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未来のことは

作者: さわだ


高い所から覗き込むと、景色というのは細部を失って大きな面になる。もっともっと高いところに行けば最後に点になる。さらに高いところに行けば、最後は小さくなりすぎて見えなくなる。

高いところからモノを見ている人間というのは見えない細部には気を配らない。気にしていたら切りがないからか、それとも見ている場所が小さなモノの集まりだということを忘れているからだろうか?

だからある時、不意に面から点が飛び出すと、そんな今まで気にしていなかった小さな点がいやに目に付くときがある。

気がつき始めると、それが気になってしょうがなくなるのだ。だからつい手を伸ばしてしまう。このはみ出した点は何なのか?

気になった点を追いかけて近づいてみると、上から見た点は穴になって居る場合がある。

なんだろう?

勇気をもって飛び込むと、穴は意外と深く、飛び込んだ者はその深さに驚きながら落ちていく。



■ 昨日



日曜日都内外れに有る海沿いの公園で谷口憲剛はベンチに身を投げていた。海沿いの公園といっても東京湾に人工的に作られた海岸なのでそこに情緒はない。手前に草原のような広大な草地が有るのでそこでベンチを見つけて座り込んでいる。

見上げた空の上には沢山の飛行機が浮かんでいる、狭い空の下。なんでこんな所で伸びているのかに勿論理由はある。

部活の休みが重なったなどいくつか考えられる理由の中で、一番もっともなモノは今日がデートだからだ。

相手は隣でじっとこっちを見ている同じ高校に通う一年後輩の高見燿子

よく言えば不遜な顔立ち、悪く言えば何を考えているのか分からない細い目をした憲剛とは違い、端に座る燿子は綺麗な顔立ちに頑固そうな大きな眼。」胸や背中に掛かっている黒髪まで、細部に渡って手入れが行き届いているのか、座っている姿は人形のようで。憲剛とは違い背筋を伸ばして凛と座っていた。

「これが先輩のデートですか?」

「駄目かな」

「変わってるかな?」

朝から公園に来てただベンチに座っているだけのデートはデートと呼ぶのだろうか?

燿子の言うように少なくとも高校生らしいデートでは無いかも知れない。映画館、遊園地、動物園、観光地とありとあらゆる場所に行った結果、何処にも行けなくなりとりあえず近くで済ませつつ、新しい場所をさがして、倦怠期への引力に引っ張られるのを回避するのに必死なカップルの行き着く先かも知れない。

少なくとも高校生のつきあい始めたカップルが選ぶにはあまり一般的ではなかったかなあと憲剛は来てから反省した。

「どうするんですか?」

「いや、どうしよう?」

「質問に質問で返されても困るんですけど?」

「ごめん」

「謝られても困るんです」

じゃあ何処か行きたいかと聞いたとき何処でもっていいって言わなければ良いのにと憲剛は悪態を付きたくなったが、確かに燿子がつまらないであろうということは分かる。

何するわけでなくベンチに座って快晴の下に居る。

此処まで来るのにあまり会話らしい会話はしなかった。

正直に憲剛はどうすればいいのか考えすぎて、思考停止してしまいベンチに腰を降ろした。燿子は別に二人で居られればそれで満足だったのだが、何処か楽しそうじゃない。時々困った顔をする憲剛に不満が有った。

元々今時携帯電話も持っていない人にコミュニケーションを期待しても無理なのは分かっている。ただせっかく三日三晩悩んで決めた服についてくらいは何か言って欲しかった。

しかし燿子の予想通り、憲剛は別のことを考えていた。

「そうだ写真取って良い?」

デートってどうやって時間潰すんだろうと考えた結果、憲剛は家から持ってきた携帯カメラを取り出す。

「一緒に?」

「いや、君だけの方が絵になる」

そう言ってファインダーを覗きながら燿子にカメラを向ける。

付き合ってから知ったのだが燿子の家はかなり裕福らしく、今日も綺麗な服を着ている。

肩周りの白カーディガンとペーズリー色の小さい花柄ワンピースをしっかりと着こなしている。私服姿でも制服でも容姿で周りから一目置かれていることは確かだった。

歳の割には浮ついたところがないのに驚いたが、憲剛も年の割に落ち着いているので、隣に居ても不釣り合いでは無いが、付き合い始めの高校生カップルとしては幾分か落ち着いて見える二人のぎこちない撮影会。少し離れながらベンチの上で写真を撮った。

燿子も恥ずかしくてレンズを覗けないでいた。

それでも天気も良く、少し風があって気持ちは良かった。燿子も嬉しそうな憲剛の顔を見ているとこんなモノかと納得し始めていた。

「そんなに写真を撮ってどうするんですか?」

何枚も写真を撮った憲剛に素朴な疑問をぶつける。

「記念かな?」

「記念って大げさすぎ」

「大袈裟じゃないよ、未来の僕にこんな綺麗な彼女が居たって事を覚えておく為にも・・・・・・」

急にファインダーに怒った顔が表れ憲剛は故障かと思って、背面の液晶画面で確認しようとしたが、その必要がない位に燿子の顔が近づいた。

「まるでもうすぐ別れるみたいじゃ無いですか?」

「まあ今すぐじゃなくても、何時かはそういう日が来る・・・・・・ような気がする」

「先輩は私の事嫌いなんですか!」

「いや、好きだよ」

「じゃあ何でそんな事をいうんですか?」

「いやだって君と僕がこうやって付き合っていること自体やっぱり変だよ」

「何がですか?」

怒りながらも可愛い燿子の顔を見て憲剛は自分の後ろめたさを改めて思い知らされる。

「だって君はその美人で、お金持ちじゃないか、それで付き合っている男が僕なのは・・・・・・」

「付きあってと言ったのは私です!」

「うんだから君がその」

飽きたら僕は捨てられるんだろうと言いたかったが、もうそれどころじゃない。

「なんで先輩はそうやって後ろ向きな事ばっかり言ってるんですか!」

「事実だし・・・・・・」

憲剛は年下に呼び捨てをされたことよりも議論の論点に注目した。

「なんだか僕はイマイチ君と一緒に居るのがしっくり来ないんだ」

まるで幻でも見ているかのように、燿子の方を向きながら憲剛はカメラをこねくり回す。

「嬉しいんだこうやって外で会えるのも、一緒にベンチで座ってられるのも。多分今まで生きてきた中で一番嬉しい」

二番目に嬉しかったことが何か分からないが、憲剛は燿子に告白されたときは頭が痛くなった位の衝撃を受けた。

顔を真っ赤にして、突然付き合ってくれと言われた時の根拠の無さ。事故のように唐突だった。

「本当に嬉しいんだけど、俺みたいに何もないヤツと君みたいな綺麗な子が付き合うのがどうもねこう・・・・・・なんて言うのかな、高校生のチームにブラジル代表のエースストライカーみたいな」

「またその話!」

ビシッと腕を伸ばして憲剛のよく分からないたとえ話を遮る。

「分不相応な事ないですよ」

「君にしてあげられる事ってなんだろう? 考えると頭が痛くなってきてね」

それで憲剛はベンチで伸びていたのだ。燿子は呆れた様子でベンチに座る。肘掛けに腕を付き威圧するように憲剛を見る。

「先輩は何でそう後ろ向きなんですか?」

「何が?」

「考え方がです」

「そうかな」

「別れる前提で付き合う人なんか居ません」

「ごめん、始めてだから誰かと付き合うのって」

「私も初めてですよ、告白したのだってそうだし」

怒るように言うと、憲剛もベンチの端っこに座る。

「だからさ不思議だったんだ。みんなくっついたり離れたりするよねクラスとか学校の中で。それで適当に一緒に何処かに行って、その後別れる訳で・・・・・・何か見ていて大変だなあって」

「私たちもそうなるんですか?」

「まあ可能性は・・・・・・」

普通だったらこの二人は此処で終わりなのだが、燿子は曲がったことが大嫌いだった。

「先輩は間違ってる!」

ベンチに手を付き、大きな目をつり上げて憲剛に近づく。

「じゃあそうならないように努力すべきでしょ!」

「そうだけど」

自分にそんな能力があるとは憲剛には思えないのだ、成績・容姿も普通で正直に家は貧乏だ。高校生でありながら既に限界を感じている。劇的に向上しようと努力する気力が出てこない。

「僕はやっぱり努力できないなあ。しても何か君を満足させてあげられる気がしないんだ」

「先輩は優しすぎます!」

もう殆ど殴りかからんとするくらいの剣幕で燿子が怒ってくる。それでも何処か可愛いと思ってしまうのは自分の頭がおかしいのかと憲剛は頭を抱える。

「別に私の事は関係ないじゃないですか。私と付き合って先輩が楽しいかどうかを最初に考えるのが普通でしょ!」

燿子の言うことは全て正論なので憲剛はぐぅの音も出ない。

「だいち付き合って、って言ったのは私の方からなんですから、少しはその・・・・・・」

燿子は恥ずかしそうに困る。

「自惚れる?」

「それでも良いんじゃないですか・・・・・・」

流石に自惚れてくれとは燿子も言えなかったので、思わず口を噤んだ。 いつの間にか握っていた拳に気がついて、慌てて捲れた裾を整えて端に座る。顔を真っ赤にして前を向く、チラッと横目でこっちを見ている。

自分になんか告白して来る位だからよほど変わった子だなあと思っていたが、本当に他の子とは全然違う。素直で真面目だ。なにごとにも曲がらない自信を持っている。憲剛は昔、自分がそんなモノを持っていた事を思い出した。

「いや自惚れるのは怖いんだ、その後の反動がズドンと来るから」

「反動」

「凄く楽しくて、もう何処にでも何処までも行こうって毎日寝るのが楽しみなときが僕にもあったんだ中学の頃。あの時はまだ現役だったんだ」

憲剛は男子サッカー部のマネージャー、主に用具係をやっている。ポルトガル語でホペイロと呼ばれるサッカーの用具係はスパイクの手入れからユニフォーム練習着の洗濯まである仕事を黙々と高校に入ってからこなしていた。

「うん、膝をやる前はコレでもサッカー上手かったんだよ。ナショナルトレセンにも呼ばれてさ」

「ナショナルトレセン?」

「ああ、簡単に言うと日本代表への登竜門というか・・・・・・」

サッカーでは地域で優れた選手を集めて強化合宿を行って、そこから日本代表選手を選抜する練習形式のセレクションのことをトレセンと言う。中学の時憲剛はその練習に参加するくらいの上手いサッカー選手だった。

「凄いじゃないですか!」

しまったなあと言う憲剛の顔がどういう意味なのか燿子には分からない。憲剛は話すつもりではなかったので眉を潜めた。

けど燿子は聞きたくてしょうがないようだった。

「まあ昔怪我でサッカーできなくなるまではさ、自分はなんだって出来るって本当に信じてたんだ。けど、そんな事にはならなかった」

憲剛は普通に歩くには何ともない膝を触りながら、目の前の草地を見る。サッカーボールを追いかけて、転がって口に入る芝生の事を思い出す。

「それから全部悪い方に転がり始めた。親の会社が上手くいかなくなって、家を売って今の狭いアパートに引っ越したりお母さんがパートに出掛けなくちゃ行けなくなったり、急に色んな事が重なった。何とか高校には通わせて貰ってるけど、大学はどうかなあ」

今は悪いことがいっぺんに起こってくれて良かったと憲剛は考えている。気がついたら推薦の決まっていたサッカー部の強い学校ではなく、普通の高校に入っていた。狭い他人の音が聞こえるアパート暮らしも慣れた。こうやって空が青いのも草が緑なのも納得できる。

「だからもう一度っていう気が起きない自分が悪いのも分かってるんだけど、なんかボッキリ折られちゃって今は普通にしているのが一番落ち着くかなあ」

また燿子に怒られると思って憲剛は頑張らない言い訳を頭に持って来た。こういう話は苦手なのだ。起きてしまったことを蒸し返してどうすると思う。

「どうしたの?」

燿子はいつの間にか憲剛に背を向けていた。

「ごめんなさい、私勝手な事言ったかも」

「いや高見さんの言っていることは正しいよ、吹っ切られない僕が悪い」

「先輩は悪く無いじゃないですか」

「いや悪いんだよ何時までもメソメソしている僕はどうしようもない」

ただどうすれば良いのかも思いつかない。

「ゴメンねつまらないよねホント」

「つまらなくなんか無いです、面白がってもいけないんだろうけど」

小さな声で燿子が正直に謝る。

「高見さんは挫折とか関係ないよね。良いことだよ」

自分で言っていて卑屈にしか聞こえない。

「高見さん?」

突然燿子が振り返る。

「先輩はなんで謝ってばかりいるんですか!!」

燿子は顔を真っ赤にして怒る。

「そういう話をして同情してくれって言った方が楽じゃないですか、なんでそんな突き放すような事言うの!?」

「いや突き放したつもりはないんだけど」

顎を抑えながらベンチに寄っかかる。その上から被さるように燿子が怒る。

「そりゃあ先輩の苦労を私は全然分からないけど、そう言われたら悔しいじゃないですか」

「なんで君が悔しがるの?」

「何か助けられたらって思うのが普通ですよ」

顔を見れば燿子が本気で怒っているのは直ぐに分かった。

「高見さん?」

「なんですか、また謝るんですか?」

燿子の顔の前に指を持ってきて、そのまま横へと腕を伸ばす。

「何やってんのパパ、ママ」

「こら指しちゃ駄目!」

散歩している若い夫婦が気まずそうにその場を立ち去る、よく見ると何組かのカップルも同じように燿子が目線を会わせると足を早めた。

慌てて掴んでいた胸ぐらを外して、燿子はベンチの端で胸に掛かった髪を握りながら恥ずかしさのあまり小刻みに震える。

「高見さん、あっち行こうか」

「ハイ・・・・・・」

燿子は差し出された憲剛の手を握ってベンチを後にした。始めて手を握った感想は、恥ずかしさが邪魔して覚えられなかった。



「落ち着いた?」

「すみませんでした・・・・・・」

燿子は差し出されたジュースの缶に口を付けながら、さっきのことを思い出すと、なんだかこの場から速く逃げたい気持ちになる。

「ゴメンねなんか変なことに」

「いえ別に・・・・・・」

燿子も流石にまた謝られたことについては反応出来なかった。まったく自分は大変な人を好きになってしまったと今更ながら思う。

まるで一つ一つ追いつめるように話を後ろ向きな方へと持ってくるような話し方、まったく話していると気が滅入る。

勿論さっきの怪我のや家の話なんかは知らなかった。大変な想いをしてきたのが後ろ向きな考え方の原因なのだ。

けど燿子は納得が出来なかった。

憲剛の話があまりにもだからしょうがないよね、と同情まで拒絶されているように聞こえたからだ。普通の人だったら大変だったんですねえと同情すれば良かったのだろう。

それでは燿子は困るのだ。

燿子は憲剛の事が好きで付き合ってくださいと言ったのに、同情を拒否されたら付き合うことも拒否されているように聞こえる。

それにしてもと、隣に立つ同じくらいの背の男子、憲剛の方を見る。服装は悪くないどころかセンスの良さを感じる。軽い感じの服装だけど同級生のだらしない感じがしない。大人っぽい感じが高校生と言うよりは大学生や社会人のように感じる。それ以外は普通の何処にでもいる男の子なのだろうけど。

「けどやっぱり変わってるよなあ」

ちょっと、いやホントはだいぶ酷く自分勝手なことを言ったのに、この憲剛は横に居るのだ。強い拒絶でもなく、柔らかに立ち入らせてくれない。

もしかしてこの人は私が告白したから強く拒絶すると私が困ると思って付き合っているのだろうか?

だとしたら悲しいなあと燿子は憲剛から顔を逸らす。視線の先には大きな観覧車が見えた、たしか映画にも出ていた有名な観覧車だ。

「先輩、あれ乗りますか?」

「観覧車か・・・・・・乗ったこと無いなあ」

「じゃあ乗りましょう」

燿子は駆け足で走り始めた。もう自分から動かないと何も始まらないのだ。

「私先に行って、切符買ってきます」

中々近づかない、距離感が狂う位大きな観覧車を目指して歩く。なんだかあんな話を聞いたので憲剛にお金を払わせたくないので先に行って切符を買うことに決めた。燿子の渡した切符ならば憲剛は断らないだろうという打算もある。

だいぶ憲剛を引き離してしまって一瞬足が止まる、そうか何時もゆっくり歩くのは膝が悪いからか。

ああ先輩の事何も知らなかったんだなあと。初デートに対するアドバイスを聞いた友人は、品定めをするのがデートの目的なんだからと、まったくその通りだった。だから二人だけになるんだ。

そういう意味ではあの観覧車のゴンドラはうってつけのように思えた。

そう言えばその友達があの観覧車は不味いという話をしていたのを思い出す。

あの観覧車乗ったカップルは必ず別れるんだよ、そんな話を公園に行くことを話した同級生が言っていた。

後ろを振り返ると、憲剛はゆっくりと近づいてきた。

立ち止まった燿子に気がついて歩く脚を早める。

「先輩はゆっくり来てください!!」

大きな声と身振り手振りで憲剛を制止させる。

燿子は振り返って脚早く再び駆けだした。だからといってここで乗らなかったら憲剛と同じではないかと。結論を出して進むのを止めることに燿子は興味がなかった。

動いているのかよく分からない観覧車に向かって、なんだか一生懸命走ってしまったので自動発券機の前でちょっと深呼吸をする。なんだか自動発券機が憎らしく見えてきた。まるで挑戦を受付中のようにどっしりと待っていたからだ。

財布を開いて一瞬の躊躇。だからどうしたと静かにお札を投入して券を二枚買った。

何を私は舞い上がっているのだろうと、チケットを握りしめながら燿子は自分で呆れてしまった。いちいち憲剛の言葉に反応している自分がなんとも可笑しかった。

「私たちは付き合っているの」

なんだか券を挑戦状の様に勘違いしている燿子、周りは観覧車の前で仁王立ちをしている美少女を不思議そうに見ていた。


妙な決意で燿子が観覧車の下で待っている事など想像できない憲剛は、最初から観覧車に乗っておけば良かったなあとのんびり考えていた。

しかし妙に挑戦的なあの輪っかが躊躇させた。あんなにゆっくりと回っていたらその間、何を話せばいいのだろう?

燿子もあまりおしゃべりではないし、自分はもっと受動的だ。

時々ためていたモノを吐き出すように、ああやって喋ってしまうが。燿子が恥ずかしがっていたから助かった。本当は自分の方があの場から逃げたかった。燿子の素直さに圧倒された自分がなんとも情けない。

気が進まない脚が動くのもそのせいだった。全く何か普通じゃない休日。

周りは家族連れやら何やらでそれなりの人が居る、自分たちだけがこの広い公園を独り占めしているわけではないが、どの人も遠くに居る。幻のように見えるあの観覧車も、いやもしかして燿子も本当は幻かも知れない。などと思春期特有の不安な気持ちそのままに、憲剛は観覧車に続く道を歩いてた。

一度不安になると、落ちるような感覚、何処にも逃げ場のない深い穴。

地に足のつかない感覚に溺れていると、足下には柔らかい感触、憲剛は人を踏んだ。足を上げたスキに挟まれたように、見事に小さな女の子の背中を踏んでいた。

踏まれた方は声さえ挙げず、俯せに倒れている。

「なに?」

急に敷かれた柔らかい感覚に咄嗟に足を引っ込めた。自分でも驚く位ボケッと歩いていたのだろうか?

いくらなんでも人を踏みつける事は初めてだったので、憲剛は直ぐに倒れた子に声を掛ける。

なにやら白い外套を着て、風呂敷のように広がった下からは手足が伸びていた。

大きなクッションのようなものを頭に被り、まるで空から落ちてきたように、それは大の字に倒れていた。

「大丈夫?」

踏んでおいて素通りできる男ではない憲剛は当然のように声を掛けて、倒れている子供の手を取って抱き起こす。

小学生のように見える子を揺り起こすと眩しそうに目を開けた。

「あれ・・・・・・」

小さな疑問を漏らしながら少女は目を開ける。

少女の目はウサギのようにくっきりと赤い目をしていた。充血とは違い瞳孔だけが赤い。

憲剛は錯覚かと思って瞬きをしてみたが、小さな目は白い服、白い肌にアクセントを与えていた。

「ここは?」

上体を起こしながら、起きたばっかりの様に眠そうな頭を抱える。

「大丈夫、怪我はしてない?」

憲剛の声に反応して振り向いた顔、帽子から黒色の髪が漏れこの子が日本人ではないのは確実だった。格好はあまりアニメなど詳しくないためよく分からないが何かのコスプレなのだろうか?

白地に黒い縁の外套から伸びた手で突然憲剛の顔を触る。

「あれ、あれ」

左頬、右頬、最後に鼻を摘まれた憲剛は言葉につまった。

「触れる」

言葉はどっからどう聞いても日本語だった。

「大丈夫?」

「あのーつかぬ事をお伺いしますが、私が見えます?」

変な質問だが、咄嗟だったので憲剛は素直に頷いた。

「触れます?」

言われるがまま憲剛は、とりあえず自分の顔に置かれた女の子の手を握った。

「ままままままままま・ま・ず・い」

ばっと少女は飛び上がる。

「どうしよう進行現在に落ちちゃった、落ちちゃった、落ちちゃった? 」

足をばたつかせながら少女は困惑する。

「落ちてるし〜〜あ〜〜復帰方法ってどうするの?」

大きな頭のかぶり物をにぎりしめ危機を察知した小動物の様に飛び跳ね、暴れ始めた少女の前に憲剛はどうすればいいのか固まる。

「駄目だ見る方法は分かるけど、見ない方法ってどうするの? そんな方法なんてどうすればいいの!! しらんなあ、駄目じゃん!!」

ノリ突っ込みを繰り返す小さな女の子。周りも気にせずにクルクルと回りながら頭を抱える。

「ああもうどうしたら〜〜どうしよう〜〜。とりあえず「事象」に干渉しないようにしないと・・・・・・」

ついには座り込んで黙ってしまった。

憲剛はこの不思議な少女をどうしたものかと、かといってこのまま放っておく分けには行かない。

「君は迷子? お父さんか、お母さんは?」

「迷子と言われればその通りですね」

泣きながら女の子は顔を上げた。

瞳は普通の黒い目をしていた。やっぱり憲剛の錯覚だったようだ。

「この世界に必要の無い私が実存してしまったのですから、世界の迷い子です」

気が動転しているのか女の子は訳の分からないことを、随分しっかりと答える。

しゃべり方はハキハキとしているが、内容は支離滅裂だった。急に倒れて気が動転しているのだろうか?

とりあえず憲剛は内容を理解するよりは、少女の顔を拭く方が先だと思った。 ハンカチを取り出して、顔を拭ってあげると嫌がりもせずにそのまま憲剛に拭いて貰った。

「すみません」

憲剛は礼を言われて、見た目よりはしっかりしているなあと思った。黒い髪、白い大きな帽子が人形のようで可愛い。

「どこから来たの?」

「此処じゃないところです」

「電車、バス?」

少女は空を指差す。

「日本じゃないところ」

少し考えながら少女は首を振った 。

なんだか埒があかないなあと憲剛は頭を抱えた。目の前にいるのは格好も中身も完璧な不思議ちゃんだった。

「どうしようかな?」

「何がですか?」

取りあえず保護者を探そうと思ったが、周りにそれらしき人は居ない。困る憲剛を少女は何か嬉しそうに手を後ろに回して見上げる。

「ふふ、すごい貴方があの光なんですね?」

「なに?」

「ああ、見えなくなってる!」

憲剛に指を指して、女の子は大きく口を開ける。

「そんな、なんで?」

憲剛をぺたぺたと触りながら、遊び足りない子犬のようにクルクルと見廻す。

女の子の奇抜な格好から、本来ならば憲剛がが不思議になるはずなのに、すっかり見物されてしまった。一通り見廻すと女の子は少し考えてから、遠くのモノに指を指す。

「あれ、何ですか?」

困っている憲剛を尻目に少女が指を差した先には巨大な観覧車があった。

「観覧車だよ」

それで憲剛は待ち人の事を思い出した。

「あっ高見さん待たせちゃってるよなあ」

「観覧車ですか」

大きな鉄の輪を確認すると、少女はそそくさと歩き始める。

「何処に行くの?」

「乗るんですよねアレに、私は憲剛さんと燿子さんと一緒に」

「あちょっと待って」

嬉しそうに走る女の子を慌てて憲剛は追いかける。自分の名前と彼女の名前をいつ言ったのかを思い出そうとしたが、何処にもそんな事実はなかった。それでも別段気持ち悪がらずに居られたのは、幻のような世界に居る気がしていたからだろうか?



「お名前は?」

「ミライシといいます」

「ミライシちゃん?」

「はい、燿子さん」

満面の笑みで答えられつられて笑った後に憲剛の方をチラっと見る。不審そうな顔で見られても困るけど、確かにどうなんだろうと憲剛は燿子に同意を示した。

大きな帽子は船内の邪魔になるので手に持たせてある。不思議な格好の不思議な少女。困った男の子と作り笑いの女の子。観覧車はそんな三人を乗せて緩やかに上昇する。小さな女の子の分は憲剛が負担した。

最初は保護者を捜そうと思ったのだが、何故か憲剛の腕に抱きついて女の子は離れなかった。憲剛は踏んでしまった罪悪感と、何故か最初から乗る気で居るこの女の子の気持ちを考えて、とりあえず一緒に乗るように燿子を説得した。

燿子も憲剛に言われると反論も出来ない。

「おかあさんは?」

「と言いますと?」

「誰と一緒に来たの?」

「私はずっと一人です、存在してからずっと一人です。」

この女の子は妙に大人びた口調で訳の分からないことを言う。流石に人が良い燿子もちょっとこれ以上どうかまっていいのか迷ってしまう。

「立ってると危ないよ」

憲剛が声を掛けるとまるで人形みたいに大人しく横に座る。

その姿に何処か燿子は納得の行かないモノを感じていたりもした。あの子がいなければ、もしかしたらあの隣に座っているのは自分だったのかも知れないと考える。ちょっと浮かれすぎなのだろうか、いや考えるだけなら罰は当たらないだろうと思う。

「どうしたの?」

「ううんなんでもないです」

憲剛の問いに慌てて外を見る、まだ四分の一も回っていない高さ。それでもさっきまでの景色が違って見える。直ぐにさっきまで座っていたベンチも見える。なんだか小さくて見えるだけで面白。

「最初から此処に来れば良かったね」

楽しそうな燿子の笑顔にちょっと憲剛は安心した。

「いえ私も高いところは苦手だったから・・・・・・」

「そう、大丈夫?」

「多分」

咄嗟に嘘を付いてしまった自分が可笑しくて、どうしても笑顔になる。まったくこんなに気を使っていたら残りの時間持つのだろうか?

そういう意味では憲剛の隣に座る小さな女の子が居るので我に返る事が出来る。

「ミライシちゃんってどういう時を書くの?」

「過去・現在の未来に視覚の視で未来視です」

テキパキと答える女の子の目は嘘は言っていない様に見えた。

「変わった名前だね?」

「そうですか? なかなか言い得て妙だなあと思うんですけど?」

まるで他人事のように答える少女の言い方がどうやら違和感の元凶のようだった。

「なんか未来視ちゃんて頭が良さそうだね、なんでも知っているみたいだ」

「そうですよ」

当たり前だと少女は言い切った。

「本当になんでも知ってるの?」

「ハイ、この世の全部を知覚していますので、次の状況を正確に確定する事が出来ます。今は干渉を最低限に抑えてますので、この世界の全検索確定は出来ないのですが」

難しい言い回しで答えられてしまい、少し燿子はからかいたくなった。それは後から考えれば不用意な事だった、なんでそんなことを聞いたのか分からない。多分不安だったのだろう、高いところで不安定に風に揺られている事と同じように揺れる心理がそうさせた

「じゃあ私たち付き合い始めたんだけど、いつ別れる」

「高見さん?」

憲剛の事を無視して、燿子は少女の前に顔を近づけて訪ねる。燿子は未来視ちゃんの瞳が赤いことに気がついた。赤い、まるでなにかを導いているような真っ直ぐな光。

ハッとして顔を離すと、直ぐにそれは元の黒い目に戻った、お人形のように椅子に座っている。

「二日後にお別れです」

「ずっ随分具体的ね」

「事実です」

「未来視ちゃん?」

慌てて憲剛が女の子を黙らそうと声を掛けたがもう遅かった。

「どうしても私と先輩は別れるの?」

「お付きあいをしているという状態をどういう事と前提にしているのか、主観の部分が違うのですが、確実に二日後憲剛さんと燿子さんはお別れします」

「どうしても」

「はい、確定された未来です!」

どうだと言わんばかりに未来視ちゃんは鼻息荒く胸を張る。

燿子はまるで生気を抜かれたように、席に深く座り込んだ。まるで魂が脱けたようにだらしなく長い手足が放り投げられる。

「未来視ちゃん、だめだよそんなデタラメな事言っちゃ」

あまりの燿子の姿にいたたまれなくなって、ついさっきまでの自分が言っていたことを憲剛は簡単に覆した。

「でも事実です」

「そんなこと何で分かるの?」

「私が未来視だからです」

未来を視る、知る、未来を知っている?

急に奇抜な少女の格好が、本当に別の世界の住人なのかと思い始めたが、憲剛は勿論信じられなかった。

妙な断言、不思議な言葉遣い、そして時々見える燃えるような赤い瞳。

明らかに変わっている女の子。

「君は本当に未来を知っているの?」

「未来というのはこのまま進めば表れる認識です、私は現在の状態を完全に把握することが出来ます。つまり、確定される未来を認識できるのです」

「難しくてよく分からないけど・・・・・・」

「今、世界にあるもの全ての状態を私には知覚できるんです、そうすると現在の全ての選択肢が現れます。次にどの選択を行うかは現在の「全ての状態」に含まれますので、未来の知覚が可能なのです」

「つまり次にどう動くか分かるから、先が読めるって事?」

「そうです、話が早いですね」

「いやサッカーでは良くある」

相手の位置と自分の位置で次のプレーを予測する、将棋のように何手も先を読んでいく、サッカーでは当たり前の事だ。誉められても悪い気はしなかったが、小さな子に教えて貰っているのもおかしな話。

「じゃあ何で君には今が分かるの?」

「それは私が未来視だからです、世界を認識し存在を確定させる存在なのです」

「それって神様って事なの?」

「そんな言葉があるのを知っています。便利なのでそう想う人も居ますけど、あそこまでお節介ではないです」

女の子の言い回しは長いが否定はしなかった

おかしな子に関わってしまった事は分かるが憲剛としては全く不快な気持ちにはならない。それは女の子が真面目に答えているからだろうか?

非現実的な話だがなんだかそうなのかと、ゲームや映画にある導入部のような前提をしっかりと説明されているような気分になる。

今まで見ていた世界と違う見方の入り口に立たされた。ゆっくりと、この観覧車のように後戻りの出来ない場所に閉じこめられてしまったのでは?

そんな分けないかと、憲剛は一つ試してみることにした。

「じゃあ今日のバルセロナとディポルティボ・ラ・コルーニャの試合結果は?」

「なんですかそれ?」

いきなり日本ではマイナーなスペイン・サッカー・リーグの結果を聞いてみた、ホラみろと憲剛は笑った。

「やっぱり未来のことなんか分からないじゃないか」

「すみませんあまり細かいディテールは苦手なもので、ちょっと情報を取得しましょう」

そう言うと未来視ちゃんは席を立って顔を近づける。

「では失礼します」

そう言うと未来視ちゃんは小さなおでこを憲剛のおどこと併せた。憲剛は一瞬燿子がこっちをみたような気がした。

「なんのおまじない?」

「お呪いじゃないです、憲剛さんの状態を確認しました」

そう言って再び席に座ると、未来視ちゃんは少し言葉を探りながら笑顔を浮かべる。

「1対3でディポルティボ・ラ・コルーニャが勝ちます」

「得点者は?」

「バルセロナはジャンルカ・ザンブロッタ、ディポルティーボ・ラ・コルーニャがファン・カルロス・バレロン」

「えっバレロンがハットトリックって事?」

「ハットトリックというのは・・・・・・ああ一人で三点取ることですね、そうです」

それはないだろうと憲剛は驚いた。

バルセロナは首位に立つチームでホーム、自分たちの本拠地で10万人の声援を受けて戦う。一方のディポルティボ・ラ・コルーニャは下部リーグへの降格争いをしているまだ若手が多く勝ちきれないチーム。当然バルセロナの圧倒的優位を誰もが信じて疑わない。

「本当にジャンルカ・ザンブロッタとファン・カルロス・バレロンが点取るの?」

「そうです」

少女の笑顔には全く議論の余地など無いという事がハッキリとしていた。

ザンブロッタはデフェンダーでまだ今シーズン点を取っていない、ファン・カルロス・バレロンにいたっては、今シーズンは控えで殆ど試合に出ていない。そんな選手が点を取るというのだから普通では無い答えだ。

バレロンなんて名前を知っている方がおかしいのだ。

「じゃあレアル・マドリー対アトレティコ・マドリーは?」

「引き分けです」

「セビージャ対サラゴサ」

「0対1でサラゴサの勝ち、アイマールのハーフボレーです」

そんな会話を始めているうちに観覧車はあっという間に頂点を通り越して居た。海面は眩い光を放ち、空は飛行機が闊歩する。遠くに見える遊園地は賑やかで、眼下の公園も人達が思い思いの時間を過ごしていた。

これが燿子にとって実感できる世界。天気が良く気持ちが良い多分普段だったら二度と思い出せない当たり前すぎて退屈な一日。

「ミラン対フィオレンティーナ!」

「1対0でACミラン、アレッサンドロ・ピルロの26メートルからのフリーキック」

少なくても知らない土地のスポーツの結果を狭い室内で喋り続けられる必要は無いはずだった。燿子は下がりつつある高度と共に、自分の心の中に沸々と沸き上がるものを感じていた。

「シャルケ04(ヌル・フィア)対ブレーメン!」

「3対3で引き分け、ハリル・アルティントップ、ハミト・アルティントップとレヴァン・コビアシュヴィリ、ミラクロス・クローゼ、ティム・ボロフスキ、ウーゴ・アルメイダ」

「ウーゴ・アルメイダが決めるの?」

「88分に」

憲剛は信じられなかった、ロスタイム近くにあの勝負弱いフォワードがゴールを決めるとは思えない。

「あれ?」

何となく自分が信じ始めていたことに軽く驚いた、実際の試合結果を聞きながら一喜一憂しているような気分。

今日の深夜の時間帯に地球の反対側で行われるサッカーの試合結果をこんな観覧車の中で語り合ってもしょうがない筈だ。相手は小学生のような女の子。普通じゃない、こんなに世界中のサッカー選手の名前を知っているなんて。いや、問題点が違う。

「君は本当に見えるのか」

「憲剛さんには見えないものが私には見える、って事です」

少女が目を差す。

今は日本人形のように黒い大きな目。一瞬、また赤く光ったように見えた。危険を示すシグナルの様だ。

「もうすぐおこります」

刹那、ゴンドラが強く叩く音が聞こえた。

「先輩のバカ!」

下に降り付いたゴンドラは扉が開けられて、弾かれたように燿子は飛び出して行った。

何が起こったのか憲剛には咄嗟に理解できなかった、身体は石のように固まる。係員の声も憲剛には届かずにゴンドラは再び登り始める。

「ほら怒った」

無表情に燿子を未来視ちゃんは見送った。

ゴンドラから走り去る燿子を見ながら自分にはどうしようもない事を憲剛は悟った。いつだったかこんな気持ちを味わったことがある、望んだものとは違う結果を引いてしまった時のやるせなさ。何処でだろう?

「ああ、あの時か・・・・・・」

緑の芝生を見ながら憲剛は窓に頭をもたげる。

バツの悪そうに未来視が憲剛を見つめる、憲剛は女の子の頭上に手を置いて、髪型を崩すように頭を撫でた。なにやら嬉しそうな少女、そのままもう一週、今度は一言も喋らずに存分に景色を見た。楽しいかと聞かれたら、別にと答えるつもりで見る景色は本当に何の感情も浮かばない。

ふと、一つ気になったことがあった。

「さっき僕と彼女が二日後に別れるって言っていたよね、それってこれが原因なの?」

決定的に燿子を怒らせてしまったなあと憲剛は途方にくれる。しかし、遅かれ速かれだったのではとは思う。ほら、心のダメージが少ない。

「いえ、違います」

「じゃあ原因って?」

「燿子さんが燿子さんで居られなくなるのが、二日後なのです」

「それってどういう事?」

うーんと未来視はまたケーキ屋でケーキを選ぶような真剣さで言葉を探した。

「人の定義で言うと「死」という言葉一番近いですね」

憲剛は景色どころか音まで聞こえなくなった。ゴンドラは風を切りながらもゆっくりと回る。無慈悲に乗っている者の感傷など関係なく回る。時間と同じで一つの方向にしか流れない、けっして燿子が怒る前まで戻すことは誰にも出来ない。



広い部屋は明かりが灯っているが、主はベットの中でシーツの中で蹲っていた。

付いている電灯が勿体ないと注意する人はこの家には居ない。燿子の両親は日曜日だというのに今日も何処かで遅くまで働いている。

コンコンと窓を叩く音、シーツに埋もれる燿子には聞こえない。

「不用心」

がらがらと窓が外から開けられた。手に荷物を持って黒いジャージを着た人物はゆっくりと燿子に近づく。

直ぐにシーツを引きはがすと、出掛けた服装のままでベットの上で丸くなっている燿子。

「大丈夫?」

起きあがって赤く泣きはらした目でジャージの女の子を見上げる。逆光で顔は見えないが肩に下げた三つ編みで直ぐに誰だか分かった。

「慶子?」

「全く酷い顔ね」

燿子の親友である押井慶子は庭から配水管伝いに二階の部屋に上がって来た。今時の泥棒も使わない手でズカズカと部屋に上がって来た。

「とりあえず顔を洗ってきな、それとカップを二つね」

「カップ?」

慶子の手提げから出てきたのはワインボトルだった。

「とりあえず話を聞くのに手ぶらじゃ何だしね、あんたの家だったら上手いチーズも有るでしょう?」

「慶子〜〜」

「こらこら顔を洗ってからにしなさい!」

一通り準備をさせた後、じゃあ一献と慶子は燿子のカップにワインを注ぎ込む。流石にワイングラスを持ち出して、親にばれるのもどうかと思うのでマグカップ。

乾杯もなしに燿子はカップに口を付ける。

「ちょっと燿子?」

慶子が慌てて燿子手を押さえようとしたが、あっという間にカップは空になった。臭いを残さないように窓を全開にしているので風が入って来て気持ちよかった。

「おかわり」

「ちょっとわざわざ貴方の初デートの為に高いの持ってきたんだから大事に飲みなさいよ」

「家にいっぱいあるから良いじゃない」

「あれは商品なの」

慶子の実家はホームスタイルのスペイン料理店を営んでいて、倉庫には当然ワインが並んでいる。

「お金なら払うわよ」

「随分やけっぱちねえ」

日本では未成年の飲酒は禁止されている。いや世界の至る所で同様の措置を取られているが、一部の地方ではアルコールのない食事は考えられないので早い段階から飲酒を始める地域もある。

燿子も慶子も家の関係、高見家は観光、押井家は食材確保のため外国に行くことが多い。そんな先々で飲酒を覚えてしまった二人はこうやって夜中こそこそとハーフボトルを空けていたりするのだ。

「で駄目だったの?」

単刀直入に慶子が聞くと、燿子はまたカップの中身を飲み干す。

「あのねえ、アルコールが入って一瞬忘れても、明日の朝には痛み共に想い出すんだからほどほどにしなさい」

「詳しいね慶子は」

「年季が違うは」

そういって慶子も一気に飲み干す。

慶子と燿子は違う高校に通っているが、中学までは同じクラスでよく遊んだ。正し、慶子に彼氏が居ない間だけよく遊んだ。

今日はこうやって来てくれたということは、卒業前に付き合っていた男の子とはもう別れたのだろう。

「あんた見たいな美少女も人並みに苦労するのね」

「慶子だって綺麗じゃない」

「あたしのは作り物、あんたはキロ13万以上の最高級品よ」

「何の話?」

「フランス産トリュフ・・・・・・」

おおよそ女子高生の日曜日とは思えない晩酌が続いた。



「なんで付いてくるんだ?」

「私は憲剛さんの側に居ないといけないんです」

「なんで」

「憲剛さんが私を認識して貰っているので、私がこの姿でこの世界に居るんです」

不思議な子だ、声が何か頭に直接響くような浸透圧で意味の分からないことを言われても不快な感じは全くしない。

自分は酷い人間だと思う。燿子を怒らせた張本人を目の前にしても怒る事も出来ない。相手は小さな子なので真剣に怒ってもしょうがないのもあるが、確実にこの子がトラブルメーカで有ることは変わらない。

こうやって憲剛はどちらかに肩入れする分けでもなくただ歩いている。公園から逃げ帰る様に帰るさなか今日のことを想い出す。

今日は高見燿子と初めてのデートだった。結果は散々だった。

「何処か行きませんか先輩?」

告白した時と同じように、俯きながら燿子が憲剛に話を振った。

「行きたい場所あるの?」

「先輩が気に入っている場所で良いですよ」

それで思いついたのが何時か家族で行った公園。 今となってはなんでそんなところを選んだのか、適当に映画とショッピングで良かったのかもしれない。まあ兎に角失敗だったな、最初で最後かも知れない。

最後。

「ねえ未来視ちゃん」

もう憲剛は未来視ちゃんで少女の読み方を決めた。

「本当に高見さんは明後日死んでしまうの?」

不謹慎な話を承知で憲剛は未来視ちゃんに尋ねた。

「はい」

元気に答える女の子を見ていると、何か間違っていると感じる。

「何か?」

「もうウチに帰れよ」

「どういう意味ですか?」

「僕の前から消えてくれって事」

始めて憲剛が悪態をついた。手を払うと瞬間未来視は消えた。

まるで何も無かったように、未来視は一瞬で消えた。煙よりも呆気なく小さな女の子の影は消えた。

「未来視ちゃん?」

「ハイ?」

後ろを振り向くと未来視はそのままさっきと変わらない姿で立っていた。

「今、消えた?」

「ハイ、あなたが私を認識しなかったので」

「消えろ」

また未来視は何もなかったように消えてしまった。目を何度こすっても、そこに居たはずの女の子は居ない。

いよいよ自分の頭が取り返しの付かない事になっていると、憲剛は軽く頭を抱える。あの未来視は本当にこの世ならざる存在なのか?

「どうしました?」

後ろから声を掛けられて慌てて後ずさり。そうか、この子の事を一瞬考えた。

「こりゃあいよいよ覚悟を決めなければ行けないのかな・・・・・・」

「おかしいですね憲剛さんは」

そう、とにこやかに笑う未来視ちゃんに憲剛は手を差し伸べる。

「とりあえず僕は家に帰るけど」

伺うように未来視は憲剛の顔を覗き込む。

「君も一緒に来るかい?」

「もちろんです」

嬉しそうに手を取って、憲剛と未来視は歩く。

「君は、此処に居てその・・・・・・楽しいのかい?」

「楽しい?」

「楽しい、どういう意味でしたっけ?」

「えーと、ここに居たいと思ってるの?」

随分と笑顔を浮かべる未来視ちゃんを見ていると、本心などというものが別に有るのかと思う。

未来視はまだ現れて人の「感覚」を学習していない、彼女に楽しいの意味は曖昧すぎて自覚出来ない。

「憲剛さんと燿子さん見ていると始めて不安になりました。なにか私の知っている未来に歯向かおうとしているみたいで」

「僕たちは歯向かっていた?」

「何か私の知らない力を感じました。気になって見ていて、気がついたら私は憲剛さんの所に落ちてたんです」

未来視は何処か遠い世界から憲剛と燿子を見つけて、気がついたらこの世界に落ちていた。

「未来視は本来世界に干渉できない筈なんですけど、偶にこういう風に人の前に落ちてしまうみたいですね」

「みたいですねって、君は元の場所に帰らなければ行けないんじゃないの?」

「何でですか?」

「だってその、君は神様なんだろ?」

投げやりに言うと、未来視は不思議そうに憲剛の腕を引っ張る。

「なんでこうやって人の所に居ては行けないんですか?」

「いや、神様は上から見ているのが仕事だろう?」

「仕事?」

「ああ、えっとやらなきゃいけないことだよ」

肝心な所はとぼけられているような気がするが、二人は仲良く夜道を歩いて行く。

「私は未来から今を見ているのが仕事ですかね?」

「どうなんだろう?」

「じゃあこうやって憲剛さんを見ているのも大事な仕事ですね」

「僕なんか見て何が面白いんだ?」

「今、憲剛さんの未来だけがこの世界で確定してないんです。」

「僕の未来だけ?」

「はい、私が観測者で有りながら当事者として直接介入している。その中で一番というか唯一の協力者が憲剛さんなんです。だから憲剛さんと一緒にいると私にも見えない者が出てくるんです」

「僕の未来だけが決まってないの?」

「はい、初めてですこんな事は、憲剛さんの未来だけ見えないんです」

「なんで僕だけ?」

「わかりません。けど憲剛さんにある何かが、私を此処に呼んだ力なんでしょうね」

だとしたらなんと迷惑なことをしたのだろう。

「フフ、凄〜い!」

未来視は憲剛の腕を引っ張って、踊りにでも誘おうとでもしているのか今にも走り出しそうだった。

「私にも分からないことあるんです!」

何も邪魔していない無垢な笑顔、この子は心の底から楽しんでいる。

「それが楽しいって事だよ」

「これがそうですか、何かフワフワして怖いですね。次どうなるか分からないなんてなんて」

酔っぱらいのようにクルクル回る女の子に釣られて駅までの道を歩きながら、とりあえず明日になれば分かることがあるなあと、ぼんやりと憲剛は考えていた。その為燿子の自宅に電話を掛けるのを忘れるという汚点の追加点を許すことになった。



「まったく連絡一つも寄越さないなんてどういう事よ!」

「勝手な男だ」

すっかり出来上がった少女達は絶好調にクダを巻いていた。

「だいたい。だいたい私がどれだけ観覧車に乗るのを緊張して待ってたと思う?」

「まったくだ!」

「17分も密室で何を話したらいんんだろうって色々考えて、ずっとドキドキして、昨日からなんだか眠れなくて、楽しみにしてたのに」

「まったくだ!」

「変な女の子連れてきて、私にかまってくれなくて。あげくにどうせ別れるからって二人して私の努力をバカにしてさ、楽しそうに訳の分からないサッカーの話で盛り上がるし・・・」

「まったくだ」

「聞いてないの慶子?」

「まったくだ」

やばいと慌てて慶子はワインボトルを隠す。別に殴られるのを恐れてではない、もう無いのだが見苦しく燿子が逆さまにして飲もうとする姿が見ていて痛々しいからだ。

「みんなで私をバカにしてる」

テーブルにどんと腕を投げ出してうつ伏せになりながら、なんだか喋ったら少しは気が休まった。

「慶子ちゃん」

「何? もうワインは無いわよ?」

「ありがとう」

お礼を聞きながらお菓子等散らかったゴミを片付ける。

「何が」

「話したら少し楽になった」

クシャクシャ髪の燿子を見ながらが全くこんな姿を見ることになるとは想わなかった。

「まったく因果よねえ」

スカートからはみ出した燿子のふくらはぎをなでる。

「何?」

「まったくこんな綺麗な脚を見せられてどうにかしようと思わないあんたの彼氏の気持ちが知れない」

細いが柔らかな起伏は失われていない見事な美脚を撫でながら、物欲しそうに慶子は脚を撫でる。

「慶子ちゃん変態みたい」

「変態にもなるよ。あんたは本当にハモンイベリコのように長い時間かけて熟成された最高の素材なのよ」

「それなに?」

「生ハムのブランド」

例えとしては一般性が無くて分かり辛いが、誉め言葉であることを理解した。同姓の慶子から見ても、燿子はなかなか居ない綺麗な子だ。ただ外見が綺麗だと言うだけでなく、誰に奢ることも卑屈になることも無い、真っ直ぐな精神が羨ましい。

「まったくどこの人間がこの最高の素材の恩恵に恵まれるのかとおもったら、とんだ駄目人間に当たっちゃうなんてね。まったく臆病者でそこまで行くと卑屈よね」

「そんなこと無いよ」

手に拳を作って燿子は抗議する。

「私の無理なお願いを聞いて今日も時間を作ってくれた」

「けど嫌々でしょう?」

「私がお願いしたからだよ、そういう人なんだ先輩は」

「嫌なら断れば良いのに」

「そしたら私が嫌な想いをするって考えちゃうから」

「けど実際嫌な想いを燿子はしてるわけでしょう?」

「それは私が、全部私が・・・・・・悪い」

気の抜けたように燿子は床に横たわる。糸の切れた操り人形のように力なく、何かが切れていた。

まったく恋をすると人はどうしてこうまで愚かになるのだろう。身体はもう大人なのに、心は子供のように単純に一つの価値観、対象相手を絶対視してすがってしまう。

今の燿子の姿は中学校時代みんなの羨望と嫉妬の入り交じった強力なプレッシャーを完璧なまでに跳ね返していた姿は見る影もなかった。谷口憲剛の一挙一動に左右される儚い存在。

「慶子ちゃん、私やっぱり先輩に謝った方が良いのかな」

「なんで?」

「勝手に帰っちゃったし」

慶子は全部の優先順位が相手になるのが恋だとは理解していた。理解していてもその中に入っているときはこれ程理不尽なこともないと想うのだが、こうやって他人にその姿を見せられるとやはりするものではないと心底想う。

「燿子が謝る必要ないわよ」

泣きそうな燿子を慰める。

「そうかな」

「ただ相手のいい訳はちゃんと聞いてあげないとね」

「うん、そうする」

自分よりも背が高くて、綺麗で、真面目な女の子は素直に言うことを聞いた。燿子は本当に子供に戻ったみたいだ。

「慶子ちゃん、私やっぱり今日先輩と観覧車乗って良かったの、楽しかった」

余計なゲストのことも気にならない位、目の前に座る憲剛の事を思い出す。

「何処が?」

「先輩と一緒に居られたことが」

やっぱり恋なんてするものではないのだ、一方的な想いほど強く無駄なものなどないのだから。慶子は優しく乱れた燿子の髪を少し纏めて、シーツを掛けた。少し風が強い。

「お風呂入って寝ないと」

「うん・・・・・・」

目を閉じたって多分考えているのは先輩の事なんだろう。

慶子は想い出したようについこの間送られてきた写メを開く。燿子が憲剛と一緒に取った写真だ。

嬉しそうに笑う燿子の隣で困ったような笑顔を浮かべる男の顔を見るとどうにもコイツがこのお姫様を救ってくれる様には見えなかった。

「まったくねえ、泣かしたら承知しない」

けどそんな日がいずれ来てしまうことを慶子も肯定してしまう。

悪意は無くただ事実だった。



ボールの前、芝生の上で棒立ちしている自分が居る。

写真やビデオでしか自分の姿というものは見られない筈だが、妙にハッキリと緊張した面持ちの自分が居た

その姿を見てああ何時もの夢かと憲剛は少し呆れてその光景を少し離れたところから見る。

場面はPK戦、観客を含めた敵味方の目が全部憲剛に集中していた。

プレッシャーを浴びた憲剛の顔は緊張の面持ちで、本心は真っ白、何も考えられない。自分が何故ここにいるのかも分からなかった。

中学校2年での全国大会行きの切符を駆けたPK。決まれば憲剛のチームの勝ち、外せばそのまま敗退。2年の憲剛が蹴るのは背負った10番の重みではなく、ただ誰も蹴りたがらなかったからだ。

あんなに緊張してたら上手くボール蹴れないだろうに。

今の憲剛だったら分かる、深呼吸の一つでもして落ち着いてから蹴るべきだった。

しかし、夢であった昔の自分は何処か焦点の収まらないまま軸足を踏み込む。右にヤマを駆けていたゴールキパーが見える、憲剛の素早く振り抜いた脚から放たれたボールは真っ直ぐとゴールの枠を捕らえずに、真ん中上空を通って大空に飛んでいった。

落胆と歓声が聞こえる。

今は良く聞こえるが、あの時は全く聞こえなかった。PKを外した瞬間に世界から断絶されたように暗い闇に閉じこめられた。そこでは泣くことも叫き散らかすことも出来ず、ただ起こったことを受け止めながらその闇に沈む。

痛ましい自分の姿が今見るとどうも滑稽だった。

何をそんなに絶望しているのだろう? どうせ半年後今ボールを蹴った脚は壊れてもうボールを蹴れなくなってしまう。自分のサッカーは終わってしまうのに。

あの時からこのPK失敗を引き摺った。そして怪我をして二度と挽回のチャンスが訪れないと気がついた時、正直に死んでも良いと思った。

家も仕事のことで親が親戚を頼りに行ったり慌ただしかった。自分一人が辛いからと簡単に退場するのはどうにも申し訳ないと思った。あの時あれだけ慌ただしくなければ、もしかすると自分は死んでいたかも知れない。ふと、緊張の糸が切れて、楽になっていたのかも知れない。

今はそれが全て想い出になっていた。こうやって何度も同じ事を繰り返す、変わらないものに。

そうかこうやって外から眺めればどんなことでもただ事実なだけなんだと。

「そう、目の前で色んな事が起きる」

横には未来視が立っていた。

あの赤い目を昔の憲剛へと向けていた。

「私はいつもこうやって色々な結果を見てきました、それは何度見ても同じものなんです」

いつ見ても同じ、そうだ記憶は何度思い返しても結果は同じだ。僕はPKを失敗しチームは負けた。その事実は変わらない、いつまでも、自分が死んでも変わらないだろう。

もう変えられない事実。

「これは楽しい?」

目の前で仰向けに倒れる自分の顔は辛そうだった。納得できずに泣いていた。

「楽しくはない」

「じゃあなんで見ているんですか?」

「分からない」


















■ 今日



目が覚めた憲剛は直ぐには起きあがらず、ベットの上で膝を屈めてる。今はもう関係ないのに時々こうやって膝が悪いときに気にしていたチェックをしてしまう。特に今日の様にあのPKの事を思い出すときは必ずといっていい。

これは未練なんだろうか、もっと別の泥臭いものなのか自分でもよく分からなかった。だからなるべく考えないようにしているけど、今日の様に繰り返し規則正しく夢に見てしまう。

なにかいつもと違うような気がしたが、それよりも次の習慣に取り組む事にする。

「おはよう」

仕事に行く格好のまま憲剛の母親は朝食の準備をしていた。母の朝は家族で一番早い。父は朝遅く夜遅いので、最近はあまり顔を併せない。

「おはよう」

挨拶もおざなりに、ノートパソコンに電源を入れて、インターネットのお気に入りにいれてあるスポーツニュースサイトを開く。寝ている間にやっている海外サッカーの結果を知るためだ。

昔の家では海外のサッカーをライブで見られるケーブルテレビや衛星放送があったが、新しい手狭のマンションにはそんな便利なものは無い。今は使い古しのノートパソコンとこれだけはと引いた低速インターネット回線だけが海外サッカー情報を手に入れる頼みの綱だ。

画面上にズラッと並んだ各国の試合結果を追っていく、イングランド、イタリア、ドイツ、スペインと今日もバカみたいに世界中でサッカーの試合が行われた。シーズン中はその結果を毎週確認するのが楽しい。

いつもは何となく見ているが、今日だけは何処か冷めた感情で見ている。

嫌な夢の元凶でもあるサッカーに対して、それでも飽きもせずにチェックしている自分はやっぱりバカなのだろうという自覚と昨日の観覧車の予想をふまえて見ているからだ。

「嘘だろう?」

「何、どうしたの?」

「ごめん、サッカーの結果」

「まったく好きなんだから・・・・・・」

母は嬉しそうにテーブルに父と憲剛の朝食を並べると、エプロンを仕舞って出掛ける準備をする。

「あなたも早く出なさいよ」

挨拶をしても画面に釘付けになっている憲剛を見て、母親は少しホッとする。あんなに好きなサッカーが出来なくなっても、見るスポーツとして楽しめているのなら良いと。そんな母親の優しい眼差しに気づかずに、憲剛は試合結果の表を見ていきながら声を失った。

試合結果の詳細のボタンを押すと、詳しい試合内容が簡素な文章と共に表れる。


バレロン、ハットトリック! FCバルセロナ敗れる。

試合は前半ザンブロッタの今シーズン初ゴールで先制するが、今期初出場のMFフアン・カルロス・バレロンのハットトリックでバルサが敗れる大波乱の結果になった。


「全部言ったとおりだ」

「未来視ですから」

もう自分の横に突然少女が現れても憲剛は驚かない。未来視が当たり前のように居間で隣に立っていた。

「レティング対ワトフォード」

「14分ソル・ギヒョンのゴールで1対0でレティング」

昨日と同じように対戦相手の名前に対して、未来視が試合結果を答える。ディスプレイには同じ結果。

もう疑問には思わなかった。何十というサッカーの試合の結果を得点者まで含めて当てられる人間なんてこの世界には居ない。居るはずがない。

昔誰かに教えて貰ったことがある、サッカーの解説者ほど面白くて役に立たないモノは無い。サッカーは偶然が多く作用するスポーツ、その時の選手のボールを扱う能力だけでなく体調、モチベーション、芝の状態等試合を左右する状況が複雑に絡み合う。だから賭の対象にもなるスポーツなのだ。

未来視の結果を信じてサッカーくじを買っていたらそれこそもうこんな狭い家に住む必要は無くなる。残念ながら憲剛は賭の対象とは見ていないので、そんな気も起きないので、金持ちになる話は棚上げされた。

「本当なのか」

それで自分はどうしたらいいのか、隣で不思議そうに朝食を眺めている女の子に聞いてもしょうがないのだろう。

「食べて良いよ」

「本当ですか?」

面白そうに指で目玉焼きを突く未来視にフォークを渡してあげる。不器用に扱いながら、サニーサイドアップと未来視は格闘し始めた。

そんな未来視を放っておいて、憲剛は着替えを取りに行く。

とりあえず学校に早く行こう。早く燿子に会わなければいけない。会って何するかは、デートの時みたいに考えてはいなかった。

ただ不安が大きくなる。未来視のように次が分からない事を喜ぶ余裕は憲剛には無かった。



「あれ、高見さんどうしたのアンニュイ?」

燿子はクラスメイトの声に別に大丈夫だよと愛想笑いを作って誤魔化す。

別に二日酔いになったわけではないが、やはり身体が怠い。朝も気分は最悪だったが、真面目な燿子は学校を休むことは考えなかった。

同じく真面目な憲剛も来ているのだろう、何事もなくなのかどうか分からない。例えば楽しそうにしているのを見たら腹が立つのだろうか?

苦しんでいてくれたら嬉しいわけではないのだが、自分と同じ様に考えてくれたら嬉しいと考えてしまい、自分の卑屈な考えを必死に忘れようとしていた。同じ事を考えているわけ無いのに。ああ、同じクラスじゃなくて良かった。

堂々巡りの議論を無表情の下に隠しながら燿子は昼休みになっても食事を始めるでもなく、席から立つことが出来なかった。まだ押井慶子のような気の許す友達もそんなに居ないので、昼に誘われるわけでもないので気が楽だ。

そんな燿子に隙あらば声を掛けようと入学以来、何人かの人間が虎視眈々と狙っていたりする。男子はお近づきになろうと、女子は自分たちのグループに入って貰って教室内のイニシアティブを取るためにだ。

だがそんな事は気にも留めずに燿子は何処か憂いの表情で窓の外を眺める。空を見ているだけでも昨日の公園の空、観覧車の風景を想い出してしまう。

なるべく表情を、その恥ずかしさや悲しさ怒りの感情を出さないように無表情を抑えているつもりで本人はいたが。そんな感情は燿子の端正な顔を際立たせて、周りの人間はついチラチラと見てしまう。ついには暗黙の協定の様に誰もがその風景を維持しようと、誰も近づかずに声も掛けなくなってしまう。

「高見さん・・・・・・」

沈黙の掟を破ったのは意外な所からだった。教室のドアから半身を乗り出して憲剛が声を掛けたのだ。表情を崩さずに燿子が憲剛を確認すると、突然席を立ち、幾分上擦った返事をする。

突然呼ばれて緊張したような、でも期待していたように様にも見える。始めて見る燿子の表情に教室に居合わせた者は様々な感想を抱いた。

あまり表情を変えない人だと思っていたのに、子供のように無邪気に喜ぶことも出来るのだと。そして、そんな表情をさせたのがあまりぱっとしない先輩だった事に皆素直に驚いた。


「ここは?」

蹴球部と書かれた看板が掲げられた部屋は部室連の端にあった。

「あ、昼は食べた?」

「いえまだです」

「学食?」

「じゃあ調度良いね、混んでいる間にちょっと話したかったから」

部室のドアを開け、憲剛にそくされて燿子が部室に入る。始めて入る体育会系の部室は驚くほど綺麗に清潔に掃除されていた。着替えが散乱していなく、用具はキッチリと棚に収納され、なにやら沢山の資料と雑誌は綺麗に番号順に並べられていた。

すべては用具係の憲剛の性格で、体育会系の部室では断トツの清潔さを誇っていた。

「ちょっとアレな場所だけど、二人だけで静かに話したかったから」

「話ってなんですか?」

勿論分かっているにの燿子は聞いた。昨日のデートの事なのだろう。

「あのさ・・・・・・」

そこで憲剛は言葉に詰まる。同じ目線の耀子を見つめて石の様に固まった。

たいした時間では無いが永遠の様な瞬間、耀子は胸の高まりを抑えることが出来ないでいた。自分の好きな人と部室とはいえ二人っきりで、昨日のゴンドラを思い出させる。この時も都合良く燿子は未来視の事は忘れていた。

「えっと・・・・・・」

憲剛は別の気持ちで緊張していた。この目の前に居る子に明日死ぬかも知れないと言うべきかどうか? いや未来視の言うことを信じれば確実に死んでしまう。

もちろん呼ぶ前にもいろいろ考えた。言わないほうが良いとも思った。だってあまりにも唐突すぎるし馬鹿らしすぎた。

しかし知ってしまっては言わずにいられない。黙っていることは罪だと真面目な憲剛は思った。

知らせてどうする。

そこで思考は停止する。

未来から来た女の子が君の死を告げた。

じゃあどうするという部分が抜けている事に憲剛は今更気がついた。

固まったまま耀子を見つめる。耀子も憲剛の真剣な眼差しに釘付けになる。当たり前だ、憲剛には冗談を混じらす余裕など無かったからだが、耀子はもちろんそんな事を知らないので少し照れている。

「昨日の事ですか?」

「ああ、うん」

憲剛は曖昧な返事をする。

「昨日はすみませんでした、勝手に帰って」

慶子の忠告をすっかり忘れ、耀子は憲剛に謝る。

「勝手に先に帰って、御免なさい」

頭を下げて憲剛に耀子は謝った。目を閉じて耀子は憲剛の言葉を待った。

「いや、そんな事はどうでもいいんだ」

頭を下げた耀子に憲剛は手を振って応えた。

明日死ぬかも知れないという問題の前にはどんな些細なこと、喧嘩をしたとかは無視される。

そう思っていた憲剛は直ぐに燿子の気持ちの入った謝罪を簡単に退けた。

「その、高見さんは・・・・・・」

憲剛の頭には色々な言葉が浮かんでは消えた。「死にたくないよね」とかの陳腐な言葉、誰も死にたいと願っている人間なんか居るはずが無い。

じゃあどうして自分はあの時死にたいと思ったんだろう、ふと目の前の耀子と関係なく検査入院した病院のベットで泣いていた自分の事を思い出した。こんな時も自分の事かよと事故嫌悪に陥る、そうだあの失敗したPKも自分が決めてやろうって蹴りに行ってそれで失敗した。

今も死を宣告された燿子の事よりも自分の過去が甦った。思わず自分の身勝手さに呆れて言葉を飲み込んだ。

「そんな事?」

「えっ」

そして自分が巨大な地雷を踏んだ事に気がついた。

「そんな事なんですか、先輩にとって昨日のデートは?」

「高見さん?」

顔を上げた耀子の顔は昨日の事をどうでもいいと言った憲剛にも思い出せた。怒りで眉毛が吊り上り、今にも爆発しそうな顔。

「先輩にとって昨日の事はどうでもいいんですか?」

昨日の失敗をベットで泣いたり、一晩かけて慶子に慰めてもらったのを無駄と言われたのだ。自分が真剣にどうしようと悩んでいた時間を否定されて、耀子は腹が立つを飛び越えて憲剛に食って掛かった。

「私が昨日どれだけ先輩に悪いことしたなって・・・・・・」

耀子には憲剛と小さな女の子の不仕付けな質問の事は忘れていた。それよりも自分がもっと楽しく振舞えなかったことの方が嫌だった。

「別に悪いことなんかしてないじゃないか?」

慌てて憲剛は詰め寄る耀子を制止させようとするが、耀子は子供のように腕を振る。押さえようとすれればするほど腕を振るので、仕方なく手を離した。

「先輩はどうして私のこと気にしてくれないんですか」

耀子の目には涙ではない、ただ怒りだけが満たされていた。純粋な、自分に対する理不尽なことに対するもの。

「いや気にしているよ」

死んでしまわないようにどうするか考えている。

「嘘です、私の事なんてどうでも・・・・・・・」

「高見さん・・・・・・あの、俺は・・・・・・」

「馬鹿!」

一方的に言い放つと耀子は部室から飛び出て行った。 二日連続で愚か者と言われた愚か者は置いてあるベンチに腰を下ろした。

「どうしました?」

「いや君の言ったとおりだった」

「馬鹿って言われて飛び出して行くって決まりだったでしょ」

そう、すでに朝の時点でこうなると未来視ちゃんから聞いていた。憲剛は必ず怒られて、燿子は部室を飛び出していくと。

憲剛はいろんな意味で挫折感を味わった。このかわいい女の子のいうとおりに物事は進んでいく事実に。

もっと細かく状況を聞けば今の様に高見耀子を怒らせることは無かったのでは? しかし、怒ると分かっていても自分がどういう風に接すればいいのか何て分からなかった。会ってみると浮かんでくる言葉もある。まさか憲剛は燿子に謝られるとは思わなかった。だから慌てて話を切ったのが失敗だった。

どちらの事実も胸が痛かった。前者はもうどうしようもない事実のようだったし、後者は上手く対応できない自分、まるで未来視に掌で踊らされているような感覚。

どうすれば良いのだろう、全てはこの女の子の言うとおり決まってしまうのか? どんなに足掻こうとも、もう決まった事なのだろうか?

「高見さんは本当に明日死ぬの?」

「ハイ」

元気よく未来視は応える。

「交通事故?」

「ええ、トラックですか? そういう名称の物に衝突して生命活動を停止します」

高見さんは明日トラックに巻き込まれて死ぬ。なんて現実味の無い言い方だろうと憲剛は自問自答する。けど、それは未来視によれば確定された未来。嘘だと喚いても変わらない事実。サッカーの試合のように一度歴史に刻まれたスコアは決して覆されない。

「憲剛さん?」

「もう来るんじゃないか? 消えた方が良い」

憲剛の質問に反応して未来視は姿を消した。そして、入れ代わるように人が入ってきた。

あまり自分と人が喋るのは良くないのだと、未来視は人が入ってくるのを予想して憲剛に認識を緩めてもらう。

「おっ! ホペイロ(用具係)じゃないか」

学食で買ったパンを沢山抱えてサッカー部主将の坂本一成だった。憲剛を無理やり部活に誘い、サッカー部用具係りに命じた名物キャプテンだ。

「いまさあ凄いもの見ちゃったぜ!」

少し興奮しながら、カツサンド封を切って牛乳パックにストローを指す。

「凄い勢いでさあ部室煉の横をさ、超美少女がなんか泣いてんだか怒ってんだか笑ってんだが分からないくらいに顔をクシャクシャにして通っていってさ、他のヤツも見とれて足止めちゃって、なんか大名行列みたいにみんな道開けちゃってさ」

重そうに頭を抱えた憲剛を不思議そうに見ながら、一成は二口、三口でカツサンドを食べてしまった。

「ありゃ絶対ただ事じゃないな、もしかして失恋とかなのか。まったくあんな可愛い子を泣かせるヤツの気が知れないな」

「そんなつもりじゃなかったんですよ・・・・・・」

「じゃあどんなつもりだったんだ」

「どうって、なんとか彼女を・・・・・・」

そこまで話して憲剛は自分の無力で打ちのめされそうになった、自分はどうすれば決まった未来を覆せたのか?

「彼女ってお前! まさか!」

「なんですか?」

「神聖な部室で何をしようとしたんだ!」

「何もしてませんよ!」

先輩と後輩の口論は部室煉に響き渡り、直ぐに衆目の的となってしまった。賑やかで人一倍問題を起こすサッカー部がまたなにかやっていると。

後は未確認ながら学食では凄い勢いでご飯を食べる美人が現れたらしいという噂が立ったが、確認できた人数が少なかったため其方はあまり放課後の話題に上らなかった。


「と言うわけでホペイロ谷口憲剛はこの伝統と格式を誇る我がサッカー部の部室で破廉恥な行為を行おうとしたことは真に羨ましい!」

違うだろうと坂本一成の隣に立つ副キャプテンの棚田浩二が肩を叩くと、一成は慌てて言い直した。

「じゃなくて遺憾である」

練習後誰もが泥だらけになった格好で、三十人程の男子が部室に押し込められていた。皆真剣な面持ちで坂本の話を聞き入っていた。

「よって我々はこのホペイロである谷口に罰として罰そうを命じなければ行けないが、みな知っての通り憲剛は膝が悪いためそれは出来ない。よって我々は別の試練を彼に与えなければならない」

「ケツバットですか?」

部員の一人が手を上げると、一成はそんな野蛮なことはしないよと笑顔で釘を刺し、棚田に指示を出して大きな洗濯かごを差し出させた。

そこへ自分が着ている土埃にまみれた練習着を脱いでかごに投げ込む。

「よって今日の洗濯はヤツ一人に任せる、一年も今日は帰って妄想にふけってよし!」

おおと素直な驚きが部室に響く。

「皆ここぞとばかりありったけ汚いのぶち込んでおけ!」

「ハイ!」

元気な返事と供に、あっという間に籠へと汚れ物が溜まった。すぐにかごからは何か異臭の様なものが発生し始めた。

「じゃあな果報者!」

「裏切り者!」

「インザーギ気取りか!」

様々な罵声を残しさっさと三年生から着替えて部室を後にして行った。

「先輩?」

少し心配気味に一年が憲剛に声を掛ける。何時も洗濯は一年と憲剛の仕事だった。

「いいから早く帰れ」

憲剛にスミマセンと一年が頭を下げながら帰っていた。顔には助かったと安心する部分と何か羨望の眼差しが混ざる。

「カッコイイと思ってるんだろうなあ」

訝しげに後輩を見送った憲剛に棚田が声を掛ける。

「何がですか?」

「ほら、女の子と付き合っていてさ」

後輩から面倒見よく慕われる憲剛は人気がある。そこに新たな彼女持ちというステータスまで加わった。からかう棚田を退けて洗濯物を外の洗濯場へと運ぼうとする。

「なあ、相手から付き合ってくれって言われたのか?」

「何で分かるんですか?」

「分かるよ、お前が恋愛とかそういうのにまったく興味が無いの知ってるからさ」

それ以外にお前が人と付き会うことは無いだろうと言われていることに気がつくと、憲剛はこの棚田こそそう言う噂にふさわしいと思う。

いかにも体育会系の坂本一成と違って優男でいつも笑顔を絶やさない。その笑顔に最初皆騙される、本当は何時も腹に一物ある怖い先輩なのだ。

「どういう心境の変化なんだ、女の子と付き合うって?」

「別になにもないですよ・・・・・・」

「ふーんお前が他人と関係持とうとすること、凄くいい事だと思ったんだけどなあ」

ニヤニヤと笑いながら部室を出ようとする憲剛の肩に手を置く。

「お前みたいな一人の世界に閉じこもってるヤツは彼女とか出来ると性格変わるもんだけどな」

「ヒキコモリですか?」

「こもってるだろ? 放課後のグランドで一人でノスタルジーに浸ってるヤツを見てると、こっちも気が滅入る」

「見てたんですか?」

「別に覗きに行ったんじゃない。偶々帰る時に見えただけだ」

ついこの前まで憲剛は用具の片付けが終わると一人でペナルティーエリアの中でボールを置いて立つのが日課だった。

ゴール前にボールを置くと、あの日の事を思い出す。

思い出したくないのに、何故かボール置いてしまう。

「まだ引きずっているんだろう?」

サッカーが出来ない憲剛を部活に誘ったのは坂本と棚田だった。

「おい、そんなに恨めしそうに見てるんだったら、少しは手伝え!」

憲剛が一年の時にチラチラと校庭の横を通る憲剛を見つけた坂本が襟首掴んで連れてきた。

「あれ、トレセンに入ってた谷口じゃない?」

棚田は地元のサッカーには詳しかったので憲剛の顔を覚えていた。

「なんだクラブチームに入ってるのか?」

「いや、もうサッカーやってないんです。膝やっちゃって」

「そうか、じゃあ用具係でもやるか?」

「おっ一成、偶には頭が回るな」

「僕はもうサッカーは・・・・・・」

「いや、やらなくていいから洗濯と掃除してくれ」

「はぁ」

「それかアレだ、スパイクの手入れとか、練習用の道具だしとか仕事は沢山あるぞ!」

「はぁ」

連続する気の抜けた返事を了解と解釈して、すこし強引に部活に誘った。お陰でサッカー部は快適な部室を手に入れた。

ついこのあいだのことのように思えるが、一年で憲剛はすっかり律儀なホペイロになった。

そもそも用具係がポルトガル語でホペイロと言うことも憲剛が教えたのだ。それ以降一成がすっかり気に入ってしまい、マネージャー、用具係と呼ばれた者はホペイロになった。

「すみません」

「あやまらなくて良いよ、これからその事についてゆっくり洗濯機の前で考えてくれればいいからさ」

そういって更に洗濯物を憲剛が持つ籠に入れた。

「先輩!」

「ああこの罰考えたの俺なんだ、洗濯物溜まってたし」

棚田先輩の笑顔に裏があるのは大体こういう時だ。

「まあしっかり反省しろよ。お前みたいな何考えているんだから分からない奴に告白してくれる子なんてそんないないんだからな」

「先輩は俺にどうして欲しいんですか?」

「決まってる、もっと部活に身を入れて欲しいんだ」

用具係の憲剛に向かって棚田はきっぱりと言った。

「ボール蹴る所を羨ましそうに見られるのは結構辛いぞ」

「俺はそんなに未練たらしいですかね?」

「まあお前が本当に嫌な奴で、俺の方がもっと上手く蹴れるのにって見てくれればまだこっちも気が楽なんだけどな・・・・・・部活に誘ったのは俺と一成だし、これでも少しは気を病んでるんだぞ? 俺は」

「坂本先輩は?」

「あいつがそんなセンチな気持ち理解できるわけないだろう? 単純にお前のサッカー好きな所が気にいってるのさ」

もちろんただ利用されただけだが。確実に放課後の居場所を作ってくれたのはこの二人だった。

「だから今日話し聞いた時嬉しくなっちゃたよ。お前もいよいよ人並みのことができるようになったんだってね」

「人並みって何ですか?」

「サッカー以外にものめり込む対象が出来てよかったなって。うん、まあお互い上手く部室を使って行こうぜって事だ、ちゃんと鍵かけておけよ」

「棚田先輩!?」

どんな人でも騙せるんじゃないだろうかと思うほど笑顔で棚田は嬉しそうに帰っていった。

とりあえず憲剛はお辞儀をしてお節介な先輩を見送ったあとに考えた。

高見燿子とサッカー、自分にとって大事なのはどっちだろう?

意外とすぐには答えが出てこなかった。



私は勝手な人間だなあ。

屋上に一人で燿子は黄昏れていた。

ああもう何で何時もバカの一つ覚えみたいに飛び出しちゃうんだろう。

ジタバタと自分の肩口の髪を掴んで顔を隠す様にしながらまた顔を赤らめた。

屋上の片隅で一人燿子は黄昏ながら時々思い出しては顔を赤くしていた。

なんとも情けない姿でこれは親にも誰も見せられない。憲剛の前だとなんで自分はあんなにもわがままに成れるのだろうか。

金網越しに校庭を見ると、様々な運動部員が校庭一杯に広がって居た。当然燿子の目はサッカー部に向けられる。そして一番動いていない人を見つける。憲剛だ。

随分と遠いところから見ている。未練がましいと想いながらもやっぱり屋上に登っている自分が居た。

折角近づいたのに。昨日は手を伸ばしたら届く距離まで居たのだ。いや一瞬だが手を握った。なんだかそれだけで楽しかった。慶子はそんな安上がりな事で良いのかと問い詰められたが自分には初めてのことなのでそれ以上のモノは望んでいない。

何もかもが初めての今、怖いけど楽しい、一つ一つの事が大事だ。だからといって憲剛は違うのだろうか。何か遠いところに憲剛は居るような気がする。

「こんな所からじゃ声が届かないですよ?」

「隣にいたって届かないよ」

普通に受け答えをした後に、声の方へ振り向く。

燿子は金網に張り付いて驚いた。

「貴方は昨日の・・・・・・」

「どうも」

昨日一緒にゴンドラに乗った女の子が居た。奇抜な格好そのままで高校の屋上に。

「どうやって入ってきたの?」

「憲剛さんが絶対出てくるなと言明されたので、存在を消していたんですけど。あまり世界に干渉しない範囲でどこまで出来るかなあと想いまして」

相変わらず不思議な事を言う子だった。黒い、お人形さんみたいな女の子。

「この前は楽しかったですか?」

「この前?」

「あの観覧車に乗った日です」

「別に、楽しくなんか・・・・・・」

小さな女の子相手に向きになってもしょうがないのにどうでも良い嘘を付いてしまった。

「私は楽しかったですよ」

「それはサッカーの話とか出来て・・・・・・」

「サッカーの話?」

「楽しそうに喋っていたじゃない?」

「アレはただ確定した未来を喋っていただけです。楽しいとは違います」

「じゃあ何が楽しかったの?」

「憲剛さんと一緒に居たことがです」

あっさりと燿子の本心を自分よりも小さな女の子に言われてしまい、燿子は声が出なかった。

「憲剛さんと一緒にいると、次に何が起こるのか予想が出来ないんです。それが私には初めてで楽しいんです」

私だってそうだよと何故か言えなかった。小さな女の子に同意することが出来ない。

「なんで私にそんな事言うの?」

「燿子さんも同じ状態でした」

全てを見通したような未来視ちゃんの言葉に、燿子は背中の金網に押しつけられたような気持ちになる。

なぜか女の子言葉に同意できなかった。

それが自分だけのテリトリーに未来視が乗り込んで来たからだと言うことを燿子は理解していなかった。ただ、本能で同意を、目の前の女の子と同じ気持ちで居ることを分かっていながら否定した。

「燿子さん?」

「貴方は一体先輩の何なの?」

「私は憲剛さんに近づいた未来視です。未来を与え積極的な可能性の取得を促します」

目を閉じながら指を振る姿が楽しそうだ。

「未来を与える?」

「はい、憲剛さんに現在の進む先を教えることが出来ます。そして憲剛さんは唯一それを変えることの出来る人なんです」

自慢するように未来視が言うのを燿子は黙って聞いている。あんな普通そうな先輩の何処に小さな女の子を熱狂させるモノが有るのだろうか?

自分の事を棚に上げておいて燿子は不思議そうに未来視ちゃんの話を聞いていた。

「けど憲剛さんには何か動けない理由が有るみたいです。そのせいで憲剛さんは止まったままになっています。本当にそれが憲剛さんの望んでいる状態なんでしょうか?」

どうにも一つ一つの単語は偉そうで、文法的に独りよがりで繋がっていない言葉だ。けど、燿子にも憲剛が何か考えすぎて何時も行動しないで止まってしまうのには同意できた。

「うーん分からないけど、多分先輩は昔の事を引き摺っている」

あの昨日聞いた唯一の先輩自身の話。

「昔、ううんついこの間まで辛い経験をしたから、臆病になっているんだ」

「なんで臆病になるんですか?」

「なんでだろうね」

サッカーを見ている憲剛はどこか遠くを見ているように見える。いやサッカーだけじゃない、自分を見ている時もだ。

「けど、もしもだけど大事な人がどれだけ努力しても振り向いてくれなければ、次に努力をしようとはなかなか想えないかなあ」

届かないモノに手を伸ばしても辛いだけだ、叶うことがないから。

では自分は届いたことがあるものしか今まで手を出していなかったから楽だったのだろうか?

憲剛と自分が違うところはそこだっだ。

燿子はまだ足が動くが、憲剛はもう動けない。動かそうとするたびに辛い過去が足に絡み付く。恐怖が伸ばそうとする足を止める。

「未来が分かっていれば、そんな辛いことに会わないですみますね。出来ないと分かっていれば無理すること無いですから」

「そうかな? 私はやっぱり・・・・・・」

腰を屈めて燿子は未来視ちゃんと目線を会わせる。

「例え先輩と別れることになっても、こうやって考えたり行動することを止めたくないな」

燿子は想う日々を無駄だと想うほど自分は貧しくない。そう想いたかった。

「燿子さんは強いですね」

「私、強くなんか無いよ」

憲剛の前では直ぐに逃げ出した。

「後悔が怖いだけ」

「後悔?」

「あの時こうしておけば良かったってね、人間は昔に戻られないんだから」

「当たり前の事ですね」

燿子は少しムッとする。

「そんな当たり前のことを良く忘れるの、だから思い出したとき辛いの」

燿子の話を聞いて、それが過去に留まることだと言うことを未来視はこの時に何となくではあるが理解した。では過去が怖いから人々は逃げるように現在を進むのだろうか?

「そうか・・・・・・・」

未来視ちゃんは金網に近づいて、憲剛を見る。目はボウッとまた赤く染まるが燿子には見えない。

ただ、小さな女の子の寂しそうな背中が有った。

「そんな燿子さんの進もうとする力と、憲剛さんの過去に留まろうとする力が未来を確定させない可能性の場を作り出した・・・・・・」

「未来視ちゃん?」

「燿子さん、最後まで諦めないで居られますか?」

別れると言った相手に言われて挫ける燿子ではない。燿子はまだ挫折を知らない、知るのも恐れないでいた。

「それだけは自信があるよ」

瞬間強い風が吹く、目にゴミが入ったのか燿子は目をこする。再び開けた目にはあの奇妙な女の子は何処にも居なかった。

突然消えても何か怖いという感情は燿子に無かった。元々未来視なんてよく分からない名前の女の子は居るようで居ない気がするのだ。

変な話なのは分かっている、ただそれでも心は何処か落ち着いた。

諦めないで。

それが唯一の方法だよと小さな女の子に背を押して貰ったようだった。ただその先には大きな壁のようなモノを感じる。急に怖くなったので、燿子は家路を急ぐことにした。



結局洗濯と部室の掃除やらが終わった後はどっぷりと日が暮れた。

校舎から校門へ続く道には誰もいない、全員が帰ったようだった。

まったくこんな事をしている場合じゃないのは分かっている、早く何とかしなければ明日には高見耀子が死んでしまうのだ。

しかし、歩いているとそんな実感は全くわかなかった。学校では出てくるなと未来視には厳命してある、そのせいか律儀に未来視ちゃんは出てこない。

何か未来視が居ないと、唯の色々あった一日で終わりそうだった。

これで帰ってもう一度サッカーの結果を解説付きで見たら、本当に何も無い普通の日だ。

ふと明日もそんな風に何事もなく始まって、何事もなく終わるんじゃないかって思う。そうだ、もしかしなくても自分は悪い夢でも見ているんだ。

しかし、一度挫折したことのある憲剛は、そう思うのは現実から逃げている証拠でしかない事をしっている。

洗濯しながら考えていたのは高見耀子のことだった。昨日と今日の彼女の顔が何度も頭を過ぎる。あんなに表情を変えて、まっすぐに自分を見ていた。そんな彼女が明日死ぬと言われて自分はどうするべきなのだろうか。

助けに行かなければ行けないのは分かっている。やはり事情を話して、彼女にピッタリと張り付くべきなのだろう。

しかし、今日また怒らしてしまった自分は手際が悪すぎる。もう隣りに座らせてくれないのかもしれない。此処まで来て憲剛は自分が燿子の隣に居るべきなのかを迷っていた。あんなに真っ直ぐに人を見て、自分にも他人にも正直で綺麗な燿子の横に、歪な自分が立っていて良いのかを。

「あっ」

そこまで考えて校門手前で憲剛は考え込んでしまう。

そうだ、状況は悪い方へと確実に傾いている、まるで決められたように自分は耀子の傍に居られない。未来視の赤い目を思い出す、予めて決められた未来へといざなう誘導灯のようにはっきりと現れる。人が死ぬというのはこうも簡単に訪れて、あきらめなければいけないのか?

憲剛もニュースを見て何も思わない人間ではない、戦争は嫌だしいたたまれない。けど、自分の知っている人がその立場に居たら?

未来視から見た自分の無力さに打ちのめされて、何も出来ない自分に呆然として立ち尽くす。

「何をやってんの?」

気が付くと目の前に女の子が立っていた。

服装は確か駅でよく見かける女子高のものだった。

「何ほっとしてんの?」

突然現れた女の子でドキッとしたが。奇抜な格好では無いので人間だと分かって安心したとは言えない。

声を掛けてきたのはお下げをしたきりっとした目のちょっときつそうな女の子だった。

「あなたよね谷口憲剛って?」

前言撤回、この子はキツイと人の良い憲剛も思わず身構えた。

「私は押井慶子、高見耀子の友達なんだけど」

そう言うと慶子は品定めするように憲剛を眺めた。

初めてあった慶子は憲剛を見て直ぐに普通の男の子だなあと思った。何処にでもいる、まだ自分の世界に浸っている子供っぽい男。その予想はピッタリと当たっていた。

本当に耀子はなんでこんな普通の男に惚れたのだろうか?

「あなた今日も何かした?」

慶子の問いに憲剛は言葉が詰まる。やれやれと慶子はため息を付いた。

「電話もメールも返事が無いの、心配でねちょっと学校来たんだけどもう帰った後みたいだったから。どうせだったら原因の相手を捕まえた方が話し早いかなあってね」

サッカーボールを持っている人間を捕まえて、居残り洗濯をさせられていることを知ったので、慶子はずっと門の所で待っていたのだ。

「高見さんは何処に行ったんだろう?」

「もう家でしょう? 会いに行くの?」

「いや家の場所知らないんだけど・・・・・・」

「あんたそれでも耀子の彼氏なの?」

ずっと詰問口調の慶子がついに本気で怒る。ああ耀子の友達だと憲剛は実感する。

「全く、なんであんたみたいなのを耀子は選んだのか・・・・・・」

「そうだね」

「本気で言ってるの?」

慶子は頭を抱えながら質問をする。

「まあ本当に考えるんだ、あんな綺麗な子が俺なんかの何処がって・・・・・・」

言い終わらないうちに慶子は持っていた鞄で憲剛を叩く。

「馬鹿ね、あんた本当にそんな無駄なこと考えているの?」

憲剛の疑問を簡単に慶子は一蹴した。

「あんたが相応しいか相応しくないかはこの際どうでもいいでしょ? そんなもの相応しくないに決まってるんだから」

頭脳明晰な者だけに許される自信たっぷりの断言で憲剛に失格を申し付けた。

「何、自身あったの? あんた見たいな人並みの容姿と女の子の気持ちも考えないで、のんきに部活やっている男なんかどう考えたって耀子の彼氏に相応しい分けないじゃない?」

打ちひしがれて固まってる憲剛にさらに追い討ちをかけた。ここまでハッキリと今日始めてあった女の子に言われると、憲剛の頭ではもう処理は仕切れないので固まるしかない。

「だから貴方に出来るのは、それでも好意を寄せてくれる耀子に対する誠意でしょ?」

「誠意?」

「そうよ、あの子の真剣なあんたに対する想いを、どう受け止めて返してあげるかでしょ?」

ハッキリと提言する年下の女の子にしばし唖然とす。

「あの子はねさっきも言ったけど、あんたみたいなキノコみたいな男に不釣合いな最高級の神戸牛なのよ。そんな子がね顔を真っ赤にしてあんたをどうしても好きだからって、毎日どうしたら一緒に居てくれるんだろうて悩んでいるのよ。おかしいじゃない。本当だったらあんたが添え物としてあの子の横に行ってあげなきゃ行けないでしょ?」

「僕はキノコ?」

「どうみても促成栽培でしょ?」

安売りパックのシイタケと神戸牛では確かに違う。

「本当にあの子は昨日も貴方のことで悩んでいたのよ」

慶子が寂しそうに下を向く。

「どうしたら一緒に居られるかって。純粋な本当に誰も手を加えていない天然なんだから、最初の恋でいきなり傷つけるなん酷い事しないで!」

アルコールを入れながら愚痴っていたという一部の事実を隠して言った。自分でもお節介だとは思うが、真面目な燿子を見ているとつい何かしてやりたくなった。

一通り吐き出すと、憲剛は放心状態のまま口を開く。

「今日高見さんに昨日のことはどうでもいいって言った」

「馬鹿、あんたにとってはどうでも良くても耀子にとっては一日が、一挙一動が大切で取り返しの付かないものなのよ」

真剣になればなるほど、細かいことが気になる。真剣とはそれしか見えないから周りから見て滑稽に見えることもあるし、尊敬を集めることもあるのだ。少なくとも高見耀子は自分に対して悩むほど真剣に考えてくれた。

「高見さんはどうして僕の事を気にかけるんだろう?」

「そんなこと本人にしか分からないに決まってるじゃない」

いや、本人でも怪しいものだ。本当に好きになったときは誰も理由は思い出せない。落とし穴のように落ちたら上を見上げるしかない、落とした本人を。

誰もその穴には好きで落ちないのだ、理由なんか無いと慶子は断言する。

「だから耀子がどうじゃないの、耀子に貴方がどうしたいかが大事なの! 耀子の気持ちを疎ましいと想うならそう言ってあげて。何時までも逃げられたら耀子が辛いだけよ」

「押井さんはいい人だね」

叩かれても文句も言わずに憲剛は慶子を賞賛した。

「わざわざ高見さんの為にこんな時間まで待っててくれたんだ」

「話をそらさないでよ・・・・・・」

落ち着いて憲剛が喋るので、慶子は急に恥ずかしくなってきて顔を背ける。

「やっぱり高見さんみたいに良い子の周りには同じように良い子が集まるんだろうね」

高見耀子も押井慶子もどちらも真面目でまっすぐに相手の目を見ながら話しかけてくる。迷いの無い目で言い訳もせずに。

「僕は本当に分からないや、自分みたいな人間が高見さんみたいに好かれる理由が。けど押井さんの言うようにそんな事どうでもいいな、僕のことはどうでも良い、高見さんは良い子だ」

結局自分のことしか考えていなかった。

「押井さん、一つお願いがあるんだけど?」

「何?」

「高見さんの家と電話番号教えてくれる?」

「メモで良い?」

手帳から紙を一枚取り出し、住所を書いて憲剛に渡す。

「ありがとう」

「会いに行くの?」

「その前にちょっと調べてから」

「あの・・・・・・」

「押井さんがここに来たことは言わないよ。悪いけど」

憲剛は後押ししてくれた慶子の事は高見耀子に言わないと約束した。憲剛は言ったほうがいいと想うが、顔を赤くしている慶子には悪いと思った。理性的な顔立ちだけど、たぶん耀子の事だけが心配で学校まで駆けつけたんだろう。

「ありがとう、本当に。僕は女の子と付き合ったことが無いから、なにしてあげれば良いか分からなくって」

「優しいのね・・・・・・」

普通は自分が楽しいと思うかどうかから始まるのに、ずいぶんと年寄りくさい考えだと思った。

「ああ、またこんな事言うと高見さんには逃げてるって言われるんだよな」

ああ耀子の言いそうな事だと笑いながら慶子は気が付いた。なんだ、この人は耀子の事を分かってるじゃないか。

「あの、すいません先輩なのにその」

慶子は急にいきなり問い詰めたり、鞄で叩いたりした事が恥ずかしくなってきた。

「いや、本当に目が覚めた。決めた」

憑き物が落ちたように、憲剛は決断を下してほっとしている顔だった。

「じゃあ急ぐから・・・・・・」

そう言って憲剛はゆっくり歩きながら帰っていった。 憲剛の膝が悪いことを慶子は知らないので、ぜんぜん急いでないよなあとまた心配になってきた。けど、二人の問題にこれ以上余計な突っ込みは無用なのだろう。

その時慶子の携帯が鳴った。

「慶子ちゃん、ごめんちょっと電話もメールも出られなくて」

「良いのよ、どうせ先輩と喧嘩して落ち込んでいたんでしょ」

「何で分かるの?」

「だって今のあんたの頭の中はそれしかないでしょ?」

耀子は絶句したのか反応は無かった。

「まあ相手もそうみたいだけど・・・・・・」

「えっ?何?」

「ううんなんでもない、いま何処? 家?」

「うん、まっすぐ帰ってきた」

「そう、今日は行けないからね一人で反省するように」

「うん・・・・・・」

「先輩との事なら大丈夫だよ、あんたが見つけた人でしょ、大丈夫、じゃあね」

一方的に携帯電話を切って、まだ歩いている憲剛を見つめながら慶子はなんとも羨ましいと想った。

その時憲剛がどんな気持ちで歩いていたのかは恋愛経験が豊富な慶子にも想像の付かないところにあった。



憲剛は学校から帰ってきて自分の部屋に付くと、直ぐに床に座り込んだ。

「未来視ちゃん?」

「ハイ」

目の前に何時もと変わらず未来視が現れる。昨日あったばかりなのに、もう居ないほうが不自然に感じる。

「もう一度聞くね」

憲剛の真剣な眼差し、そこに余裕は無い。

「明日、高見さんは死ぬの?」

「ハイ」

未来視ちゃんの顔は笑顔だが、声には感情が篭っていないように聞こえる。

「どうやって?」

「トラックに巻き込まれて」

「何時に?」

「朝七時四十分です」

人の死ぬ瞬間を聞くことがこれ程怖い事とは思わなかった。まるで自分が燿子の首を絞めているかのように、確実に死へと追いやっているようだった。

「何処で?」

「えーっと視覚情報ってどう伝えればいいんでしょうね?」

「視覚・・・・・・ちょっと待って」

そういって憲剛は居間からノートパソコンを持ってきて、インターネットから地図を起動させる。

位置を慶子に貰った住所を入力すると、画面の中央には衛星写真からでも分かる大きな家が写った。

「この辺かな?」

「うーん、ちょっと待ってくださいね、これどうやって絵を動かすんでしたっけ?」

「こうやってボタンを押しながら動かして・・・・・・」

「こうですか?」

画面が縦に横に動くと、未来視ちゃんはどこか楽しそうだった。

「そう、で何処だろう?」

「ああちょっと待ってくださいね」

焦る憲剛がそくすると、未来視は腕を組んで考える。すぐにマウスを握って画面を少し動かした。

「此処です」

未来視が指を指した場所は駅に繋がる古い商店街の入り口前、入り組んだ五挫路だった。

「本当に?」

「ハイ、この建物が見えました」

茶色い台形の形をしたビルを指した、確かに他に同じようなビルは無さそうだ。

「じゃあ此処に高見さんを七時四十五分までに連れて来なければ彼女は死なない?」

「あっそれは違います」

簡単な事を思いついた憲剛は未来視に簡単に否定された。

「今の段階ではどんな事をしても確定の事実ですですから」

「なんで!?」

「未来だからです、私が見た世界の決められた事象ですから」

「意味が分からないんだけど?」

「じゃあ憲剛さん、燿子さんを止めてみてください」

「今から?」

未来視が小さく頷くのを合図にして、憲剛はとりあえず慶子に貰ったメモで燿子の家に電話をすることにした。

「出ない」

留守電のメッセージを取りあえずいれて置いた。

こういうとき何で自分は携帯電話を持っていないんだろうと急に恥ずかしくなる、せめて燿子の番号くらい貰っておくべきだった。

時間はもうすぐ七時を回る頃だった。寝ては居ないと思うが、返信をしてくれるのだろうか?

しかし電話で明日は何時もの道を通らないで学校に行くようにと指示すればいいのだろうか?

頑固な燿子相手にはそれすらも逆効果のような気がする。

気がつくと何か逃げ道を塞がれて居るような気がして来た。まるで自分は燿子を死に追いやるためにわざわざ喧嘩をしてしまったのではないか?

まさかと思いながらも、気がついたら外に飛び出していた。

「あら憲剛出掛けるの?」

仕事帰りの母が玄関から入ってきた。

うんちょっとと走り出す憲剛を何気なく見送った。

何か何時も動じない子が酷く動揺しているように見えた。

事実憲剛はなにか焦るモノを感じていた、何か自分が取り返しの付かないことをしてしまって居るのではと。

「何処だろう?」

思い付く位置まで来て憲剛は燿子の家を探す。住宅街の方は始めてくるので、土地勘のない憲剛は道に迷ってしまう。インターネットで見た地図と自分が今立っている位置が分からない。

「未来視ちゃん?」

「はい?」

隣にはいつものように未来視が唐突に現れた。

「高見さんの家の場所覚えている?」

「はい」

「案内してくれる?」

「こっちです」

燿子を止めるということを挑戦のように言われたので未来視は場所を教えてくれないのかと思ったら、意外とあっさりと教えてくれた。

いったいこの女の子は何を考えているんだろう?

「此処です」

連れて来て貰った家は、緑の生け垣に囲まれていた。一角を占める大きな家だった。街灯が付いて、遠目に家の庭に当たる部屋からは明かりが漏れていた。

「どうするんですか?」

塀に隣接する門の前で憲剛に未来視が声を掛ける。

「取りあえず会って話をしよう」

相変わらず会ってから何を話すかは考えて居なかったが、伝えないことには何も始まらないと思った。

「会えませんよ」

なんでと聞こうとおもったら声を掛けられた。

「なんだ君は?」

大きな体をしたスーツ姿の男に声を掛けられた。

門と憲剛の間に割って入ろうとする。

「何かようかな?」

「あの高見さんに、高見燿子さんに用事が」

「娘に何か?」

どうやら燿子の父親らしい。がっしりとした体格からは似てもにつかないが、ビシッとしたスーツ姿が同じような育ちの良さを感じさせる。

「こんな時間に急に来てまで済まさなければいけない用事かね?」

どうやら憲剛には行為ではなく敵意の方が勝っていた。

「いや、その・・・・・・」

「だったら帰りなさい。今日は久しぶりに家族全員で食事なんだ」

言外にはだから邪魔をするなと釘を刺す言葉が含まれていた。威圧された憲剛は後ずらりながらもその場から立ち去ることは出来なかった。

「あの高見さんは家に居るんですか?」

「それがどうかしたのか?」

「僕は同じ学校に通っている谷口憲剛なんですけど、明日の朝迎えに来るって伝えて頂けますか?」

「迎えに来るって、君?」

「お願いします」

深々と頭を下げて、憲剛はその場を退去した。

なんなんだと燿子の父親がその話を取り合わなかった事を知らないで。

「お帰りなさい」

「ただいま」

「燿子は?」

燿子の母が出迎えると、少し困った顔をした。

「それがえらくふさぎ込んでて、電話って言っても部屋からでないの」

そうかと父親が二階の燿子の部屋に上がろうとするのを母親は制止する、そっとしておきましょうと。

年頃の娘を持つ親が取る優しい行動だった、別にとやかく言うほどの事ではない。

この段階では。

「まったく会うのにこんなに大変なんてな」

帰り道歩きながら憲剛は思案する。取りあえず朝行動の制限は出来たかと思う。

が確信はなかった。

まるで邪魔するように父親に呼び止められたり、何か見えない力が燿子を助けるのを全力で邪魔しているようだった。

「あっ・・・・・・」

憲剛は暗い道で辺りを見渡す。

目の前の暗がりの中未来視が現れる。

「未来視ちゃんは当然知ってたんだ、僕が高見さんに会えないって事」

「はい、まだ憲剛さんは私の見た未来から抜け出せていないんです」

とすると今までの自分の行為は全て無駄だったのだろうか?

「僕は一体どうすれば高見さんを助けられるんだ!」

始めて憲剛は声を荒げた。

誰もいない道路とはいえ、町中で突然叫んだ。

未来視は何も答えないで居た。

未来を変えるにはどうすればいい?

と未来を見てきた女の子に言っても仕方がないことだった。

「憲剛さんもう本当に未来を変えたいですか?」

小さな女の子は下を向く憲剛の前に立つ。

「私は見ているだけの存在なんです、本来はこの世界にどんな事もしてはいけない」

「じゃあ何で僕の目の前に?」

「分かりません・・・・・・ただ憲剛さんと耀子さんを見ていたら気が付いたら私は貴方の前に居たんです。まるで見えないものを近くで見ようとするように」

「僕は普通の男だ、高見さんは美人でお金持ちだけど、それだって君に比べたら普通だ」

どんなにお金持ちでも、どんなに美人でも未来を予見する事なんて出来ない。

「一つだけ考えられる理屈があります」

浮いたまま、未来視ちゃんは嬉しそうに指を立てた。

「未来に逆らう力が働いたのかもしれません」

「未来に逆らう?」

「はい、可能性の出現です」

手を叩いて未来視は空を飛ぶのをやめて床に正座する。憲剛と未来視はまるで密談のようにお互いの顔を近づけた。

「可能性って出現するものなの?そんなもの何処にもあるじゃないか?」

「そうでしょうか? さっきみたいに決められた事は当たり前のように人間の行動を制限します」

確かに知っていても、燿子に会えないと言う事実は変えられなかった。

「けど観測者である私を見つけてしまった所で新しい可能性は発生したんです」

「どういうこと?」

「つまり惹き付けられた私を見つけてしまった憲剛さんが、新しい未来を呼ぶ可能性を発生させています」

「ごめんやっぱり意味が分からないんだけど?」

「つまりですね。観測者の私を見つけてこの世界に取り込んでしまったのは理由はどうあれ憲剛さんなんですよ。どういう力が私を引き込んだのか分からないですけど、私が今こうやってこういう形で憲剛さんとお話できるのも憲剛さんのせいなんです」

未来視は自分がここにいるのは憲剛のせいだと言った。にわかに憲剛は信じられない。

「僕の何が?」

「さあ、けど私は此処に居ます。この世界の未来を見る事ができます」

「未来を変えられるの?」

「そうです、私が新しい未来を見る事が出来ればそれが新しい未来になります」

「だったら直ぐやろう」

遂に問題の解決策が現れた。憲剛が縋るように未来視の手を取る。

「ただどうなるか分からないんです。憲剛さんが決められた未来に抵抗した結果どういう未来が訪れるかは見てみないと分かりません」

それが未来視が憲剛に未来を変える方法を躊躇していた理由だった。

「けど、新しい未来を見ないと何も変わらないんだろう?」

憲剛は始めて脅えた未来視を見た。そう彼女にとって新しく未来を構築するのは始めてだった。

未来視は流れる時間の流れだけを見ている。

そこに現れる結果は結果でしかない。

当事者ではないので歴史というモノにたいして疑問を抱く事がないからだ。

今、始めて自分が歴史の当事者になろうとしていた。自分を見つけた谷口憲剛の為に。

「分かりました。それじゃあ再構築してみましょう」

未来視ちゃんは憲剛の手を強く握った。震えているように思ったが、どうやら震えているのは憲剛自信だった。

「憲剛さんは本当に耀子さんを助けに行きますか?」

「行くよ必ず」

「では・・・・・・」

目を閉じて神妙な面持ちで未来視は憲剛の瞳を覗き込んだ、再び赤い目で魅入られる。何か頭の中を探られているような感覚。

「何をしてるの?」

「憲剛さんが「観測者」である私「未来視」と接触した可能性が動かす新しい未来を確定します」

未来視が憲剛が観測者である未来視からえた助言により動き始めた新しい未来。新しく起こす自称を未来視は予測し確定させる。

音もなく、静かに時間は進む。

漫画や映画のように光溢れるエフェクトを期待したわけではないが、淡々と事は進んでいるようだった。

「どうなの?」

覗き込んだ赤い目が何処か揺れているように見える。

「見ました」

「どうなの、僕がその現場に行けば助かるの?」

「ハイ、耀子さんは助かります」

何時ものようにハキハキと応えた未来視だが、何か憲剛には無理をしているようにも見えた。表情がいつも以上に硬い。

「けど・・・・・・」

この時初めて未来視は見てきたものを語ることを躊躇した。

「けど?」

「不思議です、今始めて「楽しくない」って思ってます。何か、来て欲しくないって、目を閉じたい気持ちになりました」

「どうしたの? 何を見たの?」

「私は憲剛さんを見たくてこんな「事象」に降りてきたんです。だから・・・・・・」

「未来視ちゃん?」

未来視の肩を付かむ、頬に涙が流れる。

「何だろうコレ?」

「涙だよ。悲しいときに出る・・・・・・」

「ああ、そうなんですか」

コレが悲しいという感情なのかと、未来視は顔をしゃくり上げていた。未来視は今までの澄ました顔と全く違う、ぐしゃぐしゃの顔。どうにも上手く湧き上がる感情をコントロールできていない。なぜなら彼女に起こった初めての湧き上がる不安なのだ。

「何が起きるの?僕が高見さんを助けに行くと」

「憲剛さんが、憲剛さんで居られなくなります」

頭を下げて、憲剛はつぶやく。

「それってつまり僕が・・・・・・死ぬ?」

未来視は返事をしなかった。

気がついたら憲剛は未来視を抱きしめる。

「そうか、それが新しい未来」

憲剛は死を宣告されても落ち着いている自分に驚いた。

「止めましょう憲剛さん」

「未来視ちゃん?」

小さな女の子はギュッと憲剛を抱きしめる。

「もう一度頭の中で考え直してください。燿子さんを助けに行かないって!」

今までの冷静な口調が嘘のように、駄々を捏ねる子供のようだった。

「未来をもう一度変えましょう」

憲剛はそのまま未来視を抱き上げた。軽い身体はふわっと簡単に浮いた。それでもこの子が無慈悲で冷徹な機械では無いことは直ぐに分かった。

自分の確定された未来を嘆いてくれている。

「未来視ちゃん、駄目だよ出来ない」

「どうして?」

「もう考えられないんだ」

家まで足は自然と動いた、正直部屋に入るまでどうやって入ったかは覚えていない。ただ、壊れた筈の憲剛の足が意志とは別に部屋まで運んでくれたようだった。




二人は夢を見ていた。

その内の一人、高見耀子は学校に居る夢を見ていた。

友達に誘われて部活動見学が終わった後、すっかり暗くなった校庭で男の子が一人で立っていた。

何だろうと見ていると足元にはサッカーボールが一つだけ置いてあった。男の子はゴールを見ながらずっと立っていた。

蹴るつもりでボールを置いたのではないだろうか?

男の子はボールを結局蹴らなかった。突然あきらめたようにボールを手で拾って帰って行った。

次の日もなんだか気になって、校庭でボールを蹴らなかった男の子を捜した。その男の子はサッカー部でなにやら楽しそうにボールを拾ったり用具を出したりしていた。サッカー部なのに結局一回もボールは蹴らない。

その次の日も最後一人だけになってまたゴール前にボールを置いて考え込んでいた。

次の日も、その次の日も同じような事を繰り返していた。耀子も同じように最後まで見ていた。

家に帰っても、次の日学校へ来ても想い出すのはあのゴール前に立っている男の子の事だった。

楽しそうでも、悲しそうでも辛そうでもなく、ただボールを置いて立ち止まっているその姿が脳裏に焼き付いていった日々の事。

分からなくって、気になって、どうしようもなくなって、友達に相談した。

「それはあんた恋だよ」

笑いながら押井慶子は肩を叩いてくれた。

それから直ぐに谷口憲剛に告白した。

なんでこんな恥ずかしいことをまた夢で追想しなければいけないのかと憤慨した。あんなに一人で思い詰めている自分を見ているのは辛い。告白したときの自分の顔も憲剛の顔もぜんぜん覚えていない。

夢で出てきた自分と憲剛の顔、顔を真っ赤にして、目をつぶってしまっている自分と呆気に取られる憲剛。

なんで私は目を伏せているんだろう、ああそうか怖かったんだ。他人の視点から見ると簡単に分かる事も、あの時の恋に落ちた瞬間から押し出される感情の正体が恐怖心だったことに改めて気が付くとなんて自分勝手なことだろうと想う。

夢で見た自分の告白シーン。相手の憲剛の困った顔をみてなんだか申し訳なかった。

憲剛の困った顔を見ると胸が痛む。困らせるために好きになったわけではないから。

じゃあ何で好きになったんだろう?

思い出すのはゴール前の憲剛の姿、何時も一人で立っていた。

そうか私は知りたかった。何を考えて一人で立っていたのかをだ。じゃあ付き合っている今、何であのゴール前の理由を聞かないのか?

ああまただ、怖くて目を開けられない自分がいる。

だからこの夢は覚めないのだと、また怖くなった耀子は暗い森に迷い込んだように道もない場所で迷っていた。


もう一人夢を見ているのは谷口憲剛だった。

夢の内容は何時もの場所。

中学校最後の試合のPKの場面。今日は何時もより近い場所に立っていた。

声だけじゃなく肩に手が置けるくらい近い距離。

ゴールのほうを見れば何時もの相手だ、顔がぼやけて見えるのはもう忘れかかっているからだろうか?

相変わらず緊張した面持ちでボールを見ている自分が居る。

「此処は何処ですか?」

気が付くと隣りには未来視が居た。

何時もと変わらない奇妙な帽子とマント姿。

「僕の夢の中だよ」

冷静に応えると、未来視はそれだけで納得したみたいだった。夢の中だし細かい事は抜きだ。

「憲剛さん、このPKを外すんですよね」

「ああそうだよ」

「教えてあげたらどうですか?」

「えっ?」

「このままPKを蹴ったら外すって教えてあげればどうですか?」

今まで考えたことも無かった。そうだ、せっかく声が掛けられる距離に居るのだから注意しよう。

このままお前が蹴っても外すよ。誰か他の人間に代わってもらえれば、少なくとも自分ひとりで抱え込む事は無くなる。

そこまで考えて目の前の自分、中学生のまだ挫折を知らない自分に声をかけようと手を出した。

邪魔をするなと直ぐに鋭い眼光が返ってくる。

二年前の自分は幼く見える。けど眼光は自分のものとは想えない。動物のような純粋な目をしていた。

まるでそんな事は分かっていると言う威圧感で夢を見ている憲剛に訴えた。

「外すよ」

「それでも蹴りたい」

一言ずつ交わした後、中学生の憲剛は躊躇なく足を振りぬいた。ボールはそのままゴールに別れを告げて宙を舞う、絵画のように何時もと変わらない絵を大空に描いた。

事実は変わらない。未来を知っていても失敗してしまう。この時憲剛は始めて気が付いた。未来視の言う未来の意味を。

彼女は本当に未来を見てきたのだ。この試合のスコアを知っているのだ。PK失敗と言う事実を。どんな過程を隔てても変わらない事実を。

「蹴っちゃいましたね」

「僕は馬鹿だ」

「何でですか?」

「同じ失敗をずっと繰り返している。なんども失敗する」

「楽しいんですか?」

不思議そうに未来視は自嘲気味に笑った憲剛を見上げる。

「辛いなあやっぱり」

「それではあの憲剛さんも辛いのですね?」

未来視が目の前のPKを失敗した中学生の憲剛を指差す。

笑っている。

中学生の自分が同じように笑っていた。

初めて同じ内容の夢が変わっていた。それは自分の一言が及ぼした影響。未来は変わっていないかも知れないけど、確実に目の前の自分は納得して芝生に寝転んでいた。











■ 明日



「朝七時・・・・・・」

目覚まし時計を見て、もう一度布団に入り込んだ。

そして、冗談じゃないと憲剛は起き上がった。

「おはよう」

「なんで俺寝てるの!?」

挨拶もしないで慌てている憲剛を見て母親は困惑する。

「だって呼んでも返事しないから、部屋に行ったら床で寝てるから布団かけたんだけど?」

母親は親切で憲剛をほおっておいたんだろうが、耀子を助けるのに必要な時間を大幅に失った。

耀子の家まで何とか走りきれば追いつく筈だ。憲剛の家のほうが学校に近い、耀子の家は隣の駅の住宅街の中にある。

「急がないと?」

「ちょっと、朝ごはんは?」

「要らない」

制服を着たまま寝てしまったので、都合が良いと憲剛はそのまま飛び出した。

何とか耀子を事故が起きる交差点まで行かないように引き止めないと。

この時の憲剛は全く余裕が無かった。電話するとか色々な方法があったはずだし、未来視のいうとおり高見耀子を助けに行って、自分が死んでしまうのなら、育ててくれた親とも最後の別れになるはずだ。

しかし憲剛にとってはどうでもいいことだった。

ともかく早く耀子に会うことが大事だと。

何か膝が痛むような気がしたが、気にもしなかった。

何時以来だろうこんなに足を一生懸命動かすのは?

荒くなる息が何かを思い出させる。なんだろう?

憲剛は久しぶりだったので思い出せないでいた。何かに夢中になることに。


夢から覚めれば当然普通の日々が始まる。

両親は何も言わず朝食だけ作って置いてくれて先に出掛けたようだ。学校から帰って直ぐにぐっすりと寝てしまったので、意識は明朗だ。

後は身支度を整えて外に出れば、後は学校に行くだけだ。学校に行けばそこからはまた家に帰る。

別にそんな生活に不満は無いし、それ以上の充実を手に入れたいという欲も無かった。

ただ不思議なのは谷口憲剛に対する自分、生まれて初めてのどうしようもない状態。

たぶん望めばある程度全て手に入れてきた自分にとって、初めて手に入れられないものにヤキモキしているのかも知れない。

憲剛の何を手に入れたいのかは自分でも良く分からない。ただあのどうしても人に踏み入られたくない部分を持っている憲剛は初めて見るタイプなのかも知れない。あの人はきっと誰にも手に入らないものを欲しがっている。そんな気がする。

朝から憲剛の事を考えている自分に擁子は憂鬱になった。昨日も喧嘩したのに、電話一つよこさない男の事を。

憲剛はきっと自分の事を一番に考えてくれないのだろう、あの人にはもっと大事なものがある。それがサッカーなのだろうか、あの小さな女の子と盛り上がってる姿を思い出す。

あんなに熱心に喋っている所を始めて見た。自分と喋っている時にあんなに輝いた目は見たことが無い。

そうだ、自分と喋っているときは何時も遠い目をしている。あの、校庭に一人で立っているときと同じ目。

朝日の下、そんな事に気が付くと擁子は泣きそうになった。

何なのだろう、朝から嫌になる。

燿子は立ち止まって足を踏ん張る。

嫌だ、本当に嫌だ、憲剛の踏み込んではいけない所に踏み込もうとする自分が嫌らしいと想うと恥ずかしくなった。

綺麗な擁子はそれが人の大事なエゴだということも許せなかった、そんな嫌な事実に目を閉じて、不貞寝する事も出来ずに泣きながら学校へ行くはめになってもだ。真直ぐな彼女が裏道とか回り道とかは見えない。

いつものように街の中を歩いて電車に乗って学校へ行く。古い商店街もあるこの街は父親の生まれ故郷だ。母親はもっと山ノ手の方に引っ越したかったようだが、父がどうしても地元に家を建てたいとゆずら無かった。

古い道路も多いが、最近抜け道として小さなトラックが町中を走っていく。

そんな狭い街を朝、憂鬱な気持ちで燿子は歩く。


「高見さん?」

家の呼び鈴を鳴らしても誰もでなかった。時計を見る、時間は確実に進んでいる。

やっぱり何か邪魔をしてるのだろうか、伝言は燿子に伝わっていないようだった。

交差点までは道一本だ、早く追いつかないと行けない。

「憲剛さん行くんですか?」

「未来視ちゃん」

「なんでそこまで?」

「後悔したくない」

「それだけのために居なくなるんですか?」

「うん、他に方法がないなら」

「なんで?」

憲剛は思い出した。

夢で満足した自分の姿。結果が分かっていても、やり遂げた迷わない自分を。

「君が来てくれなければ僕は酷い人生を送ったかも知れない。初めてのデートで中途半端に相手して、喧嘩した後はデートをやり直す事もなく、永遠に高見さんに何もしてやれなくなる。そんなのは嫌だ。」

だから自分が死ななければ行けないことに納得なんか出来なかった。出来るわけがない。

けど足は動いた。

高見燿子を助けようと、大分前に壊れた筈の右足は動いた。

足は前に進む、一歩一歩道路を踏みつける。

直ぐに細い肩が見えた、真っ直ぐ立って歩いている。

「高見さん!」

「へっ?」

間抜けな声を出した後で燿子が振り返ると必死に憲剛が走って来た。

「先輩」

「よかった会えて、家に行ったら居ないから」

ずっと走ってきたのだろうか、息も荒く辛そうだった。

擁子は踏ん張った足が柔らかくなるのを感じた、直ぐにでも飛び付きたいくらいだった。

憲剛が自分から会いに来てくれたことが嬉しくてしょうがなかった。

しかし、気持ちとは裏腹に燿子は走り始めた。

憲剛が怖かった。

会ってどう話せばいいのか分からない。昨日はごめんなさいと素直に謝れる自信がない。

自分の醜い部分を見せつけられてしまう。

「高見さん待って!?」

なんとか停めようと憲剛は走り出す。

痛い、久しぶりに無理をしたのか膝が痛くなり始めた。

あの練習中の嫌な思い出がよみがえる、何かが終わった音のようにブツという音が。

自分のサッカー選手としての命を終わらせた音。

たぶんもう時間は無い。

だから今は諦めなかった、足が痛くても耀子に追いつかなければいけない。

「まって高見さん」

「何しに来たんですか?」

「会わなきゃ行けないって」

少し耀子の歩くスピードがゆっくりとなる。

「僕の話を聞いて欲しいんだ」

「私は聞きたくありません」

嘘だ、本当は話を聞きたくてしょうがないのに、動き出した足は止まらない。

「ごめん、なんか君を僕はとうざけようとしてた」

また耀子の歩くスピードは上がった、怖くなったのだ。憲剛は今、本当の事を喋ろうとしていたから。

今までそれを聞きたくて告白までしたのに、体は怖がってしまう。

振り返るのも怖かった。

「君みたいな綺麗な子がなんで僕なんかにって、何時も昔のことばっかり考えている後ろ向きな自分には会わないって」

逃げる耀子と追いかける憲剛。朝の追想劇に道行く人々はチラリ、チラリと気にし始めた。

二人はそんな事は気にせずに歩き続ける、終わりの交差点に向けて。

「けど僕は逃げちゃいけなかった」

二人とも下を向いて歩く、前を歩く擁子は半ベソ、後ろを歩く憲剛は辛そうに。

「せっかく見てくれた人に何も返さなかったら、僕は何時までも一人だ」

どんなに一人で結果を眺めてもそれでは殻を突き破れない。痛みや悲しみも喜びも全部一人のものだけど、それは誰かと分かちあえなければただの結果だ。

だから憲剛は自分を見て怒って、悲しんで、笑ってくれた子を死なせたくない。

そう想った時、自分の事は本当に考えていなかった。

目の前の交差点に未来視は立っていた、無視するように耀子は足早に通り過ぎようとする。

その交差点には右後方の路地からスピードを出してトラックが走り出していた。もしも何時もの耀子ならミラーに移るトラックに気が付いたかもしれない、少し立ち止まってから交差点を渡ったかもしれない。

今の耀子は憲剛に反発して進み、飛び出すように交差点へ。

「ダメです!」

突然現れた未来視が耀子のスカートを引っ張った。

「なに?」

さっき通り過ぎたはずの未来視が、耀子を捕まえるが勢いは停められない。

そこへ引きつった運転手の顔が良く見えるくらいトラックが進んで来ていた。

刹那に憲剛の手が伸びて、耀子の手を握る、細くて想った以上に柔らかい手。力強く握り締めてそのまま引っ張ってワルツを踊るように回った、子供のときのお遊戯のように手と手を軸にくるりと一回転。

憲剛は燿子と離れたくなかった。燿子も憲剛と離れたくなかった。全く持ってるモノ、歩んできた軌跡が違う二人がこの時互いに引き合い一つになる。

高見さん。

先輩。

声にならない思いを手に込め、二度と離したくないと願う。

耀子の位置が間に立つ未来視の前で憲剛と入れ変わる。位置と立場が意思によって覆された。勝ちか負けか、生と死が表裏一体であるかのごとく簡単にひっくり返った。

憲剛の視界にトラックのフロントが全面に広がった。


「ここは?」

自分が何処に居るのか憲剛には分からない。なにか周りがガスの様なものに覆われている。

「憲剛さん」

声が聞こえた、赤い点、それが未来視だと直ぐに気が付いた。

「此処は?」

「可能性の世界です」

回りを見渡しても人は一人も居ないし、何か人工物の様なものは一つも無かった。感覚としては空を飛んでいるような気持ち。憲剛は空も飛んだことが無いので同じか分からないが、なんだか地に足が着かない感じはこんなに楽しいものかと想い足元を見る。

直ぐに自分の足が見つからない、自分の体が見えない。

「無い、身体が無い」

「此処では身体は無いんです、憲剛さんの知覚をこの世界に合せているので。私が憲剛さんとお話するために人の形をしたように、憲剛さんに私の世界を見て欲しくってこの場所につれてきました」

未来視の言葉を聞いて憲剛は自分の死を悟った。此処は天国なのだろうか?

「天国では無いですね。今ここで人の言葉を使えるのは私と憲剛さんだけです」

「他の人は?」

スッと赤い光が横切ると、何か似たような青い光の粒が沢山点滅する。よく見ると凄い数だ、林間学校で見た山の夜空よりも沢山の全方位に眩い光が広がる。

「この一つ一つが一人の人間の命だと思ってもらって構いません」

星ひとつはよく見れば複数の点で出来ている。沢山の星が集まって一つの明かりを作っている。

「消えたり、点灯したり忙しそうだ」

「それが世界の可能性なんです」

未来視が手を引く。不思議な感じだ、もうこの世界では憲剛には身体が無いのに、公園で手を引かれた時の事を思い出す。

ついて行くと二つの小さな光、一つは全く点滅していない弱々しい光、もう一つは七色の激しい点滅を繰り返していた。

「これは?」

「憲剛さんと耀子さんの光です」

するとこの消え入りそうな光が自分で、この七色に輝くのが高見耀子だろう。

高見耀子の光は一瞬たりとも同じ色をしなかった、激しく点滅を繰り返し続ける。一方自分の光は徐々に輝きを失おうとしていた。

「高見さんの光は明るいな」

それに比べて自分の薄暗い光はやっぱり吊りあわないなあと口が無いのに苦笑した。

「でも憲剛さん、ホンのちょっと前までこの高見さんの光はこんなに輝くことは無かったんですよ。ほんの少し前までこの二つの星は全く違う場所で回っていたんです、まるで関係なく」

周りでは幾選もの星達が動いていた。いくつかは衝突して大きな光になったり、小さく砕け散ったり、様々に形を変える。

「ところがある時偶然にこの明るい星は自らの光を隠して暗闇に沈んで居る星を見つけた。どうして貴方は綺麗な星なのに光を出さないの? そんな風に自分で必死にシグナルを暗い星へ出し続けたんです。けど暗い星はその光を見ているとどんどん暗くなってしまう。まるで怖がっているみたいに」

「もともと暗い星だったから」

「いえ、この可能性の世界ではどんな星にもなれるんです。それはああいう風に相手の光を奪ったりも出来ます」

小さな星が無謀に大きな星へと衝突した、瞬間に星は二つに割れて、大きな星は小さく、小さな星は大きくなった。

「つまり暗い星は自ら輝くことを止めたんです」

「寂しいね」

「はい今だったら「寂しい」と言う気持ちが分かります。私はきっとそれが知りたかったんです」

気が付くと未来視は何時もの姿、不思議な格好をした女の子の姿で宙を浮いていた。

小さな手がそっと暗い星へと近づく、手で高見耀子の光や他の星の光が遮られた。

未来視の手元で青い小さな光が揺らいでいた。

「小さいなあ」

「けど私が最初に見つけた光はこの光だったんです、小さいけど此処にあるどの星よりも静かに光る尊い灯だと想いませんか?」

「そうかな?」

「ほらみんな惹かれていますよ、この綺麗な青い光に」

気が付くと彼女の周りには沢山の星が回り始めていた、高見耀子の光、他の光も沢山輝いていた。

「今にも消えそうだ」

「けど優しい光です、他の光を打ち消すわけでもなく大事に相手の事を見守っている。私この光を消したくないんです。初めてですこんな気持ちになったのは」

微笑みながら未来視は大きな光を手元に呼び寄せる、高見耀子の光だ。

「どうするの?」

「ここは可能性の世界です、星と星が結ばれて次の事象を引き起こす可能性の世界。私が未来を予見できたのも今この状態の星の位置を見定めて、次の位置を予想していただけです」

「つまり星占いをしてたって事?」

「そう想っていただいて構いません。ただ占星術ではこういうことは出来ないでしょ?」

手元に憲剛の青い星と耀子の大きな光を手繰り寄せる。

二つの光は導かれたように未来視の手元で回転し始めた、最初はお互いを確認するように等距離で回り始めた。

スピードを上げたり下げたり、距離が遠くなったと想ったらその反動で急激に狭まった後、また一定の距離。

じれったくも有るが、段々と距離は狭まって、明るい大きな光と青い光が混ざり合う。

瞬間、周りの星を圧倒する白い光が溢れた。

「これで新たな可能性が生まれました」

「未来視ちゃん、君は?」

赤い瞳が白い光に飲み込まれる、今までどんなことがあっても消えない赤い瞳が消えようとしていた。

「こんな時も人の心配ですか? 変な人」

新しい可能性を生むために、未来視は見ることを止めたのだ。未来視が見てしまったら、その未来は確定される。だから、新しい可能性にかけるのだ。目を静かに瞑り、死んだように眠につく。

「どうしてみんな次に何が起こるのかわかっているのに、大きくなったり、小さくなったり、光ったりすることに真剣になれるんだろうって前からずっと不思議だったんです。憲剛さんを見ていてやっとその理由が分かりました。一つ一つの小さなことが大事なんだって」

「そんなのきっと後ろめたいだけだよ」

「一つだけのような気がします、一つの星が出来ることって」

沢山の星が消えていったことを未来視は思い出す。

「だから一つのことに真剣に向き合った憲剛さんは偉い、それは間違いないですよね」

「未来視ちゃん、僕は・・・・・・」

白い光は大きく世界を染めていく。星々全て飲み込んで、まるで何も無かったようにしてしまった。

必死で憲剛は無い手を伸ばした。

何かを掴んだところで視界が広がるのは新しい世界。



「此処は?」

白い世界、だがところどころ染みや空調口が見える。

「高見さん?」

手の感触は耀子のものだった。

憲剛の手を握ったまま、祈る様にベットに横になっていた。

「気が付いたんですね」

気が付いた憲剛を見て、耀子は幾分冷静に対処した。

「すみません、気が付きました」

ベットの脇に居た看護婦に声を掛ける。

「良かった。じゃあ話しかけてくれる? 意識をハッキリさせたいから」

「はい」

耀子が返事をすると看護婦は別の用事があるのか部屋から出て行った。

「此処は?」

もう一度尋ねると、耀子は赤く目を腫らした顔を近づける。

「病院です、先輩が気を失って運ばれたんですよ。それからずっと此処で寝て・・・・・もうお昼過ぎちゃいました」

「気を失う?」

「トラックが交差点から飛び出してきたとき、私を引っ張って助けてくれたの覚えています?」

「ああ、それで入れ代わるように僕はトラックにぶつかって・・・・・・」

そのわりには身体に怪我らしい怪我は無かった。

「危なかったんですよ、あと少しでもタイミングがずれたら轢かれてたって。ちょうど飛び上がるみたいにトラックに当たったから、足を踏ん張ってぶつかってたら重態だったって・・・・・・バンって凄い音がして・・・・・・」

言いながら耀子の手は震えていた。 たぶん事故のときの事を思い出したのだろう。視界から憲剛が消えて、トラックに飛ばされたところを。

あの瞬間、自分が死ぬはずだった瞬間。

なにかの力がホンの少しだけ何かを動かした。そのせいで憲剛は傷一つ無く、頭を打っただけで済んだ。

「高見さんは怪我しなかった、大丈夫?」

震える手を握り締める。反応したのは耀子の瞳だった。

「何で私なんかの事を心配してるんですか・・・・・・」

「いや、その」

「先輩の方が危ない目にあってるんですよ、こんな時まで他人の心配なんかしないでください」

「ごめん・・・・・・って謝ると怒るんだよね高見さんは」

手を取りながら泣き始めた女の子を見る。

自分が命を懸けて助けた女の子。そこには誇らしい感情は湧き上がらなかった、それよりも目の前で泣かれてしまって困る。

「高見さん、本当に怪我はない?」

燿子が大きく頷いたのを見て憲剛はやっと安心した。喜び、悲しみとかの判別が付かないほど、燿子は顔をグシャグシャにしながら憲剛を見ていた。

だれも見たことのない表情、それは親すらも見たことのない、素の燿子の表情。

自分の決心のお陰でこの子を守れたと思うと憲剛は隙間を埋められたようだった。

もう、小さな事は気にならない。

「あのさちょっと恥ずかしいんだけど、聞いてくれる?」

お互い少し顔を近づける。

「僕はずっと自分がツマラナイもう終わった人間だって思ってたんだ。たぶん世界で一番自分が嫌いだった」

だから他人の心配をする。自分のことが一番どうでもいいからだ。たぶんサッカーも出来ない自分が一番嫌いなんだ。失敗して挫折している自分が嫌いだった。他人のせいに出来なければ自分を責めるしかない。

「そんな僕をね、君は好きだって言ってくれた。だから正直意味が分からなかったんだ告白されたとき」

あの時の憲剛の困惑した表情の理由は価値観の相違だった。

「だからそのうち君は僕のツマラナサに気が付いて、きっと何もなかったみたいに元に戻ると思った」

悪戯を思いついたように語る憲剛。憑き物が落ちたように表情は明るい。

「けど違うよね、何もなかった事には誰も出来ない。僕がサッカーやっていた事も、高見さんをこうやって何度も怒らせたり泣かせたりしていることも。未来の自分は死ぬって分かっていても、じゃあ何もやらないって分けにはやっぱり行かないな」

「先輩?」

「大丈夫、頭は打っておかしくなった訳じゃないよ。たぶん今までで一番頭がスッキリしてる」

何時の頃からか、そうだあのPKを失敗した時からだ、頭には何時も靄が掛かっていた。後悔をしているのは分かっていたが、それを振り払う機会を二度と得ぬままに終わったサッカーが自分をやり直す、見つめなおす時間を失った。

「やっと今日蹴りがつけられた、サッカー出来ない足でも大事な人は助けられるんだって思うとこれから先は結構楽しみになって来たかな?」

そこまで喋って憲剛は異変に気が付いた。

また耀子は黙って話を聞いている。昨日、一昨日のパターンに当てはめればあまり良い兆候ではない。耀子の直情的な性格を考えればまた自分だけ納得しているのは怒られる。

「あっだからその、高見さん・・・・・・」

此処でまた謝ったら怒れると思って憲剛は言葉を捜した。

「また、観覧車乗りに行こう」

もう一度やり直すのならあそこからがいい。

「今度は二人で」

もう憲剛に後ろめたさは無かった。自分に付き合ってくれる、寄り添ってくれるこの子に自分の出来ることを何でもしてあげようと思った。

なぜならもう一人の自分を見届けてくれた女の子は居ないのだから。

もう未来視は居ない。自分を見てくれたもう一人の女の子。

「私も連れて行ってください」

突然聞いた事のある声、聞き間違えるはずはない。

「未来視ちゃん?」

ベットの周りを見渡しても誰も居ない。

「何処?」

「此処です」

帽子を脱いで未来視はベットの下から現れた。大きな帽子、白い外套の女の子。

「もう見るの止めたんじゃ・・・・・・」

「えへへ、そのつもりだったんですけど、なにか元に戻れなくなっちゃったみたいで・・・・・・」

大きな帽子で顔を隠しながら、恥ずかしそうに未来視ちゃんは話しかける。

「その可能性をいじって観測者であることを辞めたら「可能性の世界」に居られなくなっちゃたみたいで」

「えっどういうこと?」

「つまりですね、どうやら私もこの世界の可能性の一部に組み込まれてしまったみたいなんです」

「それってつまり・・・・・・僕らと同じって事?」

「ハイ! あっけど現在の状態測定は出来ますから、未来予測は出来ます、けど憲剛さんに関わる未来はまだ不透明みたいですよ」

それは良いことなのか悪いことなのか? 未来視の未来予見の力は使いようによっては確かに有意義かも知れないが、自分の身には災厄しかもたらしていないので憲剛は手放しには喜べなかった。

「何か嬉しそうだね、未来視ちゃん」

「ハイ、だってまだ憲剛さんたちの事見られるなんてドキドキしますよ」

あまりいい事ではないなあと思う。

「まだ見たいのこの世界を?」

未来視の赤い目を見ていると好奇心が失われていないのは直ぐに分かった。

「分からないですから!」

この子に未来が分かっていても、結果よりも過程の方が楽しいって教えたのは憲剛だった。責任は取らなければ行けないのか。

不思議なんて慣れてしまえば案外簡単に納得できるものだなあと憲剛が笑うと、隣に立つ未来視も笑う、会ったときに比べれば嘘くさい感じは払拭されていた。

「じゃあ人が沢山来ますから、私は一旦隠れますね」

「何?」

「耀子さんを支えたほうが良いですよ」

まずいと憲剛は上体を跳ね起こして耀子の方へ。

「高見さん、ごめん高見さんの事を無視した分けじゃなくて・・・・・・」

突然立ち上がろうとした高見耀子はそのままベットに倒れこんでしまった。目を回しているのか、ちょっとうなされていた。

「高見さん?」

肩を揺すっても反応はしなかった。

何かうわ言。

「観覧車・・・・・・二人で・・・・・・」

眉間に寄った皺とゆるんだ口元。嬉しいのか辛いのか分からない顔で唸る。

「なんだ貴様、また破廉恥か!?」

「お、なんか楽しそうだなあ」

開けっ放しの病室の扉からサッカー部の坂本一成と棚田浩二が顔を出した。

「ちょっと耀子どうしたの?」

押井慶子が後ろから入ってきて、耀子に寄り添う。

「あんた、また耀子を心配させたのね」

憲剛から耀子を離すと、慶子はキツイ眼差しを送る。

「いや、僕は唯またこんど一緒に観覧車を・・・・・・」

「そんな事言われたらこの子は緊張してまた当日まで夢ばっかり見ちゃうでしょ!」

じゃあどうすれば良かったんだと憲剛は途方にくれる。

「おいずいぶん可愛い子ばっかり知り合いだなあ」

棚田が茶化すが隣りの坂本は余裕がない。

「なんでこういうムッツリなヤツの方がもてるんだ?」

「何よあんた達?」

「こいつのサッカー部の先輩なんだけど・・・・・・」

「先輩!」

ドタドタと後輩や同級生も入って来た。

「先輩、大丈夫ですか?」

「先輩マジ尊敬するっス、彼女のためにトラックに身を投げ出すなんて・・・・・・」

「カッコよすぎます!」

「あんたはカンナバーロか!」

後輩達は一様に興奮して、憲剛の英雄的行為を称えた。

「あちらが彼女さんですか?」

「あ違う学校の人?」

「ちょっと何なのあんた達、耀子が脅えるでしょ?」

慶子が耀子を庇う。

「五月蝿いから部屋から出てきなさいよあんた達!」

「なんだよ俺達は憲剛の為に来てるんだぜ」

「そうだ、こんな個室で女の子と二人っきりになんかさせるわけないだろう!」

先輩コンビがクレームをつけても、慶子は一歩も引かない。

放っておいてベットの裏を覗く憲剛、そこには誰も居なかった。

未来視はどこかでこの光景を楽しそうに見ているのかな、そう思いながら憲剛はベットに身体を投げ出す。

ふと、あのPKの事をまた思い出した。あの時も外した後で芝生に寝転んで空を見ていた。思い出せば色々な人達の声援が聞こえて来た。

そうか、あの時も一人じゃなかった。こんな風に誰かと楽しくやっていた筈なのに。孤独と感じたのは自分で目を閉じたからだ。

本当の世界では現在(今)から、未来から色んな所で自分を見てくれる人が居る。

この狭い部屋に居る人達一人一人が自分を見つけてくれた。あと自分の足下から現れる未来からもだ。

自分は一人でなんかなかった、強い見えない力で世界と繋がっていた。

そんなことを考えながら、賑やかな病室の中で憲剛は満足しながら呟いた。

「一人の時がよかった」

憲剛は少し自分に余裕が出てきたことを自覚した。



END

最近お気に入りの言葉


「・・・・・・・アツイっす・・・」


パー介(大学生)


あとがき


どうもさわだです。

今回のお話のレシピは以下の通りです。


材 料

「ハチミツとクローバー」 ・・・全巻

「ワルツ」スネオヘアー  ・・・一曲

「卒業式」榛野なな恵   ・・・一冊

「ういういdays」     ・・・全巻

「宇宙へのパスポート」  ・・・既刊全部

「OpenSky 展」      ・・・一日

「サッカー批評」     ・・・26冊

「ワールドカップの日本戦」・・・三試合

「えのきどいちろうさんのワールドカップでのポッドキャスト」・・・日本戦後のヤツを中心に


作り方

以上の材料を何度も繰り返し読んだり、見たり、聞いたりしていると自然と湧き上がってくる「何か」が出てきますので、横浜FCのGK菅野孝憲選手の様な神業セービングで捕まえます。

後はパソコンの前に10日程噛り付けば出来上がり!


注意:

繰り返しすぎると本当に飽きてしまいますが、飽きなければそれが恋だと気が付いたりします。

そこまで自分を追い詰めるのがポイント!


では

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― 新着の感想 ―
[一言] フラワー・ガーデン・センチネルに続いて読ませてもらいました。素敵なお話でしたね。最終部のハッピーぶりは、読んでて私までも楽しくさせてくれるものでした。こういう話、大好きです。 少し気になっ…
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