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童話 人魚姫のいた海

作者: 凍路木

昔昔、あるところにひとりの兵士がいました。


 兵士といっても、特別に強かったり、すばやかったりすることは無く、ただ真面目なことだけが取り柄のどこにでもいる普通の兵士でした。


 兵士は王様に海辺の警戒を任されていました。毎日小船で海辺を見回り、その後砂浜を巡回する。それが兵士の日課であり任された仕事でした。


 安全をただただ毎日確認するだけの仕事、そんな何も特別なことが起きることはない、誰も進んではやろうとはしない退屈な仕事、そんな仕事にも兵士はやりがいを感じていました。


 何もないということはこの国が安全で平和という証拠だ、それを毎日確認するこの仕事は平和を実感できる偉大なものだ、そう兵士は思っていました。


 ところがある日、いつも通り何事もなく終わるはずだった海の巡回で兵士は彼女と出会いました。小船で真面目に働いていた兵士の前に彼女は突然現れたのです。


 「ウィリアム王子のいらっしゃる国は、ここでしょうか?」


 兵士は彼女を見て驚き答えることができませんでした。なぜなら彼女の姿はあまりにも人間とはかけ離れたものだったからです。彼女は金色の長く綺麗な髪と澄み切った青い目を持っていて、しかも下半身には魚のような鱗とヒレがありました。


 彼女は困った顔をしてもう一度兵士に同じことを問いました


 すこし落ち着いたのか今度は兵士は「そうだ」と一言だけ告げました。


 「ありがとうございます。」

 彼女はとても澄み切ったうっとりするような声で兵士にお礼を言い微笑みかけました。それから彼女は再び海の奥深くへと帰っていきました。



 それから一週間たったある日のことです。いつものように兵士が砂浜を歩いていると、裸の女性が倒れているのを見つけました。


 その女性の顔を見て兵士はそれが人魚の彼女であることに気が付きました。

 兵士はすぐに自分の着ているコートを脱いで彼女に掛け、大きな声で呼びかけ彼女の目を覚まさせました。


 「なにがあった?」

 兵士が彼女に尋ねると、彼女はしばらく戸惑いやがて砂に何やら文字を書き始めました。


 “声と引き換えに足をもらいました”


 兵士は彼女の声をもう聴けないことを知り、心の内で悲しみました。


 すると彼女がまた何やら文字を書き始めました。


 “ウィリアム王子にあいたいです。”


 「わかった、王子を連れてこよう。」


 兵士はそう答えました。


 “お願いします”

 彼女は嬉しそうに砂をなぞりました。


「そうだ、一応これを渡しておく、この辺りは少し危ないんだ、そんな格好してたら何されるか分かったものじゃないからな。」


 はにかみながら兵士はそう彼女に告げて、持っていた短剣を一つ彼女に渡しました。


 “優しいんですね、兵士さん”

 彼女は嬉しそうに微笑み、そう砂の上に指を走らせました。


 「バッ、馬鹿なことを言うな、この国を守る兵士として当然のことをしただけだ。」


 兵士は自分の言葉に従い一つだけ彼女に質問をしました。


 「あなたは何故ウィリアム王子に会いたいんだ?声を失ってまであいたいなんて私からしてみれば正気とは思えないんだが、どんな理由があるんだ?」


 彼女は再び砂に文字を書き始めました。


 “私はウィリアム王子と結ばれなければ、泡となって消えてしまいます”

 砂にはそんなか弱い文字が描かれました。


 兵士はその文字があまりにも急で、あまりにも非常で信じられず、彼女のほうを見て目を数回瞬きました。すると彼女は兵士のほうを見てクスクスと笑います。兵士は訳が分からなくなりました。


 「なんで笑っていられるんだよ!結ばれなかったら消えちゃうんだろ?」


 兵士はあまりの現実の非情さに怒り、怒鳴るように彼女に問い掛けました。

 そんな兵士を見ても彼女は驚きもせず、おおらかに微笑みまた砂に指を走らせました。


 “あなたは優しいんですね、まったく知らない私のために怒ってくれた。でもこれは私が望んだことなんです。押し付けられたんじゃなく私が自分で選んだこと。だからそんな泣きそうな顔しないでください。あなたはきっと素敵な人になります、そして好きな人ができたら私が何故笑ったのかわかりますよ。”


 彼女はそういって少し悲しい顔をした兵士に向かって微笑みました。


 彼女が消えてしまうかもしれない、そう思うだけで兵士の胸は痛みつぶれそうになりました。いつの間にか彼女に同情してしまい少しみっともない顔になった兵士は、それを隠すために彼女に背を向けました。


 「王子を呼んでくる。」


 そう強い声で兵士は彼女に告げ砂浜から走って去っていきました。心に開いた悲しさをそうやって全力で走ることで紛らわそうと、むなしい努力をしました。



 「王子!王子!」


 兵士の大きな声は城中に響き渡りました。


 「いったいどうしたんだ、そんなに大きな声を上げて、何か異常でもあったのか?」


 王子は書類を書く手をいったん止め、兵士の声に耳を傾けました。


 「いえ、そのたいしたことではないのですが、今海がこの上なくきれいで美しいのです。お暇があれば散歩へいかれてはみませんか?護衛は僕がこの命を懸けて務めさせていただきます。」


 兵士は彼女のために忠誠を誓った王子に嘘をつきました、この国では王は絶対、ウソがばれればもちろんただではすみません、最悪死刑もあり得ます。そんな危険を兵士は承知で嘘をつきました。


 真面目なことだけが取り柄だった兵士は、嘘をついたことに自分でも驚き、何故そこまで彼女に尽くしたいと思えるのかすこし疑問を抱きました。


 「その称号、お前は海辺担当のものだな。」


 王子が兵士の胸元の金ピカに光るバッチをじっと見つめ何かを決めたように立ち上がりました。


 「うむ、そうだな、たまには休息も必要だろう、海辺担当のお前がそこまで褒めると言うのであればそれは見ないと損というものだ。すぐに支度をする。部屋の外で待っていろ。」


 王子はすっかり海に行く気になり、支度を使用人たちにさせ始めました。


 「はい!」


 兵士の若く元気な声が再び城中に響いたのでした。



 「こちらです王子」


 兵士は王子を彼女のいるところへ不自然の無いように誘導していきました。


 「ん?何だあれは?」


 王子は何かを見つけ指をさし兵士に問い掛けました。王子の指差す先には倒れている彼女の姿がありました。


 「さぁ…先ほどはいなかったはずなのですが。」

 兵士は再び王子に嘘をつきました。


 「すぐに保護しろ、いったん城に戻るぞ。美しい景色はまた今度だ」


 王子が兵士に彼女を運ぶように命じ、兵士は命じられるまま彼女をおんぶし、王子とともに城へと戻っていきました。


 砂浜にはもう彼女の文字は残っていませんでした。既に波によってかき消されたんでしょう、兵士はそれを見て少しの寂しさを思いました。


 “これでよかったんだ”兵士は笑顔の彼女を見てそう自分自身に言い聞かせました。


 彼女はこれから王子と結ばれ幸せになる、みんなが望んだハッピーエンドに向かって足を進める、そう信じて疑いませんでした。


 

 城につき兵士は彼女を背中から降ろしました。その際に兵士は彼女でこっそりささやきました。


 「うまくやれよ。」


 兵士は一生懸命、精いっぱいの笑顔を作って彼女に笑い掛けました。


 すると彼女はこっそりと、兵士の頬に顔を近づけ、軽いキスをしました。


 これは声の使えない彼女の兵士へのお礼の印だったのでしょう、そして彼女はいたずらっぽく笑って見せました。


 感謝の印だということは兵士もわかっていました。それでも兵士は顔を真っ赤にしてそのまま逃げるようにして、また海辺へと戻っていきました。



 それから何日経ったでしょうか、

 彼女は王子と仲良く親密になっているようです。


 国内では王子が偶然助けた美女が妃として迎えいれられるのではないか、そういったうわさも流れていました。


 兵士の耳にもその噂は入り、兵士は安心したような、どこか心が痛むようなそんな二つの相反する感情を抱いていました。


 噂が真実に近いことを兵士は知っていました。

 兵士が異常がなかったことを毎日上司へ報告するために城へ行ったとき、たびたび王子と彼女にすれ違うことがありました。


 しかしその二人が兵士に気づくことはありませんでした。二人はお互いに夢中ですれ違うただの兵士なんて目に入らないのです。幸せは人の視野を大きく狭め、見える範囲を大切にしようとしました。


 兵士はすれ違うたびに、“これでいいんだ、忠誠を誓った王子と人魚の彼女の二人が幸せになれるならこんなうれしいことはない。”と自分に言い聞かせました。


 胸が苦しくて、なぜかとても切なくて、いつの間にか自分が誰のために笑っているのか、何を喜んでいるのか、自分は本当は何を思っているのか、自分に嘘をつきすぎてわからなくなっていきました。




 それから数カ月たったある日、ウィリアム王子が王子の命の恩人の娘と結婚するらしいという噂が兵士の耳に入りました。


 兵士は急いで彼女のところへ向かいました、もちろん彼女に消えてほしくなんてなかったからです。


 城の中にある彼女の部屋の前につき、兵士はゆっくりとドアを開きました。するとそこにはまるで兵士が来るとわかっていたように微笑んでいる彼女の姿がありました。


 「………、憶えていますか?」


 兵士は声を少しだけ震えさせながら彼女にそう尋ねました。


 すると彼女は椅子から立ち上がり、ノートとペンを持って再び椅子に座りました。


 “ちゃんと憶えていますよ、あなたのおかげで私は彼のそばにいることができたのですから。”


 「そうか」兵士は一人でうなずき、彼女に再び問い掛けました。


 「あなたは、消えてなくなるのか?」


 兵士の声はいつもよりずっと低く、重いものでした。


 “取り合えずそこに座って落ち着いてください。”

 指示されるがままに兵士は、テーブル越しに彼女と向き合う席に座りました。


 “私が助かる方法はあります”

 兵士はノートに書かれた文字を何度も何度も読み直しました。


 兵士にとって彼女が確かる方法があるというのは奇跡のような、それこそ夢のような希望でした。


 兵士は方法があるのなら必ず彼女を助ける、夢のような希望を現実にする、そう誓いました。


 「それは、本当か?僕にできることがあれば何でも言ってくれ、必ず君を救って見せる。僕は君のために何ができる?」


 兵士はこれまでにないぐらい真剣なまなざしで彼女を見つめました。

 すると彼女はそんな兵士を見て微笑みました。


 “何故あなたはそんなに私のために尽くそうとしてくれるんですか?”


 兵士はすんでのところまで出かかった言葉をかみ殺し、飲み込み、偽りの言葉を紡ぎだしました。兵士は自分の心にまた嘘をつきました。


 「それは…私がこの国の兵士だからだ、あの優しい王子に倣って我々は困っている人を放っていてはならない。この甲冑を身にまとっている間は栄誉あるこの国の兵士だ。王子の顔に泥を塗ることは我々には許されない。だから僕はあなたを心から助けたいと思っている。この気持ちは確かなものだ。」


 そう兵士が語ると彼女は再び微笑みました。


 “ありがとう、でもごめんなさい、この方法を私はする気はありません。あなたがこんなに必死に私を助けようとしてくれているのに、でもこれは私の意思で決めた決断です。覆すことはありません”


 彼女が書いた文字を読み終わるころには兵士の目には涙が今にもあふれそうなほど溜まっていました。


 「なんでだよ…消えちゃうんだろ…」


 彼女は再び兵士に微笑みかけました。

 「何だよ…それ…」


 “ごめんなさい、今までありがとう。”

 兵士は乱暴に立ち上がり、涙をこぼさないよう必死にこらえながら部屋から走って出ていきました。

 そんな兵士の背中をみて彼女は静かに涙をこぼしました。


 窓から見える海はとても荒れていて波を立てていて、風もひどくカーテンは激しく揺られていました。

 



 翌朝兵士はいつも通り真面目な兵士として小舟で海を見回っていました。


 忠誠を誓った王のため、王子のため、国のため、平和のため、名誉ある仕事のはずなのにどこか上の空といった感じでした。


 太陽が昇り始め、辺り一面が明るく優しい太陽の光に包まれていきます。海は昨日よりもずっと穏やかで風も波もほとんどありませんでした。


 兵士はふと崖の上に人影があることに気づきます、少しするとその人影は崖から飛び降りていきました。

 太陽の光がその人影の長い髪に当たり、キラキラと黄金に反射開いて見えました。


 兵士は息をのみました、だってあの髪の色、間違えるわけもありませんあの人影は彼女だったのです。


 兵士は慌てて付けていた甲冑、バッチを脱ぎ捨てただの青年となり、海へと勢いよく飛び込みました。

 兵士でない彼に彼女を助ける義務なんてありません、そのうえで彼は彼の意志で全力を出し彼女が落ちたところへ向かいました。



 急ぎ泳いで彼女が落ちた場所へとすぐさま駆けつけました。


 しかしそこに彼女の姿はなく、少しの泡が浮いているだけでした。


 それでも青年は泡を抱きしめ叫びました。


 「ずっとあなたが好きだった、王子なんかと比にならないくらいあなたを大切に思っていた、愛してた、でも…あなたを幸せにできるのは僕じゃなかった。私にはあなたを幸せにできる可能性すらなかった、それが悔しくて悔しくて仕方なかった。」


 青年は喉が張り裂けそうなくらい大きな声を出しそう叫びました、喉はもう限界に近くなり少しづつ声はかすれていきます。


 それでも少年は叫び続けました。


 「でも、それでもあなたが幸せなら、笑っていられるならそれでいいと思えた。自分に嘘ついても苦にならなかった。僕の幸せがなくったってあなたが幸せなら良かった。それで十分だった。」


 それなのに…


 とうとう声が出なくなり青年はその場に蹲りました。


 すると絶対に光の届かないはずの崖の下に青年のいる場所だけどこからともなく光が差し込みました。

「私の事をそんなに思ってくれてありがとう。」


 彼女の澄み切った青年の耳に入り、青年は辺りを見回しました。しかし彼女の姿はどこにもありません。しかし彼女のうっとりするような声だけははっきりと青年耳に入るのでした。


 「あなたのおかげで私は幸せでした。」


 それから少しして光は消え、再び崖の下に闇が訪れても、青年は泣き続けていました。


 日が沈み、夜が来て、また朝が来ました。


 青年はずっと彼女の事を考え、忘れないように必死に思い出し頭に焼き付けようとしました。

 記憶の中の彼女をもう一度鮮明に思い出そうとします。


 ゆっくりと青年は立ち上がり何やら呟いて笑いました。

 「笑った顔しか思い出せねぇよ…」


 その時流した涙は今まで彼が流していた悲しみに満ちたものではなく、どこか暖かく少しだけ喜びを帯びた涙でした。


 いつも見ていたはずのただの海、それが今の青年には息をのむほど青く、澄み切っていてとても美しく見えたのでした。


良ければ感想、評価等おねがいします!!



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