雨宿りした小屋の中で 1 (以降 展開変更、書き直し)
長らく更新が滞って(リアルとか新作を書いたりして)いましたが再開します。お待たせして申し訳ございません。
なお、序盤は前の流用ですので後半まで飛ばしてもかまいません。
がたがたがた、どん、がっしゃん。ろくに舗装も整備もされていないであろう道を通っているので何度も荷馬車が跳ね上がる。まったく、こちらに来てからろくに乗り物に乗ったことのない我が身の尻が痛いこと痛いこと。
もっともカシミロが言うには乗り物酔いしないだけマシだそうだがね。なんでも今まで乗り物に乗ったことない奴が長時間乗ると例え整備された揺れがない道でも大概は必ずといっていいほど乗り物酔いすることがあるらしいので驚かれた。そりゃあ、前世には当たり前のように車がありましたからね。乗り物に酔いはしないさ。
それにしても座布団代わりに荷馬車に乗せている麻織物を尻にひかせてくれれば多少ましになるんだがな。売り物だからしょうがないだろうが、ちょっとくらいと思わんでもない。まあでも麻織物といっても結構上等な奴も置いてあるようだし仕方ないか。前世現代人的な感覚だと麻というだけで粗末に聞こえるが実際にとってみれば中々なものである。そういえば、平安時代の十二単も麻織物だったけ、何物にしてもピンキリなのかね。
しかし、お約束な不満だがサスペンションでも付いていればもっとましなんだがな。一応、車輪の衝撃緩和材代わりに草を紐状に縒ったものを車輪に巻き付けてあるそうなのだがいかんせん多少はましになっているという程度でしかない。
まったくもって不便な話である。現代の車のような螺旋状のサスペンションは技術的に無理そうだけど板バネぐらいならなんとかして届かすことはできんもんかね、例えば鋳型とかで。でも強度的に直ぐ壊れるかも? どっちにしろ現状じゃ素人の考え休むに似たりだ。
そんな感じになどなどと尻の痛みと退屈を思考という妄想で誤魔化しながら故郷である村を飛び出し、途中、幾つかの似たような規模の村を経由し幾度目かの夕日が今日も落ちた。俺達は荷馬車にゆらゆら揺られながら、この辺りでは一番規模の大きい商業都市であるエリノアに向けて旅を続けた。ここら辺の道は俺が所属している国、イルムガルト王国内の他の多くの道と比べても人通りは少ないらしい。当然である、この辺りの道の大半はうちの村みたいな王国内でも辺境というべき場所にしか通っていないのだから。もちろん国の大動脈である大都市間を結ぶ道とは比べるべくもない。
それでも時折、交差路から合流してきた同じ方向を旅する旅人に出会う事もあったし、カシミロのような商品の買付けから帰ってきた商人とその商人が所有する荷を積んだラバにあったり、時には三頭の馬に引かせた高速馬車に追い抜かれることもあったりした。
そんな旅人以外にも道中、物乞いや詐欺まがいの押し売りなどにも出会った。ぼろぼろになった薄汚れた服を着た汚らしい老人が杖に寄りかかりながら飢えから逃れるべく、食べ物か銅貨を求めてくる、ガタイの良いゴロツキ紛いの商人が強引に商品を押し進める。カシミロが彼らの申し出を断ると押し売りは手近な物に当り散らし、老人は体を支えていたはずの杖を振り上げ聞くに堪えない罵声をぶつけてきた。当然、こちらは相手にしてられないと荷馬車の速度を上げて立ち去った
気づけばポツポツと小雨が降り出してきた。
ここのところ晴天続きだったので久方ぶりの雨だ。
この土地は本土に比べれば雨量がある方だが、やはり日本ほど雨量は多くない。なので村にいたときならばこの雨を恵みの雨と喜んだだろう。だが今のような旅先ではやっかいものでしかなかった。
なので、俺達は近くの町へと足を早めたのだった。
この辺りはイルムガルト王国本土とは山脈を隔てた半島で、俺達が今向っている大都市、貿易都市であるエリノアはこの半島がイルムガルドが支配する前の異人種による国家があった時代から貿易都市として栄えていたらしい。山脈を越えた先の国々やイルムガルド本国はここの気候とはがらりと変わり涼しく乾燥したより前世の欧州らしい気候であるらしかった。
今、目の前にあるこの川沿いの町も当時から存在していた町らしい。エリノアとイルムガルドを繋ぐ中継点にあったためいつのまにか人が集まり町ができた、そんなよくある中継都市の一つのようだ。もっとも前世の感覚だと二千人に届くかどうか程度の人口では都市は大袈裟なのだが。しかしこの世界の時代LVを考えれば立派な規模といえるだろう。というか一般的に普通の都市といったらこの程度の規模らしいし。
町の周囲は壁(城壁と言うほど大げさな規模ではないので市壁というべきだろうか)によって囲まれている。そしてその側にへばりつくようにしていくつか小屋が建っていた。おそらく市壁の門が閉まってしまい町には入れなくなった行商人や、旅人などのための仮宿としても置かれているのだろう。
その後、馬屋となっている小屋に馬車を入れた。
中を覗いてみればそこは案の定、礎石を使わずに柱を直接土中に埋め込んで建てた文字通りの掘っ建て小屋。そして地面には干草が敷き詰められており、中には先客が幾人かいるようだ。皆、馬車と共にここで寝泊りをするらしい。
どうやらこの場では人間様より馬の方が偉いようだ。もっともそれも仕方がないことだろう。馬を置いて人様用の小屋で寝泊りしているうちに馬車を持ち逃げされてはかなわない。まあ、一晩を過ごして雨が止むのを待つ程度には充分だがね。
「俺はここで寝泊りするからお前は人用の小屋行ってこい」
「いいの、立場上逆じゃない?」
「大事な商売道具を人任せになんてできるか。
ガキ一人にまかせるなんざ心配で眠れなくなるわ」
ごもっとも。
では遠慮なくもう少し快適であろう人用の小屋で寝泊りさせていただくか。
◆◆◆
パチパチと暖炉から薪が燃える音がする。小屋の広さは人が2ダース寝泊りできる程度。備え付けれれているものは暖炉と燃料の薪、申し訳程度の毛布、そして火事が起きた時用なのかいつ汲まれたのかわからない水が入った水瓶が存在していた。近くに井戸などなく当然、飲料水はない。外に桶があるところを見るに欲しかったら川まで行って汲んで来いというとこなのだろう。まあ利用するのは遠路はるばるここまで旅をしてきた者ばかりなので大抵の人間ならば水を持ってないということはないだろうが。
小屋の中では旅人達がひしめきあっていた。旅人や行商人、傭兵などが老若男女存在している。俺と同じくらいの年恰好もちらほら。それらがそれぞれ寝ころがったり談笑に華を咲かせたりしているようだった。俺も話に加わるかな、とりあえず手近な大都市に行こうとしてるけど明確な目的地とかないし。なにせ情報はあればあるほどいい。とりあえず耳を傾けてみるか。
「そういや、他国でどこぞの若様が変わったことをしだしたそうだぞ」
「へぇ、何をやらかしたんだ?」
「何でも都市の住民の糞尿を買い取るお触れをだしたんだと、そんで農家に肥料として卸す予定らしい。まあ住民からは臭い物が金になるからいい事だろうが、何を考えてるのかねぇ。金出して買うぐらいなら自前のがあるっての」
「失礼、ちょっと詳しくお話を聞いてもよろしいですか」
おっちゃん達が何やら興味深い話をしていると、俺と同じくらいの年齢をした小奇麗な格好をした護衛を連れた少年が話に入ってきた。おっちゃん達、行商人らしき中年の男二人と話しに興味を抱いたらしい。
……しっかしひょとしたらその若様って俺等と同じ人種なのかね。まあ必ずしも実行者=発案者とは限らんが。もっともどちらだとしても愁傷様といった感じだがな。一応これまで農作業で暮らしてきた者として言わせてもらうと日本じゃあるまいし人糞堆肥なんて商売として成り立つとは思えんぞ。
TVとかで時折放送されていた「江戸時代の日本は西洋と違って糞尿を肥料として利用する衛生的な先進都市でした」って話をそのまま信じてしまった口だろうか。まったくTVは時々平気で嘘を視聴者に吹き込むから手に負えない。もっともこれは嘘をついたというよりは真実を言わなかったというべきだが。なにせあれは日本だからこそできた仕組みなのだから。
なにせ、人糞堆肥の販売って商法は肉を食わなかった日本だからできたことなんだよね。
人糞を堆肥にしてたのは日本人だけとは言わない。人糞堆肥を使っていた記録は中国はもとよりあまり資料はないがヨーロッパでもないわけではない。
でも他の地域、特に畜産が盛んで家畜を大量に飼っていた欧州などでは有機肥料の需要のほとんどは自給で解決できたのでその商業価値はとても低いのだ。
肉食文化でパンを食べるよりも肉を食べるほうが不自由という状況すら起こる風土を持っていた西洋では畜産が大規模で行われていたので家畜肥料が十分にとれた為に人糞を積極的に肥料として使う必要はなかった。
というか燃料やなめし剤にも使うぐらい有機肥料が有り余っていたというべきかもね。人糞以外は少量の鶏からの糞程度なので有機肥料の主な供給源が人糞しかない状況だった日本とは環境が違うのだよ。
え、日本と違って西洋では肉が食えて羨ましい? 滅相もない、肉を食わなきゃ食いつなげられなかっただけです。アジア地域の数分の一の降水量の農耕するには厳しいヨーロッパの国々では中世以前は牧畜や酪農中心の生活にならざるえない”肉食の貧しい食生活”だったわけなのだ。穀物中心だと一年間食いつなげられません。
なにせ中世以前のヨーロッパの収穫率は日本や東アジアの地域の三分の一程度、しかも欧州の気候は基本乾燥しているのでもし仮に作物を植えて収穫し続けてしまったらたった二年で土の中の水分が枯渇し保水力がなくなり三年目にはもう作物ができない状態になってしまう厳しい土地だったのです。なので三年に一度休耕地を設定する必要があるのだ。農地に水分を貯める為に、地力を回復させる為に。まったく水が豊富な日本では信じがたいことだね。
また、雨が少ないって事は外部から養分がこないって事でもある。これは、かのナイル川の恵みも治水後は無くなった事例をあげればそれは当然だろう。というか乾燥地帯の欧州じゃ20世紀まで河川の多いオランダぐらいしかろくに治水をしてこなかった。日本のように治水しないと河川の氾濫がおこるなんてことはないのである。
休耕地が生まれるのはよって必然。そして休耕中の土地は当然雑草が生えてしまい、それに水分と養分を吸い上げてしまう。よって家畜を放牧して”除草”する必要があるのだ。物を食えば当然出すもんもでる、それは土地にとって良い肥料となる。
このようにヨーロッパの農法で必ず家畜を放牧する期間を作るのは畜産という以外にも”水分の補充”と”除草”、”地力の回復”という意味があるのだ。欧州は肉食文化だと言われるがそのような文化が生まれたのはそれ相応の訳があるのだ。
「……それはそれは、ひょっとしてどこぞの山師に騙されているんではないですかね」
「ほう、何でそう思うんだ?」
「だって普通、貴族の若様が家畜の糞が肥料になるなんて知るわけないですよ。まあ当の山師も人糞が売れるなんて思っているあたり農業に従事したことのない現場を知らない人間っぽい気がしますけどね」
「そういう坊主も小奇麗な格好をして世間を知ってるとは思えんがな」
「ははっは、まあ僕も基本聞きかじりなんですがね。でも一応自分が食べる分の作物は作らされてましたよ。もっとも作物の出来で生死が分かれるお百姓さんほどシビアでも切羽詰ってもいないものですが」
うむ、若様が同郷の人間じゃないのなら俺も同感だ。
まあここの時代がもっと前、ノーフォク農法成立以前だったなら多少の需要はもしかしたらあったのかもしれんが、今の農家じゃ有機肥料は十分足りてるんだよね。
因みにノーフォク農法とは”大麦→クローバー→小麦→かぶ”の順に4年周期で農地を運用する方法のこと。この農法のきもはクローバーとカブ、特にクローバーが大事。
マメ科の植物の根には根瘤菌という大気中の窒素を固定する性質を持ち、その影響でアミノ酸やタンパク質が豊富、しかも根を伸ばさず土中の水分ももさほど吸い上げないので地中の水分もあまり無くならない!
つまり土の水分も多く持っていかなくて栄養価豊富、窒素を多く含んでいるので食べさせた家畜の糞は当然窒素を多量に含んでいて家畜肥料としての質も高くなると、まさに理想敵な牧草といえるのである!!
さらにカブを飼料として大量生産するようになると、今まで家畜を牧草だけで食わせていた頃とは違い、多くの家畜が飼えるようになる。かつては秋には種豚雌豚以外は締めてハムやベーコンにしていたのだが、そうせずともよくなり安心して数を増やせるようになる。そして、たくさんに増えた家畜はより多くの糞尿を出すので当然土地が肥沃になり収穫が増える、とプラスの循環が発生するのだ。
このように今、この辺りの農家において有機肥料の量に関して特に問題はないのだ。
「それにここは雨が少ないので河川の数も少ないですからね。なので雨の多い地域と違ってここでは輸送費が高くなってしまいますよ。そこも念頭にいれておかないといけないでしょう」
そうそう、日本と違って川が少ないんだから輸送費も高く、……高く?
……あれ、気のせいかな。なんかこいつの話って提案者がこっちの世界の環境を考えず日本の江戸時代のやりかたそのままにやろうとしているという前提で話してないか。さっきの言い方って元々雨の多い地域で使われていた政策だと知ってないと言えない言い方だと思うんだが。
「まあ雨が多かったら多かったらで色々問題もあるんですけどね。雨のせいで肥溜めから汚水が溢れ出して汚水を辺りに撒き散らかしたりしますし」
ひょっとして……、お仲間?