第11話 最高の英雄は最高の混乱をもたらす 2
ウェイストリームは『接獄迷宮』でダブデミの報告を聞き、とまどっていた。
「休戦をふたつ返事で受けただと? 『狂風勇士隊』が最近は深い階層を探索していないという噂は聞いていたが……まさか本気で僕らの復帰を待っているのか? あれほど部隊の格づけに貪欲だった者たちが?」
「なにか不都合があるだけでしょ? 道流は善意にとりすぎだよ」
ふたりは話しながら、虎のように大きな怪物ミケネコを一匹ずつ斬り倒す。
「その愛称も悪意には思えないのだが、やはりなにか裏があるのだろうか?」
「そうね。愛称は決して悪意には思えないし、裏を探るためにも、これだけは譲歩して合わせておくべきね」
ダブデミは顔をそらしながらも、メモした愛称の一覧表をつきつける。
「わかった鳩亜。どうやら法見によると『幻想奇書』という小説の影響らしいのだが、なにか知っているか?」
「いえ、私はそのような闇小説の異世界物語には決して詳しくないのだけど、五十作以上が重版だらけで初版のプレミア価値は三倍を超え、貴族子女の間でひそかに流行しているジャンルでは、家柄や性別まで無視した恋愛描写が横行している……とか噂で聞いた程度ね」
「そ、そのような小説を読みはじめた恵太が、私に肩を組んできた……のか?」
「落ち着いて道流。その記憶は平助にすりかえて考えてみて」
平助ことフラットエイドは帝都でもワラレアに次ぐ『甲術』の使い手であり、防御の要を失った『蒼天勇士隊』は地下迷宮の深い階層には挑めない日々が続いていた。
ダブデミは三人こぎ軍用自転車の到着に気がつき、あわてて敬礼する。
荷台から降りた大柄な鎧男……騎士団長ウェイブライト将軍は明るく苦笑していた。
「実にまいった。騎馬の暴走事故で、すべての馬具を再点検するはめになった」
「それで今回の周辺掃討は予定が遅れたのですか……叔父様。もしや『狂風勇士隊』の工作でしょうか?」
ダブデミは声をひそめるが、先にウェイストリームが割って入る。
「待て。騎馬隊の厩舎となれば、いくら彼らでも侵入はできまい。残念ながら、出入りできそうな者も、動機からしても……」
王位を争う継承候補たちが疑わしいとまでは口に出せなかった。
「うむ、まあ、そのような……」
ウェイブライト将軍も歯切れ悪く言いよどんだ。
「……息子ともども身を隠していたいだけだったが、すっかり掃討まで助けられてしまったな。そういえば、その『狂風勇士隊』が暴れ馬を抑えてくれたおかげで、ほとんど被害を出さないで済んだのだが?」
「恵太が!? ……あ、いえ、ギブファットが?」
ウェイストリームは思わず笑顔になっていた。
「ん? それは若者の間で流行している呼びかたなのか? 『道流』に『鳩亜』……ずいぶんかわいらしくなる」
ダブデミは髪飾りへこれみよがしに挟んでいたメモをはずし忘れていた。
「ほう。私は波照か……となると兄上は武広といったところか?」
聖神帝国の現国王アームワイドは病床にある。
それはそれとして、ダブデミは目をしばたたかせた。
「叔父様は『幻想奇書』の命名法則を知っているのですか?」
「幻想? ……ああ、闇市でそのような本が出ているとは聞いていたが」
「私も詳しくは知りませんが、このように奇妙な名前の人物ばかり登場する闇小説なのです」
「ふーむ。奇妙というか……これは私が若いころに学んだ『神の啓示』に出てくる名称と似ている。闇市の連中もなかなかあなどれんな?」
「そ、そうなのです。どうやら『狂風勇士隊』も目をつけている様子なので私たちも徹底して探りを入れるために呼び方を合わせているところですので今後は叔父様もよろしければ私を鳩亜と呼んでいただければさいわいです」
ダブデミは途中から息つぎなしに言い切る。
「わかった。しかしあの『狂風勇士隊』は以前に見かけた時より、ずいぶん雰囲気が変わったようだが? 特にあのギブファット……恵太とやらはほがらかな、いい男になっておる」
「そ、そんなの気のせいですよ!」
ウェイストリームは胸をおさえて顔をそむける。
「なにを赤くなっておる? いい男と言っても、貴様のような色男とは言っておらんから安心せい。……それとそろそろ、祝賀会の準備へ向かうといい。こっちはおかげで、もうすぐ片がつく。地上も王子王女の祝辞合戦が終るころだろう」
帝都の四方に走る大通りは、旧外城壁から内側へ入ると様相が一変した。
高い建物がひしめいている点は平民区画と同じだが、ゴミゴミと生活の利便ばかりつぎはぎした積み重ねではなく、ひとつひとつが美意識を競った集合芸術になっていた。
落ち着いた灰色の瓦、白地に淡い着色の壁で統一されながら、形状は変化に富み、狭い空間にも余裕や洒落を持たせて彫像やレリーフを配置していた。
ただし植物はない。
植物の魔力は微細だが、変異して急成長すれば壁や床を割りかねず、虫などの発生源ともなる不吉な存在とされ、根付かせないための塗装が入念だった。
そして自転車である。
愛車の価値と、管理の優秀さを神経質に見せつけ合っていた。
金銀細工や宝石飾りはもちろん、オフロードでの走行性、あるいは複数運転士による速度の追求、搭乗者の快適性、高級パーツの数、ショーウィンドー、車庫、自前工房の設備、お抱え技師の待遇、専属運転士の体格や魔力……
帝都における最新の流行は『闘術』を使った踏み込みにも耐えうる機体だが、製造技術が進歩した半面、性能を活かしきれる運転士は不足しはじめていた。
戦闘であれば、魔物の動きを止められる瞬間的な出力を重視されるが、運転士は一定の強化を長時間継続できる体質のほうが重宝される。
上級勇士には不安な素質とされながら、強化魔法を驚異的に持続できる巨体中年ベアラックにいたっては、高額の引き抜きが持ちかけられていた。
「って熊吉!? そんなところでなにをしている!?」
ウェイストリームとダブデミは宝石店を兼ねた自転車部品店の前で新参の部隊仲間を発見する。
仲介人らしき燕尾服の初老男が契約書を片手に説明していた。
「うおっ、ウェイストリームさん!? 俺は、その……」
「しばらく休めとは言ったが、副業などに手を出す余裕があるなら、顔くらい見せないか」
「ち、違うんです。これは専属契約で……その……あのあと、見舞いを受けたんですよ。ギブファットさんたちに」
「む。まさか追い討ちか?」
「いえ、今度は信じられないほどよくしてもらって……」
「む? それなら問題ないではないか」
「いえまさか。すぐに気がつきましたよ。あれは最後通告なのだと……」
「待て。あの者たちは最近どうも様子がおかしい。僕も以前ならそう受け取っただろうが……」
「俺の女房は、もうすぐ子供を産むんです。勇士団を辞めたら貴族になる道は閉ざされますが、この契約なら今より安全に、しかもちょっとした貴族なみに稼げるんです。女房に『平民でもいいから、生きたまま家庭を守ってくれる父親がいい』と泣きつかれてしまって……もうしわけありません!」
「ま、待て!?」
ベアラックは涙ぐんだ勢いで、文面を読まずにサインしてしまう。
「ご契約ありがとうございます。まだ説明は途中でしたが、オーナー様もお急ぎでしたので、まずはご紹介からぜひ。ささっ、こちらへ……」
燕尾服の仲介人が背をぐいぐい押し、巨体中年はふたりこぎ自転車の客席へ乗せられて遠ざかる。
いかつい運転士たちもなぜか涙ぐんでいた。
「ベアラックの兄貴なら、絶対にトップドライバーになれると思って推薦したんです!」
「俺らが下級勇士の時に何度も助けていただいた、あのタフな魔力なら、帝都一の『車術』使いとして伝説になりますぜ!」
ウェイストリームは呆然と見送り、最後はうなずいて見せるしかなかった。
「もうっ、中級魔力の踏み込みに耐える新型が発表された時に嫌な予感はしたけど……」
「そう言うな鳩亜。熊吉の人柄であればたしかに、勇士団より向いた職場かもしれない。祝福してやろうじゃないか。それに見ろ……かなりの大物貴族に雇われたらしい」
送迎自転車はまっすぐ中央へ向かっていた。
貴族区画は中央に近いほど家格の高い屋敷になっている。
「でも、これでまた誰かを引き抜かないと……やっぱり平助はもう難しいの?」
「もはや地下探索をできる体ではないと言っていたが……まだなにか、狙うような目はしていたと思う」
「そうね。平助なら、すんなり引き下がるものですか!」
「むう……恵太もまさか、それを察していたのか?」
「道流は恵太を良く見すぎていない?」
「なっ!? 私は決して、やつを良い男などとは……!?」
「でも決闘が半端に終ってからは『蒼天勇士隊』もついに屈した、なんて噂まで広がってるみたいよ?」
王城からの送迎自転車がウェイストリームたちの前で止まり、客席からローシーが降りてくる。
小柄な銀髪少女はベアラックの引退については残念がってうなずくだけだったが、騎馬の事故に関しては眉をひそめた。
「おかしいですね。なぜ『狂風勇士隊』がそんな場所に?」
「む。うっかりしていた。調子が悪いなら最深階層は避けるだろうが、要請もないのに上級勇士が『接獄迷宮』など……?」
「いくらなんでも報酬が低すぎます。やはり事故原因と関わりが……?」
小さなメガネは神経質に何度も整えられる。
「しかし騎馬隊の不祥事で我が父の名声を落として得する者など、ほかの継承候補の支持者くらいでは?」
「事故の工作は困難だとしても『工作される情報』を得られた可能性はあります」
「なに!? 事故が起きると知って阻止へ……騎馬隊を助けるために!?」
「もう少し人を疑ってください。貴族になるための支持者が欲しくて、姑息な手段へ走っただけでは?」
「そうだろうか……もう少し、彼らを信じてもよいのではないか?」
「そこまで残念そうに言われてしまうと心苦しいのですが、私の危惧するとおりであれば、ただ貴族の末席を彼らに汚されるだけでは済まない、国の一大事になりかねません……彼らは今どこに?」
帝都においては誰もが『狂風勇士隊』を避けて歩くが、立ち話をする『蒼天勇士隊』の周囲には自然と人だかりができていた。
ウェイストリームが周囲を見渡して手を挙げれば、いそいそと十数人の中級勇士たちが押し寄せて情報提供をはじめる。
「先ほど下級勇士が、なぜか第二階層で『狂風勇士隊』を見かけたと言っていました」
「君はたしか『霧雨勇士隊』の……ありがとう。行ってみるよ」
中流貴族で組んだ『霧雨勇士隊』は中級勇士でも中ほどの功績を維持しており、存在感の薄さに定評があった。
ウェイストリームは追従を望むほかの勇士たちを手で制止し、足早に王城へ向かう。
「ちょっと道流。そんな寄り道をして祝賀会に間に合うの?」
「だがこのタイミングで騎馬牧場のある階層へ入るなど、意図を確かめねば!」
王城は中央門だけ特別に大きく、ものものしい数の衛兵が並んでいた。
通り抜けた先には城壁に囲まれた砂地の広場があり、王立地下迷宮へ通じる昇降機が待っている。
多くの傭兵は『蒼天勇士隊』の三人が近づくと敬意を払って順をゆずり、すさんだ風貌の者たちさえ渋々と道を開け、それぞれにささやき合う。
「ウェイストリーム様が、あんな会釈も少なく早足とは……なにかよほどのことが?」
「ついに『狂風』との決着をつける気か? なにせ元『剣術』最強にして騎士団長の一子、しかも国王様の甥で継承権第六位となれば……」
「いちおう、あの槍使いも母方の従姉妹にあたり、いちおう、大貴族らしいぞ?」
鉄檻が騒音と共に降下をはじめる。
ローシーの眉根は懸念を深めていた。
「第二階層の『咆獣迷宮』も、上級勇士には『接獄迷宮』と似たような安すぎる稼ぎです。そんな浅い階層へ向かうとしたら、やはり王子のどちらかと結託して……いえ両方?」
「法見、めったなことを言わないの! ……でもリルプラム様が黒幕の可能性はないの?」
「あなたこそなにを言っているのですかダブデミさん?」
ローシーの声に乾いた殺意がこもる。
「待って。光らせた杖の先を向けるのはやめて鳩亜と呼んで。私はただ『血統を軽視する人材登用』なんて、実現できるとは思えない無茶だから……」
「平民の人気取りだけしているとでも? ずいぶん悪意に満ちた解釈ですね?」
「……と、水希が言っていたことが気になっただけで」
「リルプラム様は『神の啓示』に頼れる限界を危ぶんでいるのです」
「え。王家が聖神様に見捨てられそうなの? 痛だだだっ!?」
ローシーは返答を考える間、無意識にダブデミを杖で殴打していた。
「失敬……『神の啓示』は『闘術』で直感や発想力を強化するわけではなく、距離の延長に特化した『杖術』で『神の楽園』の技術情報を探知して得られるものです」
「それは聖神教団が説教している『まじめに魔力を高めた王家は偉いから、聖神様から繁栄の啓示をもらえる』となにか違うの?」
「実用化できなかった『電力』などの技術からすると、私たちの世界と『神の楽園』には根本的に埋められない環境の違いがあり、将来的には技術の差が広がり続けて、ほとんどの『啓示』に頼れなくなる可能性もあるのです」
「そうなると『杖術』の血筋で最大の権威だった王族も、まもなく聖神様ともども用無しという……痛だだだだだっ!?」
ローシーは無表情に殴打を続けるが、適切な反論は思い浮かばない。
ただうつうつとつぶやく。
「教団が無理な圧力で掘削を急がせ、国庫と勇士団の負担が増して、さらに『狂風勇士隊』の陰謀による混乱もひどくなりそうな時に、あなたは、あなたは……」
見かねたウェイストリームが止める。
「落ち着け法見。啓示の問題はともかく、なぜそれに『狂風勇士隊』が関わるのだ?」
「最深部にある『儀式の神殿』を使わなくとも、飛びぬけて高い『杖術』の魔力と技量があれば、『神の啓示』は得られるかもしれないのです。そしてその実験成果がもし、あの忌まわしい闇小説なら……」
「まさか『幻想奇書』の内容が!?」
「もし部分的にでも成功していたなら、あの悪魔どもは王族の権威をゆるがし、なにをしでかすか……」




