親友は特に心配をしてくれなかった
1話、2話の改行や空白を少し直しました。
「あれ? 冬、あんな下のジャージはどうしたの?」
「……よくぞきいてくれました明」
それは、今の冬が親友に愚痴をこぼしたいことだった。
風邪よりもこの後のマラソンのことよりも気にしていることだ。
「実は……盗まれてしまいまして、こんな格好になっているのです」
そう。なくした、のではなく盗まれたのだ。
体操着とジャージの上下セットはいつも家から持ってきてはロッカーの中に入れている。
体育の授業の時と家に持ち帰る時にしか、ロッカーからそれらを引き出さないから何か一つだけなくなるというのは考えられない。
そうなってくると盗まれたと考えるのが妥当だろう。
……今更ながら、面倒くさいからとロッカーに鍵を付けなかったことを激しく後悔した。
人生で初めて物を盗まれたせいか、そのショックの大きさは今日起きた不幸の中でも一番のものとなった。
しかし、そのことに対して親友はこれといって関心をもっていないようだった。
「ふぅ〜ん」
「リアクション薄いね。ちょっとショックだよ」
親友の物が見しらぬ誰かさんの手に渡ってしまったというのに、この反応を最初からするのはないと思う。
以前、明のスパイクが盗まれたと聞いた時は本気になって心配をして、まるで自分のことのように胸を痛めたっていうのに。
その時は、明もそれなりに動揺し、「どうしよう、どうしよう」と狼狽していた。
今思えば珍しい光景だったが、明の不安そうな表情を見たのはそれっきりだ。
結局そのスパイクについては、同じ陸上部の子が間違って履いていたということが翌日になって知らされて、何事もなかったように事態は収まり、最終的には冬も、よかったねの言葉を淡白に明に返してしまった。
その経験があるせいなのか、明は心配そうな顔をこちらに見せなかった。 どうせなくしたんだろって思っていそう。
「それって必需品って訳でもないし、別によくない? むしろマラソンだったら走るとき邪魔だし」
明は冬の背中を叩いて外へ出るよう催促した。
突然のことで冬は前のめりに倒れそうになったが、なんとか踏みとどまり、歩き始めた。
玄関を通り抜け、冷たい空気に脚を晒しながらクラスメイトの集団にまぎれこんだ。
「……下のジャージがいらないって、そんなことはないよ」
周りにいる人を見渡しても、皆上下ジャージで統一されている。下のジャージを履いていないのは私と、半そで半ズボンで「子供は風の子」をバカ正直に体現しているバカ男子数名のみ。
やっぱりみんな体育着とジャージのフルセットでマラソンに臨まないと、走って体が温まるまで耐えられないことを分かっているんだ。
なんだかんだ言って明も上下完備していた。
「それに、よくよく考えたら私だけ上下バランスがとれていないっていうのがなんだか恥ずかしいよぉ〜」
「だったら上を脱げばいいじゃない?」
「寒いから着てるのにそれはないよ」
「寒いからこそ脱ぐんだよ。暫く冷気を含んだ空気を直に触れていれば、内側から自然と熱を発して1℃くらい体温が上昇して寒さに対抗できるようになるんじゃないの」
「それ風邪をひけってことだよね? ていうかもう既にひいてる……」
「えっ? そうなの」
ようやく明が少しだけ心配そうな顔をしてくれた。
「うん。保健室で熱を測ったら、37.3℃だって」
「微妙……」
ついさっきまで心配してくれた明の顔は、なんとも言えぬものになっていた。
平熱の高い明からすれば、まだまだ平気な体温だろう。おそらく微熱ですらないんだろうなあ。
けれど平熱が36.0℃である冬にとっては、今の体温でも充分ドクターストップがかかってもいいような数値だ。
実際、保健の先生に「体育の授業は休みなさい」と勧められたはずなんだけど。
「体育の保坂には熱があることは伝えなかったの?」
「そのことを保坂先生に言ったら『嘘つけ。どうせまた授業をサボるための口実なんだろうな。もし今日もサボったら、その埋め合わせでやる補講の時に倍の距離を走らせるぞ』って強い口調で言われたの」
「あ〜……何て声をかければいいんだろう。自業自得?」
「そこは普通慰めの言葉をかけるんだよ〜」
いつも通り? のやり取りをしているのに疲労が溜まっていくような感じがする。やっぱり風邪をひいているのに、こんな場所にいるべきではなかったんだ。
しかもこの状態でこれから長い距離を走るんだ。
体育の授業が終わった後に熱を測ったらどうなるのだろうと、不安になってきた。