第10話 最高の英雄は最高の混乱をもたらす 1
地上市街に出たワラレアとデューリーフは、大通りの喧騒にとまどった。
「大型の魔獣でも来ているのか?」
ギブファットは通りの飾りつけを見上げてうなずく。
「開校記念日の文化祭だったか」
「建国記念日の祝賀祭じゃ。まったく、おぬしらはどこまで国に薄情なのやら」
リルベルはため息をついて一行と別れ、ワラレアは眉をひそめて見送る。
「やつに言われるのだけは心外だが。この人混みでなにを売りさばくつもりやら……まあ、やつに限っては、足がつくようなヘマもするまい」
帝都の城壁は三重になっている。
『外城壁』は全市街地を囲んで農場区画からの魔物を防ぎ、地下水の貯蔵と地下工場群の排煙設備としても使われていた。
『内城壁』は帝都の中心部で王立地下迷宮を囲み、王族の居城や官邸と一体化していた。
内外城壁の中間には、少し低い『旧外城壁』も残されていたが、予備の城壁というよりは、内側の貴族区画と外側の平民区画を分ける『身分の壁』として知られていた。
屋上部分は巡視だけでなく、式典などでは舞台がわりにも使われる。
祝祭日ともなれば旧外城壁に沿った大通りは見物客をあてこんだ出店でにぎわった。
旧城壁前の広場まで来たワラレアたちが見上げると、白銀の四人乗り自転車が四台、銀飾りの巨大客車を引いていた。
その上では長身の男が短い銀の杖をかかげて演説している。
「見張り台を増やし、大型弩弓を増やし、魔法戦力の多寡に関わらず維持できる防衛戦力を増やさねばなりません! そのためには自転車道路の整備拡大こそが現実的な急務なのです!」
ワラレアは冷笑する。
「第一王子のフェアパインか。第一継承候補ながら魔力は四兄弟でも最低とあって、珍奇な主張を考えたものだ」
デューリーフは目をこらし、豪奢な客車を値踏みする。
「でも姉御。あれもいちおうは王族だろ? やっぱオレよりは魔力が強いんじゃねえの?」
「下級勇士なみとは言われているが、どうかな? 血筋のいい貴族ほど、魔力は少し余計に評価される。まして王族では、見習いの平均くらいかもしれない」
いっぽうウィンシーは、さっそく自分とギブファットの口へ焼き芋を詰めこみはじめていた。
銀白色に輝く自転車部隊が遠ざかると、続いてもうもうと煙を噴き上げる車輪つきの黒い鉄箱が、自転車の牽引もなしにとろとろ走ってくる。
「な、なんだあれ? 中に兵隊を閉じこめているのか?」
「いや、蒸気機関だ。掘削現場や工場の排水ポンプに使われているが、あのような使い方もできるらしい」
「自転車のほうが速いし安上がりだろ?」
蒸気車に立つ少年はデューリーフよりも年下に見え、まだ声変わりしたばかりの体格と顔だちで、背より大きな鋼鉄の杖を抱えていた。
「自転車による輸送改革! 活版印刷による情報改革! そしてこの蒸気機関も、改良が進めば必ずや産業を革新する技術となるでしょう! 聖神帝国の発展は『神の啓示』がもたらしてきた事実を直視すべきです! 究極の魔力を追求する人材育成こそが、現実的な急務なのです!」
年齢にも関わらず演説は堂々としていたが、ワラレアは懐疑的な視線を向けていた。
「末っ子のバンブートゥ王子は四兄弟で最も魔力が高く、すでに中級勇士なみという噂もあるが……なにせあの年だ。後継者指名の引き延ばしに必死だが、国王の病状がそこまでもつかどうか」
「じゃあ、今年に限ってあんな大騒ぎしているのは……」
「生徒会の選挙か。生徒会長は卒業すると理事長になれるんだよな? 俺は正松とか竹行より、椿ちゃんや小梅ちゃんを見たいな」
うっかり空いていたギブファットの口へ、ワラレアが芋をねじこむ。
「やつらは祝辞のふりをして、後継者指名の支持を訴えている。城壁の内側ばかり見ているだろう? ウェイブライト将軍が『接獄迷宮』ごときに出ているなど妙だと思ったが、どうやら距離をとりたいようだな」
「候補者の共倒れ待ちとか?」
デューリーフは自信なさげに推測するが、ワラレアは冷やかに笑った。
「そうではないから気色悪い。よほど愛国者のふりをしたいのか、今のアームワイド王が継承指名される前から魔力の高さを隠し、その後も世継ぎが生まれるまでは、結婚すら避けていたというほど必死だ」
「じゃあボンボン息子のウェイストリームを勇士団なんかへ放りこんだのも……」
「偽善だな。帝国でもトップクラスの魔力が二代続き、余裕を妬まれないための処世術だろうよ」
「姉御……オレに兄貴の見張りとか言われたって、『蒼天勇士隊』なんかを相手にしたら、何秒も立っていられる自信がないんだけど?」
「心配しなくていい。私がここで待ち合わせていたのはそいつらだ」
ふたりの背後で、フードを深くかぶったローブ姿がふたり、怒り顔で震えていた。
「悪趣味な。僕らがいると知っていて話したのか……もう行く。ハトアが名代だ」
長身の金髪少年はそれだけ言って、人混みの中を外城壁へ向かう。
「やつはなにを急いでいる? ローシーはどうした?」
残っているのは槍を持つ栗色ツインテール少女、ダブデミだけだった。
「ノリミは急ぎの研究とかで、お城の書庫なの。ミチルはウェイブライト様のお手伝い」
ダブデミは不本意そうに旧外城壁の上を指す。
三人目の演説者が近づいていた。
長身の若い女で、金色の三人乗り自転車の中央荷台に立ち、細い黄金の杖をふりまわしている。
「設備開発や人材育成の大前提として、まずは魔物の討伐を維持しなければなりません! 脅威を増し続ける魔物への対処はまさに今日、必要なのです! 勇士団の規模を拡大し、騎士団との連携を深めることが現実的な急務なのです!」
儀礼用である金色鎧の自転車部隊も四列縦隊でぞろぞろと続き、ワラレアは見上げながら呆れ気味に嘲笑していた。
「第一王女のカメリアは、いまだにウェイストリームとの結婚をあきらめていないのか。兄よりはマシな魔力があるし、あのボンボンの魔力と人気を決め手にしたいようだが……なぜ返事を逃げている?」
ダブデミは眉をしかめて口をとがらせる。
「ミチルやウェイブライト様まで継承争いに関わったら、どれほどの波風が立つと思っているの!? ああ嘆かわしい。まだ私たちが、あなたの出身をつきとめていないとでも思っているの? まさか、あなたなどの祖父が……」
「『闇市』『ミチル総受け』」
ワラレアが唐突につぶやくと、ダブデミは肩をすくめて周囲の目を気にした。
「な、なんですそれは!? そんな本など知りません!」
「いや、貴様がなにかめんどうなことを言い出したら黙らせる呪文だと、リルベルが教えてくれたのだが……書籍なのか? ウェイストリームの?」
「要件を済ませましょう。こちらは私ひとりでけっこう」
ダブデミは素早く背を向けて歩き出す。
「こちらも私ひとりが……ひとりでいい。だが近くの店にしてくれ」
平民区画でも、旧外城壁の近くは裕福な者が利用する飲食店も多い。
落ち着いた内装で客も少ない二階席の隅で、ふたりは対峙する。
しかしマッシュパイが届く前には話がまとまっていた。
「国王の体調がそんなに悪いのか? いや、ウェイストリーム将軍の都合が悪いのか?」
「お互いに探らない約束をしたばかりでしょ? とにかく私たちは『狂風勇士隊』との問題をしばらくは保留にするから、その間は……」
「誰の仕業かは知らないが『蒼天勇士隊』への嫌がらせは止まるだろうな」
ワラレアは言い捨てて席を立ちかけるが、ダブデミの槍が制止する。
「まだなにかあるのか? ローシーの入れ知恵だけで話を済ませなくていいのか?」
そのころ王城の書庫では、銀髪褐色肌の小柄な少女が本の山を築いて読みあさっていた。
「ローシーさん、よろしいでしょうか?」
向かいに立って会釈した色白の少女は数人の護衛を引き連れている。
「え……? は、はい! おひさしぶりです。どのような御用で……もうすぐお時間なのでは?」
「私は午後に一周だけの予定です。その前にローシーさんのご意見をお伺いしておきたいと思いまして」
ローシーは差し出された原稿の束を紅潮した顔で受け取り、メガネを整えて読みはじめると、蒼白になって汗を噴き出す。
「これは……危険すぎます! 地下探索は最優先の国家事業で、地下深くほど生物の魔力は高まり、より多くの『神の啓示』をもたらし、いずれは『神の楽園』そのものへ至る……それが国教の見解です」
「しかし『母なる大地の深奥に眠る』とされた『神の楽園』には、空や太陽の存在も記録されていました」
「私も、そんな世界がこの惑星の地殻内に存在するとは思えません。しかし大賢者サラダウォーク様でさえ『未知の古代文明が、記録媒体を地中に残した』という仮説を立てただけでも非難を集め、貴族の一部が王族よりも『聖神教団』を重んじる原因にもなってしまいました。それでも、その学説だけならば、いずれ教団が受け入れる可能性もありますが……まさかこんな……」
「しかしローシーさんも、同じ疑問には気がついていたようですね?」
白い指が積み上げられた書物の題名をなでてほほえむ。
『液体燃料機関の生物発火対策 ~車両動力としての可能性~』
『無魔力空間における電子機器の安定性と構造問題』
うなだれるローシーの背へまわり、優しくささやき続ける。
「電流照明も、液体燃料機関車も『神の楽園』と同じような使いかたにはほど遠く、一部は発展理論も解明されているのに、なぜか初歩技術を再現できないで行き詰まったままです。百年ほど前から、啓示から読み取れる技術は増え続けているのに、実用化の見込みがない研究は、それ以上に増えすぎています」
「それらの技術は、どれだけ研究を重ねようとも、この『ユイトエルブ大陸』にいる限り、絶対に実現不可能かもしれないなんて……この仮説どおりの場所に『神の楽園』があるとすれば、これまでの研究はすべて……」
ローシーは膨大な書棚を埋め尽くす『神の啓示』の研究記録へ、許しを乞うような視線を向ける。
「……この仮説を今すぐに発表しては、混乱を招く絶望となります!」
「しかしいつかは……『神の楽園』が『地下には存在しない』と周知された後であれば。その時こそ、この学説は最後の希望となりうるのです」
ほほえんでうなずかれても、ローシーは不安そうに黙りこむ。
「しかしそれよりも早い時期に、掘削を止める説得材料として必要になるかもしれません。まだ第四階層の探索すら進んでいない上、第五階層を探索できる勇士が不足しすぎています。もし今、さらに魔力の強い階層の魔物を掘り返してしまったら……」
「教団は『新しい階層』の危険性について、今までの延長でしか考えていません。二十年前の惨劇で済むかどうか……」
げっそりとうなだれるローシーはふと、一冊だけ色鮮やかな外装の本に視線を落とす。
「その書物は?」
「あっ、もうしわけありません! 王城にけがらわしい闇市の書籍を持ち込むなど……近ごろ勇士団に起きている騒動との関係を疑い、調べておりました。冒頭から『騎馬隊にひかれて死んだ者が異世界に転生する』などと荒唐無稽な物語なのですが……」
「どうなされました?」
「恐れながら、なぜか設定には『神の楽園』との類似点が多く……いえ、啓示の研究をみだりに借用しただけかと思いますが、どういうわけか『魔力が存在しない世界』という最新の学説にも近い偶然が……」
「それは興味深い一致ですね。しかし地下探索が予算ほどの成果を出せていない今、そのような願望を抱くかたも増えつつあるということでは? ……そこで、このように遠まわしな表現であればいかがでしょう?」
ローシーは別の原稿を渡され、拍子抜けしたようにうなずく。
「この程度であれば、式典でも問題ないかと」
「それはなによりです」
「あの……私ごときの意見でも、お役に立てたのでしょうか?」
とまどう褐色の両手が、白い両手に包まれる。
「私の大叔母……大賢者サラダウォークも亡き今、その下で共に学んだローシーさんこそが、私の頼りなのです」
ローシーは真っ赤になって涙ぐむ。
「もったいないお言葉です…………しかし私は……実は……」
「その先はどうか、内緒のままに。ローシーさんは王族の側近を多く輩出する名門の家系で、とりわけ頼もしい魔力と見識です。そしてその『王族への忠誠』は疑いないもので、私にはそれで十分なのです」
白い指はローシーの銀髪をなでつけ、震えがおさまるまで待つ。
そして書庫を出てから、護衛のひとりを呼び寄せた。
「トゥルクレインさん。ふたりほど調査員を」
「ローシーさんはやはり、カメリア様の差し金で『蒼天』に入っていましたか」
「監視にはおよびませんが、彼女と姉上の連絡方法は特定しておいてください」
ワラレアたちは注文したパイを完食し、追加注文もしてから店を出る。
ダブデミは歩きながら『道流』『鳩亜』『法見』などと書かれた一覧のメモをそっとしまいこんだ。
「急がないと……あのかたの演説は聞いておかないと、法見がうるさいから」
「貴様がどうでもいい話で引きとめたのだろうが」
「勘定をもってあげたのにその態度はなに!? たしかにマッシュパイは正解だったけど! たまには平民の店もいい感じだけど!」
「その第二王女が来たようだ」
旧外城壁の上で、数人がゆっくりと歩いていた。
中心にいる金色髪の少女は小柄で、小さなガラスの杖を手に城壁の『外側』へ手をふり、その下では群衆が熱狂的な声援をあげている。
ワラレアは興味もなさそうにつぶやく。
「たいした人気だな。しかし平民の支持では、どれだけ数が多かろうと意味などないが」
「そんなわけないでしょ!? ほかの三人が継承争いを泥沼にしている中、あのかただけが平民の不満を抑えているのに……お体が弱く、魔力もカメリア様にはおよばないらしいけど、本当は、あのようなかたにこそ道流の魔力と名声が結びつけば……」
「貴様はそれでいいのか?」
「私だってカップリングとしては……いえ、私情をはさむ気などありません。国の行く末がかかっているのです」
ダブデミはそっと顔をそらす。
「それならあのボンボンをさっさとカメリアとくっつけさせれば、決着も早いだろうに」
「その方向で話が進みかけていたのに、どこかの卑怯者が『剣術最強』の名を奪って、勇士隊の首位まで汚い手段で蹴落として、反対派が盛り返してしまったばかりなの……!」
槍は範囲に優れた武器で、魔力のない者にとっては弓矢に次ぐ主力武器となっている。
しかし剣や斧のほうが魔力を扱いやすく、魔法の技量によっては範囲も補えた。
そのため槍は一般に、魔力の低い者が使う武器とされている。
ただし例外として、魔力の瞬間的な出力に優れながら、複雑な操作を不得手とする者が、範囲の補完に選ぶこともある。
帝都でも『槍術』最強とされる上級勇士ダブデミは、一撃の爆発力ではウェイストリームをも上回った。
その威力は後ろ手にコソコソといらだちを伝える際にもいかんなく発揮され、帝都最強の防御力とされるワラレアの『甲術』で防がなければ、盾ごと腕を爆砕される惨事になっていただろう。
「事情はわかったが、しばらく争いは避ける約束をしたばかりだろうが。街中ではやめろ。周りに迷惑だ」
ふたりの間から、通りかかった者の髪型を乱す突風が発生していた。
「しかしあの第二王女とて、継承あらそいから身を引いているからマシな程度で、言っていることは最もひどいではないか」
「なにを勝手な!? あなたが王女様の深い見識を理解できないだけでしょう!?」
「遠まわしな表現はしているが、血筋を軽視した人材登用など、あの魔力足らずの第一王子すら考えもしない暴論だ。それこそ平民の人気を得られるだけの絵空事で……なにをメモしている?」
「い、いえ、法見の説明より要点がわかりやすくまとまっていたので……」
ようやく行列が近づいてくると、ワラレアは複雑な表情で見上げる。
「しかし……名前も年格好も似ているのに、ずいぶんな違いがあったものだ」
「ちょっと、そんな暴言を護衛に聞かれたら、不敬罪で始末されかねないからね? 特に護衛隊長のトゥルクレインさんなんか、なみの上級勇士よりも……」
行列の中心にいる第二王女が会釈を向け、ふたりはあわてて身をかがめて礼を返す。
第二王女は大路の上でようやく立ち止まって短い演説を終えると、次の大路へ向かう。
「トゥルクレインさん?」
第二王女は化粧の薄い童顔でほほえんだまま、トツトツと自分のこめかみを指でたたいた。
「リルプラム様、いかがなされましたか?」
「なぜ……いまだに気がつく人がいないのでしょう?」
「あの歓声へ、全力の杖術をぶっぱなせば一発で気がついてもらえますよ」




