『初期装備はボールペンとチョコバー』
異世界なのはすぐに分かった。
どこかの田舎とも違うどこか独特の雰囲気。
自分があの水たまりに落ちた事を考えたらトリップのほうが正しいであろう。
その他にもゲーマーとしての感がここは別世界であると告げている。
やらなければいけないことなどいろいろあっただろう。
だがその前に…
『トイレ行きたい』
生理現象が勝った。
茂みでするのもいかがなものか。
悩んでいる中、草むらから音がした。
それは風ではなく生き物が通る際の音。
雫は自分の周りを急いで見渡す。
『なん…だと…??』
持っていたはずの鞄はなかった。
代わりに転がっているのは後ほど食べようと思っていたチョコバー。
そしてブラウスの胸ポケットに入っていた4色ボールペンのみ。
『(しょっぱなからダメだわこれモンスター出たら死ぬオワタ)』
音はますます近づいていく。
仕方がないと諦め右手でボールペンを握る。
初期装備がボールペンとなった雫は静かに様子をうかがった。
何とも言えない緊張感が漂う。
しかし、出てきたのは人だった。
「大変。道間違えたかな。」
『神よぉぉぉおおおお!!』
「誰!!?」
思わず飛び出る。
相手は驚いた様子で雫を見た。
雫はモンスターに出くわさなかった幸運に感謝したのだった。
『あ…すいません…嬉しくてつい』
「何でこんなところに!!泥だらけじゃないですか。」
『色々あって…』
少し落ち着いてきた雫は相手の観察に入る。
ゆるふわウェーブのかかった腰まで伸びる赤毛。
そして全身は膝ほどの丈の黒いワンピースを纏い。
片手にはエメラルド色の宝石がはめ込まれ、髪と同じ色をした杖。
『(これは魔法使いですよね。わかる)』
誰でも想像できよう姿だった。
と、同時に本当に異世界なのだという喜びがぽぽぽと湧き上がる。
しかしやはり我慢してた生理現象には勝てない…。
『あの…こんなこと言うのは本当に申し訳ないんですけど』
「…え。なんでしょう」
『トイレ貸してください』
「あ、え?ど…どうぞ」
『(自己紹介より先にトイレってなんだ。ちくしょう)』
うろたえながらもトイレを貸してもらえることになり案内される。
魔法使いなのかはわからないがとりあえずついていく。トイレ行きたい。
木々を抜けるとそこには一軒の家があった。
古いようで草木が茂り、屋根では小鳥が巣を作ってる。
玄関を入り、トイレへ。
『本当に助かりました。あ、あたし音無雫といいます』
「い、いえ!人が来るなんて何百年ぶりかと…私も驚いてしまいました」
『何百年…(すげぇ単位)。あの、お名前は何と…』
「え!?名前まで聞いてくださるんですか?私はユーシャと申します」
『ユーシャさん』
「ユーシャで構いませんよ。かしこまることもありません」
『じゃあ…ユーシャに聞きたいんだけど…』
「ええ」
口を開くと出てくるのは今までの体験。
きっと信じてはもらえないであろう自分の世界。
この世界に来るきっかけとなった水たまりの事。
そして今自分の置かれている状況についてなど話していた。
気づくと出されたお茶も冷めきっていた。
『この世界とのつながりは何…?これからどうしたらいいのか』
「雫さん」
『?』
「雫さんが初めてでしたの」
『…何が?』
突然名前を呼ばれたかと思えば、真剣なまなざしが向けられる。
そのまなざしは髪と同じで、とても綺麗な赤だった。
「初めてなんですよ。魔女に抵抗なく話しかけてくださる方は」
そして静かに、困ったように笑った。
何でもこの世界で魔女は嫌われていて、特に赤毛は魔女の血が濃い証とされていた。
そのため彼女は普通の人が住む場所では暮らせないと思いこの森に来たらしい。
だが今日。見ず知らずとはいえ話しかけてくれたのがとても嬉しかったと。
「なので…少しでもお力になりたいと思いました。戻れるまでこの家に住んではいかがですか?」
『え!?いいの?でももしそれが罠だったとしたら』
「それでも、友好的に接してくださったことのほうが嬉しかったので殺されても構いません」
『殺すなんてしませんよ!!むしろ一緒に住ませてください』
「ええ、ぜひ」
笑顔で魔法を使い、お茶を温めなおすユーシャ。
すると窓から様々な色の光や見たことのない生き物が入り込む。
彼女が言うには力を使うとき協力し助けてくれる妖精や精霊らしい。
【…人間だ!】
【人間だね!久しぶりだなぁ…】
『人間だよー!初めまして。これからここでお世話になる雫だよ』
【しずくかー。蜜みたいで美味しそう】
【そういえば少し違ったにおいがするねー】
『違った匂い?』
「!?…声が聞こえるんですか!」
『え。うん』
戸惑いながら聞いてくるユーシャに平然と答える。
みんな驚いていた。本来は見えても声はなかなか聞き取れないらしい。
しかし、見えて聞こえることに精霊たちは大喜びだった。
【このような人間は本当に久しいなぁ】
【他の者にも伝えようよ!】
【そうしよう!】
少し…いや、だいぶこれからの生活が楽しみだ。と雫は感じていた。
あれさえ思い出さなければ…………。