自覚してよお姫様
「お久しぶりですわ。ちょっとお話したいの」
ノックとともに、若干幼さの残る少女の声が聞こえる。遅延僧は全身に最大の護法をまとい、右手に武具の聖鋸を握りしめた。
扉が開く。全面が闇に染まり、次いで光弾が十発連続で打ち込まれた。だが遅延僧は高音を響かせ次々と光弾を切り裂き、崩れた光弾は護りの左手で霧消していく。
チッと舌打ちが聞こえ、光弾の消えた先には笑顔の岩雪姫が立っていた。
「ごきげんよう。早朝ですけど、きちんと起きていらっしゃるなんてしっかりしていますわね」
「ええ、せっかく拾った命なんで健康には気をつけているのですよ」
白々しい笑顔のまま岩雪姫は室内に足を踏み入れる。上品に扉を閉め、親指を噛み切ると扉に封印の紋章を手早く描いた。扉を確実に音が漏れないのを確認すると、優雅な笑顔でスカートも構わず床の敷物の上にどっかりと胡座をかいた。
「あんたも警戒心、ほんっとに高いよね」
「僕も貴女の本性は知っているし、花咲姫の婚礼の報道を聞いてりゃ警戒するに決まってるでしょ」
また岩雪姫は舌打ちして、手提げ袋から牛乳を取り出すと堂々と飲み干し、手で口許を拭って叫ぶ。
「どうして姉様なのよ!」
遅延僧はふむ、とうなずくと両手を岩雪姫に向けて掲げ、聖水を発生させて姫の姿を水鏡に映した。
スカートの中が見えそうな胡座をかいて膝に頬杖をつき、眼光鋭く目の下には隈ができ、苦虫を噛みつぶしたがごとく真横に結ばれた口許。まだほんのりと幼い、ぷっくりとしたあどけない頬が余計、近寄り難さに拍車をかけている。
「かわいく優しいお姫様」
ぽつりと遅延僧が口にした言葉に、岩雪姫は慌てて足元を正して俯いた。
「まあ元々、年の差が十歳もある上に花咲姫は長女だし、他にも色々負けてるから無理筋だと思うな」
重ねた遅延僧の言葉に、岩雪姫は憤慨した声を発した。
「その、他にって何よ他にって!」
遅延僧は面倒臭そうに一冊の帳面を岩雪姫の足元に放り出す。岩雪姫は眉を潜めて頁を繰り始め、そのうち捲る指の速さが上がっていく。そして恐れるような表情で顔を上げた。
「この国の金が、全部階層分けされて、その上資産も負債も一目でわかる。これがあれば、私だって父王みたいに大臣と議論できるかもしれない。何なの、これ」
自身が苦手なぶん、その自分が明快に理解できることで凄さが分かってしまう。遅延僧は冷めた視線で静かに答えた。
「僕たちが討伐に向かったあと、花咲姫が寝る間を惜しんで仕上げたんだとさ。僕たちと、あとその後衛で戦っていた兵士たちの戦費調達のため、無駄を削るためにね」
岩雪姫は自身の道のりを思い出した。過酷な旅路ではあったけれど、街にさえ辿り着けば歓待された。田舎の、場合によっては野卑な集まりも多く、塩も無く焼いただけの鶏はもちろん皿いっぱいのカエルが出てきてひっくり返りそうになったこともあるけれど。
でも、その地域なりのやり方ではあるけれど歓待された。それは魔王討伐への熱い期待だと思っていた。
それだけだと思っていたのに。
「ある意味、龍牙含めて花咲姫の手の中の金塊に踊らされたというところでしょうか」
岩雪姫は遅延僧の放った帳簿を胸に抱きしめ、ぐっと黙り込んでしまう。こういう表情なら、むしろ花咲姫よりも魅力的かもしれないと遅延僧は思いつつ、あえて口にはしないでおく。
「でも、花咲姫は軍事が疎いはずよ。私の方が一日の長があるわ」
「それもだね、これ」
また一冊の冊子を遅延僧は放り出す。頁をめくっていき、岩雪姫は苦しそうに呻き始めた。
「古今東西の戦略をまとめた書物。数年がかりで武官、文官両方集めて編纂していたんだってさ」
「これじゃあ私、勝てるのは現場ぐらいかも……」
「現場なら勇者の龍牙ががっちり花咲姫にくっついているでしょ」
岩雪姫は唸りながら指折り武官や貴族の名前を挙げていく。
「物騒なことは考えない方が良いよ。有力者は花咲姫が金と地位の配分で大方押さえちゃってる。変な動きをしたら、一瞬で討伐されちゃうよ」
「じゃあ、一般の騎士以下なら? 私、軍の方には人気あったはずだし、勇者の一人だし」
「僕たちが旅に出る前、騎士たちが当番制でやっていた食事係、今は女性がやっているんだってさ。それも雰囲気が花咲姫に似たような人ばかり」
再び岩雪姫はうなだれて、自身の贅肉のない胸元を撫でる。
「君の方が好きな兵士もいるだろうから、それだけ集める? ちょっと特殊趣味なのは目をつぶって」
岩雪姫はきっとした表情で慌てて首を振り、続けて叫んだ。
「なんであんた、そんなに詳しいの? 私と一緒に旅してきたのに、どうしてそこまで知ってるの!」
遅延僧は窓の外に目を向け、曖昧な表情を浮かべて呟くように答える。
「僕だけ死刑台すれすれにいたわけでね。誰にどう着いておくか、今でも重要なんですよ」
岩雪姫はぞくっと背中に冷たいものを感じ、一歩後ずさる。すると遅延僧はふふっと笑った。
「流石にいきなり裏切って攻撃とかしないよ。でも今話した状況だから、変な話、貴女も下手なことをすると僕より処刑台に近いとこにいるんだよ?」
岩雪姫は再び胸に抱いた冊子二冊を見比べる。魔王のいなくなった今、自分の持つ力はそれほど使い道がないのかもしれない。
「私って、いらない子なんだ」
「それは流石に言い過ぎ」
「でも今、龍牙が王位継承に入っちゃえば、そして王宮の魔道士はほとんどが花咲姫に着くに決まっているし。大人しくしていても、私じゃ勝負にならないし。要らない子なんだよ」
そんなことんないよ、と言いつつ遅延僧も言い訳は無用かと頭を抱える。だが破壊僧ながらも岩雪姫に何か協力したいと思った。
「ねえ岩雪姫、旅に出てみようか」
「帰ってきたばかりなのに?」
「帰ったばかりだから何か発見があるかもしれない。王宮が落ち着くまでのごたごたからも逃げていられる」
岩雪姫は唸りながら改めて遅延僧を見つめる。悪いというか目の前のことを追いかけ始めると周りが見えなくなる人種だ。でも、こんな自身の愚痴につきあってくれる遅延僧がどこか、好ましい気がした。