魔王になってみよう
「でも、何のために冒険するかよね」
岩雪姫の言葉に、遅延僧はふむ、と唸って曖昧な調子で答えた。
「せっかく過酷だったわけだし、緩く物見遊山で良いのでは」
「そんなわけにいかない。王族は王族の務めを果たす義務があるの」
「それなら花咲姫の下で忠実に働いたら?」
岩雪姫は唸りながら遅延僧を睨みつける。遅延僧は軽佻浮薄そのものの調子で訊いた。
「さあて姫様、本音をどうぞ」
「姉様に、負けっ放しは嫌!」
正座して膝の上で拳を握りしめ、真っ直ぐ遅延僧を見つめて叫んだ。
「じゃあ、何で勝とうと?」
遅延僧の皮肉な視線に、岩雪姫はそっぽを向いて黙り込んでしまう。遅延僧は姫の頭から爪先までを眺めて呟いた。
「美女とか妖艶とかいう路線はまず消えてるから」
「人をじっくり眺めて確認するな無礼者!」
怒鳴って漆黒の闇爆炎を浴びせるが、遅延僧は軽々と聖鋸で炎を叩き落とす。
「安心してくれ華奢な子供に興味は無い」
「胸を張って言われるなんて、特殊な性癖ですと言われる以上に屈辱だわ」
「岩雪姫の性格は特殊な人たちも逃げ出すから安心して良い」
「貴方、私の敵? 味方?」
岩雪姫の問いに、遅延僧はいつになく真剣な表情になり姿勢を正した。
「僕は死刑にされかかった人間だ。だから花咲姫に逆らうのはとても怖い。そして何かの弾みで権力に就くかもしれない岩雪姫に逆らうのも怖い」
岩雪姫はふうん、と力無く言って俯き、右腕で自身の躰を抱いた。すると遅延僧は悪戯っぽい声で続けた。
「かと言って、亀のように一生首をすくめて生きていくなんて真っ平御免さ」
岩雪姫の目が輝く。遅延僧は言葉を重ねた。
「そう考えれば、一つ岩雪姫に賭けるのも面白いかなとか」
岩雪姫はくすりと笑い、遅延僧の手を握った。
「そこで何をするかなんだけど」
岩雪姫は一転して昏く輝く真面目な上目遣いの視線を遅延僧に向ける。流石に遅延僧も膝を正して言葉を待った。
「魔王城を作ろうと思います」
無言で振り下ろされる聖鋸。撥ね除ける防御の爆炎。
「貴方今、本気で殺そうとしたよね?」
「するでしょ普通! 姫はさっき何を話してたのか忘れたの? 立って座ったら全て忘れる生き物なの?」
岩雪姫はふふん、と鼻で笑うと腕組みをして立ち上がり、遅延僧の顔に上から顔を近づける。穏やかに見えてその実、何を考えているか見通せないな花咲姫と、激情の塊ながら戦場では頼りになった岩雪姫。名前とは真逆に岩すら溶かしてしまいそうな熱情の瞳と悪戯っぽい口元に、遅延僧は頰が熱くなってしまう。
「本物の魔王になんてなる気はないわ。でもね、私も貴方も魔王軍は知り尽くしているわけ。それなら、その戦闘を安全に楽しませるというのはどうかと」
「戦闘を、安全に?」
姫はこくり、とうなずいて王宮の方角に視線を向ける。
「姉様は上品で正統派の娯楽しかできないでしょう。勇者に至っては本気の戦闘しか思い浮かばない。そこで、私たちは本格的な勇者ごっこ遊びを国民に提供しようってわけ」
あまりにも壮大な構想案に、さすがの遅延僧も呆れて言葉もでない。だが姫はその沈黙を同意と受け止めたのか、上機嫌で話を続ける。
「貴方なら魔王軍が配置していた罠や仕掛け、雰囲気を出すための小細工の設計図ぐらい書けるでしょう。私は魔道の仕掛けを作れるし、あとはそれこそ、同志を募れば色々とできる」
「それ、本気でやるの?」
「小さいところからこつこつと! まずは小迷宮を作って、そのうち本格的な魔王城にする!」
はあ、と遅延僧は溜息をつきつつも、にやりと怪しく笑って姫が差し出した手を握った。
とにかく決まったことは迷宮づくり。では何処に作るか。それは客のいるところ。客が沢山来るところ、つまり王都以外ありえないわけで。ではそんな敷地がどこにあるかと言えば。
「いくら姫様のお言葉とは言え、国有財産を簡単に明け渡すわけには」
早速始まった、軍との押し問答。いきなり突貫で将軍に命じたものの、曖昧に話を逸らされ、気づいたときには経理隊へと送り込まれた岩雪姫と遅延僧。二人の前に経理隊長は分厚い法律書と真新しい財産管理台帳を並べ、経理隊長は硬い表情で胸を張った。
「だーかーらー、経験者の私たちが再現してあげようって言ってるのよ? 普段は庶民用に軽く運用、貴方たちが来る際には本格運用でバリバリ訓練できる。いい案じゃない」
「ですが、軍にも育成カリキュラムがありますし、急なカリキュラム変更は難しいですし」
「父上はもう軍についてはほとんど手を出さないし、花咲姫はどうせ軍の現場差配はできないんだし。私の言うこと聞いてりゃいいでしょ」
「ですが、予算は花咲姫様の差配ですし、財産譲渡自体も予算関係ということで花咲姫様へも報告が必要ですし、国の財産は有効に、適正に処分する必要がありまして」
「だ・か・ら、用途未定の土地ならいいでしょって何度も!」
「用途未定だとしても国有財産です!」
二人のやり取りを聞いていた遅延僧がやっと片手を挙げて言った。
「要は僕らの施設用に売却とかしないとって言いたいんでしょう?」
「その通りです!」
言って経理隊長が怪しく目を光らせ、帳簿の金額欄を指で叩く。姫は遅延僧を部屋の隅に引っ張って小さい声で囁いた。
「どうすんのよ。私のお給金、案外と少ないのよ。王家の勤めだとか何だとか言われて、魔王に懸けられていた賞金だって貴方の分以外は花咲姫が有耶無耶にしちゃったし」
「だから無理だって言ったでしょう。ほらこの帳簿の金額、見て下さいよ。実際、あの隊長たちの給料まで管理費から支出して国有地を守っているんですよ。全く深窓の姫様なんだから」
何を、と食いかかろうとして、姫はもう一度帳簿を睨む。そして隊長たちの給与、と呟くと妖艶な笑みを浮かべて隊長に向き直った。
「ねえ、施設がない状態だと、貴方たちの巡回費用や立入禁止看板の維持費とか出てるわよね」
ええまあ、と訝しげに答える隊長。それに畳み掛けるように姫は机を叩いた。
「それ、私たちが有効活用して管理すれば、その費用は減るはずよ。土地をくれとは言わない。私たちが管理してあげて、それでも出てくる若干の経費はこっちから払う、それで手を打ちなさい」
「しかし、そのような制度は」
「国家の財産を負債ににして、何の経理隊か!」
煽る煽る姫君。この口上も魔王討伐の道中で怪しげな商人がやっていた手法を学んだ成果である。だが隊長もまさかそんな手法で自国の姫が来るとも思わず、なるほど、とうなずいてしまう。
「さあ、とりあえず一回だけ! 一回だけ貸してみましょうよ!」
ずずいと顔を寄せた姫君からは珍しく甘い香水の香りが漂う。この辺りは遅延僧の入れ知恵だったりするが、そんなこととは露知らず、隊長はうなずいて契約書の雛形を引き出しから取り出した。
こうしてやっと、偽魔王の小迷宮建設予定地が決まったのだ。