伝説の殺し屋は血が怖い
「ひぃ、怖いよぉぉ」
路地裏で一人の青年が頭を抱えて座り込んでいる。右手には拳銃が握られており、側には頭から血を流して倒れている中年男性の姿があった。
「いい加減慣れなさいよ」
青年の側に立つ少女が言った。少女はゴスロリの格好をしており、顔には血がついている。
「無理だよ。怖いもん」
青年は頭をぶんぶんと横に振った。
「あんたが撃ったんでしょうが」
「殺すのは平気だけど、でもダメなんだよぉ」
青年の叫びに、少女は額に手を当て、はぁと息を吐いた。
青年の名はユウト。十八歳という若さでありながら、裏社会で名を轟かす伝説的殺し屋だ。
少女はユウトの幼馴染で、名をレイラと言う。ユウトを殺し屋の道に引き込んだ張本人であり、『殺姫』の異名を持つ生ける伝説だ。
ユウトは平気で人を殺すことができる。その点においては殺し屋向きな性格と言えよう。――血が苦手であるという点を除けば。
「俺さぁ、やっぱり毒殺が向いていると思うんだよ」
ユウトは拳銃を右手でクルクルと回しながら、レイラを嘗め回すように見る。
「バレずに毒を飲ませる自信あるの?」
鋭い目で睨み付けられたユウトは「ひっ」と情けない声を上げ、拳銃を落としてしまう。慌てて拾うユウトを待つことなく、レイラは行ってしまった。
「ちょっと待って! レイラ、置いてかないで!」
「さっさと来なさい」
ユウトはレイラの隣に並び、歩き始めた。二人の殺し屋は次のターゲットが住む家へと向かっている。
「レイラ、次は誰を殺せばいいの?」
まるで今日の晩御飯を聞いているかのような軽い口調だった。
「次のターゲットは……元殺し屋よ」
レイラはニヤリと不敵な笑みを見せた。
「この家よ」
レイラが示す先には、ボロボロの小屋が建っていた。人が住んでいるとは思えない。だからこそ元殺し屋の家には相応しいとユウトは感じた。
「人気がないね」
「山奥だから当たり前よ」
二人は気配を殺して、小屋に近づいた。あと一歩で扉までたどり着くというとき、二人の足は止まった。小屋の中から放たれる殺気によって。
歴戦の殺しのプロであるユウトでさえ、冷や汗が止まらなかった。鋭く重い殺意。まるで喉元にナイフを突きつけられているかのような錯覚を覚えた。
「――お二人さん、俺に何か用かい?」
小屋から一人の男が現れた。ボサボサの髪をかきながら、あくびをしている。
「おじさん、私たち道に迷ってしまって。良かったら小屋で休ませてくれない?」
レイラは猫なで声を出した。上目遣いも忘れない。少女でありながら妙に色っぽいレイラに、ユウトはドキリとした。
「構わないさ。――腰に差している拳銃を渡してくれたらね」
男は下に向けて、勢い良く腕を振る。袖口からナイフが飛び出した。
男はナイフを手に取り、ユウトに踊りかかる。ユウトは紙一重の動きで、ナイフの直撃をかわした。
「やるじゃないか少年」
男はニヤリと笑い、ユウトのみぞおちに蹴りを入れた。骨がメシメシと鳴り、ユウトは吹っ飛ばされてしまう。
「ユウト!」
レイラは叫び、愛用のメリケンサックを取り出した。
「お嬢ちゃん、それで何をするつもりだい?」
軽薄な態度の男に向かって、レイラは走り出す。彼女はメリケンサックを右拳につけ、全身全霊の力を込めて殴りかかった。
「おー、怖っ」
男はあっさりと左手で受け止める。レイラの拳はぴくりとも動かない。
焦りを見せる彼女に対し、男は下卑た笑みを向けた。
「おやすみ、お嬢ちゃん」
男は右手のナイフを振るった。レイラの首に赤い線が入る。彼女はゆっくりと崩れ落ちた。
「レイラー!」
ユウトは時間が止まった気がした。目の前で起きている出来事が、スローモーションのように写る。
夢であって欲しいとユウトは思った。現実は残酷だ。レイラの体は血にまみれ、動く気配を見せない。
「レイラ、レイラー!」
血に対する恐怖はあった。それでもユウトは駆け寄ろうとした。目の前に男が立ちはだかった。
男は血に濡れるナイフを揺らし、にたにたと笑みを浮かべている。どこまでも軽薄な態度に、ユウトは怒りを抑え切れなかった。
「許さない。絶対に」
ユウトは腰のホルスターから拳銃を取り出した。一発、二発、三発と撃ち込む。
「拳銃を人に向けてはダメと習わなかったのかい?」
男のナイフ裁きは見事なものだった。飛んでくる銃弾をナイフの腹で受け止めるだけでなく、ユウトに打ち返す余裕まであった。跳ね返された銃弾はユウトの頬を掠めてゆく。
ユウトは戦慄した。男の殺し屋としての技術の高さに。このままではレイラを失うかもしれないという恐怖に。
「俺を殺すには百年早かったんじゃないかな?」
男は終始余裕の態度を見せていた。負けるわけがないと確信しているかのようだった。
「血が苦手なんだってね少年」
どうして知っているとユウトは思った。頬から流れる血。ナイフに付着する血。レイラの体を覆う血。そのすべてが、ユウトの足を止めようとする。動け動け動け。
「大丈夫かい少年? 足が震えているよ」
男がゆっくりと近づいてくる。ユウトの足は動かない。ナイフが振り下ろされた。
「バイバイ」
あぁ、ここで死ぬのか? 覚悟を決めたユウトの視界に、ぴくりと動くレイラが映った。
「――!」
考えての行動ではない。無意識のことだった。自然と拳銃を持つ右手が動いていた。
「やるじゃないか少年。血は苦手じゃなかったのかい?」
ナイフは銃身で受け止めた。激しくぶつかり合う音がする。
「あぁ、血は苦手だよ。怖くて怖くて堪らない。だけど」
ユウトは男を睨みつけた。足の震えはいつの間にか収まっていた。
「レイラを失うかもしれない恐怖に比べたら、ちっぽけなものだ。大切な人が死ぬかもしれない状況で、血を怖がってなんかいられるかよ」
ユウトは力の限り叫んだ。銃身をずらし、銃口を男の肩口へと向ける。
「ぐうっ!」
血しぶきが舞う。男は呻き、ナイフを落とした。ユウトはその隙をつき、男の横を走り抜けた。レイラの元へ駆けつけ、抱き起こす。
「レイラ! レイラ! 目を開けてくれ。お願いだ。死なないでくれ」
レイラは反応を示さない。血が止まらない。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ。レイラ、君が死んだら、俺はどう生きていけばいいんだよ」
「……耳元でぎゃんぎゃん騒がないでくれる」
ユウトは時間が止まったような気がした。レイラは呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな表情でユウトを見上げている。
「レイラ!」
ユウトはレイラをぎゅっと抱きしめた。頬からはぽろぽろと涙が流れている。
「良かった。良かった。本当に良かった」
「あんたは私がいないとダメね」
レイラはふわりと笑った。
「ちょいとお二人さん。俺を忘れていないかい?」
ユウトはばっと後ろを振り向いた。男がニヤニヤと笑いながら立っている。右肩から流れる血を、男は気にした様子もない。
「レイラ下がってて」
素早く銃を構え、ユウトは臨戦態勢を取る。男はただ笑っているだけでナイフを構えない。ユウトが訝し気に思ったとき、レイラが前に進み出た。
「ユウト、もう大丈夫よ」
「えっ?」
ユウトにはレイラの言葉の意味が分からなかった。怪我をしているはずの彼女は、平然と突っ立っている。
「報酬は例の口座に振り込めばいいのよね?」
「まぁね。けどよぉ、お譲ちゃん。俺、今死に掛けたのよ。だからさ報酬、上乗せしてくんない?」
「分かったわ。いくら欲しいの?」
「ん、いや。なーに金はいらないよ」
「じゃあ何が欲しいの」
男はニカッと笑い、自分の頬を指差した。
「お譲ちゃんがほっぺにチューしてくれたら、俺は満足かな」
「ユウト以外にキスするつもりはないわ」
レイラがさらっと口にした言葉に、ユウトの頬は赤く染まった。
「お熱いね。まぁ、いいさ。そうさな。たまにでいいから遊びに来てくれよ。引退してから、暇で暇で死にそうなんだ」
「それくらいならお安い御用よ」
「じゃあ、あとはごゆっくり」
男はふわぁと欠伸をして、小屋の中に戻っていった。ユウトには何が起こっているのか、まったく把握できなかった。
「レイラ、どういうこと?」
「彼に依頼をしたのは私。ターゲットはユウト、あなたよ」
レイラは指をぴっと突きつけた。ユウトの頭には疑問符が浮かぶ。
「意味が分からないんだけど?」
「あんたの血嫌いを克服するための試練だったのよ。さすがのあんたも私がピンチになれば、血が苦手なんて言ってられないと思って。元殺し屋の彼に頼んで一芝居うってもらったの」
元殺し屋の男はレイラからの依頼を引き受け、ユウトの血嫌いを克服させるべく、行動していた。彼の殺気は見せかけで、ユウトやレイラを殺す気は一切なかったのだ。
「じゃあ、その血は?」
ユウトはレイラの首筋に目を向けた。彼女の首からは血が流れているように見える。
「あぁ、これ。もちろん偽物よ」
レイラは首の血をハンカチでぬぐった。肌には傷一つついていなかった。
「なんだよ。心配して損したぁ」
ユウトは肩をがっくりと落とす。殺し屋である彼が、偽の血に気づかなかったのにはれっきとした理由がある。
一つ、血が苦手だということ。二つ、それゆえに血から目を逸らしていたこと。三つ、今までまともに血を見てこなかったため、本物かどうかの見分けがそもそもつかないこと。
以上の理由から、ユウトは血が偽物であることに気づかなかった。
「ごめんね。でも嬉しかったわ。大切な人って言ってくれて」
レイラは胸に手を当てて、嬉しそうに微笑んでいる。幸せオーラが溢れていた。
「言わなきゃ良かった」
ユウトは恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。顔中から火が出ているような錯覚を覚えるほどに。
「照れなくてもいいじゃない。あんたの本音を聞けて良かったわ」
ユウトはレイラに対する気持ちを吐露したことはなかった。だからこそレイラは喜んでいる。自分に対する想いを知って。
「レ、レイラはどう思ってるんだよ。俺のこと……」
自分だけ言うのはずるい、とユウトは恐る恐る尋ねた。心臓がドクンドクンと脈打っている。
「決まってるじゃない。そんなの」
レイラは両手を伸ばし、ユウトのほっぺを掴んだ。しっかりと視線を合わせ、彼女は気持ちを声に乗せる。
「――殺したいぐらい好き」
レイラはニヤリと笑った。




