第13話 最弱の少年は振り向くことすらできなかった 1
かつて首位部隊だった『蒼天勇士隊』の隊長ウェイストリームは勇士の模範と讃えられ、先頭に立って『狂風勇士隊』の暴威に立ち向かい続けてきた。
ところが建国記念式典で衝撃の急転を見せつけ、動揺は勇士団から王宮全体へ広まる。
それでも父にして国王の弟、騎士団長ウェイブライト将軍はなごやかに笑って見せた。
「どうしたウェイストリーム。またずいぶんと意外な客人を同伴してきおったな? まあ、いまや勇士団で首位部隊の隊長どのだ。華として見劣りはしないが」
その貫禄あふれる余裕に周囲も安堵して「これからつぶす敵への手向け」などと陰で噂する。
しかしウェイストリームの笑顔は皮肉とは縁遠い。
「彼こそが勇士団の代表としてふさわしいのです。恵太、椿さんを踊りに誘ってみてはどうだ?」
椿さんこと第一王女カメリアは名目上、勇士団を率いる団長であり、貴族の舞踏会では誰もがウェイストリームに最初の相手を譲っていた。
祝賀会においてもカメリア王女はきらびやかなドレスを盛り立てて待ちかまえていたが、顔が傷だらけの少年を押し出されて絶句する。
ウェイブライト将軍はまだ、くだけた明るさを保っていた。
「こらこら、いくらなんでもそれは……いや、今日は騎士団も『狂風』の世話にはなったが……そういえば、ほかの『狂風』も招待しておるのか? あの神官どのや杖使いどのや……ウィンシーどのも? どこかにおるのか? いや、勝海どのと呼んだほうがよいのか?」
ウェイブライト将軍まで親しげに話し続け、こそこそと密談まではじめ、列席者はだんだんと動揺を盛り返す。
広間の片隅では神官長とその侍従たちが冷笑していた。
「継承順位は低くとも、親子して魔力も人気も十分でしたのにねえ? 平民をあれほど厚遇しては、貴族たちも支持は慎重になるでしょうねえ?」
「私闘や事故を仕込むまでもありませんでしたなあ?」
「しーっ、みなさんが継承候補を熟慮する時間ができてなによりです。第一王子と第一王女は魔力が低く、第二王女はまとまった支持層を持たない学者。第二王子は魔力が高くてもまだ子供。実に悩ましい横ならびです」
「決め手を欠いて長引けば長引くほど、教団の権威が増すわけですなあ?」
「しーっ」
肥え太った神官長はにこやかに、口の軽い侍従を戒めて足先を踏みつぶす。
カメリア王女は顔をひきしめて踏み出し、平民少年は無視して、その隣にいる継承権第六位の従兄弟へ向かう。
「俺、コンパなんて来たことねえし、カラオケとか苦手だから……また今度な! ドライブ楽しかったぜ!」
「待ってくれ恵太! どうか明日も……」
ウェイストリームは駆け去るギブファットをどこまでも追ってしまう。
置き去りにされた第一王女が笑いものになる前に、ウェイブライト将軍はとっさに手を差し出す。
「一曲、よろしいですかな?」
異様な雰囲気の中、演奏がはじまった。
「叔父上。あれはいったい、どういうことです?」
カメリア王女は蒼白になりながら、ステップだけは意地でもはずさない。
「いやあ、バカ息子はまだ、恋路よりも仕事や友情にかまけたい年頃のようでして」
頭ひとつ大柄なウェイブライト将軍のほうが、遠慮気味にふりまわされて見えた。
「それほど女性に興味がないのでしたら、身を固めてから好きになさればよいのです! しかし王族としての格式は、厳に守ってしかるべきです!」
「これは頭の下がる気概。しかし愚息といえど、その点をないがしろにする気はありますまい。そしてもしもの時には、我が子といえど騎士団を挙げて始末をつけさせましょう」
「もしも、では遅いと思われませんか? どうか聖神帝国の行く末を案じ、疑念の払拭にご協力を」
祝賀祭の翌日から、ウェイストリームは部隊仲間のようにギブファットへつきまとい、友人どころか目上のように扱いはじめる。
「僕も遅ればせながら『幻想奇書』をいくらか取り寄せたのだが、斬新な発想が多くて感心しているよ。低俗奇抜な表現も多いが、それとて読み終われば包むような配慮が感じられ……よいものだな」
勇士宿舎通り屋外席での食事は遠巻きに注目を集め、多くの者が噂をささやき合っていた。
「どんな弱味を握られたんだ?」
「そのわりには楽しげだが?」
「あのギブファットが照れ笑いばかり……あんなやつだったか?」
「親戚の騎士に聞いたが、やつは騎馬の暴走事故も体をはって防いだとか」
「その莫大な謝礼も、丸ごと孤児院へ寄付したらしい」
「しかし人気取りにしては、貴族にしぼっているわけでもなさそうだし……?」
「下級勇士の部隊を救助して、功績まで譲ったとも聞いたぞ?」
「ウェイストリーム様の熱意がようやく通じて、心を入れかえたのか?」
「いや、ウェイス……道流さんのほうが、恵太から学んでいる身だと周囲に言っている」
「そういえばこの『幻想奇書』風の愛称と名前の対照表も、緊急大量の印刷配布を『蒼天』のひとりが強行に発注したとか」
対照表は屋外席すべての卓上に貼られ、注文表にも束で挟んであった。
「そこまで『蒼天』と『狂風』の癒着……いや交流が進んでいるのか?」
「道流さんは以前から、恵太の実力と意欲には敬意を払うと言っていたし……」
ギブファットの隣のテーブルにいる部隊仲間にも、別の評価が出はじめていた。
「水希さんはまじめだから、きつく思われがちなんだよ。それをふぬけたやつらが『冷酷残忍』なんて陰口を広めただけで」
神官少女ワラレアは特に、その美貌と上品な所作から曲解も急激だった。
「小鈴ちゃんに消されたって噂の人は、みんな辺境へ移り住んでいるだけらしいぜ? しかも前よりずっと穏やかな性格になっているとか」
以前の表現であれば『怪人リルベルへ近づいた者は多くが正気を失い、かろうじて見逃された者も世間から身を隠し、おびえながら表の人生を終える』と言われていた。
「勝海さんは……なにごとにも素直なだけで、悪気はないんだよ」
色気のある容姿にも関わらず、ウィンシーを善人あつかいする者だけはいなかったが、魔獣を見かけたように駆け去る者は減り、希少な野生動物のように観賞する者が増えた。
下級勇士『燎原勇士隊』の赤毛少女デューリーフは宿舎通りに近づくと、その様変わりに驚く。
「さすがギブファットの兄貴。これがねらいだったのか……あれ? もしかして以前までのが演技だったのか?」
しかしワラレアをよく見ると、ティーカップを震わせ、凝視で破壊しそうな勢いだった。
「そんなわけあってたまるか……ほかの勇士どもから稼ぎを巻き上げるために、我々が惜しまず注いできた脅しの労力をなんだと思っている!? すべて忘れてしまったとでも言うのか? なにが起きている? 正気を奪う病が帝都に広がっているのか?」
リルベルも自分のこめかみをポクポクと杖でたたき続けていた。
「例えとしては悪くないのう。道流どのが最たるものじゃが、みんな『こうであってほしい』という願望を病原菌のように蓄えておったから、きっかけが恵太どのひとりの暴走だけでも発症し、悪化も早めているような……?」
「そんな診立てが当たってたまるか……いやしかし、平民区画や貧民街ほど、妙な噂も美化されているようだが。それにすでに闇小説では、異世界物語などという甘いたわごとが蔓延していたのだったな……おい露葉」
「ああ、あっちも姉御とはすぐに話したいってさ」
ワラレアはデューリーフとは目も合わせずに立ち上がり、代わりにリルベルが店の注文表をデューリーフへ渡して好きに頼ませる。
「貴様は行かないのか?」
ワラレアが振り向くと、リルベルは座ったまま手をふった。
「恵太どのを見張っておく」
代わりにウィンシーがのっそりと立ち上がる。
ふたりは地下道へ向かい、ごみごみした工場通りの奥にある帝都孤児院へ踏み入った。
ワラレアは院長室へ招かれたが、座る前から会話はもつれた。
「なっ!? ギブファットが以前から寄付をしていたとは、どういうことだ!?」
上級神官クリアレイクは柔らかな顔だちに憂いのある微笑を浮かべる。
「今までは確信を持てませんでした。でも、最初に不自然な寄付があって間もなく、孤児院を飛び出た子たちで結成した『陽炎勇士隊』のうち、ギブファットくん以外の全員が亡くなった事故を知りました」
執務机から取り出した革袋は血に汚れ、下級勇士にとっては少なくない額の銀貨が詰まっていた。
「その後も差出人不明の寄付があるたびに、ギブファットくんの、あるいは『狂風勇士隊』のよからぬ噂を聞きました。あの子は口癖のように『神様なんかいない』と言っていましたが、それだけ誰よりも、神様を必要として……」
ワラレアが袋ごと銀貨を殴りつぶす。
「やつが小心で狭量なことはよく知っているが、それだけは違う。やつは神などという幻想に頼ろうとは考えない。やつが信じるのは自分の力だけだ」
「ギブファットくんもそのつもりかもしれません。そう思いたかったのかもしれません」
クリアレイクは髪と同じ漆黒の瞳をワラレアからそらさない。
「しかし小さなころから、素直に謝れない子でした。そのかわりに口が悪くなって、目のくまも濃くなって……」
「目のくま?」
「一度だけ、見たことがあるのです。ほかの子に大ケガをさせた夜、礼拝堂へ忍びこんで、自分の宝物を寄付箱へ入れて……『ねむらせてください』と祈っていました」
執務机から薄汚れた木の人形が取り出され、机にめりこんだ銀貨袋の隣へ置かれる。
「ギブファットくんは受けとめきれない罪悪感をすべて心の奥へ押しこみ、その重さが夢の中へあふれ出て、自分で自分へ罰となる苦痛を与えてしまうのです」
ワラレアは小さな騎士人形をにらみながら、握りしめた拳を振り下ろせないでいた。
「強情ですが、繊細で優しい子です。あなたも同じなのでは?」
「なん……だと?」
「本当の悪人は、悪人らしく見せることをがんばったりしません。善人ぶって優しげな顔をつくろうものです」
クリアレイクは笑顔をゆがませて涙を浮かべる。
「慈善をたてまえに虚名と優越感を売りつけ、身寄りのない子へ本当に必要なものは与えないまま、大きくなって用済みになれば、使い捨ての危険な労働へ送り込むのです」
「知ったことか! そのような本性だろうと、貴様は地位も名声も得ているだろうが! ギブファットだって、やつの心の奥底などが知られたところで、被害者にとっては『排除すべき害悪』のままだ! この帝都で口にされてきた無数の悪評こそが、我々『狂風勇士隊』そのものだ!」
「それならば、増え続けている『新たな噂』も認めてよいのでは?」
ワラレアは歯ぎしりのあと、小さくひと息つく。
「さすがは上級神官。詭弁は得意のようだな……だが貴様らの、甘く腐った望みなど知ったことか。私は手段を選ばず、私の『狂風勇士隊』を守りぬく」
ワラレアは床で寝ていたウィンシーを起こして地上へもどると、有無を言わせずギブファットをひったくり、王立地下迷宮まで引きずりこむ。
引きとめようとしたウェイストリームの声も、同行を望んだデューリーフの声も、無言の眼光で断ち切った。




