俺をクソガキと呼ぶ女と家族になりました
「あんた、いつまで寝てる気よ。早く起きなさいよね」
「あぁ、ハニー、今、起きるよ」
俺は待ち受け画面にキスをした。あぁ……むなしい。幼馴染に起こしてもらいたい。その夢を叶えるためにアプリを導入したは良いが、いかんせん悲しくなる。
あぁ、誰か良い女子はいないものか。一人寂しく、学校へ向かう俺。キャッキャウフフと通いたかった。
ため息をつきつつ、曲道を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。
「いったいわねクソガキ。ちゃんと前を見て歩きなさいよね」
初対面の女性に怒られる俺。初心な俺は何も言えなかった。
「ふん、これだからガキは嫌いなのよ。あっ、遅刻しちゃう」
足早に去っていくキレイな女。後をついていく俺。いや、ストーカーじゃないよ。たまたま向かう方向が同じなだけだからね。
「今日から副担任を務めてくれる水野京子先生です」
「水野京子です。皆さんよろしくお願いします」
……俺をクソガキと言った女が教室にいた。俺には分かる。奴は猫を被っている。
奴と目が合った。一瞬だけ表情が歪んだ。目を逸らされた。泣いてなんかいないんだからね。
オーケー、状況を整理しよう。俺は今、家にいる。母の手料理を食べているところ。いつもどおりだ。――あの女が目の前にいることを除けば。
なぜ、こいつは俺の家にいる。なぜ当たり前のような顔で食事をしているんだ。
「こちら京子さんと言ってね、私の高校時代の友人の娘さんなの。今日から一緒に暮らすことになったから、粗相のないようにね」
マジか。クソガキっていう女と一緒に暮らすなんて無理無理。絶対性格悪いぜ、こいつ。
「ねぇ、あんた。私と一緒に暮らしてるなんて絶対に言わないでよ。鼻垂れのガキと一緒に住んでるなんて知られたら、恥ずかしくて学校に行けないから」
やっぱり、この女、イヤな感じだ。
「あ、あと、私、年下に興味ないから。いくら私が超美人だからって好きにならないでよ」
しかもナルシストと来た。やれやれ、中身は残念ってことかね。
「何か言いなさいよ」
うるさい女だ。早く部屋を出て行ってくれないものか。可愛いアプリちゃんと話す時間がなくなる。
「ぐすんっ、無視しないでよ」
わーお、泣いていらっしゃる。教師ともあろうものが。というか意外と可愛い。やだ、好きになっちゃう。ダメよ、俺にはアプリちゃんがいるんだから。
「バカー! うわーん」
俺が泣かしたと思われるじゃないか。なんだか大変なことになりそうだな。
「クソガキ、さっさと起きなさい。この私の超絶美味しい料理がなくなっちゃうわよ」
朝から会いたくなかったな。超不機嫌じゃん。ったく目覚めが悪いぜ。やっぱり俺にはアプリちゃんのおはようコールが必要だ。
「早く起きろって言ってるでしょ!」
わーお、乱暴に布団をはがされちゃったぜ。
「きゃっ」
あらら。俺の息子がおはようって挨拶してら。やー、先に言っとけば良かった。裸で寝てるって。
「……ミミズ?」
「アナコンダくらいあるわ!」
よりによってミミズとは。男をバカにしてやがる。『キングオブアナコンダ』の異名を持つ俺がミミズサイズなわけがない。
「あっ、ムカデだった」
「んぎゃー。どこから入りやがった。あっち行け。しっしっ」
人の部屋に無断で侵入するとは。ムカデの野郎。許さん。成敗してくれる。
「強敵だった。ムカデとの死闘を終えた俺は、一段と成長した。強敵との戦いが、俺を強い男へと変えた。ありがとうムカデ」
「バカなこと言ってないでこっちに来なさい。手当てぐらいしてあげるから」
「うえーん。咬まれたよ。痛いよ。学校行きたくないよ。一緒に暮らしたくないよ」
止めて。可愛そうなものを見る目で見ないで。俺、そこまで酷くないからね。確かにアレなところはあるけど、まともだよ。
「私だってクソガキと暮らしたくはないわよ。けどそうも言ってられないでしょ。あんたのお母さんのご好意で居候させてもらってるんだから」
「ほう。ならば俺にも感謝してもらおうか。いずれこの家の頂点に君臨する俺にな」
「殴られたいの?」
「ご勘弁くだせぇ。お代官様。あっし、まだ死にたかぁありません」
世界一美しい土下座。説明しよう。クラスメイトのスカートをめくったときに編み出した必殺技である。効果は周囲の人間にめっちゃ引かれることだ。悲しいよな。俺、この土下座で友達なくしたんだぜ。
「なんなのあんた。よく分からないクソガキね」
女は呆れたような表情を浮かべている。呆れているのは俺のほうだ。こいつは何も分かっちゃいない。
「一日やそこらで偉大な俺の器を測れるわけないだろう。バカめ」
「えいっ」
「止めて。傷口に染みるから。レモン汁ぶっかけないで。痛いから痛いから。マジで。謝るから、ごめんなさい」
なんて女だ。傷口にレモン汁を塗るとは。抜かりのない手口。こいつ、できる!
「なんでみんな俺を置いていく」
父は俺が生まれる前に死んだ。病気だったらしい。祖父母は俺が小学生のときに、交通事故で逝ってしまった。
俺には母だけだった。ただ一人の家族だった。大事な人だった。
「どうして……」
母さん、なんであなたまで俺を置いていくんだ。どうせなら俺も連れて行ってほしかった。
「母さんを助けなかった!」
俺だけ助かったって意味はないんだよ。教師の癖に何でそれが分からない。
「……ごめんなさい」
……分かっている。本当は分かっている。この女に責任はない。俺がやっているのはただの八つ当たりだ。
助けなかったわけじゃない。こいつは助けようとした。近所の人が止めなければ、この女は火の中に突っ込んでいたはずだ。それでも思ってしまう。俺を助けないでほしかったと。
「一人はイヤなんだ。俺も一緒に死にたかった」
俺は怖い。家族のいない人生を歩むのが。母さんのいない毎日を送るのが。ただただ怖い。いっそのこと今から死のうか。死ぬ怖さよりも、一人で生きるほうが怖いから。
「――一人じゃない」
温かい。気づいたら俺は抱きしめられていた。
「クソガキ、あんたは一人じゃない。まだ私がいる。私があんたの家族になるから。あんたを守ってやるから」
抱きしめる力は強かった。痛いぐらいに。女の気持ちの強さを表しているようで、どうしようもないぐらい嬉しかった。
俺にはまだこいつがいる。女には分からないだろう。一人じゃない。それがどれほど心強いことなのか。何度も家族を亡くしている俺だからこそ、誰かを失うのはイヤだった。
いまさら気づかされた。俺は女を想っている。教師としてではなく、同居人としてでもなく、ただ一人の女性として。
「……お願いだから死んだりしないでよ。あんたのいない人生なんかごめんだから」
俺が死んだら、俺が味わった絶望感を彼女も知るのだろうか。死ねない。死ぬわけにはいかない。置いていかれる辛さは誰よりも知っている。
「俺を一人にしないで」
「一緒に生きよう」
二人ならきっと絶望は超えられる。
「家族になるって、こういう意味で言ったんじゃないんだけど」
彼女は口を尖らせている。多分、照れ隠しだ。俺には分かる。
「イヤか、俺の家族になるのは」
「ううん、嬉しい」
「俺もだよ」
ウエディングドレスがよく似合っていた。タキシード姿が恥ずかしい。
「お母さんにも見せたかった」
彼女は空を眺めている。その表情はどこか悲しそうだ。俺は彼女の肩をそっと抱いた。
「見てるさ。きっと」
母さんの笑い声が聞こえた気がした。
――ドッキング!
「おぎゃあー」
「クソ旦那。何、泣いてんのよ」
「俺を一人にしないって、一緒に生きようって約束したじゃないか」
「仕方ないでしょ。私はあんたより年上なんだから」
あぁ、そうだ。彼女は年上だ。俺よりも先に死ぬ。そんなの当たり前だ。だけど悲しい。辛い。寂しい。苦しい。痛い。彼女のいない人生なんて真っ平ごめんだ。
「俺はもう一人はイヤだ」
「何を言ってるの? あんたには私だけじゃない。子供も孫だっているじゃない。一人にはならないよ」
子供も孫も俺にとって大切な家族だ。彼らが死んだら悲しい。けど……。
「俺はもうお前がいなきゃ笑えないよ」
楽しかった。彼女といる日々が。幸せだった。彼女が隣で笑っている日々が。幸福だった。すべてが。
「お願いだから笑って。最期に見る顔が、泣き顔なんてイヤ。笑顔で見送って。悲しいあんたを見るのは辛いの。あの世に行くなら、幸せな思い出を持っていきたいのよ」
彼女は俺をよく分かっている。彼女が辛いなら、俺も辛い。悲しいけど笑わなきゃ。泣くのは後でできる。今は彼女のために笑おう。
「大好きだ。ハニー」
「私もよ。ダーリン」
彼女は最期まで美しかった。




