鬼がやってくる日
この村では一年に一度鬼がやってくる。比喩ではなく、文字通り本物の鬼が。それも何十匹もやってくる。どういうわけか節分の日にだけ姿を現すのだ。
彼ら鬼がどこから来たのか、何を目的にしているのか、それは誰にも分からない。対話を試みた者は一人もいないのだ。誰にとっても鬼は恐怖の対象でしかない。
ゆえに取り決めができた。節分の日に外に出てはならないと。
「ママ、怖いよ」
「大丈夫。家の中は安全よ」
頭から布団をかぶり、子供はガタガタと震えている。母親は布団ごと子供をぎゅっと抱きしめ、大丈夫大丈夫と繰り返し呟いた。自分自身にも言い聞かせるように。
『ウーウー』
村中にサイレンの音が鳴り響く。鬼が来た合図だ。
「……」
親子は息を潜める。サイレンの音に、甲高い声が混じっている。鬼たちの声だ。
「マ、ママ」
「しっ。静かに」
母親は人差し指を口に当てる。子供はコクコクと頷いた。
『ケケケケケ!』
鬼たちの声が次第に大きくなる。近くにいる証だ。
「っ……」
緊張の糸が張り詰める。ドクンドクンと鼓動が早くなる。母親は子供を抱きしめる腕に力を入れた。
『……ケケケ』
鬼たちの声が遠ざかる。やがて聞こえなくなった。
「ふー」
張り詰めた緊張の糸が切れ、親子は力なく倒れ込んだ。
「もう大丈夫だよね?」
「多分ね」
顔を寄せ合い、ひそひそ声で話す。親子の不安は明日を迎えるまで消えそうになかった。
「鬼は―外ー!」
自警団鬼対策課のミコトは豆を全力で投げた。
「ケケー」
豆は鬼の口の中に命中する。鬼は何事もなかったかのように向かって来る。
「ひるむな―! 鬼は外ー!」
鬼の群れを追い払うため、鬼対策課の面々は豆を投げ続ける。
「ケケケケケケー」
一発、二発、三発と、豆が鬼の口の中に入る。
「ケケー」
一匹の鬼が帰っていく。
鬼対策課は長年の戦いで、鬼を追い払うためには何をすればいいかを突き止めていた。やるべきことはただ一つ。鬼の口の中に豆をぶちこむこと。一定数の豆をぶちこめば、鬼を追い払うことができるのだ。
「この調子でぶちこめー!」
ミコトは叫び、豆を一気に投げる。数匹の鬼の口にヒット。
「さっすがミコト兄貴、俺っちも頑張るっす」
仲間のサルキチがふんと鼻を鳴らし、鬼の群れに飛び込む。
「ウキー」
俊敏な動きで鬼に近づき、豆を口の中に放り込む。豆を投げるのが苦手なサルキチは持ち前の身体能力を活かし、鬼の口に直接豆を入れるやり方を得意としていた。
「やだやだ。野蛮で美しくないわ」
キジミは地を駆け、空に飛びあがった。鬼の群れを飛び越しながら豆を投げる。豆は放物線を描き、鬼の口へ吸い込まれていく。
「帰りなさい」
何匹かの鬼が帰っていく。
「うおおーん」
イヌスケが吠える。鬼の群れの間を四足歩行で走り抜け、すれ違いざまに豆を投げる。数匹の鬼が立ち去った。
「ミコト兄貴、あと少しっす」
「早く帰って汗を流したいわ」
「わおーん」
残りの鬼が一斉に飛びかかってくる。
「これで最後だ」
ミコトが腕を振る。その一瞬で、残りの鬼全ての口に豆が放り込まれた。
「神速の名は伊達じゃないっすね」
サルキチの目はキラキラと輝いている。
「今年の節分は終わりね」
キジミはけだるげにつぶやいた。
「わおおおおおおん!」
イヌスケが村中に轟くほどの声で吠えた。
「ママ、イヌスケの声だよ」
「ほっ、もう大丈夫みたいね」
親子は安堵の息を漏らした。
「おー、ようやく帰ってきたか。今年はどうだった?」
「うん。いっぱい豆食べたよ」
「そうかそうか。人間は優しいな。豆をたくさん食べさせてくれるなんて」
数十匹の小鬼はケケケと笑う。人間たちは知らない。村にやってくる鬼がただの子供だということを。豆をたらふく食べたいがためにやってきていることを。鬼には恐怖を与えているという自覚がないことを。何も知らないのだった。




