君が火をつけた
あぁ、熱い、熱い、熱い。息が苦しい。体が焦げ臭い。僕は死んでしまうのだろうか。
あぁ、それもいいかもしれない。彼女はもう息をしていないのだから。彼女の隣で死ねるなら本望だ。
僕は彼女を抱いた。温かい。この温かさは彼女自身のものか、それとも火によるものなのか、どちらでもいい。今は僕の腕の中にいる。それで満足だ。
――数時間前。
僕は愛する彼女と対峙していた。彼女はライターとガソリンを持っている。
「あらあら、見つかっちゃった」
彼女はペロリと舌を出して笑った。無邪気な笑顔だ。今の状況には相応しくないほど。
「いつから分かってたの? 私が連続放火犯だって」
世間を騒がせている連続放火事件。最初の事件のとき、僕は一人の女性に恋をした。野次馬の中に、ひときわ輝く女性がいたのだ。
二件目の事件のとき、野次馬の中に彼女を見つけて、僕は驚いた。運が良いと思った。
三件目の事件のとき、また彼女を見つけて、僕は運命だと思った。
四件目の事件のとき、またまた彼女を見つけて、僕は何かがおかしいと思った。
恋は盲目と言うけれど、僕の場合は違った。恋心を抱いたからこそ、連続放火事件の現場で、必ず彼女を見かけることに気づいたのだから。
「あなた、いつもいたわよね。私が火をつけた家に」
「僕は消防士だ。放火があったら駆けつけるのは当然だ」
消防士。そう僕は消防士なのだ。彼女を止めなければいけない。たとえ惚れた相手だとしても。
「どうして苦しそうな顔をしているの?」
彼女は小首をかしげた。妖艶な雰囲気に、僕は飲まれそうになった。
「君が……僕の心に火をつけたからだ」
恋の炎がメラメラと燃えている。この炎は消防士の僕でも消せそうにない。
「私って罪な女ね」
彼女はケタケタと笑っている。危機感なんて一切抱いていない。逃げおおせるとでも思っているのだろうか?
「ねぇ、どうして私は火を放ったと思う?」
彼女は挑発的な表情を浮かべた。分からない、僕には何も。火をつける心理なんて僕には分からない。
「私はね、ただあなたに会いたかっただけなの」
「えっ?」
何を言っている? 彼女はいったい何を言っているんだ。
「かっこよかった。火を消そうとしているあなたが。命がけで命を救おうとしているあなたが。一目惚れだった。でもあなたはすぐに現場から離れてしまった。私はどうしてもあなたに会いたかった。だから――」
体中から汗が噴出す。聞きたくない。聞きたくない。耳を塞げ。彼女の言葉を聞いてはいけない。
「家に火を放ったの。あなたは消防士。火事が起きたら、現場に駆けつけるのは当たり前。思ったとおり、あなたは現場に来てくれた。嬉しかった」
彼女は幸せそうに笑った。僕に会いたいから、放火した。それはつまり、僕が彼女に一目惚れする前から、彼女は僕を知っていたということだ。
「嬉しいわ。私に気づいてくれて」
連続放火事件は僕のせいで起きた。止めないと。
「今日は最高の日ね」
彼女はガソリンをばら撒いた。まずい。僕は彼女に飛び掛った。彼女の手からライターが零れ落ちる。ライターには火が点っていた。
「しまった!」
部屋が火に包まれる。彼女は笑っていた。
「さぁ、あなた。私を助けて。あなたの勇姿を間近で見たいの。ねぇ、お願い」
僕に助けられたい。ただそれだけのために火を放ったというのか?
ゾクリとした。狂っている。壊れている。彼女はおかしい。
「ねぇ、見て。今日は一段と最高の火よ。あなたも助け甲斐があるんじゃない?」
僕は動けなかった。彼女を助けていいのか、迷ってしまった。僕は知っていたのに。一瞬の迷いが命取りになることを。
「きゃー!」
気づいたときには彼女は火に飲まれていた。彼女のもがく姿が見える。
「助けて、早く助けてよー!」
彼女は床を転げ回っている。火は消えない。すでに建物全体に及んでいるだろう。煙も充満してきた。このままここにいたら死ぬ。
分かっていて、僕は動かなかった。
「三件目の放火で一人の女の子が死んだ。まだ三歳だった。今の君と同じように手を伸ばしてきたよ。僕は掴んだ。掴んだんだ。でも遅かった。救急車の中で死んだよ」
今でも鮮明に思い出せる。女の子の怯える表情が、頭にこびりついて離れない。
「君を生かせば、きっと誰かが傷つく。君はまた罪を犯す。だから僕は君を助けない。連続放火事件はここで終わらせる」
罪なき人々を死なせるわけにはいかない。僕が終わらせるんだ。
「あなたは消防士でしょ! 私が好きなんでしょ! 早く助けなさいよ」
「もう消防士ではないよ。君を助けない選択をした時点で、消防士としては失格だ。安心して、僕も一緒に死んであげる」
恋の炎は燃えている。今もなお。




