくらいに探索者が少ない。
魔物の平均的な強さに比べて報酬は高めで、それでもなお増額が続いている。
避けられている原因はいくつかあるが、『中級殺し』という別名のとおり、魔物の危険性が不安定なことが理由のひとつだった。
巨大縦穴の鉄扉から入った最初の通路にはいくつかの扉が並ぶ。
縦穴の底で続けられている掘削工事の機材倉庫がほとんどで、人の出入りは少ない。
まっすぐ奥の鉄扉をくぐると、香をたきしめた慰霊堂へ出た。
さらに奥の鉄扉から漂ってくる、消しきれない腐臭も避けられる原因のひとつである。
「今まで臭いとか安いとか言って、めったに寄りつかなかったがのう」
慰霊堂の石碑には貴族の名前が何十と刻まれ、そうでない身分の者も人数だけは記載されていたが、桁がふたつ違う。
ワラレアは冷淡に見下ろした。
「まだ騎士団が地下探索も主導していた二十年ほど前に、この階層が発掘された。この関所が完成するまでに、これほど多くの平民傭兵を犠牲につぶし、傭兵のなり手が減りすぎて、王立の勇士団が設立された……この迷宮でもとりわけひどい虐殺現場で、ふぬけた『恵太』を『ギブファット』へもどすには、ふさわしい舞台だろう?」
あまり口にされないが、縁起の悪さも避けられる原因のひとつだった。
リルベルは足を止め、石碑寄贈者たちの名前をながめる。
「うっとうしい。はっきり言え」
ワラレアは寄贈者一覧の最上段に彫られた、とりわけ大きな名前を足蹴にする。
「当時の騎士団長は私の祖父だ。この戦場の従軍医だった平民の父を気に入り、母との結婚を認めたことは罪滅ぼしのつもりらしいが……この腐臭よりも胸の悪くなる偽善だ」
「いっしょに蹴られておる一段下の副団長どのは弟さんで、ダブデミどのの祖父御じゃのう」
さらに奥へ入った通路は腐臭が強まり、突き当りの鉄扉から洞窟の広間へ踏みこむと、悪臭も忘れそうになる憂うつな光景が広がっていた。
とろけたような形状のトンネルがいくつもからみあい、壁は実際にぬめり、床にはところどころ粘つく腐汁だまりができていた。
悪臭の根源である水面が最も明るく淡く光り、あちこち盛り上がったカビやコケの毒々しいまだら模様を浮かび上がらせている。
なにより、出迎えに寄り集まってくる足を引きずった異形の群れが、それらの背景よりも不快な外見をしていた。
元の形は魔獣や人型など様々だが、あちこち腐り落ちて肉や骨が見え、中には内臓を引きずっている者さえいる。
大きさはばらばらだが、全体に怪物ネズミよりは大きい。
動きが遅いため、腐汁を浴びないための槍さえあれば、見習い勇士でも問題なく倒せる……ように見える。
一匹の腐敗した魔獣犬が駆け出した。
四本脚の一本だけが異常な速さと力強さで前後し、残る三本をひきずりながら加速し続ける。
リルベルの光弾が頭蓋を撃ちぬき、あっさりと仕留めた。
熊のような二本足の巨体も片足を引きずって駆けてくる。
それは光弾を撃たれた瞬間、自ら倒れてかわすが、地面に下アゴを打って牙をばらまき、首が嫌な角度までへし曲がった。
しかし強引に両腕を地面へたたきつけ、バッタのように一瞬で何十歩もの距離を飛びかかってくる。
ワラレアが前に出て盾を光らせ、広げた障壁をたたきつける。
落ちたところを杖術の散弾が穴だらけにして仕留めた。
魔虫の多い第一階層、魔獣の第二階層、鬼の第三階層までとは異質な変化だった。
魔力の暴走は異常な成長をもたらすが、そのために心身のバランスも崩しやすい。
この階層の『妖魔』と呼ばれる魔物はそれが特に乱雑で、無謀な代謝速度は魔物自身の肉体まで腐食していた。
ひとつ下の階層に多い『竜』と呼ばれる魔物は『複数の生物の肉体を併せ持つ』という、一個体を超えたバランスを特徴としており、その一歩手前のできそこないが『香霊迷宮』の腐乱死体じみた『妖魔』たちと言われている。
個体ごとに肉体損耗の度合は異なり、速く動かせる部位が残っていても、外見ではわかりにくい。
そして変異のバランスによっては、第三階層までの常識を超え、体格や筋肉量からは想像しがたい運動力を見せることもある。
数こそ多いが、ほとんどは下級勇士でも倒せた。
しかし時おり混じっている危険な個体に不意をつかれると、中級勇士でも大きな被害になりやすい。
敵の平均的な強さはどうあれ、高い緊張を維持すべき難所だった。
「ギブファットも戦わせろ。この際、腐汁まみれにさせたほうがいいクスリになりそうだ」
「んー」
ワラレアの指示でウィンシーはギブファットから引っこ抜いたピザをほおばって解放し、拳をかまえる。
「待て。今、口移しに食べなかったか?」
「ひっこぬいた」
「いや、直接ではなくても……」
ウィンシーは口から出ていたピザの端をちぎる。
「いる?」
「いらん!」
ワラレアは突き返しながらも、ついうらめしそうな目を向ける。
リルベルは周囲へ光弾をばらまきながら苦笑していた。
「それ以前に、よくこの臭いと光景でのどを通るのう?」
「ほんと、ペンキとか使いすぎだよな~。この教室、どれだけ出し物に必死なんだよ。はいどいてどいて~」
ギブファットはごく自然に剣をふるい、腐乱怪物の群れを薙ぎ散らしていた。
「貴様はそのまま先頭を進め」
ワラレアはその後に続く……それが定位置だった。
目ざとく敏捷なギブファットを前に、射手のリルベルを後方に、どちらも補助できるようにワラレアが間へ入り、個人で攻撃・防御・機動とも優れたウィンシーは勝手気ままを放置されていた。
「そりゃまあ、オバケ屋敷で女子を前に出したりできないよ。でも本当にすごいバケモノがでてきたらどうする?」
「それを狩りに来たのだ」
「へへっ、やっぱり水希は意地っぱりだな! 怖くなったら俺の背中に隠れろよ!」
「もちろん、いざとなれば盾にするが……」
ギブファットは無意識にも役割どおりに動き回り、物陰に潜む魔物をあぶりだしては斬り払い、あるいは撃ち抜きやすい位置へ追い立てる。
『狂風勇士隊』が本来の機能をしていた。
その実感だけでもワラレアは顔がゆるみそうになる。
「うわっ、お前すげえ仮装だな!? っていうか、そんなお菓子を持ちこんだら校則違反だろ!?」
しかし耳に入る常軌を逸した言動で、いまだに『ギブファット』の復帰は遠い事実を思い知らされる。
明るくはしゃぐ『恵太』が不意に振り返り、目を鋭くする。
進んでいたトンネルに沿って、大きく深い腐汁の池が広がっていたが、その水面から家のように大きなイカの妖魔がせりあがり、何本もの脚をふるっていた。
そのどれもが異常な加速をして、壁や天井を削りながら迫る。
ワラレアは自分でも信じられない失態を演じた。
いつもなら反射的にリルベルをかばったが、つい『本来の状態ではない』ギブファットが気になって動きを確認し、そのぶんだけ反応が遅れる。
リルベルは杖術の噴射を使い、自力で攻撃範囲から脱出した。
ウィンシーは手近な二本へ殴りかかる。
ワラレアは正面へ障壁を広げて数本を防ぎながら、いくつかは避けきれないと予測した。
ギブファットは飛び跳ねてかわしながらも二本を斬り飛ばし、しかしその残骸はなおも暴れて壁にはね返る。
ウィンシーが殴り返した一本も大きくしなり、天井にはね返った。
ワラレアは光の壁をまわりこんだ数打は受ける覚悟を決め、魔力の光を体に貯めて強化し、最悪でも骨折くらいで済むように願う。
その背を包んで光の鳥かごを描くように、刃のうなりが一瞬に走りまわり、触手の群れを強引にたたき返した。
「女の子を本気で怖がらせてどうすんだよ!? 文化祭だからってはしゃぎすぎだろ!?」
ワラレアの胸がズキリと痛む。
大事にされたうれしさを感じてしまい、だからこそ余計にやりきれなさも感じてしまい、ほとんど同時に二度のうずきをおぼえた。




