時は金なり
『時は金なり。時間というものはね、どんな物事よりも価値がある。私はね、そう思っているのですよ』
男は片目を瞑り、内緒話をするかのように静かな声で話した。私は男の話に耳を傾けながら、内心笑いが止まらなかった。――これはチャンスだと。
『契約は絶対。私は嘘は申しません。お客様のため、ひいては私のため、この能力をあなた様に差し上げるのです。悪魔も商売ですからね、信用が一番なのですよ』
私は妻と話をしながら、数時間前に出会った悪魔との邂逅に思いを馳せていた。男が突然目の前に現れた時には驚いたものだが、見た目がほぼ人だったこともあり、思ったよりも冷静に話を聞くことができた。内容は突拍子のないものではあったが。
『自分の時間を売るのと引き換えにお金が手に入る。私はこの能力を『時は金なり』と呼んでいます。一日で二十四万、一週間だと百六十八万、一年だと八千七百六十万。日本の平均寿命は約八十歳、二年程度なら売っても損はないでしょう。契約を交わせば一生遊んで暮らせるのですよ。私が要求するのは死後の魂だけ。契約を交わしたほうがお得だと思いませんか?』
半信半疑ではあったが、私は大金に目が眩み、すぐに悪魔と契約を交わしたのであった。相手が悪魔なだけに何か裏があるのではと思わないでもなかったが、大金を手に入れるためには多少のリスクは致し方ないであろう。
魂の譲渡についての説明も受けたが、よくは分からなかった。若い人なら理解できたのだろうか。年は取りたくないものだ。だがそのおかげで悪魔と冷静に話をできたともいえる。いくつもの修羅場を経験してきた私だからこそ、悪魔という得体の知れない存在と対峙できたのだと考えると、年を取るのも案外悪くはないのかもしれない。
悪魔の話では一人一人にノルマがあり、達成するために人間と契約を交わし取引をする……らしい。ノルマを達成できないと給料を貰えないのだそうだが、悪魔の世界も人間界とそう変わらないということか?
「私の話ちゃんと聞いてるの?」
どのぐらいボーッとしていたのか。妻は目を吊り上げ、私を睨みつけていた。思ったよりも没頭していたらしい。妻は昔から感の良いところがある。少しでもおかしな素振りを見せれば、何かがあったことを感づかれるかもしれない。さすがに悪魔と取引を交わしたことは見破られないと思うが、気をつけなければ。
「すまない。仕事で疲れていてね、少しボーッとしていた。一体何の話だったかな?」
妻は呆れたように溜息をつき、何でもないわと手を振り、キッチンに去っていった。
私は百万円以上の大金を手に高級店を飲み歩いた。妻には仕事で遅くなると言ってある。悪魔には感謝してもしきれない。"一週間の時間を売るだけで"本当に百六十八万円もの大金が手に入るとは。年単位で売れば億万長者も夢ではない。
運がない、運がないとばかり思っていたが、今は違う。人生最大のツキが回ってきたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。地道に頑張ってきた甲斐があった。
豪邸を建てるか、別荘を買うか、私はこれから訪れる未来に気持ちが逸るのを感じた。
「時間が大切だということには賛成。でもねだからこそ私は時間を売るなんてバカな真似はできないわ。せっかく大金が手に入っても長生きできなきゃ意味がないもの」
「そうですか、仕方ありません。契約不成立ということで」
「待って一人心当たりがあるの」
「ほう、客を紹介してくれるのですか? それはありがたいですねぇ」
「私の夫なんだけどね。自分は賢いと思ってるバカだから、すぐに飛びつくと思うわ。それに魂もすぐに手に入るわよ」
「どういうことでしょう、それは?」
「夫は――」
「――余命一年なの」
夫が"遺した"二つの大金を前に、私は笑いが止まらなかった。




