ジェノサイドチョコ
「くっくっく、ようやく完成したぞ。ジェノサイドチョコが」
科学者の男は笑みを浮かべた。苦節三十年、ついに恐怖のチョコが完成したのだ。ありとあらゆる書物を読み漁り、無機物に生命を与える方法を研究し続けた甲斐があったと男は満足げに頷く。
「愛しのジェノサイドチョコよ。世の浮かれたカップル共に鉄槌を与えるのだ」
小中高の九年間、一度もバレンタインチョコを貰えなかった。それだけの理由で三十年もの時間を費やした男は、カップルに地獄を見せるべく、大量のジェノサイドチョコを棚に並べ始める――この日のためだけにオープンした自身の店の棚に。
「タケシ君、チョコあげる」
「サンキュ、アズミ。嬉しいな」
「言っとくけど義理だからね」
「はいはい」
タケシは包装紙をキレイに外し、チョコを一粒つまむ。
「うまい」
「高かったからね」
「なんだ。手作りじゃないのか」
タケシはがっくりと肩を落とし……ゴボッと血を吐いた。
「えっ、タケシ君……?」
ゆっくりと膝から崩れ落ち、タケシは腹を抑える。
「うぐぐ」
「タケシ君、どうしたの? 大丈夫?」
アズミは駆け寄り、背中をさする。
「ぎゃあああ」
腹から勢いよく何かが飛び出した。同時に、血も勢いよく流れだす。
「え? チョ……」
大きな口と牙を持つジェノサイドチョコは、アズミの顔をぱくりと食べた。
「ア、アズミィ」
どさりと力なく倒れたアズミに手を伸ばし、そのままタケシはこと切れた。
「お父さん、はい、これ」
「こ、今年もくれるのか。うぅ」
「もう大げさなんだから」
男は涙を流しながら、娘から貰ったチョコを食べようと口を開けた。
「へ?」
それよりも大きな口が、男の頭を飲み込んだ。
「い、いやぁー、お父さーん」
「――マ、マリ?」
娘の悲鳴に驚いた女が料理の手を止め、リビングに駆け込む。
「あ、あなたー、マリー!」
女の目に映ったのは、血まみれの男と娘、そしてケタケタと笑うチョコの姿だった。
「何、買ってきたんだお前」
「チョコよ」
「これのどこがチョコなんだよ」
怒号を上げながら、烈火はチョコを遠ざけようともがく。食われそうになったすんでのところで、彼はチョコを掴み、自身から引きはがしたのだ。
「ぐ、なんて力だ」
烈火はチョコと格闘しつつ、キッチンに向かう。
「かがり、火つけろ」
「分かったわ」
かがりはコンロの火をつける。火力は強火。
「くたばれ」
烈火はチョコを火に押し付ける。チョコは悲鳴を上げ、ドロドロに溶けた。
「ふー、助かった」
危機が去り、安堵した烈火はどさりと座り込んだ。
「千円が」
溶けたチョコを名残惜しそうに見るかがり。
「おい」
烈火はジト目を向けた。
「冗談よ」
そう言ってかがりは烈火の隣に座り、こてんと肩に頭を乗せた。
「大変なことになってんな」
「そうね」
烈火とかがりは家中のガスバーナーとマッチをかき集め、チョコを売っている店に向かっていた。
「チョコに襲われる日が来るとはな」
うんざりした表情を隠そうともせず、烈火は飛びかかってくるチョコを燃やした。
「せっかくのバレンタインなのに。あなたと甘い一日を過ごす予定がパーだわ」
はぁとため息をつき、かがりはチョコの軍勢に霧吹きを向けた。中には灯油が入っている。
「そーれ」
チョコの軍勢に灯油が降りかかる。かがりは火を灯したマッチ棒を投げた。
「そうだ。この溶けたチョコを再利用して……」
「やめろ」
「冗談に決まってるでしょ」
二人は軽口を叩きつつ、立ちはだかるチョコの軍勢を次々と溶かしていった。
「ここか」
烈火は息を殺し、店の扉を開ける。
「これは」
むせかえるようなにおいが鼻をつく。血まみれの男がこと切れていた。
「あっ、この人よ、チョコ売ってたの」
男の顔を覗き込んだかがりが声を上げる。
「なんだって?」
烈火は目を見開き、口をあんぐりと開けた。
数分前。
「聞こえる。聞こえるぞ。カップル共の悲鳴が」
科学者の男は店内から外の様子を眺め、ジェノサイドチョコがもたらす惨劇に心を躍らせていた。三十年もの間、この地獄絵図を見ることだけを思い描いていたのだ。理想の光景が現れたことに、愉悦を抑えきれない。
「もっとだ。もっと地獄を描くのだ。愛しのジェノサイドチョコよ!」
男は叫ぶ。その瞬間、外で人々を襲っていた一粒のチョコが動きを止める。
「ん? どうしたんだ?」
男は怪訝な表情を浮かべ、店の扉を開ける。
「うわあああ」
ケタケタと笑いながら突進してきたチョコが、男を店内へ押し戻す。
「な、何をするんだ?」
がぶり。がぶり。がぶり。
「や、やめろ。わ、私は生みの親だぞ。相手を間違えるな」
チョコの牙が突き刺さった箇所から血があふれ出す。
「た、助けて。誰か助け……」
男の助けを求める声は、町中の悲鳴にかき消された。
「こんなはずじゃ……」
惨劇を引き起こした元凶は、自ら生み出した怪物の手によって、命を失う羽目になった。
「あのチョコがここで生み出されたのは間違いないようね」
店の奥にある研究所で、実験の痕跡と資料を見つけたかがりが言った。
「欲しいのは状況を解決できる手掛かりなんだがな」
烈火は忌々しげに舌打ちする。
「地道に燃やし続けるしかないんじゃない」
「どのぐらいいるかも分かんねえのに」
特にめぼしい情報を見つけられなかった二人は店を出る。外では相変わらず、悲鳴が飛び交っていた。
「やるしかねえか」
けだるげにつぶやき、烈火とかがりは悲鳴が聞こえる方に向かった。
「そーれ」
かがりは霧吹きで灯油を吹きかける。続けざまに、烈火がガスバーナーを浴びせる。チョコがどろどろと溶けていく。
「あと何回繰り返せばいいんだ」
「悲鳴が聞こえなくなるまで」
あっけらかんと言い放つかがりにはぁとため息をつき、烈火は次の獲物に狙いを据えた。
「なんか集まって来てねえか?」
「集まって……来てるわね」
二人はごくりと息を飲む。いつの間にか悲鳴はやんでいた。
「なっ?」
烈火は目を疑った。一粒のチョコが、突然他のチョコを食べ始めたのだ。
「共食いかよ」
「ねぇ、デカくなってない?」
かがりは恐る恐る言う。チョコがチョコを食べるたび、サイズが大きくなっていった。
「おいおい、嘘だろ」
烈火はハハと乾いた笑い声を上げる。手のひらサイズだったチョコが、トラック並みの大きさに変貌を遂げた。
「どうする?」
「逃げる」
烈火はかがりの手を掴み、全速力で駆け出した。地響きを立てながら、巨大チョコが追いかけてくる。
「完全にロックオンされてるわよ」
「みてえだな」
烈火は手持ちのガスバーナーにちらりと目をやり、舌打ちする。巨大チョコを溶かす武器としては心もとない。
「あれは……」
「何?」
かがりは烈火の視線を追い、「チャンスが巡って来たわね」と呟いた。
「準備は良いか?」
「えぇ」
二人が見つけたのは、ホームセンターだった。滑りこむように中に入って灯油をかき集め、入り口に向き直る。巨大チョコが壁ごと入り口を破壊し、中に入ってきた。
「まだだぞ」
ずんずんと音を立てて、巨大チョコが着実に迫ってくる。二人は相対したまま動かない。
「あと少し」
目前に迫った巨大チョコが大口を開ける。
「今だ!」
烈火とかがりは開いた口を狙い、灯油缶を次々と投げ込む。
「こいつで最後だ」
そう言って烈火は火種となるマッチ棒を口の中に放り投げた。
「烈火、こっち!」
かがりは烈火の手を強く引っ張り、商品棚の後ろに身を隠す。次の瞬間、耳をつんざくような爆発音が響き渡る。衝撃波が店内を襲い、二人は商品棚ごと吹っ飛ばされた。
「ぐっ」
烈火はかがりをかばい、背中を床に打ち付けた。一方のかがりは烈火にかばわれたことで、たいしたダメージを負わずに済んだ。
「烈火!」
「問題ねぇ。それよりチョコだ」
かがりを抱きしめたまま体を起こし、烈火は巨大チョコに目を向ける。木っ端微塵に飛び散った巨大チョコの破片は炎に包まれ、徐々に、だが確実に溶けつつあった。
「……ふぅー」
巨大チョコが跡形もなく溶けたのを確認し、かがりはようやく安堵の息をついた。
「もういねえよな」
「たぶん。悲鳴も聞こえないし」
二人はよろよろと店の外に出た。サイレンの音が近づいて来る。
「ようやくおでましか」
「資料、渡したほうがいいわよね」
科学者の研究所から持ち出した資料を掲げ、かがりは言った。
「持って来てんじゃねえよ」
と文句を言いつつ、烈火はサイレンが聞こえる方へ歩き出した。くすりと笑みを浮かべ、かがりも歩き出す。
共食いをまぬがれた生き残りのチョコが、そんな二人の背後に忍び寄った。
「――気づいてるよ」
「――気づいてるわ」
烈火とかがりはチョコの鼻先にガスバーナーを突きつけた。




