35 優先順位の話
りーくん視点の話です!
咲笑と浪川さんが階段から落ちた時の話です。
廊下からすごく大きな音が聞こえてきて、俺はすぐに教室のドアに向かう。
なんだか嫌な予感がしたんだ。
すると、杉谷先生は
「廊下に出るなよ」
と生徒に言い、一緒に廊下に出た。
後ろから河合先生も追いかけてくる。
すぐに異常は見つかった。
廊下の踊場に誰かが倒れていた。
急いで、そこへ行く。
河合先生が追いついてきていないが、今はそれどころじゃない。
倒れている人物を見て、俺は息を飲んだ。
ミミ…。
ミミが倒れていた。
思わず駆け出そうとした瞬間、
「坂田!」
と、言って杉谷先生がミミに駆け寄って行った。
杉谷先生は、ミミを抱き起こす。
その手を払いたかった。
触るな、と言いたかった。
でも言えるわけがない。
そこでやっと気づいた、この場にいたのが、ミミだけではないことを。
「浪川さん!」
と、後から走って来た河合先生が言い、もう1人に駆け寄る。
浪川だ。
浪川の周りには段ボールの箱と、絵の具が散らばっている。
浪川の身体の下には赤い液体があり、思わずぎょっと見る。
絵の具だ。
落ちた時に赤の絵の具を身体で潰してしまったのだろう。
浪川のシャツに赤の絵の具が付いていて、ぱっと見血に見える。
案の定、血に見えたのか、河合先生が浪川に触れようとした瞬間、冷静になった。
教師として、俺はここにいて、だから、ミミに触れられない。
なら、俺はちゃんと教師でいなくてはならない。
河合先生が浪川に触れる直前で、
「浪川!」
と、大きな声を出し、浪川に駆け寄り、さり気なく河合先生から浪川を遠ざけた。
「俺が運びます」
と言いながら、浪川を持ち上げた。
杉谷先生がミミを抱えて歩きだす。
俺も後に続いて歩く。
俺は、教師で、ミミは他校の生徒。
もう1人の怪我人は自分の教え子で、だから、こうなるのは当然だ。
わかっているが、すごくもどかしかった。
保健室に着くと、白衣を着た女の、といってももう大きなお子さんがいるくらいの女性が驚いた様子だった。
2人をベッドに下ろすと、白衣を着た女性ー養護教諭の相川先生が、浪川に近付いて来た。
さっき、河合先生が血だと思った絵の具を、相川先生も血だと思ったようだ。
浪川のシャツに触れると、血ではないことに気付いたようだ。
絵の具は浪川の腹のあたりに派手に付いている。
「絵の具…ね。とりあえず、この子を着替えさせましょう」
と、相川先生が目で俺と、杉谷先生に、退出と着替えの要求をしてくる。
杉谷先生は黙って頷いてドアの方へ歩いて行ったが、俺はそうするわけには行かない。
「とりあえず安静にしといたほうが…」
とにかく、浪川を着替えさせるのを阻止しなければならない。
あからさま過ぎたのか、女性2人の目が鋭くなる。
こんな目をされたならもう事情を説明するしかなかった。
なるべく多くの人に知られるのは浪川も嫌だろうから、養護教諭の相川先生だけに話すことにする。
浪川には身体中に傷跡がある。
火傷の跡や、引っ掻き傷がひどくなったようなもの。
原因は父親。
浪川の父親は暴力男だった。
母親は、浪川を捨てて逃げ出したらしい。
そんな父親も去年亡くなり、親族に引き取られたが、親族も浪川の父親を嫌いだったため、今もあまり良い環境にいないらしいが、父親といるよりはましだと、浪川は言っていた。
一通りのことを所々ぼかしながら、伝えると養護教諭は少し考える素振りをした後、
「浪川さんが目を覚ましたら、他の部屋に移して手当てをしましょう」
と言った。
俺は、頷き、河合先生と杉谷先生に戻ってきてもらう。
しばらくしてから、浪川が目を覚ました。
浪川は足首を捻ったようだった。
頭は打っていなかったようなので、とりあえず安心だが、靴下を脱がないことには手当てが出来なくて、でも足には傷跡がある。
事情を知らない河合先生が、
「じゃあ手当てしましょうか」
と言ったが、養護教諭の相川先生が、
「隣の部屋が空き教室なので、そこで手当てをします」
と言った。
不思議そうな顔の相川先生と浪川。
とにかく、浪川に手を貸しながら、隣の教室に行く。
相川先生には合同準備の教室に戻ってもらい、杉谷先生にはミミをお願いした。
隣の教室には相川先生が用意してくれたのか、簡易ベッドがあった。
そこに浪川を座らせる。
相川先生は、
「浪川さんの着替えを取りにいくので、手当てをお願いします」
と言って出ていった。
多分、浪川の傷跡のことでの配慮だろう。
浪川の足首はそんなにひどくなく、本人もそんなに痛くないから病院に行きたくないと言うので、湿布だけ貼っておくことにする。
テープで湿布を固定している俺を見下ろしながら、
「咲笑、大丈夫なの?」
と、浪川は呟いた。
いつもより元気がない。
ミミを心配している浪川を見て、安心する。
浪川はミミに心を許しているのだろうと。
初めて会った時の浪川は、周りにたくさん人がいた。
でも、それは取り巻きのようなもので、友達ではなかった。
どこか冷めている生徒で、特別仲の良い友達はいなかった。
浪川の傷のことを知ったのは本当に偶然だった。
浪川のシャツの袖が少し切れていて、そこから少し見えただけ。
そこから、浪川を少しだけ注意して見るようになった。
傷の理由を知ったのは、浪川の父親の葬式の日だった。
俺は、担任として参加した。
終わった後、浪川に
「大丈夫か?」
と声をかけると、
「どうして来たの?」
と、返って来た。
「担任だから」
と、答えると、浪川は笑った。
「そっか」
と。
そこで浪川は言った。
「父親が死んでも、私嬉しくないみたいなんだ」
と。
そもそも、嬉しいはずがないのが普通。
でも、浪川にその普通は適用されなかった。
浪川は、父親のことを話してくれた。
浪川の父親は絵に描いたようなだめな男で、酒ぐせが悪く、不倫もあたりまえ、当然のように浪川の母親は愛想をつかして、浪川を置いて家を出て行ったらしい。
母親がいなくなってから、父親は完全に仕事をしなくなり、しまいには浪川に暴力を振るうようになった。
「あんな父親でも、いないと、悲しいんだね」
と、そこで浪川は泣いた。
俺はどうしていいのか分からなかったから、とにかく浪川の背中をトントンと優しく叩いていた。
それから、浪川は少しずつ、俺に話しかけてくれるようになった。
父親が死んでから親族の所へ預けられるようになったが、そこでうまくいっていないことなどを相談された。
俺は、俺なりに考えて浪川の相談にのっていた。
ある日、告白された。
「好きです」と。
浪川は気付いている、俺に向けている感情は、愛とか恋とかじゃないと。
でも、浪川は気付かないフリをしている。
安心感が欲しいのだと思う。
だから、俺は、その気持ちを否定することはない。
でも、受け入れることはできない。
「好きな人がいるから」
と言うお決まりの台詞を言うと、浪川は笑って、「うん。でも私は先生が好き」と言った。
出会った頃よりも、いい表情をするようになったと思った。
でも、いつも一緒にいる友達の前ではしない。
だから、心配だった。
でも今、浪川のミミを心配している表情を見て安心する。
そういう表情が出来る友達を見つけたんだ。
教師として、少し嬉しかった。
「相川先生も大丈夫って言ってたし、杉谷先生もついてるから大丈夫だよ」
と俺が言うと、浪川は、あからさまに安心したような顔をした。
それからしばらくして、相川先生が浪川の着替えを持って来てくれ、俺は教室を出る。
そして、保健室に行ったのだが、ミミの姿が見当たらない。
とりあえず、浪川のいる教室の前に行き、浪川の着替えが終わっているのを確認してから、教室へと入る。
中にいた相川先生にミミのことを、聞くと、杉谷先生と病院に行き、そのまま早退したという。
浪川は心配そうな顔をしたが、俺はもっと心配だった。
焦りながらも、とりあえず、浪川を合同準備の教室に戻し、俺はノリにメールをする。
From 仲辺涼
To 坂田紀之
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咲笑が怪我して、早退したんだけど、連絡いってる?
すぐ返信が来た。
From 坂田紀之
To 仲辺涼
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いまからひょういんでむかえにいく
相当焦りながら打ったのだろう。
今から、病院に迎えに行く。
が正しい文だろう。
俺より焦っているようだ。
本当は今すぐにでもミミの所へ行きたかったが、そんなことはできない。
仕方なく、俺は合同準備に戻った。




