パスペリン語
彼の表面を一言で言うと、宿命的に日陰者でした。小汚い髭の剃り残し、色褪せたビジネススーツ、ネクタイの崩れた結び目……。彼はまるで革靴の中に住まう水虫のようでした。正直に申しますと、私の受けた印象に、彼を推薦する理由は塵とも見当たりませんでした。
我々宇宙科学開発局は年間に二回の採用を行います。第一は三月上旬、ここでの採用基準は世間一般とほとんど同じです。学歴や頭脳、協調性など、極端に形式上ですので、結局は履歴書と面接時のおめかしの具合で決まります。これほど信用性のない面接は他にありません。何しろ、世の中には器用な人物が溢れるほどいらっしゃいますので……。
第二は中途採用です。我々開発局は、ここに莫大な金を投資しています。何故ならば、世の中には不器用で、それでいて有能なる人材が多少なりともいらっしゃるからです。日本の大学ははっきり申しまして、ザルです。そして我々開発局の新規採用はむしろ、ザル以下のシステムなのです。名の知れる大学さえ卒業していれば、どれだけ性格が悪かろうとも、先祖がヒットラーだろうとも、篩いにもかけず採用するシステムなのです。所詮はデータ管理だけですので、主婦をパートで雇っても差し支えはないのですが、そこはあくまで宇宙科学開発局、ある程度の体裁は必要なのでしょう。
それに対して中途採用は、学歴不問で、どなたでもご参加頂けますが、誰でも採用というわけにはいきません。我々開発局の採用システムはここに全力を注いでおります。学歴不問という前置きをした方が、有能な人材を発掘できるのです。しかしそれは地底に埋まる黄金を掘り起こすようなもので、しかも毎年のほとんどは黄金など見つかりません。
彼は第二の採用である人材発掘プログラムに参加しました。(プライバシー等の問題により、ここでは彼の名前を明かせません)。このプログラムは、会社勤めの方でもなるべく参加して頂けるよう、八月の中旬に約一週間行われます。まずは初日に簡易面接をして、不要と思われる方々にはお帰り頂きます。その後も約一週間、彼等は我々の厳しい選別を掻い潜らなければなりません。しかし採用されるのは、そのうちのほんの僅かです。やがてそうして生き残った者だけが、我々と席を同じくする権利が与えられるのです。そこではじめて、ザル以下の大学卒と肩を並べられるのです。
その初日の面接にて、彼は言ったのでした。
「僕はパスペリン語を話せます」
私を含めた五名の面接官は、思わず唖然としました。そのうちの二名は、おそらく彼の言動が怪訝に感じられたのでしょう。無理もありません。その二名は、経理部の部長と、人事部の課長でした。他の三名の面接官は人工衛星電波管理部ですので、その二名とはまるで畑違いです。
「それでは、パスペリン語を聞かせて頂けますか?」と、私は意地悪に要求しました。
彼は肩口まで伸びているぼさっとした頭髪を迷惑そうに右手で軽く払い除けると、少し俯いた気味で、唇を尖らせました。まるで中年のオカマが接吻を迫っているような表情でした。
彼は何か、言いました。しかし私には、ぼそっと彼の声が聞こえただけなので、私は「もう一度お願いします」と聞き直しました。すると彼はさらに唇をすぼめて、のんびりとした口調で喋り出しました。
「はじめまして。僕は、地球の、日本という地域に住んでいる、***という者です」
彼の台詞が終わると同時に、経理部の部長は吹き出しました。課長は懸命に堪えている様子です。私はなるべく普遍を装って、
「あなたはパスペリンをご存知ですか?」と問いました。
「ええ、もちろん」と彼は答えました。「正確にはパスペリン銀河の中央に位置するカキク恒星を軸にして公転する、地球から六十二万光年先にあるペロリンタ惑星の言語です。私のパスペリン語は、辺鄙な宙域を別にすれば、たぶんパスペリン銀河のほぼ全域で通用すると思います」
彼の台詞の終わると同時に、課長は声を上げてゲラゲラと笑いました。下品な笑い声は部屋中にこだまして、それに負けじと、彼は悠長に口を曲げました。
対照的に、私を含める管理部の三名は、背筋を凍らせていました。彼の言うのは間違いなく、パスペリン銀河のことだったです。それは我々宇宙科学開発局の、ごく限られた上層部と研究者しか知らないはずの、秘密裏の情報でした。パスペリン銀河の調査のための人工衛星の定期撮影で随時送られてくる画像には、所謂UFOが度々撮影されていたのです。それ故に、我々開発局はあらゆる事態を想定し、一般公開を避けていたのでした。
現在ではパスペリン銀河の情報は公になっています。しかしその当時、その情報を一般が知り得るなど考えられなかったのです。彼の言った「ペロリンタ惑星」は当時の呼び名で、その名は未確認飛行物体の船体にあるロゴマークに由来したものでした。送られた画像を見ると、そのロゴが何故か片仮名の「ペロリンタ」と読めるので、研究者の間でそう呼ばれていたのです。公式発表の際には、発見者の名前に因んで「オータニー星」と名付けました。
ですので、どこをどう考えても、その当時にその情報を知っているのは、我々開発局の人間か、あるいはパスペリン銀河の情報を何らかの形で入手した何者か、ということになるわけです。
私は訊ねました。「あなたは何故、パスペリン銀河をご存知なのでしょう……」
「はあ……そう言われましても困ります」
「パスペリン銀河やペロリンタ惑星の情報は、どこで入手しました?」
「覚えていません」
私の語気は少しずつ強くなりました。私と彼は、まるで刑事と容疑者になったふうでした。部長と課長は、私の異変を感じ取ったのか、しんと押し黙ってしまいました。
「覚えていないということはないでしょう。黙っているようでしたら、それ相応の措置をせざるを得ません」
「しかし本当なのです。何故とか、どこでとか、そういう種類のものではありませんので……」。彼は一息ついて、やや俯いた。「たとえば、地球がいつも我々の足元にあるように、僕の記憶には日常的にパスペリン銀河があります。けれども、きっとそこにあるのに、何故そこにあるのか、どこにそれがあるのか、僕にはよくわからないのです」
私が彼の頭脳を疑う間もなく、彼は続けました。
「たとえば、日本人が日本語を使うように、僕はパスペリン語が使えるのです。しかしパスペリン語には『はじめまして。僕は、地球の、日本という地域に住んでいる、***という者です』などという言葉は存在しないので、そのまま日本語を輸入しなければなりません。たとえば、カステラは洋菓子ですが、洋菓子と言っただけではカステラだと伝わらないでしょう。それと同じなのです」
「しかしそれでは、あなたがパスペリン語を話せるということにはなりませんよ」
私が指摘すると、彼は深く肯いて言いました。
「ええ、その通りです。しかし、たとえば、日本人が日本語を話せる理由はどこにあるのでしょう? 『あ』という文字が、何故どうして『あ』と発音されてしまうのでしょう? それこそ僕には、皆目理解できません」
我々面接官は、相談の末、彼の採用を保留することにしました。彼の持つ情報が他国に渡ってしまうのを、我々開発局は危惧しました。それはむしろ止むを得ずというか、仕方のないことでした。
そうして彼は、一週間のプログラムをすべて終了し、見事、宇宙技術開発局のパスペリン銀河観測チームに就職しました。
彼が面接時に本当のことを語ったのか、それは今以て定かではありません。しかし、彼が有能なのは誰の目にも確かでした。我々の求めていた有能なる人材とは、まさに彼のような人物だったのかも知れません。